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【10】偽り聖女の脱走
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シーツを裂いて作ったロープを腕に巻き、身を乗り出す。
この塔がどのくらいの高さなのか、正確な高さをリエーベルが知ることはないが、あたりに茂る木よりは飛び出ているのだから高いのだと思う。木登りとは比べられるものではないし、落ちた時の衝撃も比ではない。もちろん簡単に逃げ出せるような高さでは幽閉場所として意味がないわけで……。
決して下を見てはいけないとリエーベルは両手でシーツを握った。ロープのように垂らしたシーツは途中で解けたりしないだろうか。手を放してしまったらどうしよう。不安はいくらでもあるけれど、どうしても行かなければならない理由もあった。シーツを下ろした時点で引きかえすつもりはないのだ。
右手に巻き付けたシーツを滑らせながら左手で支えていく。裸足で石の壁を伝いながら、慎重に塔を下って行った。
「あと、すこ、しっ……」
おそらく地面が近付いていたことで油断もしていたと思う。そんな時に聞こえて来た人の声に意識を奪われた。
「リエーベル!?」
愛しい人の声を聞き間違えたりなどしない。リエーベルは瞬時に巡った怖ろしい想像に足を滑らせた。命綱ともいうべきシーツから手が放れ、落ちる。固い地面に打ち付けられることを想像して目を閉じた。
しかしリエーベルの身体は予想に反してアロイスの胸に落ちた。受け止められた瞬間の強い衝撃はあれど痛みはなく、うるさく鳴り続ける心臓が恐怖を物語っている。
「アロイス様……どうして……」
絶望に的な思いで問いかける。見張りはエイダが遠ざけてくれたはずだった。それなのにどうしてアロイスがいる? そもそもアロイスが月の高い夜半に訪れたことはこれまで一度もない。だからエイダも失念していたのだろうか。
「それは俺が聞きたいよ。きみ、怪我は?」
「私は何も……」
もしもアロイスが居てくれなければ身体を打ち付け足を捻っていたかもしれない。それよりもアロイスに怪我はないだろうか。自分を受け止めたことで被害を受けていなければいいのだが。
「アロイス様、アロイス様はお怪我はありませんか!?」
「そんなことはどうでもいい。きみは何をしていたの?」
抱えられた状態では逃れられない。腕の中から見上げたアロイスは無表情に自分を見下ろしている。静かな怒りに晒されたことで身が竦み、すぐには声が出せなかった。後ろめたいことがあると言っているようなものだ。
「可哀想なことを言うけれど、塔から出ることは許されてはいないだろ」
抱えられた状態のままにアロイスから質問責めにされる。けれど本当のことは言えなかった。これはリエーベルだけの問題ではなく、真実はたくさんの人に迷惑をかけることになる。
「危険な真似までして、どこへ行こうって?」
「それは……」
「あんな約束を交わしたから、俺から逃げてしまいたかった?」
「違います! 私、そんなつもりじゃ……」
昼に交わしたアロイスとの約束。それは幸せな瞬間を迎えるために望んだはずだった。こんな風にアロイスに皮肉な物言いをさせるためにしたわけじゃない。
「ただ、どうしても……。行きたいところが、ありました」
「どこ?」
優しいようで棘がある口調はリエーベルを責めている。いつものアロイスとは明らかに違うものだ。
「言えないの? まさか、どうしても会いたい奴がいるとか?」
「違います! 本当に……、違う……」
本当のことを話せばどうなるか、それはリエーベルを連れて来た男が教えてくれた。戦争になるかもしれないのだ。
「お願いします。どうか、必ず戻ると約束します。誓います! ですから、どうか見逃してはいただけませんか! アロイス様にご迷惑はお掛けしません。今夜、ここでアロイス様にお会いしたことは誰にも言いません。必ず戻ると約束もいたします。ですから!」
懸命に訴えると無表情だったアロイスのまとう雰囲気が変化する。
「……いいよ」
聞き間違いかとも思ったが、アロイスはにっこりと笑顔を貼り付けて確かにそう言った。それも極上の、完璧な微笑みで。
「俺はきみの恋人だからね」
「本当、ですか……?」
「本当だよ」
せっかく許してくれたというのにリエーベルは素直に信じることができなかった。アロイスは笑っているけれど、どこか引っ掛かりを感じてしまう表情なのだ。
「でもその代わり、俺はきみを抱くよ」
今度こそ聞き間違いかと思った。いつだって自分の気持ちを尊重してくれたアロイスが、まるでリエーベルの意思を無視するかのように告げる。すでに決定事項であるかのように淡々と宣告された。
「誓うのなら対価が必要だろ?」
「それは……そう、ですが……」
「こんな危険な行為まで犯して逃げようとする人間を、善意だけで信じられると思うかい? でもきみは……きみには何か、他に俺を納得させられるだけの証明を示せる?」
リエーベルに差し出せるものがないことはアロイスもわかっているはずだ。
「だから君を抱かせてもらう。だって約束したよね。次に会ったら君をくれるって。そんな約束すら守れない人のことを、きみは信じろというのかい?」
リエーベルは何も言い返せなかった。疑っていると言われたことが悲しかったけれど、この状況は自ら引き起こしたことだ。エイダに強要されたわけでもない。自分の意思で外に出た。母に会いたいからなんて関係ない。塔から逃げようとした事実はどうあっても覆せるものではない。明らかに不貞を働いているのはリエーベルなのだから、彼に再び信じてほしいと願うのなら提示された道は一つだ。
「……それでアロイス様が納得されるのなら、構いません」
大変な失態を犯してしまったとはいえ聖女は常に毅然と振る舞うものだから。この三年で身に着けた矜持がリエーベルをこの場に留まらせていた。ただの少女であったのなら怖ろしさに逃げ出していただろう。
「へえ、そう」
苛立ちを隠そうとしないアロイスの態度にまたも身が竦む。おそらく先ほどよりも苛立っている。こんな風に感情をぶつけられたことはなかった。
「アロイス様……あっ!」
抱き上げられたままで荒っぽい口づけが始まった。いつもは触れ合わせてからゆっくりと始まるのに、一息に舌をねじ込まれる。首の裏を抑える力も強く、逸らすことができないよう固定された。リエーベルの呻きはすべてアロイスの唇に呑まれ、どんなに息苦しさを訴えても止むことはない。
「ふ、うっ……あ、うっ……」
「はあっ、んっ……」
アロイスの呼吸も荒く響き、この行為に没頭しているのだと働かない頭で考えた。
この塔がどのくらいの高さなのか、正確な高さをリエーベルが知ることはないが、あたりに茂る木よりは飛び出ているのだから高いのだと思う。木登りとは比べられるものではないし、落ちた時の衝撃も比ではない。もちろん簡単に逃げ出せるような高さでは幽閉場所として意味がないわけで……。
決して下を見てはいけないとリエーベルは両手でシーツを握った。ロープのように垂らしたシーツは途中で解けたりしないだろうか。手を放してしまったらどうしよう。不安はいくらでもあるけれど、どうしても行かなければならない理由もあった。シーツを下ろした時点で引きかえすつもりはないのだ。
右手に巻き付けたシーツを滑らせながら左手で支えていく。裸足で石の壁を伝いながら、慎重に塔を下って行った。
「あと、すこ、しっ……」
おそらく地面が近付いていたことで油断もしていたと思う。そんな時に聞こえて来た人の声に意識を奪われた。
「リエーベル!?」
愛しい人の声を聞き間違えたりなどしない。リエーベルは瞬時に巡った怖ろしい想像に足を滑らせた。命綱ともいうべきシーツから手が放れ、落ちる。固い地面に打ち付けられることを想像して目を閉じた。
しかしリエーベルの身体は予想に反してアロイスの胸に落ちた。受け止められた瞬間の強い衝撃はあれど痛みはなく、うるさく鳴り続ける心臓が恐怖を物語っている。
「アロイス様……どうして……」
絶望に的な思いで問いかける。見張りはエイダが遠ざけてくれたはずだった。それなのにどうしてアロイスがいる? そもそもアロイスが月の高い夜半に訪れたことはこれまで一度もない。だからエイダも失念していたのだろうか。
「それは俺が聞きたいよ。きみ、怪我は?」
「私は何も……」
もしもアロイスが居てくれなければ身体を打ち付け足を捻っていたかもしれない。それよりもアロイスに怪我はないだろうか。自分を受け止めたことで被害を受けていなければいいのだが。
「アロイス様、アロイス様はお怪我はありませんか!?」
「そんなことはどうでもいい。きみは何をしていたの?」
抱えられた状態では逃れられない。腕の中から見上げたアロイスは無表情に自分を見下ろしている。静かな怒りに晒されたことで身が竦み、すぐには声が出せなかった。後ろめたいことがあると言っているようなものだ。
「可哀想なことを言うけれど、塔から出ることは許されてはいないだろ」
抱えられた状態のままにアロイスから質問責めにされる。けれど本当のことは言えなかった。これはリエーベルだけの問題ではなく、真実はたくさんの人に迷惑をかけることになる。
「危険な真似までして、どこへ行こうって?」
「それは……」
「あんな約束を交わしたから、俺から逃げてしまいたかった?」
「違います! 私、そんなつもりじゃ……」
昼に交わしたアロイスとの約束。それは幸せな瞬間を迎えるために望んだはずだった。こんな風にアロイスに皮肉な物言いをさせるためにしたわけじゃない。
「ただ、どうしても……。行きたいところが、ありました」
「どこ?」
優しいようで棘がある口調はリエーベルを責めている。いつものアロイスとは明らかに違うものだ。
「言えないの? まさか、どうしても会いたい奴がいるとか?」
「違います! 本当に……、違う……」
本当のことを話せばどうなるか、それはリエーベルを連れて来た男が教えてくれた。戦争になるかもしれないのだ。
「お願いします。どうか、必ず戻ると約束します。誓います! ですから、どうか見逃してはいただけませんか! アロイス様にご迷惑はお掛けしません。今夜、ここでアロイス様にお会いしたことは誰にも言いません。必ず戻ると約束もいたします。ですから!」
懸命に訴えると無表情だったアロイスのまとう雰囲気が変化する。
「……いいよ」
聞き間違いかとも思ったが、アロイスはにっこりと笑顔を貼り付けて確かにそう言った。それも極上の、完璧な微笑みで。
「俺はきみの恋人だからね」
「本当、ですか……?」
「本当だよ」
せっかく許してくれたというのにリエーベルは素直に信じることができなかった。アロイスは笑っているけれど、どこか引っ掛かりを感じてしまう表情なのだ。
「でもその代わり、俺はきみを抱くよ」
今度こそ聞き間違いかと思った。いつだって自分の気持ちを尊重してくれたアロイスが、まるでリエーベルの意思を無視するかのように告げる。すでに決定事項であるかのように淡々と宣告された。
「誓うのなら対価が必要だろ?」
「それは……そう、ですが……」
「こんな危険な行為まで犯して逃げようとする人間を、善意だけで信じられると思うかい? でもきみは……きみには何か、他に俺を納得させられるだけの証明を示せる?」
リエーベルに差し出せるものがないことはアロイスもわかっているはずだ。
「だから君を抱かせてもらう。だって約束したよね。次に会ったら君をくれるって。そんな約束すら守れない人のことを、きみは信じろというのかい?」
リエーベルは何も言い返せなかった。疑っていると言われたことが悲しかったけれど、この状況は自ら引き起こしたことだ。エイダに強要されたわけでもない。自分の意思で外に出た。母に会いたいからなんて関係ない。塔から逃げようとした事実はどうあっても覆せるものではない。明らかに不貞を働いているのはリエーベルなのだから、彼に再び信じてほしいと願うのなら提示された道は一つだ。
「……それでアロイス様が納得されるのなら、構いません」
大変な失態を犯してしまったとはいえ聖女は常に毅然と振る舞うものだから。この三年で身に着けた矜持がリエーベルをこの場に留まらせていた。ただの少女であったのなら怖ろしさに逃げ出していただろう。
「へえ、そう」
苛立ちを隠そうとしないアロイスの態度にまたも身が竦む。おそらく先ほどよりも苛立っている。こんな風に感情をぶつけられたことはなかった。
「アロイス様……あっ!」
抱き上げられたままで荒っぽい口づけが始まった。いつもは触れ合わせてからゆっくりと始まるのに、一息に舌をねじ込まれる。首の裏を抑える力も強く、逸らすことができないよう固定された。リエーベルの呻きはすべてアロイスの唇に呑まれ、どんなに息苦しさを訴えても止むことはない。
「ふ、うっ……あ、うっ……」
「はあっ、んっ……」
アロイスの呼吸も荒く響き、この行為に没頭しているのだと働かない頭で考えた。
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