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【10】許し

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「俺にとってあんたはこの世の何よりも大切。だから本当は見返りなんてなくても助けたよ。けど、あんたが何を差し出しても復讐したいと望むから、意地悪したくなっただけ。俺のことだけ考えてろよってね」

「それは……」

 反応に困っていると影が落ちる。

「何度でも言う。俺は、ずっとあんたが欲しかった」

 僅かにでも動けば唇が触れる距離で、許しが欲しいと目の前に迫る美しい顔が問いかけてくる。

「私の全ては貴方のものです」

 首筋に腕を伸ばして近付いた。
 これは正当な報酬。けれどそうしたいと望む心があることを示すため、シレイネは自ら距離を埋める。

(とっくに許していますよ。カイン)

 唇が触れた衝撃によろめくと、背後では腰にバルコニーの手すりがあたる。押しつけられて逃げ場がないのに、もっと深くとでも言うように身動がとれない。
 かなりの高さがあるけれど、何度も助けてくれた優秀な魔術師がいるから不安はなかった。
 ぴったり身体が重なり、彼の鼓動が聞こえてくる。すぐに触れあうだけでは足りないと、求められていることを察したシレイネは彼を受け入れる。とろりと甘い唾液が流れ込み、媚薬のように身体を支配した。
 重なりあう唇からぐちゅりと生々しい水音が聞こえる。

「んっ……」

「はっ……シレイネ……」

 甘く舌を噛まれて身体がしびれる。囁かれる名に身体が熱くなる。きっと本当の名前ではないけれど、偽りだとしても彼が読んでくれるのなら幸せだ。
 呼吸すら奪われるほど強く吸い付かれ、苦しさに喘いでも解放されることはない。あれほど強く抱えていた復讐という感情が揺らぎ、カインに支配されていく。

 復讐には最高の装いを――

 そう言ってカインが与えてくれた白いドレス。一人きりではないと寄り添うように道を照らしてくれた深紅の花。
 その美しさに負けないよう、シレイネは精一杯自分を磨いた。そうして今日のために手入れした髪が乱されていく。もう聖女として毅然と振る舞う必要はないと教えるように。

 たっぷりと時間をかけて解放された唇は熱を持っていた。
 バルコニーで求め合い、夜の風が肌を撫でる。火照った身体には丁度いい涼しさだ。
 身体を預けぐったりと見上げる。惚けていると彼の唇が扇情的に釣り上げられた。
 頬に触れる手が心地よく、自分にはない体温が孤独ではないと伝えてくれる。
 熱い吐息が零れ、夜の闇に溶ける。闇は魔王の象徴だが、ここにいるシレイネは孤独ではない。
 そういえばと、ふと気になったことを訪ねていた。

「静かですね」

 普通貴族の屋敷であるのなら、使用人が来訪に気付いてもよさそうなものだ。
 おかげで鳴りやまない胸の音まで知られてしまう。

「まるで……」

「世界に二人きりみたい?」

 思い描いていた言葉を当てられる。そして、そうなっても構わないという自分がいた。
 けれどカインにとっては違うようだ。

「でも俺、あんたと世界に二人きりになるのは嫌だな」

 その瞬間、あれほど熱かった身体からが急速に冷える。うるさく鳴っていた胸が締め付けられるようだ。

「そうですよね」

 浮かれていた自分が恥ずかしい。共犯者とはいえ、同じように心を許してくれるはずないだろう。彼は優しいので、甘えすぎてしまわないか不安になる。

「そんなに寂しそうな顔しないでよ」

「寂しそうな顔を、していますか?」

 昔は心の底が読めないと恐れられていたのに、カインにはわかってしまうのだろうか。

「俺ね、あんたのいろんな顔が好きなの」

「カイン?」

「たとえば子どもたちと楽しそうに遊んでいるところ。美味しいものを食べて喜んでいるところ。助けた相手に感謝されて微笑むところ。強大な的にも立ち向かう勇敢なところ。それから、復讐に燃える強さ」

 あれは最高に美しかった。彼女から強い感情を向けられているルビアスと神官長を羨むほどに。

「いろんなあんたを見ていたい。それって二人きりだとできないことだよね?」

 見せつけるように縋りついていた手を握られる。しっかりと、指と指が絡み合う。

「なんてね。格好つけておいて呆れられそうだけど、二人きりになりたくてみんな追い出したの。心配しなくても、あんたの世話なら俺に任せてよ」

 耳元で告げると、かっと赤くなるところが愛おしい。そんな最愛の存在が、この腕の中に在る。

「ここから先は俺の事だけ考えなよ」

 なんて優しい命令だろうとシレイネは思う。けれどもう、とっくに彼の存在が心を埋め尽くしていることをカインは知らない。
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