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ベータの話
記憶
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1
イプには一部の記憶がない。
この部隊に入る際、悲惨な事件に巻き込まれたという理由をきっかけに、辛い記憶の部分を消してもらったらしい。
どうにも「赤」「ウェディングドレス」というのがタブーだという。
「ベータ君。君は精鋭のNo2だからね。念の為伝えておくよ。イプシロン君が暴走しないよう。君にも気を張っておいてほしい」
そう言って、イプに関する資料を渡された際、タイラーはいつも通り笑った。
ベータは端的に「わかりました」とだけ返して、その資料に目を落とし、息を呑んだ。
ーーーー
2
この部隊は異常者の集まりだ。
トロムという辺境の地名をとった部隊は、名前の通り行き場を失った者たちが集う、最終地点のような場所だった。
ベータもベータで絶縁したはずの家族から身元を追われ、逃げ場所を探し、行き着いたのがここだった。
「なんでもいうといい。部隊に入ったのだから君は正式な仲間となった。専用の部屋も用意してあるから、後ほど行ってみるといいよ」
入隊時、朗らかに笑うタイラーのその目の奥に宿る狂気性を見て、ベータは組織の本質を悟った。
同じ穴の狢、という言葉があるが、まさにそれなのだと。
ただベータは部隊内で馴れ合う気はなかった。
ベータの目的は自分の身の安全。快適な住処と食事、そして家族からの手が及ばないこと。
仕事内容の過激さも兼ねて、友人関係を築くだけ無駄だと思った。
ましてや組織内の人間は、何かしら裏の事情がある。縁を築いて、自分の身に火の粉がふりかかるのも嫌だった。
(どうせ俺に関わる人間なんていねぇ。いつも通りしていれば良いだけだ)
だからまさか、イプシロンのような人間がいるともベータは思わなかった。
ーーー
「ベータさんっていくつなんですか?」
「は?」
部隊内での顔合わせも終わり、応接室をでた直後のことだ。
自室に戻って荷物の整理でもやろう。
そんな時に、ブロンドの髪に青い瞳、そして自分より背の高い男に唐突に話しかけられた。
「あ、いえ。他の人より若いなぁと思って。もしかして俺と年齢近いのかと」
「ーーお前、イプシロンだっけか」
「あぁ!はい!」
顔を綻ばせて頭をかく男を、ベータはジロリと見やる。
イプシロン。部隊内での5番目の地位に位置する男。まだ詳しい情報は得れてはいないが、筋骨隆々とした前衛向きの男だと思った。
見た目は20代中頃。組織の中では恐らくベータに一番年齢が近い。
親近感というやつなんだろう。
その期待したような目を見て、ベータは多少のイラつきを覚える。
「俺に話しかけんな。上官命令だ。じゃあな」
「え!?」
言葉を吐き捨てて、ベータはその場をさろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!年齢くらいいいじゃないっすか!」
「うるせぇな。消えろ。人と話すのは嫌いなんだよ」
「んなこと言わないでくださいよ!全然まだ話してないじゃないですか!ベータさん!」
あーだこーだと理由をつけて追い縋ってくるイプシロンの足は速く、ベータが小走りになっても、その隣から一向に去ろうとしない。
応接室からベータの部屋まではある程度の距離がある。その間に撒けたら…と考えていたベータの淡い期待は、最も簡単に打ち砕かれた。
「ねぇ、ベータさん!ちょっと!」
あまりの鬱陶しさに、ベータは怒鳴り声を上げる。
「テメェな!!ふざけんなよ!俺は部屋に戻ってやることがあんだよ!ついてくんなボケ!」
「奇遇っすね!俺も部屋こっちなんすよ。というか教えてくださいよ!あ、部屋遊びにいっていいです?」
「ウゼェ!!くんな!!」
「えーーというか年……」
「25だ!!!一生話しかけんな!」
「めっちゃ年齢近いじゃないですか!!俺26なんすよ!いやーー俺ずっと気まずくって…!嬉しいなぁ。ほら、他の人たちちょっと怖いからーー」
「俺の話を聞けテメェ!!」
徐々に口調が砕けてくるイプシロンに我慢ならず、
「消えろ!」
ベータは唐突に拳を振るった。
多少の傷害を負わせて嫌われればいい。
相手の隙をついて、攻撃をしたつもりだった。
しかし、さすが鍛えているだけはあるのか。
「ーーっぶな…!」
パシッーー
という、軽い音だけが廊下に響く。
「あーーーっぶないなぁ…びっくりしたじゃないっすか」
「……」
ベータは自分の攻撃を止められたことに不快感を覚えつつも、イプシロンをジロリと睨みつけて吐き捨てる。
「テメェも不愉快だろ。こんな奴。とっとと失せろよ」
イプシロンはきょとんとした顔でベータを見る。
「ーー不愉快?俺が?」
「あぁ、そうだよ」
しばらくイプシロンはベータの顔を見て、
ふっと表情を崩した。
「なんだ、優しいんすね」
「は?」
「本当に嫌な奴ってのは、そんなこと言わないですよ」
「ーー…あ゛?」
「んで、今日部屋行っていいっすか!片付けもあるんで人手があった方が良いでしょう!」
そう言って軽快に笑い、肩を叩こうとしたイプシロンの手をベータは力強く跳ね除けた。
「ーーっ…近寄るんじゃねぇよ…勘違いもいい加減にしろよ」
「ベータ…」
「いいか。俺はここで誰とも仲良くなんてする気はねぇ。情をかける気も、かけられるつもりもねぇ。覚えとけ」
ちっと盛大に舌を鳴らし、ベータはその場を後にした。
イプシロンはもうついてこなかった。
ーーーーー
3
あれからもイプシロンは何かとベータに絡んできた。
どれだけベータが嫌がらせをしてもイプシロンは気にもとめず、そのうちそのやり取りが日常になった。
ただベータ自身、慣れを感じてきている自分が怖くもあった。
他者と関わり情を抱けば、自分自身が傷つく可能性は否めない。
なるべく関係が深まらないように距離を保とうと、イプシロンからの遊びや食事の誘いも未だベータは反発していた。
しかしベータが人と距離を保つため今までにしてきた知恵が、一向に役に立たない。
逃げる、の一手しか今のベータには思いつかない。
苦肉の策としか言いようがない。
「ーーダッセェの」
今日もなんとかイプシロンからの猛攻を潜り抜け、ベータは自室でボソリとつぶやいた。
ーーーーーー
4
「ベータ君、少し話があるんだけど」
あくる日、ベータはタイラーの元を訪れていた。
なんの話だろうか、と少し身構えつつベータはタイラーの前に立つ。
タイラーの部屋はいつもどこかシンとした、張り詰めた空気が漂う。それがタイラーの真後ろに常に立っている、側近兼部隊のトップである五稜によるものなのか、そもそもタイラー自身に見え隠れする暗い影によるものなのかはわからない。
タイラー・ルーク。
トロム部隊の実質上の総指揮者。若い頃は海外の軍に所属し、戦場で左半身を失ったと聞く。一見好々爺に見える男ではあるが、敵となるとその凶暴さを増し、体を引きずって歩く姿を見るたび「戦場の亡霊」という言葉がベータの頭をよぎった。
ベータを拾ってくれた恩人ではある。だが気を許せない相手。
その真後ろに控える“五稜七士郎“という男など尚更だ。
いつも目深に被る帽子。石像のように微動だにしない表情。直立しているだけなのに一切隙の見えない構え。
どこかベータの父親を想起させるその男が、ベータは出会った時から不快でならなかった。
ベータが黙ったまま内容を待っていると、スッととある資料をタイラーは差し出してきた。
「これ、イプシロン君、あとその他ベータ君の部下の過去の経歴についてなんだけどね。少し目を通しておいて欲しいなと思って」
落ち着いた声音で話すタイラーに、作為的なものは見られない。
ベータは、拝見します、と一礼してその資料を手に取った。
簡易的にまとめられたファイルには、数名の顔写真付きの経歴が短文かつ明確にまとめられている。
「この資料、限られた人にしか見せてないんだ。理由は簡単。統率して欲しいからだ」
「統率、ですか」
「うん。君も薄々感じているとは思うけど、この部隊には問題を抱えた子が多くてね。何かしらで暴走しないよう、注意をはらって欲しいんだよ」
僕も人間だから、全員に目が届かないこともあるからね、とタイラーは朗らかに笑う。
「資料には、その暴走しかねないという内容が各個人毎にまとめられている。一応基本的な監視体制は敷いてるんだけど、そのうちの1人に君も加えられたらなと思ったまでだよ」
「ーー…わかりました」
これが自分の立ち位置の仕事なら、とベータはその資料を片手に部屋を退出した。
覚えることは苦手ではない。部屋に戻り、資料をめくる。タイラーの期待に応えることは自分の今の立場を守るためには必要なことだった。
ーーーーー
「ーーん…?」
部屋に帰った後、資料に目を通していたベータは、ある文を目にして眉根を寄せた。
【メメント・モリ財団】
確かに資料にはその文が明記されている。
(ーー…誰の資料だ?)
嫌な記憶が蘇る。
ベータは誰の記録なのかと名前を確認し、息を止めた。
小さく貼られた写真には、最近見慣れてきたブロンドの髪と青い目の男が写っていた。
【イプシロンーー本名:ハインリヒ・W・ヴェルダース】
写真の横には確かにそう書いてある。
まさか、と思った。
思い出したくもない幼少期の記憶がふっとベータの頭に浮かぶ。
(いやー…ありえねぇだろ……)
口を抑え、ベータは身を岩のように固くしてイプシロンの記録に目を滑らせた。
なぜここまで調べ上げる事ができたのか、というほど、その資料にはイプシロンの過去が詳細に記されていた。
物流関係の会社を行う社長の跡取り息子。その社長は先ほど明記のあった、メメント・モリ財団に所属。進学先、軍人としての経歴、結婚相手、そしてーーー
「一族惨殺…?」
ピタッ…っと一字一句逃さぬように、指で文字をなぞっていたベータの動作が止まる。
【22歳 結婚式場に武装集団が乱入。当人以外、花嫁を含めた立席者は虐殺。後、天涯孤独となり、1年の療養期間を経る。未だ犯人グループの動機、所在は不明】
何かベータの胸の中を、冷たい風が吹き抜けた気がした。
ベータはそのまま文字を追う。
【その後、トロム部隊の検体者として参加。軍人経験の実績を買われ、精鋭部隊に配属。
その際の条件として一部の記憶抹消。
入隊時、血族の惨殺事件以降の記憶を消去済み。
消去後以降、イプシロンの精神面は安定。
良好な健康状態を維持する為、以下、イプシロン(ハインリヒ・W・ヴェルダース)に影響を与えかねない文面を記載する】
文字は淡々と事実のみを記す。
イプシロンにどんな過去があったのかを。
ただ、当人はその内容を覚えていない。
しかしベータは、イプシロンが消してしまった、という記憶の部分を知ってしまった。
どこか、他人の事情に土足で踏み込んだようなバツの悪さを、ベータは感じた。
ーーーーー
5
一通り資料を読み終え、ベータはパタリとファイルを閉じた。
ぐるぐると頭の中を巡るのは、イプシロン、そしてーー
「メメント・モリ財団ーーか…」
懐かしい名前だと思った。
クソ親父がよく口にしていた。
その会合に無理やり兄弟たちと連れて行かれていたのは苦い思い出だ。
ベータは無意識に手首をさする。
あれからどれくらいの月日が経ったのか。
当時は、今の自分の半分くらいの身長だった。
眉間に皺を寄せ、机に足を置いた状態でベータは天井を見つめた。
ーーー『ヴェルダーツ。本当に家族揃って鬱陶しい奴らだ』
そう吐き捨てて能面のような顔で帰路に着く父親。
強くつかまれた腕。
痛みと苦しさと悲しさでぐちゃぐちゃに泣いて、引きずられるようにして必死に歩く、幼い日の自分…
チッと舌打ちをして、ベータはポケットからタバコを取り出す。
違う、気になるのはそこじゃない。
カチカチとライターを鳴らし、モヤのかかった記憶を探る。
何かが引っ掛かる。何かを忘れている。
そうだ。
確かあの時、ベータの父親はあることをきっかけに、急にベータたちを財団の会合に連れて行くのをやめたのだ。
「友達ができた」
そう、とある日の会合からの帰り、幼いベータが父親にそう言ったのが原因だった。
虐めてくる兄弟から唯一守ってくれた、ヒーローのような友達。
ベータが初めて、友として認識した相手。
「ーー…」
ボッーーっという音がして、ライターが点火する。
その友とイプシロンの笑顔が、記憶の中で重なった気がした。
ーーーー
6
あの資料を渡されてから、ベータはその気になる「友達」という質問を、イプシロンにすることができなかった。
それもそのはず、間をおかずして、ベータがイプシロンの暴走を止めるという事件が発生したからだ。
2人が出先からの帰路についていた時だ。
たわいもない会話をお互いしながら、やっと帰れるとホッとした束の間、唐突に周辺で鳴り響く鐘の音にベータは背筋を凍らせた。
時間帯は夜。
ベータの事前情報には無い結婚式が間近で開かれていた。
(なんでーーこんな時間帯に……)
本来イプシロンが遠出をする際、調査班が活動範囲周辺の下調べを行い全てコースを事前に決める。
そして当人と民間人に影響が出ないよう環境を整えた上で、監視が1人つけられる。
そこに何かしらミスがあったのだ。
イプシロンは軍人ーーそして、部隊の実験体として改造を施された『生物兵器』だ。もう力に関しては人間の領域だとベータは思っていない。
そんな人間が理性を失い暴れればどうなってしまうのか。
正直考えたくもない。
純白の花嫁と花婿の姿は、ライトアップと舞い散る花びらも相まって、皮肉なほどに輝いて見えた。
調査班のクソ野郎がーーー…何してんだあいつら…!
ベータは舌打ちするのを堪え、
「おい、イプシロン、行くぞ!」
急いでその場から離れようとイプシロンの腕を引っ張った。
ーーが、ガッチリと、まるで根がはったように動かせない。
「おい!イプシロンーー」
振り返るとそこには、今まで見たこともないような、真っ青な顔で直立するイプシロンがいた。
血の気のない表情だというのに目だけは爛々と輝き、呼気が浅い。
血走った目で花嫁と花婿の姿を捉え、口走る。
「ーーー赤くしなきゃ」
「イプ!!!テメェ!!正気に戻れバカが!」
ふらふらと結婚式場に近づこうとするイプシロン。それを止めようと全体重を乗せて必死にベータは引っ張るも、ずるずると引きずられてしまう。
このままでは最悪の事態になってしまうのは目に見えている。
「おい!!イプシロン!!!」
「赤くしなきゃ……赤くーーー」
(ーーーーっ…目がイっちまってる…)
呼びかけようが、殴りつけようが、意に介さない。
完全にぶっ飛んでしまっている。
タブーっていうのはこういうことだったのか。
「ーークソが…恨むなよ…!」
ベータは腰元からスタンガンを取り出す。
最悪の場合使ってもいい、とタイラーから許可が出た改良型だ。
無闇に使えば命すら落としかねない。
イプシロンが身を屈める。
飛びかかるーーー
その一瞬の隙に、ベータはイプシロンの首元に向け容赦なくスタンガンを振り下ろした。
ーーーーー
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