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二章 桃色は爛漫の恋をする

桃色は爛漫の恋をする 一話

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 四月の半ば。あたたかい陽射しが森に降り注ぐ昼過ぎのことだった。

 花染はなそめ屋は客を招いた。招かれた客が家の扉を開く。

「いらっしゃいませ」

 扉が開かれて目に入ったのは、大きな花束だ。花束は色とりどりの、チューリップに似た花だけが束ねられている。

 花束を小柄な少女が抱えていると気づくか否か。花に半ば埋もれた少女が叫んだ。

花染はなめ屋さん!お願いします!私を染めてください!」

「……はい?」

 花染はなめ屋は珍しく絶句した。



 ◆◆◆◆◆




 時は少しだけ遡る。
 フリジア王国王都郊外【静寂の森】にある家の厨房で、若い女性が浮き浮きとお茶の準備をしていた。
 窓から入る光を受け、艶やかな黒髪と新緑色の目が輝く。

(クッキー焼きすぎたかしら。でも、あっという間に食べてしまいそう。これがあるもの)

 お盆の上に硝子瓶がらすびんを置くのは、花染め屋またはティリアと呼ばれる女性だ。

(やっと買えた。ずっと欲しかった。陶器の壺と味は変わらないと言うけど、素敵ね)

 ティリアがうっとりと見つめるのは、【小人のお気に入り屋】で買った硝子瓶詰めジャムだ。
 ジャムといえば、フリジア王国では各家庭で作られる保存食だ。しかし富裕層も多い王都では、ジャムを売る店がちらほらとある。
 【小人のお気に入り屋】は、王都で一番ジャムの種類が多く味もいい。ティリアのお気に入りだ。
 しかも、去年の秋から硝子瓶詰めジャムを売り出していて、流行りに敏感な王都民の注目を浴びている。

(本当に、思い切ったことをしたわね)

 これまでジャムは、安価な陶器壺に詰めて売られていたし、少し前までこの国では硝子は高級品だった。
 今でもその意識はあるので『所詮は保存食でしかないジャムに使うなんて』と、注目を浴びている。
 それに【小人のお気に入り屋】では、安価な陶器壺詰めと、高価な硝子瓶詰めの区別をはっきりつけている。
 硝子瓶詰めジャムは、高級で珍しい果物や花を使っているものばかり。何種類かあるが、どれも硝子瓶込みで金貨一枚だ。
 金貨一枚というと、ティリアの一ヶ月分の食費を余裕でまかなえる。
 ティリアにはかなりの貯蓄があるが、のために手をつけたくなかった。
 毎日コツコツと切り詰めて、ようやく買うことが出来たのだ。

(その価値はあったわ)

 硝子瓶は無色透明で、花と果物の模様と屋号が浮き彫りになっている。美しいし、ポコポコとした手触りも楽しい。
 蓋は刺繍が施された布をかぶせてあり、無地のリボンで結ばれている。布もリボンも、上等かつ可愛らしく柔らかい印象だ。
 硝子瓶詰めジャムは、華やかで洒落ている。それだけでなく、どこか素朴な温かみがあった。

 何よりも、陶器と違って中身が透けて見えるのがいい。

(綺麗……宝石のよう)

 今回、ティリアが買ったのはピンクベリーのジャムだ。濃いピンク色はルビーか珊瑚を思わせ、見るからに甘そうだ。
 ピンクベリーは、言葉通り濃いピンクの果物だ。森の奥地にしか生えないため、王侯貴族でもおいそれと食べれない美味であった。
 数年前、ラフィア領が栽培に成功して流通するようになったが、庶民にとってはまだまだ高級品だ。ティリアも初めて食べる。

(後はお湯が沸くのを待つだけね。先に運んで……)

 わくわくと準備していたが、自分を呼ぶ声が聞こえて手を止めた。
 遠く、森の入り口からの音が魔法によって伝わる。

 《花染はなそめ屋さん、花染め屋さん、どうかその指で染めてください。花は一輪、物語は一つ。どうかその指で染めてください》

 可愛らしい少女の声だった。その声は不安と期待と決意に揺れている。

「素敵なお客様をお茶にお招きしましょう」

 ティリアは花染はなそめ屋の時の、少し澄ました顔を作り、来客用のカップを用意して待ち構えた。

 そうして、時間は冒頭に戻る。




 ◆◆◆◆◆



(やってしまった!)

「ご、ごめんなさい」

 扉を開けてすぐ「花染はなそめ屋さん!お願いします!私を染めてください!」と叫んだ少女は、我に返って顔をふせた。ふわふわの、オリーブ色がかった茶髪が揺れる。
 少女はごく普通の町娘だ。十四歳だが、小柄なのでそれより幼く見える。目はオリーブ色で、焦茶色の地味なワンピースに白いエプロン姿をしている。
 飛び抜けて美しくもなく華やかさもないが、素朴な愛らしさを備えていた。

(ああ、失敗しちゃった……)

 少女は、花束を抱きしめて後悔する。美しい紙で包まれた、チューリップに似た色とりどりの花の花束は大きい。ギュッと抱きしめている姿は、小人か小動物のようだ。
 少女は、物静かで大声など滅多に出したことはなかった。自分で自分が信じられなくて、恥ずかしくて申し訳なくて赤面する。

(どうしよう。花染はなそめ屋さんに嫌われちゃったかな)

「いきなり大声を出してごめんなさい……」

(嫌われたら染めてもらえないかも。勇気を出してここまで来たのに。教えてもらったのに)

 優しい友人たちの顔が浮かぶ。涙があふれそうだ。
 しかし、不安はいい意味で裏切られた。

「お可愛らしいお客様、どうかお気になさらないで下さい」

「え……」

 顔を上げると、花染はなそめ屋はふんわりと微笑んだ。

 艶やかな黒髪、輝く新緑色の目……。そして笑顔からにじむ人柄の美しさ。

(なんて素敵な笑顔……お花みたい……)

 花染はなそめ屋は少女を家の中に招いた。

「よくぞお越しくださいました。さあ、こちらにどうぞ。ちょうどお茶の準備が出来ました。ぜひお召し上がり下さい」

「は、はい。ありがとうございます」

 少女は、大きなテーブルセットに案内されて腰掛けた。花束は隣の椅子に置く。
 花染はなそめ屋が紅茶を入れてくれた。すすめられるまま口にする。

(美味しい!香りもいいな。特に花や果実で風味つけはしてないようだから、お茶そのものの風味かな。クッキーも美味しそう。……あれ?)

 少女はハッと気づいた。

 テーブルの上には二人分のティーセット、クッキーが山盛りの籠、取り皿。
 そしてジャムが詰まった硝子瓶が置いてある。
 硝子瓶は蓋が空いていて、濃いピンク色のジャムにスプーンが突き刺さっている。

「今日はとっておきのジャムを用意しているんです。お客様といただけて嬉しいで……」

「あ……うちのジャム……」

 花染はなそめ屋の目が驚きに見開かれる。

「あら、【小人のお気に入り屋】の娘さんでしたか。お店ではお見かけしてないですが……ひょっとしてリズさんですか?」

「は、はい。リズです。いつも、家でジャムを作っています」

 母と姉二人が店を切り盛りし、父とリズは工房でジャムを作っている。工房は自宅を兼ねていて、店のあるタイニーツリー通りから少し離れた、様々な工房が並ぶ地区にある。

「お母様やお姉様たちからお話はかねがね。お父様に負けない働き者で、飾り文字や絵を描くのが得意なんですってね」

(お母さんたち!またお客さんに私のこと話したの!)

 家族は、引っ込み思案な末娘を甘やかしがちだった。何かとほめようとする。

「や、え、そんな、わたし……あの、王都にはよくいらっしゃるんですか?」

 身内の言葉に赤面しつつ話題を変えようとした。花染め屋は微笑ましげにしつつ合わせてくれる。

「ええ。【小人のお気に入り屋】さんのような素敵なお店は森にはありませんから」

「あ、ありがとうございます。前からウチに来て下さっているんですか?」

「はい。どのジャムもとても美味しくて色も綺麗です。お母様がたとのおしゃべりも楽しくて、もう自分ではジャムを作らなくなってしまいました」

 リズの胸が喜びに温かくなる。店は繁盛しているが、はっきりと褒めてくれる客は貴重だ。苦情や助言ならばともかく、言いがかりをつける客も多い。
 特に最近のリズは、悪口ばかり言われていて鬱鬱うつうつとしていた。嬉しくて涙が滲む。

「あ、ありがとうございます。こんな風に言って頂けるなんて……父と母たちにも伝えていいですか?喜びます」

「ええ、もちろん。一月に一度は蜜花シロップフラワージャムを買いにくる、茶髪で茶色い目の常連と言えばわかると思いますよ」

「茶髪で茶色い目?」

「はい。森の外では魔法で姿を変えてますので。と言っても、髪と目の色だけで……」

 花染はなそめ屋の言葉に、リズの胸が希望ではち切れそうになった。
 隣の椅子に置いていた花束を持ち上げ、その内の一輪を示す。一番鮮やかなピンク色の花だ。

「な、なら、私の髪の色、染めてもらえますか?このお花やジャムみたいな色になりたいんです。今日は、そのために来ました」

 花染め屋は少し眉をひそめつつも頷いた。

「ええ。出来ますよ。ですが、よろしいのですか?とても綺麗な髪なのに……」

 リズは暗い気持ちで首を横にふった。家族も友人も皆、そう言ってくれるけど駄目なのだ。オリーブ色がかった地味な茶髪では。

「お願いします。どうしてもピンク色の髪になりたいんです」

「……では、その願いに至る物語をお話し下さい」

 花染め屋にうながされてリズは話し出した。淡い初恋の物語を。

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