194 / 200
194、閑話ー科戸2ー
しおりを挟む
船上は俄かにざわつき、その騒ぎは船室の軍師の元にまで届く。
船室を出た軍師は高甲板のレイティアの隣に立った。
「どうされました? 姫」
「あそこに人が流されているんです! お願いです! 早く助けてあげて下さい! 本当に死んでしまう!」
今までのやり取りだけでもずいぶん経っている。
あんな海原に浮かんでいては本当に早くしなければ命はないだろう。
「賜りました。姫」
軍師は恭しくレイティアに頭を下げる。
その様子に海兵達は驚き、戸惑った。
軍師、ヴィルヘルム・ラリ・ヴィルッキラはこのグリムヒルトではベネディクト王の次に尊敬を集める人物だ。
ヴィルッキラ家は古く初代の海賊団の時代から代々王に仕え、しかもその王達皆が、代々の当主を重臣として扱った。
特にヴィルヘルムは同じ歳のベネディクト王の成人前から右腕として戦場を共にし、軍功を上げ、ギネゼ領主としてもその手腕は一目置かれ、更には炎のセイレーンを娶った事でその名声を不動のものとした。
ベネディクト王が即位したと同時に軍師に抜擢され、そのほぼ全権を預けられているにも関わらず、ベネディクト王への忠誠を忘れない。
そんな彼がベネディクト王にする様に恭しく頭を下げるという事は、このグリムヒルトにとって大変重要な人物だという事になる。
「救助に向かわせろ。今すぐに」
軍師が静かにそう命じると、海兵達は全員即座に敬礼をして、舵を取り、ボートの用意を始めた。
「ありがとうございます、軍師様」
「姫のご命令とあらば」
軍師はそれが当然の如く自然に腰を折り、礼を尽くした。
その様子を悉に見ていた海兵達はレイティアへの非礼は軍師の怒りを買う行為なのだと理解した。
船はその救助対象者の方へ向かい、ある程度の距離になった段階でボートを降ろす。
そして粗末な木片と言っていい程度の木板にしがみついている男が浮かんでるのが見えた。
海兵達はその男を救い上げて、ボートに乗せてそのボートごと軍船に引き上げた。
レイティアは自分の一張羅が汚れる事も厭わず、その海水でずぶ濡れの男の頭を抱えた。
「大丈夫? もう助かったわ!」
男の容貌にレイティアはぎょっとした。
その男は枯れ枝の様な体躯をしている。風貌はなんとなく自分達、原住の民に近い。
頬は瘦せ、目は窪んで、目の下にはくっきりと青黒い隈が出来ていた。
レイティアの声に反応したのか、男はうっすらと目を開ける。
虚ろに空を見つめて、そして男の視線の先にはマストの上の旗がある。
その様子を見守っていると、虚ろだった男の目に突如光が戻り、その光は仄暗く、でもとても強い、目を逸らしたくなる様な怨嗟の光だった。
男はよろよろと手を差し伸べる。
そして自分の頭を抱えるレイティアの両頬をがっちりと掴む。
その強さはその細腕からは考えられない程の強さで、レイティアは硬直する。
何も出来ず、そのまま男を見つめていたら、男の視線がレイティアに移った。
目が合うと、男は乾いた唇から絞り出す様にレイティアの目を睨み付けて呪いの言葉を吐いた。
「……絶対に、許さない……っ!! 、絶対に……っ!!」
そう、かすれた声が響いた。
レイティアの頬にグッと爪を立てられたかと思うと、ふっと力が抜けてぱたりと両の手は床に投げ出された。
男の双眸はもう虚を覗いている。
レイティアはただただ茫然とした。
マグダラスでは頻繁に城下に降りていた。
なので、人の死に接した事は何度かあった。
もちろん、悲しい深い後悔の中亡くなった人もいたけれど、それでも最後は何か救いの様なものがあったし、穏やかに死んでいった。
レイティアは怨嗟の中、なんの救いもなく亡くなっていく人間を初めて看取った。
この男の容貌はとても裕福に恵まれ幸せを享受してきたとは思えなかった。
体は痩せこけて、手はあか切れだらけでゴワゴワと固い。
きっとたくさん働いてきた人の手だ。そしてその働きは全く報われる事はなかったのだろう。
そんな男の手をしっかり握ると自然と涙が出て来た。
レイティアの後ろには軍師とヘリュが立っていた。
その様子を二人は黙って見守っている。
「……私、ちゃんとグリムヒルト王に伝えるから……。貴方の思い、ちゃんと伝えるから……」
それ以上は言葉にならなかった。
この男の最後が、あんなにも悲しく辛いものだった事がレイティアには耐えられなかった。
マグダラスは貧しい国だったけど、こんな風に憎しみで胸を焦がして亡くなる人は少なくとも自分の周りにはいなかった。
悲しくて悲しくて涙が止まらず、ずっとその苦労の刻まれた手を握っていると後ろからそっと、肩に手の平が乗せられたのが分かった。
「……その男を憐れんで下さるか?」
そう、ヘリュに問われて、レイティアは頷く。涙で声が詰まって言葉は出てこない。
「……そうか……」
ヘリュはそれだけ言うと、そのままレイティアが泣き止むのを待った。
船室を出た軍師は高甲板のレイティアの隣に立った。
「どうされました? 姫」
「あそこに人が流されているんです! お願いです! 早く助けてあげて下さい! 本当に死んでしまう!」
今までのやり取りだけでもずいぶん経っている。
あんな海原に浮かんでいては本当に早くしなければ命はないだろう。
「賜りました。姫」
軍師は恭しくレイティアに頭を下げる。
その様子に海兵達は驚き、戸惑った。
軍師、ヴィルヘルム・ラリ・ヴィルッキラはこのグリムヒルトではベネディクト王の次に尊敬を集める人物だ。
ヴィルッキラ家は古く初代の海賊団の時代から代々王に仕え、しかもその王達皆が、代々の当主を重臣として扱った。
特にヴィルヘルムは同じ歳のベネディクト王の成人前から右腕として戦場を共にし、軍功を上げ、ギネゼ領主としてもその手腕は一目置かれ、更には炎のセイレーンを娶った事でその名声を不動のものとした。
ベネディクト王が即位したと同時に軍師に抜擢され、そのほぼ全権を預けられているにも関わらず、ベネディクト王への忠誠を忘れない。
そんな彼がベネディクト王にする様に恭しく頭を下げるという事は、このグリムヒルトにとって大変重要な人物だという事になる。
「救助に向かわせろ。今すぐに」
軍師が静かにそう命じると、海兵達は全員即座に敬礼をして、舵を取り、ボートの用意を始めた。
「ありがとうございます、軍師様」
「姫のご命令とあらば」
軍師はそれが当然の如く自然に腰を折り、礼を尽くした。
その様子を悉に見ていた海兵達はレイティアへの非礼は軍師の怒りを買う行為なのだと理解した。
船はその救助対象者の方へ向かい、ある程度の距離になった段階でボートを降ろす。
そして粗末な木片と言っていい程度の木板にしがみついている男が浮かんでるのが見えた。
海兵達はその男を救い上げて、ボートに乗せてそのボートごと軍船に引き上げた。
レイティアは自分の一張羅が汚れる事も厭わず、その海水でずぶ濡れの男の頭を抱えた。
「大丈夫? もう助かったわ!」
男の容貌にレイティアはぎょっとした。
その男は枯れ枝の様な体躯をしている。風貌はなんとなく自分達、原住の民に近い。
頬は瘦せ、目は窪んで、目の下にはくっきりと青黒い隈が出来ていた。
レイティアの声に反応したのか、男はうっすらと目を開ける。
虚ろに空を見つめて、そして男の視線の先にはマストの上の旗がある。
その様子を見守っていると、虚ろだった男の目に突如光が戻り、その光は仄暗く、でもとても強い、目を逸らしたくなる様な怨嗟の光だった。
男はよろよろと手を差し伸べる。
そして自分の頭を抱えるレイティアの両頬をがっちりと掴む。
その強さはその細腕からは考えられない程の強さで、レイティアは硬直する。
何も出来ず、そのまま男を見つめていたら、男の視線がレイティアに移った。
目が合うと、男は乾いた唇から絞り出す様にレイティアの目を睨み付けて呪いの言葉を吐いた。
「……絶対に、許さない……っ!! 、絶対に……っ!!」
そう、かすれた声が響いた。
レイティアの頬にグッと爪を立てられたかと思うと、ふっと力が抜けてぱたりと両の手は床に投げ出された。
男の双眸はもう虚を覗いている。
レイティアはただただ茫然とした。
マグダラスでは頻繁に城下に降りていた。
なので、人の死に接した事は何度かあった。
もちろん、悲しい深い後悔の中亡くなった人もいたけれど、それでも最後は何か救いの様なものがあったし、穏やかに死んでいった。
レイティアは怨嗟の中、なんの救いもなく亡くなっていく人間を初めて看取った。
この男の容貌はとても裕福に恵まれ幸せを享受してきたとは思えなかった。
体は痩せこけて、手はあか切れだらけでゴワゴワと固い。
きっとたくさん働いてきた人の手だ。そしてその働きは全く報われる事はなかったのだろう。
そんな男の手をしっかり握ると自然と涙が出て来た。
レイティアの後ろには軍師とヘリュが立っていた。
その様子を二人は黙って見守っている。
「……私、ちゃんとグリムヒルト王に伝えるから……。貴方の思い、ちゃんと伝えるから……」
それ以上は言葉にならなかった。
この男の最後が、あんなにも悲しく辛いものだった事がレイティアには耐えられなかった。
マグダラスは貧しい国だったけど、こんな風に憎しみで胸を焦がして亡くなる人は少なくとも自分の周りにはいなかった。
悲しくて悲しくて涙が止まらず、ずっとその苦労の刻まれた手を握っていると後ろからそっと、肩に手の平が乗せられたのが分かった。
「……その男を憐れんで下さるか?」
そう、ヘリュに問われて、レイティアは頷く。涙で声が詰まって言葉は出てこない。
「……そうか……」
ヘリュはそれだけ言うと、そのままレイティアが泣き止むのを待った。
0
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。
石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。
ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。
そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。
真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる