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三章 怠け者の翠風
怠け者の翠風 五話
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カイは過去に思いを馳せた。故郷と、首飾りの持ち主だった母と、長槍の持ち主だった父へと。
時は、今から十六年ほど前までさかのぼる。カイは十六歳だった。
カイの故郷は、ギース帝国の南西部の領地にある農村だった。山と森に囲まれ、街道から遠い田舎町だ。
父親は、農民兼冒険者であった。
大して強くなかったが、陽気な男だったので周りには慕われていた。紫色の目をキラキラさせ、カイに農業や冒険者に必要な知識を教える姿を、カイはよく覚えている。
いい父親だったが、母親は灰色の目を細めてよくぼやいたものだ。
『これで稼ぎがもうちょっと多かったら最高なんだけどね』
しかし、冒険者仲間や親類の意見は違った。
『それよりも【迦楼羅】にこだわるのをやめさせねえと、いつか死んじまうぞ』
『違いねえ。稼ぎだってそのせいで減ってるようなもんだ』
彼らは、父親が執拗に【迦楼羅】を狙っていること、新しい武具を買っては挑んでいること、そのせいで暮らしが良くならないことを指摘しては、母親に止めるよう言っていた。喧嘩っ早く武勇にこだわるギース帝国民から見ても、父親はやり過ぎだったのだ。
【迦楼羅】の群れは、故郷で一番高い山に住み着いていた。父親は若い時にその姿を見て魅せられ、何度も獲ろうとしては逃しているという。
『俺らは間近でなんて見たことねえけどよ。【迦楼羅】はとんでもなく綺麗な真っ赤な鳥の姿なんだってよ。だからお前の父ちゃん、おかしくなっちまったんだなあ』
言い返せなかった。父親は、風魔法の魔道具である長槍を買う程のめり込んでいた。
古魔道具とはいえ、魔法使いですらない父親でも強力な風魔法を放てる逸品だ。とんでもない高額だったのは言うまでもない。
そんな父親を、カイは冷めた目で見ていた。
『バカじゃねえか』
父親はカイにそう言われても、鮮やかな紫色の目を細め『言い返せねえな』と、言って笑うばかり。
母親の反応は妙だった。灰色の目を釣り上げてカイを叩いた。
『あんたが口出しすることじゃないよ!さっさと薪でも割ってきな!』
母は気が強く、親父が他所の女に鼻の下を伸ばせば容赦なく殴っていた。農作業の忙しい時は首根っこを掴んで働かせたし、無駄遣いも酒の飲み過ぎも許さなかった。
けれど不思議なことに、【迦楼羅】については口出ししなかった。
一度、強い眼差しでカイに言ったことがある。
『あの人は、いつか必ず【迦楼羅】を仕留める』
けれど現実は甘くない。父親は討伐中に死んだ。
しかも執着していた【迦楼羅】ではなく、別の魔獣にやられたのだ。
【迦楼羅】探しに夢中になるあまり、周囲への警戒をおろそかにしたせいだった。
(俺には、討伐だろうと素材採取だろうと、周囲への警戒を怠るなって言ったくせに)
父親は、角大猪の鉄のような強靭な身体と角と、土魔法の攻撃にやられた。
死体も、肌身離さず持っていた母親から贈られた小刀もボロボロだった。ただ一つ、長槍だけが原型を止めていた。
母親はあまりの悲劇に弱り、病に罹ってしまった。
『あんた……どうしてアタシを一人にするの……』
カイの見た目や性格がもっと父親に似ていたら、慰めれたかもしれない。しかしカイの見た目は母親似で、性格はどちらにも似ていなかった。
いつだったか、母親は父親にこう言っていた。
『カイがあんたとアタシの子だと思えない。心が空っぽなんだもの』
うっかり聞いてしまったカイだが、少し哀しいと思っただけで、すぐ気にしなくなった。
カイは昔からそうだった。感情という物が薄い。喜びも怒りも哀しみもほんの少し心を波立たせて消えてしまう。
誰かに馬鹿にされて叩かれても、褒められて頭を撫でられても、ほとんど反応は変わらなかった。野心も、欲しいものも、好きなものも殆ど無い。
口癖は『面倒くせえ』で、いかに『面倒くせえ』ことを避けて生きるかにしか興味がなかった。
感情豊かな母親にとって、カイは心が空っぽだとしか思えなかったのだろう。最期まで、カイと母親の間には見えない断絶があった。また、他の村人や親戚に対してもそうだった。
だからカイは、母親が死んですぐに故郷を出た。
カイは十七歳になっていた。大人と言っていい年齢だった。
『農民も冒険者も面倒くせえ。知り合いばかりの地元で暮らすのも面倒くせえ』
母親の葬儀を終えてすぐ出て行った。その際、わずかな金、父親の遺した長槍、母親の遺した何の価値もない空っぽの首飾りだけを持ち出した。
カイの心にある、両親へのほんの少しの情がそうさせた。
父親は生きづらい性格のカイを見守り、農業などの知識と槍の使い方を叩き込んでくれた。母親はカイをうとんでいたが、父親と同じくカイが一人立ちできるよう育ててくれた。
その二人が大切にしていたので、長槍と空っぽの首飾りを形見として持ち出したのだった。
初めの頃は、形見の品に対しそこまで思い入れはなかった。
しかし、長槍を愛用して首飾りを身につけている内に、カイの心境は少しずつ変化していった。
カイは次第に、父親が【迦楼羅】を討伐出来なかったこと、母親の首飾りの台座が空っぽのままなことが気になっていった。
だからこそ今回の依頼を受け、古道具屋の店主に台座に嵌っていた石が何か聞いたのだが。
(まさか、最初から空っぽだったなんてな。そこまで貧乏だったわけじゃねえはずだが……)
カイの故郷では、男が求婚する時に首飾りを贈る。
台座には男の目と同じ色の石を嵌めるのが決まりだ。女はそれを受け取り、女の目と同じ色の石を嵌めた小刀を贈る。
首飾りの台座に何もないのは、てっきり母親が生活のために売ったのだと考えていた。
では、求婚当時は金が足りなかったのだろうか?それも考え辛い。カイの目から見ても父親は母親を愛していたし、金もそれほどかからなかったはずだ。
父親の目は鮮やかな紫色だ。確かに飛び抜けて美しい色だったが、紫水晶あたりを嵌めれば安く済んだはずだ。
(あの親父が石を用意しねえとは思えねえがなあ。それに今さらだが)
何故、父親はあれほどまで【迦楼羅】に固執したのだろうか?
(本当に美しさに魅せられただけか?)
真っ赤だという美しい鳥型の魔獣と、空っぽの首飾りの謎。
二つの謎に頭を悩ませつつ、カイは眠りに落ちた。
時は、今から十六年ほど前までさかのぼる。カイは十六歳だった。
カイの故郷は、ギース帝国の南西部の領地にある農村だった。山と森に囲まれ、街道から遠い田舎町だ。
父親は、農民兼冒険者であった。
大して強くなかったが、陽気な男だったので周りには慕われていた。紫色の目をキラキラさせ、カイに農業や冒険者に必要な知識を教える姿を、カイはよく覚えている。
いい父親だったが、母親は灰色の目を細めてよくぼやいたものだ。
『これで稼ぎがもうちょっと多かったら最高なんだけどね』
しかし、冒険者仲間や親類の意見は違った。
『それよりも【迦楼羅】にこだわるのをやめさせねえと、いつか死んじまうぞ』
『違いねえ。稼ぎだってそのせいで減ってるようなもんだ』
彼らは、父親が執拗に【迦楼羅】を狙っていること、新しい武具を買っては挑んでいること、そのせいで暮らしが良くならないことを指摘しては、母親に止めるよう言っていた。喧嘩っ早く武勇にこだわるギース帝国民から見ても、父親はやり過ぎだったのだ。
【迦楼羅】の群れは、故郷で一番高い山に住み着いていた。父親は若い時にその姿を見て魅せられ、何度も獲ろうとしては逃しているという。
『俺らは間近でなんて見たことねえけどよ。【迦楼羅】はとんでもなく綺麗な真っ赤な鳥の姿なんだってよ。だからお前の父ちゃん、おかしくなっちまったんだなあ』
言い返せなかった。父親は、風魔法の魔道具である長槍を買う程のめり込んでいた。
古魔道具とはいえ、魔法使いですらない父親でも強力な風魔法を放てる逸品だ。とんでもない高額だったのは言うまでもない。
そんな父親を、カイは冷めた目で見ていた。
『バカじゃねえか』
父親はカイにそう言われても、鮮やかな紫色の目を細め『言い返せねえな』と、言って笑うばかり。
母親の反応は妙だった。灰色の目を釣り上げてカイを叩いた。
『あんたが口出しすることじゃないよ!さっさと薪でも割ってきな!』
母は気が強く、親父が他所の女に鼻の下を伸ばせば容赦なく殴っていた。農作業の忙しい時は首根っこを掴んで働かせたし、無駄遣いも酒の飲み過ぎも許さなかった。
けれど不思議なことに、【迦楼羅】については口出ししなかった。
一度、強い眼差しでカイに言ったことがある。
『あの人は、いつか必ず【迦楼羅】を仕留める』
けれど現実は甘くない。父親は討伐中に死んだ。
しかも執着していた【迦楼羅】ではなく、別の魔獣にやられたのだ。
【迦楼羅】探しに夢中になるあまり、周囲への警戒をおろそかにしたせいだった。
(俺には、討伐だろうと素材採取だろうと、周囲への警戒を怠るなって言ったくせに)
父親は、角大猪の鉄のような強靭な身体と角と、土魔法の攻撃にやられた。
死体も、肌身離さず持っていた母親から贈られた小刀もボロボロだった。ただ一つ、長槍だけが原型を止めていた。
母親はあまりの悲劇に弱り、病に罹ってしまった。
『あんた……どうしてアタシを一人にするの……』
カイの見た目や性格がもっと父親に似ていたら、慰めれたかもしれない。しかしカイの見た目は母親似で、性格はどちらにも似ていなかった。
いつだったか、母親は父親にこう言っていた。
『カイがあんたとアタシの子だと思えない。心が空っぽなんだもの』
うっかり聞いてしまったカイだが、少し哀しいと思っただけで、すぐ気にしなくなった。
カイは昔からそうだった。感情という物が薄い。喜びも怒りも哀しみもほんの少し心を波立たせて消えてしまう。
誰かに馬鹿にされて叩かれても、褒められて頭を撫でられても、ほとんど反応は変わらなかった。野心も、欲しいものも、好きなものも殆ど無い。
口癖は『面倒くせえ』で、いかに『面倒くせえ』ことを避けて生きるかにしか興味がなかった。
感情豊かな母親にとって、カイは心が空っぽだとしか思えなかったのだろう。最期まで、カイと母親の間には見えない断絶があった。また、他の村人や親戚に対してもそうだった。
だからカイは、母親が死んですぐに故郷を出た。
カイは十七歳になっていた。大人と言っていい年齢だった。
『農民も冒険者も面倒くせえ。知り合いばかりの地元で暮らすのも面倒くせえ』
母親の葬儀を終えてすぐ出て行った。その際、わずかな金、父親の遺した長槍、母親の遺した何の価値もない空っぽの首飾りだけを持ち出した。
カイの心にある、両親へのほんの少しの情がそうさせた。
父親は生きづらい性格のカイを見守り、農業などの知識と槍の使い方を叩き込んでくれた。母親はカイをうとんでいたが、父親と同じくカイが一人立ちできるよう育ててくれた。
その二人が大切にしていたので、長槍と空っぽの首飾りを形見として持ち出したのだった。
初めの頃は、形見の品に対しそこまで思い入れはなかった。
しかし、長槍を愛用して首飾りを身につけている内に、カイの心境は少しずつ変化していった。
カイは次第に、父親が【迦楼羅】を討伐出来なかったこと、母親の首飾りの台座が空っぽのままなことが気になっていった。
だからこそ今回の依頼を受け、古道具屋の店主に台座に嵌っていた石が何か聞いたのだが。
(まさか、最初から空っぽだったなんてな。そこまで貧乏だったわけじゃねえはずだが……)
カイの故郷では、男が求婚する時に首飾りを贈る。
台座には男の目と同じ色の石を嵌めるのが決まりだ。女はそれを受け取り、女の目と同じ色の石を嵌めた小刀を贈る。
首飾りの台座に何もないのは、てっきり母親が生活のために売ったのだと考えていた。
では、求婚当時は金が足りなかったのだろうか?それも考え辛い。カイの目から見ても父親は母親を愛していたし、金もそれほどかからなかったはずだ。
父親の目は鮮やかな紫色だ。確かに飛び抜けて美しい色だったが、紫水晶あたりを嵌めれば安く済んだはずだ。
(あの親父が石を用意しねえとは思えねえがなあ。それに今さらだが)
何故、父親はあれほどまで【迦楼羅】に固執したのだろうか?
(本当に美しさに魅せられただけか?)
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二つの謎に頭を悩ませつつ、カイは眠りに落ちた。
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