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五章 追憶と誓いの紫
追憶と誓いの紫 一話
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柔らかな木漏れ日が夕焼け色の髪に落ちる。森の木漏れ日を追うように、琥珀色の目が頭上を見た。
「もう秋だな」
琥珀色の目の持ち主、ジェドは木に実る紫色の果実に気づいた。
クリームの実という楕円形の果実だ。地味な色味で子供の拳程度の大きさ。枝葉に紛れるので見つけにくい。
ジェドは早速、飛び上がって幾つかもいだ。しっかりとした皮には黒褐色の斑点がびっしり浮いてる。食べごろの証だ。
ナイフで横に切ると独特の甘い芳香が広がった。
薔薇やジャスミンのような主張の強い類ではない。他の草木の匂いと調和し、ほんの少し鼻をくすぐる。控え目な、それでいて良い香りだ。
(なんだか、誰かを思い出すな)
丸くて大きい種をほじれば、クリーム色のトロリとした果肉だけになった。
ジェドは慎重に握りつぶし、果肉を押し出して食べる。香りと味が口の中に広がる。
甘い。街中で食べられる葡萄のような、蜂蜜のごときはっきりとした甘さではない。どちらかというとぼやけていて、ほんの少し苦味も混じっている。
けれど、森を歩き疲れた中で食べると舌に馴染み、染み渡るように美味い。
(ティリア。そうか。ティリアに似てるんだ)
ジェドは大切な人を思い浮かべる。
彼女は輝くばかりの美しさと稀有な能力を持つ魔法使いだ。
意志も強いが、押し付けがましくない。巨万の富を手に入れるだけの能力を持っているが、慎ましやかな暮らしを愛している控えめな人だ。
(ティリアにも食べさせてあげたいなあ。無理だけど)
クリームの実は、秋の初めの一時しか採れない。果実は木に成った状態でしか熟さないし、完熟しないと食べられない。
しかも完熟したら三日と保たないし、冷やすと極端に味が落ちてしまう。
魔道具である【魔法の保存箱】で【老化停止】すれば保つだろうが、ジェドの手持ちはとっくの昔に魔法の力を失っている。今も背嚢の中にあるが、ただの箱としてしか使ってない。
【魔法の保存箱】は、魔道具の中でも高価だ。【染魔】もとい【花染め】が難しい上に、使う魔法植物がかなり希少なせいだ。
ジェドはかつてそれを採取し、ティリアに【花染め】てもらったことがある。
(あの花も紫色だったな。もっと鮮やかだったけど)
【長老紫苑】
名前の通り、紫色の紫苑に似た魔法植物だ。魔法属性は時間属性。光、闇と同じ特殊属性で、非常に数が少ない。
洞窟の中に生え、自らの時を止めて何百年も咲き続ける。ほんのりと光る姿は可憐な野の花の風情だが、触れると鉱物を削って作ったかのように固い。
この魔法植物の魔法の力で【花染め】なければ、【魔法の保存箱】は使えない。
また、【花染め】の際には膨大な魔力を必要とする上に、魔法が薄れやすい。頻繁な染め直しが必要だ。
(今や王族しか所有していない最高級品だ)
十年前までは、ジェドのような金ランク冒険者や大商人なら必ず所持していたというのに。
とはいえ、ジェドの魔法の保存箱を染め直すのは簡単だ。【長老紫苑】を採取し、ティリアに頼めばいい。
本人からも『いつでもあの箱を染め直しますよ』と言われている。そうすれば、ジェドの依頼効率も上がるだろう。
だが、それはできない。悪目立ちする可能性が高いからだ。
ジェドは基本的に単独で冒険者活動をしているが、他人と組まない訳でもないし、金ランクとあって注目されている。妙な憶測や下衆の勘繰りは避けたい。
『そうですか……仕方ありませんね』
説明して断った時、ティリアはとても残念そうだった。
(それもこれも、ルディア王国が国交を制限したせいだ)
足元に目をやった。熟れ過ぎて落ちたクリームの実が転がっている。
皮は茶色くしわしわになっている。それでも、ある程度の衝撃を耐えれるので、中身はこぼれてない。
だが、中身は間違いなく腐っている。食べられないし、踏み潰せば悪臭が出るだろう。
(こっちはルディア王国みたいだな。国を囲む結界という皮は立派だが、中身は腐っている所が。ああ、皮も傷んでいるんだったか)
ジェドは顔を歪めた。普段の気さくで人の良い『金ランク冒険者ジェド』ではない、荒んだ顔だ。
(とっとと滅んでくれ。ティリアとセレスティアの故郷だけど、要らない)
ルディア王国によって苦しめられた二人を浮かべる。特に、ティリアを苦しめたことへの怒りは強い。
この十年間、ジェドは怒り続けていたのだから。
(ティリアはあの国のせいで……もっと、人と関わりたいはずなのに)
ジェドは、ティリアとの出会いを思い出した。
◆◆◆◆◆
十年前の春。四月に入ってすぐのことだった。
十四歳のジェドは、冒険者の父親に連れられてルディア王国に入国した。
国境からの移動は乗合馬車だった。ここから馬車で三日ほど移動して乗り換えてさらに進む。往復には、最低でも半月はかかるらしい。
(ケッ!面倒くせえな)
ジェドは無言で馬車の壁に背を預け、隣にいる父親とのやり取りを思い出す。
それは、この馬車に乗り込む直前だった。
ジェドによく似た顔立ちの父親、グインが淡々とここまで来た目的を話した。
『【若様】からのご命令だ。ある子供を我が国に送り届ける』
グインの言葉にジェドは鼻白んだ。ジェドは生来ほがらかな性格だが、この頃はやさぐれていた。
グイン以外の周りは反抗期だと微笑ましく思っていたし、ジェドも否定しなかった。
だが、実際はもっと深刻な理由からだった。
(何が【若様】だ。親父の飼い主じゃないか)
【若様】とは、フリジア王国の王弟のことだ。現在は『姫さま』こと第一王女が務めているが、十年前は王弟が【香雪蘭劇団】の雇用主であった。
雇用主の呼び名は伝統的に【若様】か【姫様】またはそれに準じる呼び名だ。
【香雪蘭劇団】とは、【劇団員】こと王家の密命を受け活動する者たちを管理する機関だ。
例えばグインのような冒険者であったり、宮廷に勤める文官であったり、農民であったり、ギルドの職員であったり、踊り子であったりと、多岐に渡る。
最も、グインですら全貌はわかっていない。劇団員同士の交流も薄いという。
(クソ親父め。ふざけやがって)
ジェドは、半月前までグインの裏の顔を知らなかった。
「もう秋だな」
琥珀色の目の持ち主、ジェドは木に実る紫色の果実に気づいた。
クリームの実という楕円形の果実だ。地味な色味で子供の拳程度の大きさ。枝葉に紛れるので見つけにくい。
ジェドは早速、飛び上がって幾つかもいだ。しっかりとした皮には黒褐色の斑点がびっしり浮いてる。食べごろの証だ。
ナイフで横に切ると独特の甘い芳香が広がった。
薔薇やジャスミンのような主張の強い類ではない。他の草木の匂いと調和し、ほんの少し鼻をくすぐる。控え目な、それでいて良い香りだ。
(なんだか、誰かを思い出すな)
丸くて大きい種をほじれば、クリーム色のトロリとした果肉だけになった。
ジェドは慎重に握りつぶし、果肉を押し出して食べる。香りと味が口の中に広がる。
甘い。街中で食べられる葡萄のような、蜂蜜のごときはっきりとした甘さではない。どちらかというとぼやけていて、ほんの少し苦味も混じっている。
けれど、森を歩き疲れた中で食べると舌に馴染み、染み渡るように美味い。
(ティリア。そうか。ティリアに似てるんだ)
ジェドは大切な人を思い浮かべる。
彼女は輝くばかりの美しさと稀有な能力を持つ魔法使いだ。
意志も強いが、押し付けがましくない。巨万の富を手に入れるだけの能力を持っているが、慎ましやかな暮らしを愛している控えめな人だ。
(ティリアにも食べさせてあげたいなあ。無理だけど)
クリームの実は、秋の初めの一時しか採れない。果実は木に成った状態でしか熟さないし、完熟しないと食べられない。
しかも完熟したら三日と保たないし、冷やすと極端に味が落ちてしまう。
魔道具である【魔法の保存箱】で【老化停止】すれば保つだろうが、ジェドの手持ちはとっくの昔に魔法の力を失っている。今も背嚢の中にあるが、ただの箱としてしか使ってない。
【魔法の保存箱】は、魔道具の中でも高価だ。【染魔】もとい【花染め】が難しい上に、使う魔法植物がかなり希少なせいだ。
ジェドはかつてそれを採取し、ティリアに【花染め】てもらったことがある。
(あの花も紫色だったな。もっと鮮やかだったけど)
【長老紫苑】
名前の通り、紫色の紫苑に似た魔法植物だ。魔法属性は時間属性。光、闇と同じ特殊属性で、非常に数が少ない。
洞窟の中に生え、自らの時を止めて何百年も咲き続ける。ほんのりと光る姿は可憐な野の花の風情だが、触れると鉱物を削って作ったかのように固い。
この魔法植物の魔法の力で【花染め】なければ、【魔法の保存箱】は使えない。
また、【花染め】の際には膨大な魔力を必要とする上に、魔法が薄れやすい。頻繁な染め直しが必要だ。
(今や王族しか所有していない最高級品だ)
十年前までは、ジェドのような金ランク冒険者や大商人なら必ず所持していたというのに。
とはいえ、ジェドの魔法の保存箱を染め直すのは簡単だ。【長老紫苑】を採取し、ティリアに頼めばいい。
本人からも『いつでもあの箱を染め直しますよ』と言われている。そうすれば、ジェドの依頼効率も上がるだろう。
だが、それはできない。悪目立ちする可能性が高いからだ。
ジェドは基本的に単独で冒険者活動をしているが、他人と組まない訳でもないし、金ランクとあって注目されている。妙な憶測や下衆の勘繰りは避けたい。
『そうですか……仕方ありませんね』
説明して断った時、ティリアはとても残念そうだった。
(それもこれも、ルディア王国が国交を制限したせいだ)
足元に目をやった。熟れ過ぎて落ちたクリームの実が転がっている。
皮は茶色くしわしわになっている。それでも、ある程度の衝撃を耐えれるので、中身はこぼれてない。
だが、中身は間違いなく腐っている。食べられないし、踏み潰せば悪臭が出るだろう。
(こっちはルディア王国みたいだな。国を囲む結界という皮は立派だが、中身は腐っている所が。ああ、皮も傷んでいるんだったか)
ジェドは顔を歪めた。普段の気さくで人の良い『金ランク冒険者ジェド』ではない、荒んだ顔だ。
(とっとと滅んでくれ。ティリアとセレスティアの故郷だけど、要らない)
ルディア王国によって苦しめられた二人を浮かべる。特に、ティリアを苦しめたことへの怒りは強い。
この十年間、ジェドは怒り続けていたのだから。
(ティリアはあの国のせいで……もっと、人と関わりたいはずなのに)
ジェドは、ティリアとの出会いを思い出した。
◆◆◆◆◆
十年前の春。四月に入ってすぐのことだった。
十四歳のジェドは、冒険者の父親に連れられてルディア王国に入国した。
国境からの移動は乗合馬車だった。ここから馬車で三日ほど移動して乗り換えてさらに進む。往復には、最低でも半月はかかるらしい。
(ケッ!面倒くせえな)
ジェドは無言で馬車の壁に背を預け、隣にいる父親とのやり取りを思い出す。
それは、この馬車に乗り込む直前だった。
ジェドによく似た顔立ちの父親、グインが淡々とここまで来た目的を話した。
『【若様】からのご命令だ。ある子供を我が国に送り届ける』
グインの言葉にジェドは鼻白んだ。ジェドは生来ほがらかな性格だが、この頃はやさぐれていた。
グイン以外の周りは反抗期だと微笑ましく思っていたし、ジェドも否定しなかった。
だが、実際はもっと深刻な理由からだった。
(何が【若様】だ。親父の飼い主じゃないか)
【若様】とは、フリジア王国の王弟のことだ。現在は『姫さま』こと第一王女が務めているが、十年前は王弟が【香雪蘭劇団】の雇用主であった。
雇用主の呼び名は伝統的に【若様】か【姫様】またはそれに準じる呼び名だ。
【香雪蘭劇団】とは、【劇団員】こと王家の密命を受け活動する者たちを管理する機関だ。
例えばグインのような冒険者であったり、宮廷に勤める文官であったり、農民であったり、ギルドの職員であったり、踊り子であったりと、多岐に渡る。
最も、グインですら全貌はわかっていない。劇団員同士の交流も薄いという。
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