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(二十八)松川合戦(後編)
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夜の闇に紛れるようにして渡河した須田勢は、南下してそのまま山中に分け入った。
しばし西に向けて間道を進んだのち、この日が来ることを見越した須田長義が、福島城から北東に二里半ほどの山腹に用意した隠し砦に到着した。
仮に政宗が誇る黒脛巾が事前にこの場所を探り当てていたとしても、わずかに縄張りにあわせて聖地したところで普請を放棄した砦にしかみえず、重要な拠点などとは想像もつかなかったあろう。
もちろん城としての機能は持ち合わせていないが、率いてきた将卒が横になれる程度の平地と、俄か普請で夜露を凌ぐ根小屋を作れる木板だけが確保されていた。
「先月の伏勢といい、須田殿の手回しは冴えてるな。少なくとも、小手森の廃城に比べりゃ、屋敷で寝るようなもんだ」
たちまち組み立てられた根小屋の一つの壁を軽くたたいた斯忠は、小手森城址で寒さに震えながら過ごした一夜を思い出し、不敵に呟く。
もっとも、主だった将には根小屋でのんびり寝転がっている暇もない。
深夜にも関わらず本陣の陣幕が張られた一角に集い、広げた絵図を前に策を練る。
伊達の本軍が福島城下に迫っていること、また別動隊も梁川城の北に姿をみせ、翌日の攻撃に向けた準備を始めていることなど、各地に放った間者から断続的に報せが飛び込んで来る。
「今のところ、我等が梁川城から抜け出たことは、伊達に気づかれておらぬものと見受けられますな」
築地修理亮はいつもと変わらぬ渋い表情で、間者からの報告内容を絵図に書き加えていく。
もし伊達勢に勘付かれれば、須田勢は戦局に寄与しない遊兵と化し、梁川城は容易く落城することになる。
希望的観測に寄りかかって不覚を取る訳にはいかない。
「明朝には、福島城への仕寄が始まろう。本庄殿には申し訳ないが、しばし耐えてもらわねばならぬ。伊達勢が城攻めに前掛かりとなり、本陣が手薄になった時に横合いを衝いてこそ、わずか三千の兵でも最大の効果が得られる」
長義も厳しい表情を隠さない。
「さりとて、ぎりぎりまで待って福島城が落ちるようなことがあれば取り返しがつきませぬぞ」
「それを恐れて焦って飛び出せば、たちまち伊達勢に蹴散らされることになる」
二人のやり取りを、斯忠は口を挟まず見守っていた。
事ここに至っては、長義の軍略の冴えを信じ、ついていくだけだと腹をくくっていた。
***
ほどなくして朝を迎える。
腹巻の上から格子模様の陣羽織を羽織るいつもの戦装束のまま仮眠をとった斯忠は、陣屋から這い出した。
鉄錆地六十二間筋兜をかぶり、緒を締めなおす。
「さあ、いよいよだ」
長義の元に向かうと、夜明けを待ちかねるようにして伊達勢の本隊は福島城への仕寄を開始したと間者の報せが飛び込んできた。
福島城を守る本庄繁長は、果敢にも一部の城兵を外に出して、城外で迎え撃つ構えであるとという。
中でも岡左内などは、同僚の粟生美濃守の制止を振り切って先陣を切って松川を渡河し、遅れまじと馳せ加わったわずかな将士と共に、対岸で伊達勢を迎え撃つ奮闘ぶりをみせていた。
佐内らの戦理にあわぬ果敢な動きに面食らったのか、いっとき伊達勢が押し返されるような一幕もあったらしい。
しかし、結局は兵の数にものを言わせた伊達勢が反撃に転じて松川を押し渡ったようだ。その勢いのまま、福島城に向けてひた押しに押し込んでいる様子を間者が伝えてくる。
伊達勢が福島城に取り付くのも、時間の問題であろう。
「頃合いとみた。これより出陣いたす」
絵図面を前に黙考していた長義が立ち上がった。斯忠を含め、築地修理亮、横田大学ら諸将も続く。
「平地に出れば気づかれぬ訳にはいかぬが、必要以上に耳目を集める必要はない。構えて、無用に声をあげてはならぬぞ」
長義が周囲の兵に押し殺した声で指示を飛ばす。
(今しばらく、持ちこたえてくだされよ)
斯忠は心の中で、苦闘しているであろう本庄繁長や岡佐内を激励する。
かつて己が手掛けた福島城の土塁が、少しでも伊達勢の猛攻を防ぐ役に立ってくれることを祈るばかりだ。
***
西に向けて進軍する須田勢に、一騎の裸馬が走り寄せてくる。
「ご注進、ご注進!」
馬上から、粗末な身なりの男が声を張り上げる。言うまでもなく、長義が四方に放った間者のひとりである。
「そのまま申せ」
行軍の足を止めることなく、須田長義が呼ばわる。
「信夫山の南麓に、伊達の本陣あり!」
間者は詳細に、政宗の本陣の位置をつきとめていた。
その報告に長義は喜色を浮かべる。
続いて先の間者の後を追うように、今度は徒立の間者が斯忠の軍列に駆け寄った。
町人風の恰好をしているのは、他ならぬ善七郎であった。
「信夫山の北側に、伊達の荷駄がうず高く積まれておりまする」
「おう。よう見た」
ただちに斯忠は長義の元に馳せ参じて、善七郎が持ち帰った報せを長義に伝える。
相次いで飛び込んできた急報を受け、長義は頬を紅潮させる。
「どちらを叩きますかな」
余計な差しで口と判ってはいても、斯忠としても気が急いて尋ねずにはいられない。
今、伊達勢は城外出撃した本庄勢を追って福島城に取り付き、前掛かりになっている。
ここで伊達の本陣を衝くことができれば戦局を逆転させられるかもしれない。
だが、本陣の守りがどの程度かは報告だけでは掴み切れない部分も多い。
反面、後方の荷駄を焼き払うのは、華やかさには欠けるものの効果は大きい。
二万とも三万とも言われる大軍を擁して敵中深くに侵入している伊達勢にとって、荷駄を失えば戦さを続けられなくなり、撤退する他なくなる。
「ここは欲深く、両方に手を出しましょう」
長義がにこりと笑った。このような切所にあっても、小憎らしいほどに爽やかな笑みだった。
斯忠はしばし目を瞬かせたが、すぐに気を取り直して口を開く。
「では、わたしの手勢が荷駄を焼きますゆえ、須田様は伊達の本陣に鑓を付けるのがよろしかろう」
「それがしに花を持たせようと仰るか」
「なんの。そもそもわたしは伊達の本陣に攻め入っても、政宗の首級を挙げられなんだ男。相性が合わぬゆえ、お譲りするまで。あと、荷駄攻めにはあとで役得がございますでな」
斯忠は笑いを含ませて言葉を継いだ。もちろん、長義に否はなかった。
***
伊達勢は、激しい抵抗を跳ね返しつつ松川を渡河し、ようやくのことで福島城の土塁に取り付いていた。
ここまで思いがけず手こずりはしたものの、城内に討ち入れさえすれば、あとは数の力で押し切れる。
ようやく勝機を見出したところだっただけに、伊達方は東から須田長義勢が急接近していることに気づくのが遅れた。
本来、梁川城近くまで進出している別動隊二千には、須田長義が手勢を率いて城外に出陣した際には直ちに本隊に注進する役目が与えられていた。
しかし報せが一切届かなかったこともあり、梁川城に対する警戒は手薄になっていた。
伊達勢の目を欺き、夜間のうちに搦め手門から城外に出ていた長義の策が、伊達方の思惑を上回った格好だ。
須田勢から第二陣として分派された車勢が北側から渡河する構えをみせたところで、ようやく伊達方は新手に気づいた。
斯忠の手勢を阻止するべく本陣から離れる者と、南下する須田勢本隊の動きを警戒して本陣を守ろうとする者が文字通り右往左往し、混乱が生じた。
長義率いる本隊が迷うことなく一気に阿武隈川に踏み行って渡り始めると、渡河に手間取ると踏んで迎え撃とうとした伊達勢の混乱は大きくなった。
伊達勢でも限られた者しか知らない浅瀬を長義は熟知しており、その采配に迷いはなかった。
「ゆけっ、目指すは伊達の本陣! 他には目もくれるなっ!」
馬上の長義が獅子吼した。
負けじと須田勢の将兵が喚きあげながら、眼前に立ちはだかる伊達勢目掛けて飛びかかっていく。
斯忠の踏み入れた浅瀬の向こう側には、伊達勢は数えるほどしかいなかった。本陣への突入を計る長義勢に多くが引きずられた形になっていた。
斯忠配下の長鑓組が穂先を揃えて突っ込むと、伊達の将士はたちまち算を乱して逃げ散ってしまう。
「逃げた連中にかまうな。俺たちが叩くべきは荷駄だぞ」
ともすれば深追いしそうになる手勢を呼び戻し、斯忠は先を急ぐ。
信太山の南を流れる松川は、後年になって流れが変わって信夫山の北を流れることになる。
しかし、斯忠らが踏み込んだ時点では、信夫山の北の谷筋には、足首が浸かる程度の細い沢の流れが走るのみである。
その沢の流れを遡るように、斯忠は手勢の先頭に立って馬を走らせる。
大黒の蹄が、雪解け水を蹴り上げる。
やがて、藪を切り開いて作ったとおぼしき、少し開けた場所に行き当たった。
陣幕が張り巡らされ、地面には米俵や櫃、樽などが幾つも並べられているのが見えた。
伊達の荷駄の集積地であることは一目瞭然だった。
「蹴散らせぇ!」
伊達方の番兵が慌てて陣幕をかきわけて飛び出してくる。
斯忠は一つ大きく息を吸い込んでから、大黒を駆って敵中に躍り込む。
斯忠を追って続々と駆け込む将士五百名の勢いに、伊達の番兵はたちまち追い散らされる。
荷駄を警護すべく後方にとどめ置かれていた以上は精鋭ではないだろうが、本来はここまで弱卒ではない筈である。
しかし、この時ばかりは勝ち戦を確信し、自分たちの出番はないと気が緩んでいたところに不意を衝かれたため、まったく戦意が伴っていなかった。
ほとんどの伊達勢が戦わずして逃げ出す中、憤怒の形相の徒武者が一人、手鑓を手に斯忠の前に立ちふさがった。
「小荷駄奉行、宮崎内蔵助! 参る!」
手鑓の穂先を斯忠に向け、名乗りをあげた武者が吼える。
「荷駄の大将かっ。良き敵、ご参なれ! 源公は手だしするんじゃねぇぞ」
鞍上の斯忠も、喜色を浮かべて太刀を振りかざした。
背後に続く左源次を制しつつ、大黒の馬腹を蹴る。
大黒の馬蹄を避け、素早く弓手側に回り込んだ宮崎内蔵助が、手鑓を突き上げる。
穂先の動きを見切った斯忠は、身体をよじってかわす。
かわしざまに斬り付けるつもりだった斯忠だが、不意に喉からこみ上げる不快感に耐えきれず、咳き込みながら体勢を崩して大黒の鞍から転げおちてしまう。
「くそっ、げほっ、げほ」
「もらった!」
身体を起こしたところに踏み込んできた内蔵助が再び鑓を繰り出す。
「ちいっ」
のけぞりながら身体をひねる斯忠の胸元から、御守袋が勢い余って飛び出す。
その紐が、内蔵助が繰り出した手鑓の穂先に絡まる。
「なにっ」
紐はすぐに鋭い穂先によって切り裂かれたが、内蔵助の体勢が崩れて一瞬の隙ができた。
「うおおっ」
すかさず踏み込んだ斯忠が太刀を横なぎに振るうと、その切っ先は内蔵助の首筋を切り裂いた。
「ぎゃっ」
血しぶきを上げて倒れる内蔵助に馬乗りになた斯忠は、ためらうことなく鎧通しで内蔵助の首級を掻き切る。
「こいつはまったく、風天の御加護だな」
紐が切れて地面に落ちた御守袋を、斯忠は急いで拾い上げる。
銅板に彫り込んだ風天像が、泥にまみれた御守袋から姿を覗かせていた。
「伊達が小荷駄奉行、宮崎内蔵助を車丹波守斯忠が討ち取った!」
ひと呼吸置いてから、斯忠が首級を掲げて大音声で叫びあげると、もはや立ち向かってこようとする伊達の番兵は一人もいなかった。
残されたのは、大量の荷駄のみである。
兵糧や武具、弓矢や弾薬、縄や板材、その他戦さにかかせない物資が大領に遺棄されていた。
こうなれば、斯忠の配下は我がちに分取りに走り出す。
「須田大炊介様、伊達の本陣の中まで討ち入れてござります」
喧騒の中、するりと斯忠の傍らに進み出た善七郎が報告する。
いつの間にか伊達の足軽の姿になっていた善七郎は、怪しまれることなく伊達の本陣の様子を探り、何食わぬ顔で戻ってきたのだ。
「おお、須田様がやったか!」
斯忠は思わず声をあげて喜んだ。
この戦さにおいて、須田長義は伊達家の本陣に張り巡らされていた九つ星の紋の幕や、紺地黄糸法華廿八品の幕をはじめ、伊達の本陣に攻め入ったことを示す証拠品の数々を奪い取り、大いに面目を施すことになる。
「ただし、伊達の大将は督戦のためか前線に出ており、不在であった模様」
無念そうな表情を覗かせて、善七郎が付け加えた。
「ちっ。大将首は挙げそこなったか。まあ、伊達の大将は昔からそういう奴だったなぁ」
斯忠も思わず顔をしかめる。
思いのほか伊達の本陣の守りが手薄で、須田勢が難なく斬り込めた訳が判った。大将が馬廻りを引き連れて離れていたのであれば、頑強な抵抗を受けるはずがない。
生来の政宗の腰の軽さが、須田勢の急襲から身を守ったとも言える。
しかし、須田勢に本陣を荒らされた時点で、いくら伊達政宗本人が健在であろうと戦さは伊達の負けである。
大将である政宗の無事を確認できるのは周囲にいる者に限られるが、本陣が敵勢に蹂躙される様は戦場にいる者が皆、目の当たりにしているのだ。
そのような状況では、その場で踏みとどまって戦い続けられるはずもない。
やがて、他に伊達勢の動きを見張っていた風車衆からも、伊達勢が西に敗走をはじめたとの続報が届く。
もちろん、どこまでも西に向かったのでは上杉の本領奥深くに入り込むことになり、自滅行為である。信太山を回り込み、北に折れて退却することになるのだろう。
「これは先回りすれば、うまくすると敗走する伊達の大将を捕捉できるやも知れませんぞ」
左源次が興奮を隠せない調子で声を弾ませたが、斯忠は苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「そいつは机上の兵法ってもんだ。回り見てみろ」
斯忠は顎をしゃくって見せた。
そこにはあさましい光景が広がっていた。
「馬を捕らえて来い! 手で抱えて運ぶつもりか!」
「ぺっ、こいつは油じゃねぇか。酒はどこかにないのか」
斯忠の配下は、この時とばかりに目の色を変えて伊達が残した荷駄を漁っている。
とても、これから敵の大将を討ち取ってやろうという気勢はあがりそうもなかった。
「長蛇を逸しますなあ」
諦めきれない左源次が、無念そうに首を振りながら呟く。
「そう言うない。俺たちには、この程度が似合いってことだろうよ」
大口をたたきつつも身の程を知るのが、車丹波という男である。
斯忠は、力強く左源次の肩を叩いた。
「あ痛てぇ、こんなときまで、こうなんだもんなぁ」
ぼやく左源次をみて、大笑する斯忠だった。
しばし西に向けて間道を進んだのち、この日が来ることを見越した須田長義が、福島城から北東に二里半ほどの山腹に用意した隠し砦に到着した。
仮に政宗が誇る黒脛巾が事前にこの場所を探り当てていたとしても、わずかに縄張りにあわせて聖地したところで普請を放棄した砦にしかみえず、重要な拠点などとは想像もつかなかったあろう。
もちろん城としての機能は持ち合わせていないが、率いてきた将卒が横になれる程度の平地と、俄か普請で夜露を凌ぐ根小屋を作れる木板だけが確保されていた。
「先月の伏勢といい、須田殿の手回しは冴えてるな。少なくとも、小手森の廃城に比べりゃ、屋敷で寝るようなもんだ」
たちまち組み立てられた根小屋の一つの壁を軽くたたいた斯忠は、小手森城址で寒さに震えながら過ごした一夜を思い出し、不敵に呟く。
もっとも、主だった将には根小屋でのんびり寝転がっている暇もない。
深夜にも関わらず本陣の陣幕が張られた一角に集い、広げた絵図を前に策を練る。
伊達の本軍が福島城下に迫っていること、また別動隊も梁川城の北に姿をみせ、翌日の攻撃に向けた準備を始めていることなど、各地に放った間者から断続的に報せが飛び込んで来る。
「今のところ、我等が梁川城から抜け出たことは、伊達に気づかれておらぬものと見受けられますな」
築地修理亮はいつもと変わらぬ渋い表情で、間者からの報告内容を絵図に書き加えていく。
もし伊達勢に勘付かれれば、須田勢は戦局に寄与しない遊兵と化し、梁川城は容易く落城することになる。
希望的観測に寄りかかって不覚を取る訳にはいかない。
「明朝には、福島城への仕寄が始まろう。本庄殿には申し訳ないが、しばし耐えてもらわねばならぬ。伊達勢が城攻めに前掛かりとなり、本陣が手薄になった時に横合いを衝いてこそ、わずか三千の兵でも最大の効果が得られる」
長義も厳しい表情を隠さない。
「さりとて、ぎりぎりまで待って福島城が落ちるようなことがあれば取り返しがつきませぬぞ」
「それを恐れて焦って飛び出せば、たちまち伊達勢に蹴散らされることになる」
二人のやり取りを、斯忠は口を挟まず見守っていた。
事ここに至っては、長義の軍略の冴えを信じ、ついていくだけだと腹をくくっていた。
***
ほどなくして朝を迎える。
腹巻の上から格子模様の陣羽織を羽織るいつもの戦装束のまま仮眠をとった斯忠は、陣屋から這い出した。
鉄錆地六十二間筋兜をかぶり、緒を締めなおす。
「さあ、いよいよだ」
長義の元に向かうと、夜明けを待ちかねるようにして伊達勢の本隊は福島城への仕寄を開始したと間者の報せが飛び込んできた。
福島城を守る本庄繁長は、果敢にも一部の城兵を外に出して、城外で迎え撃つ構えであるとという。
中でも岡左内などは、同僚の粟生美濃守の制止を振り切って先陣を切って松川を渡河し、遅れまじと馳せ加わったわずかな将士と共に、対岸で伊達勢を迎え撃つ奮闘ぶりをみせていた。
佐内らの戦理にあわぬ果敢な動きに面食らったのか、いっとき伊達勢が押し返されるような一幕もあったらしい。
しかし、結局は兵の数にものを言わせた伊達勢が反撃に転じて松川を押し渡ったようだ。その勢いのまま、福島城に向けてひた押しに押し込んでいる様子を間者が伝えてくる。
伊達勢が福島城に取り付くのも、時間の問題であろう。
「頃合いとみた。これより出陣いたす」
絵図面を前に黙考していた長義が立ち上がった。斯忠を含め、築地修理亮、横田大学ら諸将も続く。
「平地に出れば気づかれぬ訳にはいかぬが、必要以上に耳目を集める必要はない。構えて、無用に声をあげてはならぬぞ」
長義が周囲の兵に押し殺した声で指示を飛ばす。
(今しばらく、持ちこたえてくだされよ)
斯忠は心の中で、苦闘しているであろう本庄繁長や岡佐内を激励する。
かつて己が手掛けた福島城の土塁が、少しでも伊達勢の猛攻を防ぐ役に立ってくれることを祈るばかりだ。
***
西に向けて進軍する須田勢に、一騎の裸馬が走り寄せてくる。
「ご注進、ご注進!」
馬上から、粗末な身なりの男が声を張り上げる。言うまでもなく、長義が四方に放った間者のひとりである。
「そのまま申せ」
行軍の足を止めることなく、須田長義が呼ばわる。
「信夫山の南麓に、伊達の本陣あり!」
間者は詳細に、政宗の本陣の位置をつきとめていた。
その報告に長義は喜色を浮かべる。
続いて先の間者の後を追うように、今度は徒立の間者が斯忠の軍列に駆け寄った。
町人風の恰好をしているのは、他ならぬ善七郎であった。
「信夫山の北側に、伊達の荷駄がうず高く積まれておりまする」
「おう。よう見た」
ただちに斯忠は長義の元に馳せ参じて、善七郎が持ち帰った報せを長義に伝える。
相次いで飛び込んできた急報を受け、長義は頬を紅潮させる。
「どちらを叩きますかな」
余計な差しで口と判ってはいても、斯忠としても気が急いて尋ねずにはいられない。
今、伊達勢は城外出撃した本庄勢を追って福島城に取り付き、前掛かりになっている。
ここで伊達の本陣を衝くことができれば戦局を逆転させられるかもしれない。
だが、本陣の守りがどの程度かは報告だけでは掴み切れない部分も多い。
反面、後方の荷駄を焼き払うのは、華やかさには欠けるものの効果は大きい。
二万とも三万とも言われる大軍を擁して敵中深くに侵入している伊達勢にとって、荷駄を失えば戦さを続けられなくなり、撤退する他なくなる。
「ここは欲深く、両方に手を出しましょう」
長義がにこりと笑った。このような切所にあっても、小憎らしいほどに爽やかな笑みだった。
斯忠はしばし目を瞬かせたが、すぐに気を取り直して口を開く。
「では、わたしの手勢が荷駄を焼きますゆえ、須田様は伊達の本陣に鑓を付けるのがよろしかろう」
「それがしに花を持たせようと仰るか」
「なんの。そもそもわたしは伊達の本陣に攻め入っても、政宗の首級を挙げられなんだ男。相性が合わぬゆえ、お譲りするまで。あと、荷駄攻めにはあとで役得がございますでな」
斯忠は笑いを含ませて言葉を継いだ。もちろん、長義に否はなかった。
***
伊達勢は、激しい抵抗を跳ね返しつつ松川を渡河し、ようやくのことで福島城の土塁に取り付いていた。
ここまで思いがけず手こずりはしたものの、城内に討ち入れさえすれば、あとは数の力で押し切れる。
ようやく勝機を見出したところだっただけに、伊達方は東から須田長義勢が急接近していることに気づくのが遅れた。
本来、梁川城近くまで進出している別動隊二千には、須田長義が手勢を率いて城外に出陣した際には直ちに本隊に注進する役目が与えられていた。
しかし報せが一切届かなかったこともあり、梁川城に対する警戒は手薄になっていた。
伊達勢の目を欺き、夜間のうちに搦め手門から城外に出ていた長義の策が、伊達方の思惑を上回った格好だ。
須田勢から第二陣として分派された車勢が北側から渡河する構えをみせたところで、ようやく伊達方は新手に気づいた。
斯忠の手勢を阻止するべく本陣から離れる者と、南下する須田勢本隊の動きを警戒して本陣を守ろうとする者が文字通り右往左往し、混乱が生じた。
長義率いる本隊が迷うことなく一気に阿武隈川に踏み行って渡り始めると、渡河に手間取ると踏んで迎え撃とうとした伊達勢の混乱は大きくなった。
伊達勢でも限られた者しか知らない浅瀬を長義は熟知しており、その采配に迷いはなかった。
「ゆけっ、目指すは伊達の本陣! 他には目もくれるなっ!」
馬上の長義が獅子吼した。
負けじと須田勢の将兵が喚きあげながら、眼前に立ちはだかる伊達勢目掛けて飛びかかっていく。
斯忠の踏み入れた浅瀬の向こう側には、伊達勢は数えるほどしかいなかった。本陣への突入を計る長義勢に多くが引きずられた形になっていた。
斯忠配下の長鑓組が穂先を揃えて突っ込むと、伊達の将士はたちまち算を乱して逃げ散ってしまう。
「逃げた連中にかまうな。俺たちが叩くべきは荷駄だぞ」
ともすれば深追いしそうになる手勢を呼び戻し、斯忠は先を急ぐ。
信太山の南を流れる松川は、後年になって流れが変わって信夫山の北を流れることになる。
しかし、斯忠らが踏み込んだ時点では、信夫山の北の谷筋には、足首が浸かる程度の細い沢の流れが走るのみである。
その沢の流れを遡るように、斯忠は手勢の先頭に立って馬を走らせる。
大黒の蹄が、雪解け水を蹴り上げる。
やがて、藪を切り開いて作ったとおぼしき、少し開けた場所に行き当たった。
陣幕が張り巡らされ、地面には米俵や櫃、樽などが幾つも並べられているのが見えた。
伊達の荷駄の集積地であることは一目瞭然だった。
「蹴散らせぇ!」
伊達方の番兵が慌てて陣幕をかきわけて飛び出してくる。
斯忠は一つ大きく息を吸い込んでから、大黒を駆って敵中に躍り込む。
斯忠を追って続々と駆け込む将士五百名の勢いに、伊達の番兵はたちまち追い散らされる。
荷駄を警護すべく後方にとどめ置かれていた以上は精鋭ではないだろうが、本来はここまで弱卒ではない筈である。
しかし、この時ばかりは勝ち戦を確信し、自分たちの出番はないと気が緩んでいたところに不意を衝かれたため、まったく戦意が伴っていなかった。
ほとんどの伊達勢が戦わずして逃げ出す中、憤怒の形相の徒武者が一人、手鑓を手に斯忠の前に立ちふさがった。
「小荷駄奉行、宮崎内蔵助! 参る!」
手鑓の穂先を斯忠に向け、名乗りをあげた武者が吼える。
「荷駄の大将かっ。良き敵、ご参なれ! 源公は手だしするんじゃねぇぞ」
鞍上の斯忠も、喜色を浮かべて太刀を振りかざした。
背後に続く左源次を制しつつ、大黒の馬腹を蹴る。
大黒の馬蹄を避け、素早く弓手側に回り込んだ宮崎内蔵助が、手鑓を突き上げる。
穂先の動きを見切った斯忠は、身体をよじってかわす。
かわしざまに斬り付けるつもりだった斯忠だが、不意に喉からこみ上げる不快感に耐えきれず、咳き込みながら体勢を崩して大黒の鞍から転げおちてしまう。
「くそっ、げほっ、げほ」
「もらった!」
身体を起こしたところに踏み込んできた内蔵助が再び鑓を繰り出す。
「ちいっ」
のけぞりながら身体をひねる斯忠の胸元から、御守袋が勢い余って飛び出す。
その紐が、内蔵助が繰り出した手鑓の穂先に絡まる。
「なにっ」
紐はすぐに鋭い穂先によって切り裂かれたが、内蔵助の体勢が崩れて一瞬の隙ができた。
「うおおっ」
すかさず踏み込んだ斯忠が太刀を横なぎに振るうと、その切っ先は内蔵助の首筋を切り裂いた。
「ぎゃっ」
血しぶきを上げて倒れる内蔵助に馬乗りになた斯忠は、ためらうことなく鎧通しで内蔵助の首級を掻き切る。
「こいつはまったく、風天の御加護だな」
紐が切れて地面に落ちた御守袋を、斯忠は急いで拾い上げる。
銅板に彫り込んだ風天像が、泥にまみれた御守袋から姿を覗かせていた。
「伊達が小荷駄奉行、宮崎内蔵助を車丹波守斯忠が討ち取った!」
ひと呼吸置いてから、斯忠が首級を掲げて大音声で叫びあげると、もはや立ち向かってこようとする伊達の番兵は一人もいなかった。
残されたのは、大量の荷駄のみである。
兵糧や武具、弓矢や弾薬、縄や板材、その他戦さにかかせない物資が大領に遺棄されていた。
こうなれば、斯忠の配下は我がちに分取りに走り出す。
「須田大炊介様、伊達の本陣の中まで討ち入れてござります」
喧騒の中、するりと斯忠の傍らに進み出た善七郎が報告する。
いつの間にか伊達の足軽の姿になっていた善七郎は、怪しまれることなく伊達の本陣の様子を探り、何食わぬ顔で戻ってきたのだ。
「おお、須田様がやったか!」
斯忠は思わず声をあげて喜んだ。
この戦さにおいて、須田長義は伊達家の本陣に張り巡らされていた九つ星の紋の幕や、紺地黄糸法華廿八品の幕をはじめ、伊達の本陣に攻め入ったことを示す証拠品の数々を奪い取り、大いに面目を施すことになる。
「ただし、伊達の大将は督戦のためか前線に出ており、不在であった模様」
無念そうな表情を覗かせて、善七郎が付け加えた。
「ちっ。大将首は挙げそこなったか。まあ、伊達の大将は昔からそういう奴だったなぁ」
斯忠も思わず顔をしかめる。
思いのほか伊達の本陣の守りが手薄で、須田勢が難なく斬り込めた訳が判った。大将が馬廻りを引き連れて離れていたのであれば、頑強な抵抗を受けるはずがない。
生来の政宗の腰の軽さが、須田勢の急襲から身を守ったとも言える。
しかし、須田勢に本陣を荒らされた時点で、いくら伊達政宗本人が健在であろうと戦さは伊達の負けである。
大将である政宗の無事を確認できるのは周囲にいる者に限られるが、本陣が敵勢に蹂躙される様は戦場にいる者が皆、目の当たりにしているのだ。
そのような状況では、その場で踏みとどまって戦い続けられるはずもない。
やがて、他に伊達勢の動きを見張っていた風車衆からも、伊達勢が西に敗走をはじめたとの続報が届く。
もちろん、どこまでも西に向かったのでは上杉の本領奥深くに入り込むことになり、自滅行為である。信太山を回り込み、北に折れて退却することになるのだろう。
「これは先回りすれば、うまくすると敗走する伊達の大将を捕捉できるやも知れませんぞ」
左源次が興奮を隠せない調子で声を弾ませたが、斯忠は苦笑いを浮かべて首を横に振った。
「そいつは机上の兵法ってもんだ。回り見てみろ」
斯忠は顎をしゃくって見せた。
そこにはあさましい光景が広がっていた。
「馬を捕らえて来い! 手で抱えて運ぶつもりか!」
「ぺっ、こいつは油じゃねぇか。酒はどこかにないのか」
斯忠の配下は、この時とばかりに目の色を変えて伊達が残した荷駄を漁っている。
とても、これから敵の大将を討ち取ってやろうという気勢はあがりそうもなかった。
「長蛇を逸しますなあ」
諦めきれない左源次が、無念そうに首を振りながら呟く。
「そう言うない。俺たちには、この程度が似合いってことだろうよ」
大口をたたきつつも身の程を知るのが、車丹波という男である。
斯忠は、力強く左源次の肩を叩いた。
「あ痛てぇ、こんなときまで、こうなんだもんなぁ」
ぼやく左源次をみて、大笑する斯忠だった。
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