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(二十一)最上攻め

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 徳川勢は西に去り、伊達勢もすぐには攻めてきそうもない。

 そんな噂が梁川城内に広がると、張りつめていた緊張の糸が切れ、弛緩した空気が流れるようになるまで、時間はかからなかった。

 最上攻めに向かう味方のことを思えば、気を抜いている場合ではない。

 だが、最前線の境目の城としての重圧から解放された以上、ある程度はやむを得ないのかも知れなかった。

 於きた率いる女中衆は、相変わらず城内を見回り、だらけた様子の兵を見つけては叱咤して回っているらしい。

 だが、彼女たちはなぜか大学館に近づく様子がない。

「俺たちの戦意に不足がないと思ってくれてるんならいいが。……よもや、避けられている訳でもないだろうが」
 首を傾げる斯忠つなただだが、当人と会えない以上、真偽のほどを確かめることもできない。

 加えて、白石城を確保した伊達が新たな動きをみせないためか、城内にいる筈の内応者も尻尾をみせない。

 それらしき相手の目星もつけられないまま、いたずらに日数だけが経過していた。

 斯忠がどうにも落ち着かない気分でいたところ、福島城の岡佐内から近況を知らせる書状が届いた。

「思えば、ろくすっぽ挨拶も出来ないまま福島城を出てきちまったからな。すまねえことをした」
 斯忠は、書状の向こうにいる岡佐内を思い浮かべつつ手を合わせて謝意を示し、中をあらためる。

 増援として派遣されていた組外衆のうち、上杉泰綱、直江兼続、山上道牛といった面々が兼続配下の本村親盛ともども最上攻めに動員され、城内には岡佐内ほか、わずかな人数しか残っていないと記されていた。

 岡佐内が居残り組になった理由は書状には書かれていなかったが、蒲生旧臣であることも関係しているかもしれない、と斯忠は思う。

 旧主である蒲生氏郷は、会津を召し上げられた伊達政宗が画策した一揆に手を焼いた因縁があり、犬猿の仲と称して差し支えないほどの間柄であったからだ。

 佐内が敵愾心をもって戦える相手という点で、最上より伊達と対峙させたいと判断されても不思議ではない。

 書状は、梁川城の状況について差し支えない範囲で報せて欲しい、と結ばれていた。

 斯忠は、「たとえ自分が討たれたとしても、預かった給金は必ず引き渡す」と胸を張った佐内の顔を思い起こす。

 友というよりは商売相手というべき間柄ではあるが、福島城に岡佐内がいてくれることは物心両面で心強いものがあった。

「岡殿は、自分が出陣組から外されてくさってるのかねぇ。いや、梁川城の内情を知るのも、儲け話につながってるのかも知れねぇな」
 他人より早く確かな情報を掴むことの重要性は、戦さでも商売でも同じなのかもしれない。

 そんなことを思いながら斯忠は早速文机に向かって筆をとり、伊達の動きが見られないことや、自分のところにも出陣の命令は届かなかったことなどを簡単に書き記す。

「筆頭家老様は、伊達が攻めてくることはないと見切ってるのかね」

 書状を託した善七郎を送り出した後、自らが普請に携わった曲輪から北の空を眺め、やりきれない思いで嘆息する斯忠であった。

***

 九月九日に米沢を出陣し、最上領に侵入した直江兼続率いる上杉勢およそ二万は、六つの攻め口から最上領に討ち入れた。

 なお、最上攻めに参加する将兵の多くは、主戦力が徳川方の万が一の動きに備えて動かせない中、どうにかひねり出された戦力である。

 大身の武将は少なく、悪く言えば寄せ集めの二線級である。

 いきおい、上泉泰綱をはじめとする組外衆の働きに期待がかかる。

 兼続が自ら率いる本軍は、萩野中山口から境目の城である畑谷城に猛攻を仕掛けて、十三日にはこれを攻め落とした。

 最上方は、城主の江口五兵衛光清以下三百五十名が討たれ、鶴ヶ城に送られた首級は湯川河原に晒された。

 その後も、鳥谷ヶ盛砦、左沢城、八ツ沼城、谷地城、白岩城といった城塞が次々と陥落すると、最上の城兵は勝ち目がないとばかりに城を捨てて山形城に逃げ去る例が目立ち始めた。

 兼続は国境での勝利に浮かれることなく、間を置かずにさらに北に軍勢を進め、十五日には長谷堂城を囲ませた。

 十九日には兼続自身も、長谷堂城の四半里ほど北にある菅沢山に着陣する。

 この菅沢山からは、一里半ほど北東にある最上義光の居城・山形城を望見できる位置にあり、まさしく兼続は義光の喉元に刃を突き付ける格好となった。

 ここで上杉方には、長谷堂城を強襲して攻め落とすか、包囲に必要な兵を残して主力をさらに北進させて山形城を衝くか、二つの選択肢があった。

 兼続が取ったのは前者だった。

 激しい攻撃が加えられたが、意に反して、長谷堂城主の志村伊豆守光安は一歩も引かぬ果敢な戦さぶりを示した。
 一千の城兵も光安の采配によく従った。

 激しい抵抗を見せる城兵を上杉勢も攻めあぐね、長谷堂城は陥落する気配をみせないまま、日数だけが経過していった。

 これらの戦況は、三日と開けずに戦線から送り出された使番が福島城に駆け込んで報せていた。

 梁川城にも福島城からの使番により、数日遅れの情報が伝わる。

 長義は、当初は使番が到着する度に軍評定を開いていたが、いつしか使番の報せの有無に関わらず、毎日定刻に開くようになった。

 新たな情報があればその内容をもちろん伝えるが、なにも報せがないときも、その旨を諸将にそのまま伝えるように方針を定めた様子だった。

 斯忠たちは、毎日の軍評定で新たな報せに接する度に一喜一憂する。

 一方で、最新の情勢をいちはやく知りたいあまり、軍評定の場以外で長義に詰め寄る真似は誰もしなくなっていた。

「若いのに、しっかりしたもんだ」
 斯忠は長義の差配に感心するが、伝えられる肝心の戦況には表情を曇らせることが多くなった。

 九月十七日には、上山城攻めに向かった本村親盛が反撃を受けて討死。

 さらに二十九日には、長谷堂城の力攻めの際に組外衆の頭というべき上泉泰綱が討たれた。

 七月に伊達勢が上杉領内に乱入した際には、強硬派として出陣し、勇戦していた男達だ。

 彼らの死は、上杉方の苦戦を如実に示していた。

 戦意不足を疑われたことを契機に斯忠との折り合いが悪くなっていた相手であるが、既に二人がこの世の人でないと聞かされては、斯忠としても肩を落とさざるを得ない。

 兼続に対して、虫が好かないとの思いがあるのは確かだが、合戦に負けてしまえばよいなどとは考えていない。

 首尾よく兼続に最上の本拠を攻め降してもらわねば、斯忠自身の先の展望も描きようがないからだ。

「攻めあぐねている訳ではないと思いますがね。最上出羽侍従も、長谷堂城が奮戦していると聞けば無駄にしないために後詰に出てくるでしょうし。この軍勢と野戦で雌雄を決するため、直江様は敢えて擬態をしているのでは」

 相変わらず兼続贔屓の嶋左源次は、いっぱしの兵法家気取りで、苦戦しているようにみえるのは策のうちだとの見解を示す。

「だったらいいがな」
 斯忠は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 左源次の小賢しい物言いが癪に障るが、やはり頭をはたく気になれない。

***

 二十二日には、最上義光の援軍要請を受けて出陣した伊達勢が、小石川にまで進出してきた。

 山形城の最上義光も城を出て菅沢山を睨む形で須川まで前進してきたものの、左源次が予測したような、直江勢を相手どった決戦には至らなかった。

 そして十月に入るや、既に九月十五日に美濃と近江の国境の関ヶ原と呼ばれる場所で徳川方と石田方の間で大きな合戦があり、石田三成は大敗を喫してその軍勢は四散した、との噂が梁川城内で囁かれるようになっていた。

 ただし、長義が開く軍評定で示された確報ではなく、どこが出所とも知れぬ風聞である。

 於きた率いる女中衆が、城兵に対して流言に惑わされないよう叱咤して回っているが、さほどの効果はみられなかった。

 残念ながら風車衆の規模では、上方の情勢を探るための人員を割く余裕はなく、耳に入る噂話の真偽を確かめるすべはない。

「はっきりしたことが判るまで、じたばたしたってしょうがねえ」
 斯忠はそう嘯いて、いずれ福島城の本庄繁長から須田長義に告げられるであろう公式な報せを待つ。

 十月四日以降になって、いよいよ情勢が明らかになった。

「我が方の軍勢は最上攻めを切り上げて、荒砥まで兵を退いたとの報せが届いておる」
 長義が、主だった将を広間に集めた軍評定の場で告げたのだ。

 それはつまり、直江兼続が石田三成敗北を事実と認め、最上を責めている場合でなくなったということに他ならない。

 斯忠のみならず、居並ぶ諸将から声にならないため息が漏れる。

 兼続は困難な撤退を見事に成功させたとして、参陣した諸将から称賛を受けたという。

 ただし、福島城を介しての情報であるから、どうしても誰かしらの主観が混じる。

 兼続贔屓の評が、またしても斯忠には不満である。

 前田慶次こそ無事帰還したものの、山上道牛が撤退の最中に討たれたと聞けば、果たして見事な退き陣と賛辞を送れるか疑問に思うからだ。

「敵の本拠に指一本触れられないまま逃げ帰って、それで逃げっぷりの良さで褒められるなんて話は、ちゃんちゃらおかしいね」
 その放言は、筑紫修理亮をはじめとする数名からは睨まれた。

 日頃は斯忠に馴れ馴れしいまでに好意的な横田大学も、さすがに呆れて眉をひそめている。

 しかし、これしきの白眼視にはひるまないのが、車丹波という男である。

 斯忠に言わせれば、関ヶ原で三成が敗れたからといって、兼続が泡を喰って逃げ戻ってこなくてもよいのだ。

 それでは、敗れたとはいえ死力を尽くして戦い、徳川勢に打撃を与えた石田三成が気の毒でさえある。

 徳川方は天下分け目など称される大合戦に勝利したとはいえ、いや、勝利したからこそ、付き従う大名諸将は続けて上杉征伐の続きをやり直したいなどとは思ってもいないに違いない。

 彼らは一度は軍勢を解散し、体勢を立て直す必要がある。

 そうなれば、既に冬が近づく時期となった今、雪に慣れぬ温暖な地から引き連れた大軍を北国に投入することはためらわれる。

 つまり家康が軍勢を再び興すのは翌春に持ち越される公算が高く、まだ時間の余裕はある。

 その間に、最上義光を攻め続けて降伏に追い込む。

 次いで、西と南の二方向から伊達政宗を圧迫して北へと追い払う。

 さらには会津からの街道を打通した越後との連絡を密にして、一揆を後押しして味方につける。

 冬の間にそれらの策が奏功すれば、翌春には相当な戦力を確保できる。

 佐竹家を引きこむことだって、あきらめるのはまだ早い。
 
 どちらにも与しない中立などというのは、結局はどちらからも恨まれるものなのだ。

 家康が短期に西軍を打ち砕いたことは佐竹義宣にとっても誤算に違いなく、手を結べぬと決まったものではない
 などといった策を言い募った斯忠であるが、諸将の反応は鈍い。

「車殿の仰る策にもみるべき理はござろう。されど、我等が策を決められるものではありませぬからな」
 残念そうにそう告げる須田長義の言葉が、評価のすべてだった。

 軍評定を終えて大学館の陣屋に戻った斯忠は、憤懣やるかたない表情で、同じ話を今度は嶋左源次を相手に延々とぶちあげる。

「それは、いさささか野放図に過ぎる策じゃないんですかね」
 聞き終えた左源次は、苦笑しながら言葉を濁す。

 兵法に心得があると自称する左源次には、斯忠の考えは自分に都合よく描きすぎに思われたのだろう。

「俺も、ここまで全部上手く行くとは思わねぇよ。けどよ、筆頭家老様はあれほど自信満々に指図してきたんだからなあ。まっ、策に溺れてこそ策士ってことなのかも知れねえが」
 勢い任せに直江兼続に対する憎まれ口をたたいてみるが、斯忠は己の身の振り方も考えざるを得ない。

 徳川勢を追い討ちせず、石田三成を見殺しにし、最上領を寸土も確保できないまま守りに入ろうとする上杉に、もはや挽回の術があるとは思われない。

 この状況では、会津の地で万石取りの大身となる目論みは夢に終わりそうだった。

 それどころか、上杉の家臣として残れるものかどうかも判らない。

 そしてなにより、こんな状況下で伊達政宗が黙っている筈もない。

 事実、長義が放った物見が、北目城を出た伊達勢の主力が白石城よりさらに南の線に押し出すそうとする動きを報じてきた。

 今のうちに、梁川城のみならず、あわよくば福島城までも攻め落として己の版図に加えたいとの野望は明らかである。

 梁川城内に緊張が走った。
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