【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(三十)車館

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 善七郎を先触れとして国境の番所に走らせていたため、思いのほか支障なく、斯忠つなただらは常陸国入りを認められた。

 その後、神谷舘の異母兄・車丹波守義照の元に向かった斯忠一行三百名は、義照が開山した菩提寺・一山寺にて佐竹家からの沙汰を待った。

 肩身の狭い思いはやむを得ない。 

 謹慎中、斯忠は佐竹義宣と和田昭為にあてて謝罪の言葉をつづった書状を送った。

 なんの面目があってのこのこと帰国したのか、と問われれば赤面ものではあったが、不思議と謝罪文を書き記すことに抵抗はなかった。

 一年余りの間、苦楽を共にした配下の人数それぞれの人生を預かっていることを思えば、頭を下げるぐらいどうということはなかった。

 その後、幸いにも和田昭為からは早々に使者が戻り、斯忠が集めた人数に関しては御咎めなし、斯忠に対しては客将としてであれば受け入れるとの旨の書状が届けられた。

「ありがてぇ。……気の喰わねえ野郎ではあるが、今は素直に感謝するしかない」
 昭為がいる水戸城の方角に向けて、思わず手を合わせる斯忠である。

 ただし、口では毒づいていても、もはや和田昭為に対してさほどの敵愾心も沸かなかった。

***

 佐竹家への帰参を認められた斯忠であるが、客将扱いである以上、当然のことながら吉田城の城主として復帰する訳ではない。

 本家の車義照が身柄を引き受けるとの体裁で、神谷館から約十五里ほど西にある、車家が有する屋敷の一つに腰を据えることになった。

 車館と呼ばれるその屋敷は、さほど大きくもない台地に建つ、単郭の小ぶりな城館である。

 一応は帰参を許した佐竹家としても、徳川方の伊達と交戦した男を表だって重用する訳にはいかない。

 ここで悪目立ちすれば、それこそ領地召し上げの口実を家康に与えかねないのだ。

 従って、斯忠の処遇の実態は引き続き蟄居に近いものがあった。
 そのことで斯忠は恨みには思っていない。

 戻る場所を与えられた時点で満足していたし、正月以来体調があまりすぐれないこともあって、しばらく骨休めを決め込むつもりであった。

「このまま、隠居になっちまうかもしれねぇなあ」
 それも悪くねぇか、などと呟く斯忠である。

 もっとも、徳川との天下分け目の決戦を傍観するしかなかった佐竹家の家臣たちが、斯忠の存在を放っておくはずがない。

 なにしろ車丹波守斯忠は、佐竹家中において、天下を左右する合戦に参加した唯一の将なのだ。

 自然、誰も彼もがその話を聞きたがった。

 斯忠の元に足を運ぶのは武士だけではない。

 朝日屋の主人・多胡八右衛門や、満願寺の有借上人までもが斯忠を訪ねてきた。

 斯忠は元来、話好きである。悪い気はしない。

 話の座持ちが良いことは帰参前の佐竹時代から知られていた。

 求められれば飽きることなく、興が乗ると名調子で己の活躍を語ってみせるのが常だった。

 今も一人、屋敷には客が訪れている。

 翁山道永こと、真壁氏幹だ。

「会津陣にて戦い抜けたのも、まさに道永殿のご支援あってのこと。感謝しておりますぞ」
 斯忠はここぞとばかりに、この一年の出来事のうち、道永から譲り受けた鉄砲が活躍した話を真っ先に物語る。

 ただし、斯忠が口にするのは必ずしも勇ましい戦さ語りばかりではない。

 どちらかといえば、どの話もオチがつくような、笑いを搦めたものになる。

「いやぁ、惜しいことをした。やはり儂も隠居などと言っておらず、車殿と同陣するのであったわ」

 松川合戦において伊達勢の本陣を須田長義が衝き、斯忠が荷駄を襲うくだりになると、斯忠と一緒になって笑い声をあげながら、道永は何度も膝を叩いて悔しがった。

「そこまで申してもらえるのであれば、値打ちがあったというものにござる」
 本懐とばかりに声を弾ませた斯忠が、不意に激しく咳き込んだ。

「長話が過ぎたかの」

「なんの。梁川の冬の寒さで貰うてきた風邪でござるが、どうにもしつっこくてかないませぬな」
 心配顔の道永に向けて、斯忠は苦笑を浮かべてみせる。

「冬からずっととなれば、かれこれ半年以上ではござらぬか。それはただの風邪ではないやもしれぬ。よくよく養生なされよ」
 道永は眉を寄せて親身の言葉をかけてくれる。

「そうですなあ。養生と申せば、道永殿は良き蝮酒を手に入れる伝手はござらぬかな。今思えば、梁川で頂戴したのは逸品であったわ」
 あの頃は、さほど美味とも思えなかった蝮酒が、今となっては妙に懐かしい。

 無茶を承知で、そんなことを頼んでみる斯忠である。

「蝮酒とは、また会津で妙なものを覚えて帰ったものでござるなあ」
 あきれ顔の道永と斯忠は顔を見合わせ、二人して哄笑した。

 そしてまた、話は会津での出来事へと戻っていく。

 しかし、斯忠が嬉々として語った虚実入り混じる話には重要人物が一人、一切登場しないことに道永は気づいていなかった。

 於きたのことについてだけは、斯忠は一言たりとも口にすることはなかったのだ。

***

 上杉征伐にも関ヶ原の戦いにも参戦せずに終わった佐竹家の処遇が決まったのは、戦役から二年近く経った慶長七年(一六〇二年)の五月になってからである。

 佐竹義宣の弟・葦名盛重、岩城貞隆、そして相馬義胤は改易。義宣は出羽国秋田の地に転封となった。

 秋田の地でどの程度の石高を与えられるかすら判らない、異例の沙汰であった。

 しかし、少なくとも石高が半減することは確実であり、上方からの急報を受けた家中は大きく揺れた。

 上杉が米沢三十万石に減封となった後も、これまで佐竹家に対しては何の音沙汰もなかった。

 そのため、このまま御咎めなしで済まされるのでは、と家中では心中密かに期待していた者も少なからずいた。

 なにしろ慶長七年の正月には、他ならぬ義宣からしてが、家臣に対して水戸城の普請を命じていたほどだ。

 これは合戦に備えて城の防備を固めるためのものではなく、家康からの沙汰をまって伸ばし伸ばしにしていた補修などに、ようやく着手するものだった。

 つまり、この時点では義宣も御咎めなしで乗り切った、と安堵していたことになる。

 しかし、そのような甘い話は、やはりなかったのである。

 ここまで沙汰が遅れた理由は定かではないが、前月の四月十一日には島津家が、西軍に属しながらも本領安堵を認められていた。

 難題を解決した家康が、最後に手を付けたのが佐竹家だったのだとすれば、随分と侮られたものである。

 だが、もはやどのような沙汰であろうと佐竹家に抵抗は不可能であった。

 扶持が激減することを承知で秋田に向かうか、どのような処遇を受けるか判らぬまま常陸に残るか、それとも他家に仕えるか。

 米沢に向かった上杉家と同じ決断を、佐竹家臣もまた迫られることになったのだ。

 もっとも、選択権が家臣にあるわけではない。
 誰が秋田に同行できるのかは、実のところ義宣の腹一つであった。

 五月十五日付で伏見の義宣から、和田秋為に対して次のような指示が与えられている。

 ――新参者は召し放ちとし、譜代の臣であっても従来通りの扶持は与えられない。
 ――五十石や百石取りの身代の小さな者は秋田への同行は認められない。
 ――召し放ちとなった者は、百姓になろうと新たな主人に仕えようと各自の分別に任せる。
 など。

 非情ともいえる沙汰である。

 家中でにわかに沸き起こった騒ぎを、斯忠はどこか他人事の目で眺めていた。

 客将扱いであるからそもそも同行は認められないのであろうが、彼は元より秋田に行くつもりはなかった。

「秋田と言えば、梁川よりもまだずっと北じゃねえか。そんな寒いところについていけねぇよ」
 大学館の陣屋の冬の寒さを思い出し、そう嘯く。

 しかし、事態は思わぬ方向に動く。

 六月九日には徳川からの使者が常陸に到着し、十四日には水戸城をはじめ、佐竹家臣が退去した領内の城を接収した。

 水戸城には松平周防守康重が在番し、領内の動きに目を光らせている。

 しかし、秋田に向かう佐竹の家臣が在所に残る百姓から未納の年貢を強引に取り立てたり、牢人となって行き場を失った者が領内にたむろしていたり、はたまた領内の山林を勝手に伐採して売り払う者がでるなど、領内の治安は急速に悪化していた。

 七月の中旬になって、斯忠の命を受けて水戸城下の様子を探りに出かけていた善七郎が、厳しい顔つきで車館に戻ってきた。

「その顔じゃ、あんまり良くねぇ話を聞く羽目になりそうだな」
 寝所で出迎えた斯忠も、嫌な予感に表情を曇らせる。

 善七郎は小さく息を吸って腹を決め、おもむろに口を開いた。

「大窪兵蔵様、佐竹御一門の馬場泉守政直様と謀り、水戸城奪還のため兵を挙げるとの風聞がござる」

「なんだって。兵蔵が」
 斯忠はのけぞって絶句した。

 義弟・大窪久光は策を巡らせて城を乗っ取るような智将でも、火の出るような勢いで敵勢を蹴散らす猛将でもない。

 ただ生真面目だけが取り柄の、文官肌の男だ。

 それが、既に徳川の手で接収され、在番の将が置かれた水戸城を奪う計画を立てているという。

 これは単に、徳川に対する反逆にとどまらない。

 転封の沙汰を受け入れて、既に家臣を秋田に出立させた主君・義宣の顔にも泥を塗る行為である。

 万が一にも水戸城の占拠に成功したところで、未だ伏見に留めおかれている義宣がそれならばと翻意して、水戸城に戻ってくることなどありえない。

 斯忠の知る限り、久光はそんな当たり前の道理が判らない男ではない筈だった。

 でなければ、大事な妹の嫁ぎ先として認めてなどいない。

「勝算があると思うか、おい」
 あまりの話に、あるいは自分の目こそ節穴なのかと気になった斯忠は、善七郎に思わず訪ねていた。

 善七郎の答えは明確だった。

「恐れながら、決起まで秘匿すべき謀議が、探っていた訳でもないそれがしの耳に容易く入るようでは、成功はおぼつかぬかと存じます」

 善七郎は、かつて斯忠が率いた五百人のうち常陸に戻った者の一人から、決起についての話を聞いたのだという。

「まあ、そうだろうなあ」
 斯忠は肩を落として嘆息した。

 もしかしたら自分になにか見落としがあるのではと期待したが、そんな都合のよい話がある筈もなかった。

「いかがいたしましょう」

「もう手遅れかも知れねぇが、かといって見て見ぬふり出来る話でもないだろう。悪いが、兵蔵をここに呼んでくれねぇか」

「承知つかまつった」
 平伏した善七郎が、素早くその場から姿を消した。

 だが、善七郎が繋ぎをつけるよりも早く、翌晩には当人である大窪久光がわずかな供廻りを連れて自ら車館にやってきた。

 あるいは、善七郎に噂を嗅ぎつけられたことを漏らした当人から聞き知ったのかも知れない。

「聞いているぞ。なんだって、水戸城を奪おうだなんて大それたことを考えたんだ」
 広間に久光一人を迎え入れた斯忠は、開口一番、そう嘆いてみせた。

 一から自分たちの企てを説明するつもりだったであろう久光は、機先を制されて面食らった様子だったが、知っているのなら話が早いとばかりに身を乗り出す。

「これは義兄上のお言葉とも思えませぬ。義兄上は佐竹の御家が一矢報いることもなく、唯々諾々と居城を明け渡したことに、怒りを覚えられませぬか」
 勇ましい言葉とは裏腹に、心痛によるものか、久光の表情はいつになく引きつっていた。

 やはり本質的には、このような無謀な挙兵を主導できる男ではないのだ。

「そりゃあお前、腹が立つか立たないかで言えば、腹が立つのは当たり前だ。けどな、お屋形様が散々悩んだ末に下した結論じゃねえか。一矢報いたところで、なんになる。あっというまに徳川に討たれてお終いだぞ」

「無論、勝てるなどとは端から思うておりませぬ。それがしはただ、佐竹の、いや常州武者の意地を天下に示したいだけなのです」

「意地で命を捨てる気か。お前さん、桜のことはどうしてくれるんだ。桜を尼にでもするつもりか」
 斯忠が語気を強めると久光もしばし言葉を失ったが、やがて意を決したかのように改めて口を開いた。

「それは……。その儀ばかりは申し訳ないとそれがしも思うております。されど、ここで起てぬような男であるならば、やはりそれがしは我が奥に顔向けできませぬ」

「なんだってそこまで意地を張るんだ」

「会津に赴かれた義兄上はよろしかろう。伊達相手の大戦さで、おおいに面目を施しておられる。それに引きかえ我等はどうか。佐竹は五十四万石の大身にて、意地を示したのは車丹波ただ一人などと徳川の奉行どもに蔑まれて、我等がどれほど情けない思いをしているか、お分かりか」
 久光は、目じりに涙さえ浮かべ、悲痛な声で訴えた。

「兵蔵、お前……」
 今度は斯忠が言葉に詰まる。

 間接的とはいえ、自分の戦働きが佐竹家の武士の誇りを傷つけていたとは、正直なところ斯忠には思いもよらない話だった。

「此度、義兄上には、決起にあたって一昨年に義兄上が率いた手勢に渡りをつけていただきたく、お願いに参上した次第にござる」
 そう持ちかける久光の表情は険しい。

 これまでの話の流れで、とても応じてもらえなさそうだと考えていることが、斯忠には手に取るように判った。

(やっぱり兵蔵は正直者だよ)
 ため息をつく思いを抱きつつ、斯忠は静かに問うた。

 久光の思いとは裏腹に、自分に責任の一端があると知ったことで、斯忠の中では思案が変わりつつあった。

「それで今、手勢はどれほど集まっているんだ」

「密かに声をかけて、内諾を得ているのは三百足らずです。義兄上の助力を得て、なんとか五百は揃えたいと考えております」
 二人の間に、しばし沈黙が落ちた。

 久光の表情には、思うように兵を集められていない苦しさが現れていた。

 彼としても、なるべくならば斯忠を巻き込みたくないとの思いもあったのだろう。

(それにしたって、五百か。いつぞや、俺も満願寺の有借上人に似たようなことを言ったような気がするが、ずいぶん昔のことのように思えてならねぇ)
 斯忠は束の間、もう戻らぬ懐かしい日々に思いを馳せた。

「……判った。聞いちまった以上、しょうがねえ。ただし、条件がある」

「なんの条件でございましょうか」
 訝りながら久光が問う。

「この一揆、俺に仕切らせてもらおう」
 斯忠はそう言って、金壷眼で久光を見据える。

 窮している身内を見捨てられないのが、車丹波という男である。

「それは真にございますか。もちろん、起っていただけるのであれば、喜んで義兄上を大将と仰ぎましょう」
 思いがけない斯忠の言葉を聞き、驚きながらも久光は喜色を浮かべた。

「おう。任せておけ。だからこれ以上、人数集めにお前は動くな。後は俺がやるから」

「承知仕りました」
 その後、いくつかの打ち合せを終えて、久光は喜び勇んで供廻りを連れて帰って行った。

 斯忠としては酒席の一つも設けたかったが、長話で思いのほか体力を消耗して咳が続くようになったこともあり、久光が遠慮したのだ。

「お疲れのところ申し訳ござりませぬ。したが、本当に起たれますのか」
 久光が来ている間は、次の間に控えて顔を見せなかった善七郎が戻ってきて問うた。

「どうかんがえても成功しそうにないが、もはや止められそうもねぇ。そこでだ」
 首を横に振った斯忠は静かな口ぶりでそう応じると、善七郎に腹案を告げた。

「なりませぬ。そのようなことは――」

「まあ聞け」
 慌てる善七郎を制して、斯忠は言葉を継ぐ。

「どうやら俺の身体は、思いのほか良くないらしい。このまま寝転がっていても直に死んじまうぐらいなら、最期に命の使いどころがあるなら使ってやりてぇ」

「されど……」

「どのみち、兵蔵の浅はかな手立てなんぞ、すぐに徳川には勘付かれれるだろう。いや、とっくに気づいたうえで、ただ泳がされているだけかもな。となれば、なるべく無駄に死ぬ奴を減らすしかねぇ。……頼む。これが出来るのは善七しかいねぇんだ」

 日頃は表情に乏しい善七郎が、斯忠の言葉を顔をゆがめ、涙をこらえながら聞いていた。
「承知、仕りました」

「ああ、それから今のうちに言っておくが、間違っても仇討ちなんて考えるんじゃないぞ。善七には善七の生きる道があるんだからな」

「そればかりは、お約束できかねます」
 兄であり、義父である斯忠の頼みをこれまで断ったことのない善七郎がみせた、最初で最後の反抗であった。

「つれねぇな。まあ、しょうがねえ。身体が悪いなんて言ってられねぇ、少し飲むか?」
 思い返してみれば、随分と長い間、善七郎と酒を酌み交わしていなかったことに気づく。これまで、何かあれば無理な頼みばかりしてきたのだ。

「蝮酒でなければ、ご相伴いたしましょう」
 これまた、久しく聞いたことのない善七郎の冗談であった。
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