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(二十六)小手森の亡霊
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斯忠が寝込んでいる間に、城の外では見過ごせない動きがあった。
一月六日、浜通りと呼ばれる海側の一帯を領する相馬の手勢が、梁川城から南におよそ五里のところにある、糠田という地にまで入り込んだのだ。
須田長義は斯忠に断りを入れたうえで、斯忠が預かる元は横田大学の配下を物見に派遣した。
その一隊を率いた後藤新左衛門が相馬勢を発見し、これを撃退する武功を挙げた。
もっとも、血みどろの激戦の末に勝利を収めたといった話ではなく、相馬勢は後藤勢を見るや、まともに戦うことなく早々に退いたというのが実態である。
ともあれ、武功は武功である。
名目上とはいえ配下の活躍は喜ばしいことであったが、相馬が動いたという事実は重い。
もっとも、七月にも川俣城を伊達が急襲する際に領内の通行を黙認しており、佐竹に従って中立を装いつつも、実態は元々徳川寄りであったと言わざるを得ない。
そして、徳川家康との和睦交渉を進める最中に、こちらから領外に討って出ることは出来ない相談だった。
「和睦の意を示す上杉に今になって攻めてくるというのは、あくどい魂胆でございますな」
大学館の陣屋に話を伝えに来た左源次が憤慨する。
「徳川につくのに、手土産が欲しいんだろうな。勝敗が見えてから勝つ側につくのは見苦しいが、最後まで中立というのは、出処進退としてはそれよりなお劣る」
布団から身体を起こした斯忠も、相馬の立場を口にしつつ、内心では佐竹義宣の顔を脳裏に思い浮かべて渋い顔になる。
(お屋形様は、どうするつもりなんだろうな)
斯忠は、まだ顔も見ていない今の主君・上杉景勝ではなく、前の主君・佐竹義宣のことを思う。
三成が関ヶ原であえなく敗れたのは誤算であったが、だからといって上杉家に兵を向けるような義宣ではない。
これからどうするのだろうか、と余計な心配を募らせてしまう。
「佐竹のことより、今は上杉だ」
斯忠は咳払いをして答えの出ようもない思考をを打ち切る。
「聞いた話では、相馬はどうやら、野盗の類を手勢に仕立て上げて送り込んでおる様子。こりゃ、一度きりでは終わらぬと思われますな」
左源次の見立ては当たっていた。
一月二十日になって、上杉領に入り込んだ新たな相馬勢が警戒網にかかった、との報せが梁川城に飛び込んだ。
その情報を「非公式に」入手した善七郎が、密かに斯忠に伝える。
於きたから差し入れを受けた蝮酒が効いたのか、斯忠は既に床をあげている。
まだ時折しつこい咳が出るが、それもいずれ治まっていくだろう。
「どのへんだ」
斯忠は地名を言われても、咄嗟に位置関係が判らない。
絵地図を引っ張り出して、敵の動きを確認する。
「いま、このあたりかと。このまま西に進めば二本松に出るようですな」
傍らから絵地図を覗きこんだ善七郎が、指を滑らせて位置を指し示す。
相馬勢は、前回の糠田よりもさらに南側から上杉領に侵入し、ほぼ真西に向かって山中の間道を進んでいる様子だった。
梁川城が警戒すべき範囲としてはやや南に寄り過ぎであるが、この不埒な策動を見過ごしにはできない。
「二本松の城下に焼き討ちでも仕掛ければ、戦働きをしたと徳川に言い訳できる種が一つ増えますな」
善七郎とは反対側から絵地図を見ていた左源次が、したり顔で付け加える。
「相馬がどんな思惑か知ったこっちゃないが、好き勝手されて黙っちゃいられねぇな」
斯忠は自らを鼓舞するように膝を叩いて立ち上がった。
***
「わたしが行って、ひとつ蹴散らしてまいりましょう」
本丸の書院にて、斯忠は長義に膝詰めの直談判に臨んでいた。
「耳が早いですな。相馬勢を見過ごしには出来ませぬが、車殿は床上げしたばかり。大事ございませぬか」
長義は、情報の出どころを詮索することもなく、真っ先に斯忠の体調を心配してくれた。それが斯忠には嬉しい。
「おかげ様で。於きた殿より差し入れていただいた蝮酒がずいぶんと効いたとみえます。快気祝い代わりに、どうか出陣をお許しくだされ」
斯忠はことさらに胸を張ってみせる。
喋っているうちに咳払いが出そうになるのをぐっと堪える。
「ほう、於きた殿がそのような……。本復されたとなれば重畳。ならば、お任せしてよろしいか」
表情を緩ませた長義は、さほど迷う様子もなく決断を下した。
先日も組外衆を物見に出したように、城の守りを第一に考える限り、本来の城兵は動かしづらい。斯忠が兵を出してくれるのであればありがたいのだろう。
ともあれ、この潔さも斯忠の目には好ましいものと映る。
「ありがたき幸せ。手勢三百の支度が整い次第、出陣いたします」
「物見は敵勢は五百から七百と報せてきております。三百では少ないのでは」
懸念を示す長義に、斯忠は首を振る。
「勝つ必要はございませぬからな。相馬勢とは言うものの、まっとうな軍勢ではなく野盗をそれらしく仕立てておるだけとの話。ならば、元より正面切った戦さをするつもりはないと思われます」
本腰を据えた戦さにしたくないのは、相馬も同じ。ならば素早く一撃を与えれば、相馬勢は早々に引き上げるであろう、との観測を斯忠は付け加える。
内心では、横田大学の配下を指揮下に加えるのに気が進まないからとの本音もあるが、あえて言葉にはしない。
「なるほど。こちらで何か支度できるものはありましょうか」
「雪に不慣れな常州者ばかりですからな。人数分の簑笠や藁沓、あとは雪避けの合羽などがあればありがたい。合羽はただの布切れで構いませぬ」
「では、使い古しの陣幕があるゆえ、それを切り分けて合羽といたしましょう」
移封に際して陣幕は新調したが、父の代に使っていた古い陣幕も何かに使えるかと思ってしまい込んでいたのが役に立つ、と長義が笑う。
「須田相州様の遺品とは、恐れ多いことにございますな」
図々しくねだっておきながら、いざとなると柄にもなく恐縮してしまうのが、車丹波という男である。
「なんの。父の魂がもし陣幕にも宿っておるようであれば、車殿と共に戦えることをきっと喜んでおるでしょう」
長義は爽やかに微笑んだ。
***
城内で手すきの人数が集められ、急ぎ陣幕を裁断して合羽とする準備が整えられた。
単に人数分に切り分けるだけでなく、長義の発案で、撥水のために貴重な蝋が惜しげもなく塗り込まれた。
余談ではあるが、会津は漆の実から採取した蝋を用いた蝋燭の産地の一つであり、須田長義が上杉景勝に蝋燭百挺を贈ったとの記録も残る。
一晩がかりで準備を整えた車勢三百は、翌日の夜明けを待ちかねるように梁川城を出立した。
幸い、吹雪に見舞われるようなことはなかったが、まともに戦さが出来るか、との不安を抱きながらの行軍となる。
「ここから南にひと山越えたところに月夜畑という集落があります。相馬勢はそこに入り込んでひと晩を過ごす目論みの様子」
夕暮れ近くになって、物見として先行していた善七郎が白い息を吐きながら戻ってきて報告する。
「どのあたりだ」
薄暗い中、絵地図を取り出して位置関係を確認した斯忠は舌打ちする。
思ったよりも近い。現在位置からは、直線距離で半里もない。
そして何より、その村こそ斯忠が今晩を過ごす目当てをつけていた場所だった。
雪中での野営の経験が乏しい斯忠らは、目ぼしい集落で一晩の宿を借りる形を取らざるを得ない。
出陣する人数を自前の兵に絞ったのは、それが理由の一つでもあった。
「相馬勢の数はどのぐらいとみた」
「家々に分かれて立てこもっているのでしかとは判りかねますが、上を見て四百程度ではないかと」
最初に相馬勢侵入を報せた物見の見立てでは、敵の数は五百から七百との話であったから、随分と過大に見積もっていたことになる。
もっとも、善七郎の観察眼に全幅の信頼を置く斯忠は、その数字を疑うつもりはない。
単純に考えて集落に家が四十あるとすれば、一つの家に十人ずつが潜り込んでいることになる。
住民を脅しつけて黙らせているにしても、それぐらいが限界だろうと斯忠も思った。
「敵の本陣の位置は判るか」
「村東の山裾に、高野槙の大木が前庭に聳える寺があります。その本堂を抑えているのが大将のようです」
ただし、大将の名を特定できるような旗印の類は見つけられなかったという。
「まともな軍勢じゃねぇんだろうな。率いているのも大将というより、盗賊の頭目あがりなのかもしれん」
「それで、如何いたしますか」
傍らから思案顔の左源次に問われ、斯忠も夕闇迫る曇天を見上げてしばし考えこむ。
今すぐ奇襲を仕掛ければ、夕餉の支度に取り掛かっているであろう相馬勢の不意を衝けるかもしれない。
しかし、雪山を走破してきた手勢は斯忠自身も含めてみな著しく疲労しており、ここは体勢を立て直しておきたい。
「村の名は月夜畑とか言ったな。一晩休んでから、その名前のとおり月夜の合戦といこうじゃねぇか」
「夜討ちですか」
左源次の問いかけに、斯忠は厳しい顔をして頷き返す。
夜討ちとはいうものの、夜討ち朝駆けとの言葉もあるように、実際には払暁の刻限を狙った攻撃となる。
奇襲を仕掛けられた敵が混乱している最中に夜が明けて、視界が確保されるのが望ましい。
真夜中の奇襲では同士討ちを起こしたり、逃げる敵を追い詰め損ねるなど、味方にも混乱を招きかねないのだ。
「善七、近くに野営できそうな場所があるか」
月夜畑を敵に抑えられている以上、別の場所を確保しなければならない。
手元の絵地図には、それらしい場所の名は記されていなかった。
「この先、少し進んだところに廃城がございます。ちょうど、このあたり」
善七郎が絵地図の一点、月夜畑の北西あたりに指を這わせた。さすがに城の名までは善七郎にも判らない。
廃城から月夜畑までの距離は、斯忠らの現在位置よりさらに近い。
「近すぎる気がしねぇでもないが、遠すぎても討ちかかるのに面倒になる。よし、そこに行ってみるとするか」
日が沈む前に到着しておきたい。
城跡であれば、相馬勢に気取られて攻め寄せられる事態になっても防ぎやすいのではないか。
それらの思案をまとめた斯忠は、すっぱりと決断して配下に声をかける。
小休止を終えた三百名は、やれやれといった調子で前進を再開した。
***
捨てられてから十年以上は経っていると思われた廃城には、本丸御殿や炭蔵など、いくつかの建物が崩れかけながらも残っていた。
もちろん住める状態ではないが、一晩だけ過ごす分には支障はないとみえた。
倒壊している建物の木材も薪代わりに使えそうだった。
「まあ、悪くねぇな、相馬勢も、わざわざ他人の家に押し入るぐらいなら、ここに腰を据えりゃ良かったのにな」
石垣が一部に残る城の縄張りを一通り見て回った斯忠は、満足気に顎鬚を撫でた。
地勢に明るくないのはお互い様だが、斯忠は運が向いていると感じた。
配下に命じ、野営の準備を進めさせる。
持参した腰兵糧をつかわせるとともに、交代で見張りにつく者、火を熾して番をする者などを手早く決めていく。
「野外で火を使うと、敵に気取られはせぬでしょうか」
左源次が心配げな声を出す。
「気づかれたらその時はその時だ。相馬勢も馬鹿じゃねえ。攻めてくるなり逃げ出すなりするだろう」
逃げられては手柄を挙げ損ねるが、追い払えるならそれでも構わないと斯忠は考えている。
そして廃城とはいえ、曲輪や堀切の形はまだ残っており、倍程度の敵が寄せてくるのなら守り切れる自信が斯忠にはあった。
一晩限りとはいえ、思いがけず「城主」になったことで、気が大きくなっていた。
城番ではなく、己が手に入れた城だ。
「寝ろったって寝られるもんじゃねぇが、明日は日の出前に斬り込みだ。出来るだけ体を休めろよ」
配下にそう声をかけて回った後、斯忠はかろうじて床が残る本丸御殿の広間に簑笠をつけたまま寝転がった。
***
夜明けも近い刻限。
不意に北風を背に現れた白い影の群れを発見し、村の端で不寝番に立っていた相馬勢の見張り達は驚愕した。
見張り達は、その影が敵襲かどうか見極めをつける前に、追い風を受けて飛来した弓矢を浴びて雪の中に次々倒れ伏す。
「かかれっ!」
斯忠は、低く押し殺した声で命じる。
簑笠の上に白い合羽を羽織った車勢三百が、無言のまま集落の家々に分かれて飛び込んでいく。
村人に危害を加えるつもりはないが、こうなってしまった以上、ある程度の犠牲はやむを得ないと斯忠は割り切っている。
犠牲を増やさないためにも、手早く済ませる他はない。
相馬兵より先に村人が飛び出してくることはないだろう、との読みを頼りに、斯忠も自ら手近な家の戸板を蹴破って室内に突入する。
薄暗い部屋の中で、住人たちが隅に追いやられ、相馬の兵が囲炉裏端に身を寄せ合っている光景が目に飛び込んできた。
慌てて刀を抜く者もいるが、切り結ぶ前に斯忠の太刀が相馬兵の首を刎ね飛ばしていた。
恐慌をきたした残りの相馬兵は家の外に逃げ出したが、斯忠の配下が追いすがって繰り出す手鑓に次々と突き倒されていく。
「よし、次は親玉を討つぞ」
相馬兵は想像以上に弱兵であり、怖気づいてまともな斬り合いにすらならない。
集落での掃討に概ね片がついたところで、斯忠は自ら四十名ほどを連れて、敵の大将が本陣を置く、高野槙の巨木が目印の寺に乗り込んだ。
先に敵の大将の首級を挙げる手もあったが、村人の犠牲を少なくすることを優先したのと、しょせん野盗の頭目ではその首にさほどの価値はないと踏んで後回しにしていたのだ。
相馬勢の大将も、さすがに寝たまま斯忠らの攻撃を受けるほど間抜けではなかったが、立ち遅れはいかんともしがたい。
斯忠が先陣を切って境内に突入したとき、本陣の警固に当たっていた兵以外には、甲冑を身に着けている者はほとんどいなかった。
斯忠は相馬兵の斬撃を左腕の籠手で弾きつつ、太刀を鋭く振るって、群がる敵を斬り倒していく。
やがて、相馬兵は組織的な反撃もままならないまま、這々の体で東に向けて敗走していった。
「よぉし、勝ったぞ!」
斯忠と配下があげる勝鬨が、薄日が射し込む山々の間にこだました。
***
後に月夜畑の戦いと呼ばれる戦いにおいて、相馬勢百五十名、伊達勢二百五十名が討死したと伝わる。
ただし、この数字はいささか過大であろう。
相馬家では、徳川家康に対して上杉を相手に戦った証拠として、この一戦における味方の手負討死について殊更に詳細に記録に残していたためだ。
穿った見方をすれば、改易を免れるべく「身を切って戦った」との体裁を整えて申し開きをするための捨て駒であり、斯忠はその策に乗せられただけとも言える。
もっとも相馬家の事情など、斯忠の預り知らぬ話である。
意気揚々と梁川城に帰還した斯忠は、さっそく須田長義に事の次第を報告する。
「お手柄でございましたな」
喜びの声で出迎えた長義だが、斯忠が名も知らぬ廃城を一夜の宿として夜討ちをかけたくだりになると、次第に神妙な表情になった。
「その廃城とは小手森城でござろう」
長義は小手森城について斯忠に説明する。
伊達政宗が天正十三年(一五八五年)に小手森城を攻め落とした際、城兵のみならず城内にいた者八百人を撫で斬りにした。
一説には、女子供から犬に至るまで殺しつくしたと伝わる。
その三年後、相馬義胤の誘いに応じた石川弾正なる将が政宗に反旗を翻して立てこもったが、政宗はおよそ五百人を討ち取り、再び攻め落とした。
「二度目の落城はともかく、八百人の撫で斬りは余りにもむごいものであってな。あの城には亡霊が出るとの噂が絶えず、地元の者はおいそれとは近づかぬ。相馬兵も当然それを知っており、廃城をねぐらにしようなどとは考えなかったのであろうな」
過去のいきさつをしみじみと語る長義を前に、斯忠は風邪がぶり返したような寒気を感じて身体を震わせた。
「道理で相馬の兵が、白い合羽を着た俺達をみて、亡霊に出くわしたように逃げ惑った訳だ。知らぬが仏たぁ、このことだ」
一月六日、浜通りと呼ばれる海側の一帯を領する相馬の手勢が、梁川城から南におよそ五里のところにある、糠田という地にまで入り込んだのだ。
須田長義は斯忠に断りを入れたうえで、斯忠が預かる元は横田大学の配下を物見に派遣した。
その一隊を率いた後藤新左衛門が相馬勢を発見し、これを撃退する武功を挙げた。
もっとも、血みどろの激戦の末に勝利を収めたといった話ではなく、相馬勢は後藤勢を見るや、まともに戦うことなく早々に退いたというのが実態である。
ともあれ、武功は武功である。
名目上とはいえ配下の活躍は喜ばしいことであったが、相馬が動いたという事実は重い。
もっとも、七月にも川俣城を伊達が急襲する際に領内の通行を黙認しており、佐竹に従って中立を装いつつも、実態は元々徳川寄りであったと言わざるを得ない。
そして、徳川家康との和睦交渉を進める最中に、こちらから領外に討って出ることは出来ない相談だった。
「和睦の意を示す上杉に今になって攻めてくるというのは、あくどい魂胆でございますな」
大学館の陣屋に話を伝えに来た左源次が憤慨する。
「徳川につくのに、手土産が欲しいんだろうな。勝敗が見えてから勝つ側につくのは見苦しいが、最後まで中立というのは、出処進退としてはそれよりなお劣る」
布団から身体を起こした斯忠も、相馬の立場を口にしつつ、内心では佐竹義宣の顔を脳裏に思い浮かべて渋い顔になる。
(お屋形様は、どうするつもりなんだろうな)
斯忠は、まだ顔も見ていない今の主君・上杉景勝ではなく、前の主君・佐竹義宣のことを思う。
三成が関ヶ原であえなく敗れたのは誤算であったが、だからといって上杉家に兵を向けるような義宣ではない。
これからどうするのだろうか、と余計な心配を募らせてしまう。
「佐竹のことより、今は上杉だ」
斯忠は咳払いをして答えの出ようもない思考をを打ち切る。
「聞いた話では、相馬はどうやら、野盗の類を手勢に仕立て上げて送り込んでおる様子。こりゃ、一度きりでは終わらぬと思われますな」
左源次の見立ては当たっていた。
一月二十日になって、上杉領に入り込んだ新たな相馬勢が警戒網にかかった、との報せが梁川城に飛び込んだ。
その情報を「非公式に」入手した善七郎が、密かに斯忠に伝える。
於きたから差し入れを受けた蝮酒が効いたのか、斯忠は既に床をあげている。
まだ時折しつこい咳が出るが、それもいずれ治まっていくだろう。
「どのへんだ」
斯忠は地名を言われても、咄嗟に位置関係が判らない。
絵地図を引っ張り出して、敵の動きを確認する。
「いま、このあたりかと。このまま西に進めば二本松に出るようですな」
傍らから絵地図を覗きこんだ善七郎が、指を滑らせて位置を指し示す。
相馬勢は、前回の糠田よりもさらに南側から上杉領に侵入し、ほぼ真西に向かって山中の間道を進んでいる様子だった。
梁川城が警戒すべき範囲としてはやや南に寄り過ぎであるが、この不埒な策動を見過ごしにはできない。
「二本松の城下に焼き討ちでも仕掛ければ、戦働きをしたと徳川に言い訳できる種が一つ増えますな」
善七郎とは反対側から絵地図を見ていた左源次が、したり顔で付け加える。
「相馬がどんな思惑か知ったこっちゃないが、好き勝手されて黙っちゃいられねぇな」
斯忠は自らを鼓舞するように膝を叩いて立ち上がった。
***
「わたしが行って、ひとつ蹴散らしてまいりましょう」
本丸の書院にて、斯忠は長義に膝詰めの直談判に臨んでいた。
「耳が早いですな。相馬勢を見過ごしには出来ませぬが、車殿は床上げしたばかり。大事ございませぬか」
長義は、情報の出どころを詮索することもなく、真っ先に斯忠の体調を心配してくれた。それが斯忠には嬉しい。
「おかげ様で。於きた殿より差し入れていただいた蝮酒がずいぶんと効いたとみえます。快気祝い代わりに、どうか出陣をお許しくだされ」
斯忠はことさらに胸を張ってみせる。
喋っているうちに咳払いが出そうになるのをぐっと堪える。
「ほう、於きた殿がそのような……。本復されたとなれば重畳。ならば、お任せしてよろしいか」
表情を緩ませた長義は、さほど迷う様子もなく決断を下した。
先日も組外衆を物見に出したように、城の守りを第一に考える限り、本来の城兵は動かしづらい。斯忠が兵を出してくれるのであればありがたいのだろう。
ともあれ、この潔さも斯忠の目には好ましいものと映る。
「ありがたき幸せ。手勢三百の支度が整い次第、出陣いたします」
「物見は敵勢は五百から七百と報せてきております。三百では少ないのでは」
懸念を示す長義に、斯忠は首を振る。
「勝つ必要はございませぬからな。相馬勢とは言うものの、まっとうな軍勢ではなく野盗をそれらしく仕立てておるだけとの話。ならば、元より正面切った戦さをするつもりはないと思われます」
本腰を据えた戦さにしたくないのは、相馬も同じ。ならば素早く一撃を与えれば、相馬勢は早々に引き上げるであろう、との観測を斯忠は付け加える。
内心では、横田大学の配下を指揮下に加えるのに気が進まないからとの本音もあるが、あえて言葉にはしない。
「なるほど。こちらで何か支度できるものはありましょうか」
「雪に不慣れな常州者ばかりですからな。人数分の簑笠や藁沓、あとは雪避けの合羽などがあればありがたい。合羽はただの布切れで構いませぬ」
「では、使い古しの陣幕があるゆえ、それを切り分けて合羽といたしましょう」
移封に際して陣幕は新調したが、父の代に使っていた古い陣幕も何かに使えるかと思ってしまい込んでいたのが役に立つ、と長義が笑う。
「須田相州様の遺品とは、恐れ多いことにございますな」
図々しくねだっておきながら、いざとなると柄にもなく恐縮してしまうのが、車丹波という男である。
「なんの。父の魂がもし陣幕にも宿っておるようであれば、車殿と共に戦えることをきっと喜んでおるでしょう」
長義は爽やかに微笑んだ。
***
城内で手すきの人数が集められ、急ぎ陣幕を裁断して合羽とする準備が整えられた。
単に人数分に切り分けるだけでなく、長義の発案で、撥水のために貴重な蝋が惜しげもなく塗り込まれた。
余談ではあるが、会津は漆の実から採取した蝋を用いた蝋燭の産地の一つであり、須田長義が上杉景勝に蝋燭百挺を贈ったとの記録も残る。
一晩がかりで準備を整えた車勢三百は、翌日の夜明けを待ちかねるように梁川城を出立した。
幸い、吹雪に見舞われるようなことはなかったが、まともに戦さが出来るか、との不安を抱きながらの行軍となる。
「ここから南にひと山越えたところに月夜畑という集落があります。相馬勢はそこに入り込んでひと晩を過ごす目論みの様子」
夕暮れ近くになって、物見として先行していた善七郎が白い息を吐きながら戻ってきて報告する。
「どのあたりだ」
薄暗い中、絵地図を取り出して位置関係を確認した斯忠は舌打ちする。
思ったよりも近い。現在位置からは、直線距離で半里もない。
そして何より、その村こそ斯忠が今晩を過ごす目当てをつけていた場所だった。
雪中での野営の経験が乏しい斯忠らは、目ぼしい集落で一晩の宿を借りる形を取らざるを得ない。
出陣する人数を自前の兵に絞ったのは、それが理由の一つでもあった。
「相馬勢の数はどのぐらいとみた」
「家々に分かれて立てこもっているのでしかとは判りかねますが、上を見て四百程度ではないかと」
最初に相馬勢侵入を報せた物見の見立てでは、敵の数は五百から七百との話であったから、随分と過大に見積もっていたことになる。
もっとも、善七郎の観察眼に全幅の信頼を置く斯忠は、その数字を疑うつもりはない。
単純に考えて集落に家が四十あるとすれば、一つの家に十人ずつが潜り込んでいることになる。
住民を脅しつけて黙らせているにしても、それぐらいが限界だろうと斯忠も思った。
「敵の本陣の位置は判るか」
「村東の山裾に、高野槙の大木が前庭に聳える寺があります。その本堂を抑えているのが大将のようです」
ただし、大将の名を特定できるような旗印の類は見つけられなかったという。
「まともな軍勢じゃねぇんだろうな。率いているのも大将というより、盗賊の頭目あがりなのかもしれん」
「それで、如何いたしますか」
傍らから思案顔の左源次に問われ、斯忠も夕闇迫る曇天を見上げてしばし考えこむ。
今すぐ奇襲を仕掛ければ、夕餉の支度に取り掛かっているであろう相馬勢の不意を衝けるかもしれない。
しかし、雪山を走破してきた手勢は斯忠自身も含めてみな著しく疲労しており、ここは体勢を立て直しておきたい。
「村の名は月夜畑とか言ったな。一晩休んでから、その名前のとおり月夜の合戦といこうじゃねぇか」
「夜討ちですか」
左源次の問いかけに、斯忠は厳しい顔をして頷き返す。
夜討ちとはいうものの、夜討ち朝駆けとの言葉もあるように、実際には払暁の刻限を狙った攻撃となる。
奇襲を仕掛けられた敵が混乱している最中に夜が明けて、視界が確保されるのが望ましい。
真夜中の奇襲では同士討ちを起こしたり、逃げる敵を追い詰め損ねるなど、味方にも混乱を招きかねないのだ。
「善七、近くに野営できそうな場所があるか」
月夜畑を敵に抑えられている以上、別の場所を確保しなければならない。
手元の絵地図には、それらしい場所の名は記されていなかった。
「この先、少し進んだところに廃城がございます。ちょうど、このあたり」
善七郎が絵地図の一点、月夜畑の北西あたりに指を這わせた。さすがに城の名までは善七郎にも判らない。
廃城から月夜畑までの距離は、斯忠らの現在位置よりさらに近い。
「近すぎる気がしねぇでもないが、遠すぎても討ちかかるのに面倒になる。よし、そこに行ってみるとするか」
日が沈む前に到着しておきたい。
城跡であれば、相馬勢に気取られて攻め寄せられる事態になっても防ぎやすいのではないか。
それらの思案をまとめた斯忠は、すっぱりと決断して配下に声をかける。
小休止を終えた三百名は、やれやれといった調子で前進を再開した。
***
捨てられてから十年以上は経っていると思われた廃城には、本丸御殿や炭蔵など、いくつかの建物が崩れかけながらも残っていた。
もちろん住める状態ではないが、一晩だけ過ごす分には支障はないとみえた。
倒壊している建物の木材も薪代わりに使えそうだった。
「まあ、悪くねぇな、相馬勢も、わざわざ他人の家に押し入るぐらいなら、ここに腰を据えりゃ良かったのにな」
石垣が一部に残る城の縄張りを一通り見て回った斯忠は、満足気に顎鬚を撫でた。
地勢に明るくないのはお互い様だが、斯忠は運が向いていると感じた。
配下に命じ、野営の準備を進めさせる。
持参した腰兵糧をつかわせるとともに、交代で見張りにつく者、火を熾して番をする者などを手早く決めていく。
「野外で火を使うと、敵に気取られはせぬでしょうか」
左源次が心配げな声を出す。
「気づかれたらその時はその時だ。相馬勢も馬鹿じゃねえ。攻めてくるなり逃げ出すなりするだろう」
逃げられては手柄を挙げ損ねるが、追い払えるならそれでも構わないと斯忠は考えている。
そして廃城とはいえ、曲輪や堀切の形はまだ残っており、倍程度の敵が寄せてくるのなら守り切れる自信が斯忠にはあった。
一晩限りとはいえ、思いがけず「城主」になったことで、気が大きくなっていた。
城番ではなく、己が手に入れた城だ。
「寝ろったって寝られるもんじゃねぇが、明日は日の出前に斬り込みだ。出来るだけ体を休めろよ」
配下にそう声をかけて回った後、斯忠はかろうじて床が残る本丸御殿の広間に簑笠をつけたまま寝転がった。
***
夜明けも近い刻限。
不意に北風を背に現れた白い影の群れを発見し、村の端で不寝番に立っていた相馬勢の見張り達は驚愕した。
見張り達は、その影が敵襲かどうか見極めをつける前に、追い風を受けて飛来した弓矢を浴びて雪の中に次々倒れ伏す。
「かかれっ!」
斯忠は、低く押し殺した声で命じる。
簑笠の上に白い合羽を羽織った車勢三百が、無言のまま集落の家々に分かれて飛び込んでいく。
村人に危害を加えるつもりはないが、こうなってしまった以上、ある程度の犠牲はやむを得ないと斯忠は割り切っている。
犠牲を増やさないためにも、手早く済ませる他はない。
相馬兵より先に村人が飛び出してくることはないだろう、との読みを頼りに、斯忠も自ら手近な家の戸板を蹴破って室内に突入する。
薄暗い部屋の中で、住人たちが隅に追いやられ、相馬の兵が囲炉裏端に身を寄せ合っている光景が目に飛び込んできた。
慌てて刀を抜く者もいるが、切り結ぶ前に斯忠の太刀が相馬兵の首を刎ね飛ばしていた。
恐慌をきたした残りの相馬兵は家の外に逃げ出したが、斯忠の配下が追いすがって繰り出す手鑓に次々と突き倒されていく。
「よし、次は親玉を討つぞ」
相馬兵は想像以上に弱兵であり、怖気づいてまともな斬り合いにすらならない。
集落での掃討に概ね片がついたところで、斯忠は自ら四十名ほどを連れて、敵の大将が本陣を置く、高野槙の巨木が目印の寺に乗り込んだ。
先に敵の大将の首級を挙げる手もあったが、村人の犠牲を少なくすることを優先したのと、しょせん野盗の頭目ではその首にさほどの価値はないと踏んで後回しにしていたのだ。
相馬勢の大将も、さすがに寝たまま斯忠らの攻撃を受けるほど間抜けではなかったが、立ち遅れはいかんともしがたい。
斯忠が先陣を切って境内に突入したとき、本陣の警固に当たっていた兵以外には、甲冑を身に着けている者はほとんどいなかった。
斯忠は相馬兵の斬撃を左腕の籠手で弾きつつ、太刀を鋭く振るって、群がる敵を斬り倒していく。
やがて、相馬兵は組織的な反撃もままならないまま、這々の体で東に向けて敗走していった。
「よぉし、勝ったぞ!」
斯忠と配下があげる勝鬨が、薄日が射し込む山々の間にこだました。
***
後に月夜畑の戦いと呼ばれる戦いにおいて、相馬勢百五十名、伊達勢二百五十名が討死したと伝わる。
ただし、この数字はいささか過大であろう。
相馬家では、徳川家康に対して上杉を相手に戦った証拠として、この一戦における味方の手負討死について殊更に詳細に記録に残していたためだ。
穿った見方をすれば、改易を免れるべく「身を切って戦った」との体裁を整えて申し開きをするための捨て駒であり、斯忠はその策に乗せられただけとも言える。
もっとも相馬家の事情など、斯忠の預り知らぬ話である。
意気揚々と梁川城に帰還した斯忠は、さっそく須田長義に事の次第を報告する。
「お手柄でございましたな」
喜びの声で出迎えた長義だが、斯忠が名も知らぬ廃城を一夜の宿として夜討ちをかけたくだりになると、次第に神妙な表情になった。
「その廃城とは小手森城でござろう」
長義は小手森城について斯忠に説明する。
伊達政宗が天正十三年(一五八五年)に小手森城を攻め落とした際、城兵のみならず城内にいた者八百人を撫で斬りにした。
一説には、女子供から犬に至るまで殺しつくしたと伝わる。
その三年後、相馬義胤の誘いに応じた石川弾正なる将が政宗に反旗を翻して立てこもったが、政宗はおよそ五百人を討ち取り、再び攻め落とした。
「二度目の落城はともかく、八百人の撫で斬りは余りにもむごいものであってな。あの城には亡霊が出るとの噂が絶えず、地元の者はおいそれとは近づかぬ。相馬兵も当然それを知っており、廃城をねぐらにしようなどとは考えなかったのであろうな」
過去のいきさつをしみじみと語る長義を前に、斯忠は風邪がぶり返したような寒気を感じて身体を震わせた。
「道理で相馬の兵が、白い合羽を着た俺達をみて、亡霊に出くわしたように逃げ惑った訳だ。知らぬが仏たぁ、このことだ」
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