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(二十)小山評定

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 梁川城に入城した斯忠つなただは、案の定と言うべきか、未完成であった北三の丸と呼ばれる曲輪の普請を手伝うことになった。

「どこに行ってもこれかよぉ」
 配下からは、当然ながらそんな愚痴を漏らす声が聞こえる。

「ここが踏ん張りどころじゃねぇか。気合を入れていけ。伊達はすぐにでもやってくるぞ」
 一方、斯忠は大いに張り切っていた。

 もちろん、伊達勢の攻撃を凌ぐために、普請が未了のまま残しておけないのは当然である。

 しかしそれ以上に連日、普請場に顔を見せる於きたと女中衆の存在が斯忠を奮起させていた。

 決してしなをつくって優しい言葉を掛けてくれるわけではない。

 むしろ、わずかな懈怠も見逃すまいといった風情で、鋭い視線で斯忠らの働きぶりを見つめている。

 もっとも、白銀の甲冑を身に着けて福島城まで須田長義の供をしたことを知られた斯忠に対してだけは、目が合ったとたんに慌てて顔をそむけてしまう。

 なぜ、於きたがあのような行動を取っていたのか。本人から聞き出すのは難しそうだったし、秘密にするとの約束を違える気もない。

 いくらつれない態度を取られようとも、自分だけが於きたの秘密を知っているとの事実に思いを馳せると、なぜか心弾むものがあった。

 「俺達が討ち負けて、於きた殿を危険に晒す訳にはいかねぇ」と考えるだけで、普段より身体に力がみなぎる気がするのが、車丹波という男である。

 於きたが顔を見せるたび、明らかに浮かれる斯忠の様子に半ば呆れながらも、配下たちもつられるように仕事を捗らせていく。

 程度の差こそあれ、女の前で無様な真似はみせられないという思いはみな同じだった。

 彼らの働きぶりは、さらに領民を巻き込む形で広がり、数日後には濠と大がかりな土塁の普請はほぼ完了した。

「車殿の働きのお陰で、立派に出来上がりましたな」
 検分を終えた須田長義は、嬉しそうな表情を見せて斯忠に頭を下げる。

「急ごしらえですが、なんとか形になり申した。好き好んでという訳でもないですが、神指城に福島城と、土運びばかりやっていたもんで、すっかり手馴れてしまいましたよ」

 相手が年少ということもあってか、福島城にて普請の出来栄えを見て回る本庄繁長の供をした時よりも、斯忠には随分と余裕があった。

 なんだか東に移るにつれて普請の規模が小さくなっているな、などと斯忠は考えている。

「……されど本音では、伊達に攻めてきてもらいたい訳ではない。その意味では、この普請が無駄になるのが、本当は一番であるやもしれぬ。こう申しては、車殿には気の毒であるが」
 北の空に目を向けた長義が、ふと表情を曇らせる。

「いやまあ、伊達が仕掛けてくる前に間に合うたのは幸いと思うておりましたが。言われてみれば、何も動きがないのも妙ですな」
 斯忠が首を傾げると、長義は周囲を伺うようなそぶりをみせた。

「なにかあるんで?」

「実は、まだ確たる証がないため皆には告げておらぬが、聞き捨てならぬ話が届いておりましてな」
 小声で切り出した長義は、思いもよらぬ話を口にした。

 白石城陥落の翌日でもある七月二十五日には、白河口から南に二十里ほどの下野国小山まで進出していた徳川家康だったが、石田三成が畿内において挙兵したとの報を受けて兵を止めた。

 その後、諸将を集めたうえで石田三成打倒を優先するため会津征伐を中止して、反転を命じたのだという。

 後世にいう「小山評定」である。

「それならば、追い討ちをかける好機では。……七月の、二十五日ですと?」
 思わず勇み立った斯忠は、大声になりそうなところをぐっとこらえる。

 すでに八月も十日になろうとしている。

 大規模な合戦があったとすれば、そんな重大事が風聞でも未だ聞こえてこない筈がない。

 嫌な予感がしたが、果たして長義は首を横に振った。

「どうやらお屋形様は追撃を行わなかった様子。佐竹も動いてはおらぬようじゃ」

「なんと、それではみすみす長蛇を逸したと……」
 斯忠の肩にこもった力が抜ける。

 未だ、斯忠には主君の上杉景勝に目通りする機会が訪れない。

 そのため、その性分は人づてに聞いたものしか知らないため、どのような考えで追撃を断念したのか、想像することも難しい。

 ただ、義を重んじる武将であった先代の上杉謙信を大いに尊敬し、その後継者として恥じぬ存在であろうと努めている、との話は耳にしている。

 まさか、そんな主君が目の前に迫った敵が去ったことに安堵して、戦意を鈍らせたなどとは考えにくい。

 ましてや、和睦を結んだわけでもないのに、上方にて争乱が起こったから会津は安泰だなどと判断するほど甘い考えの持ち主でもあるまい。

 追い討ちを行わないとの判断が上杉景勝によるものか、例によって直江兼続によるものなのかは判らない。

 しかし、どちらが決断したにしろ失望を禁じ得なかった。

「梯子を外された伊達政宗が狼狽る様が目に浮かぶようじゃ」
 不穏な考えを脳裏に巡らせていた斯忠は、長義の吹っ切れたような言葉に我に返る。

 伊達勢が動きを見せなかったのは、徳川方の反転を既に知っているからだと、遅ればせながら斯忠も気づく。

「左様ですな。白河口から徳川の軍勢が退いたとなれば、我等は後詰が期待できる訳ですからな」
 家康の背後を衝かないのであれば、上杉は伊達に占領された白河城の奪還に動く事になるだろうと斯忠は予測した。

 今のうちに伊達をしたたかに叩いて背後を固められるのであれば、いずれ徳川家康が再度戻ってきても、より多くの戦力で迎え撃てる。

 斯忠は気を取り直して、間近に迫った合戦を想像した。

***

 しかし、数日の後に直江兼続から届いたのは、次なる戦さは最上攻めに決したとの報であった。

「千載一遇の機会を何故見逃したのかといえば、要するに、上杉は越後に帰りたいのか……」
 本丸御殿での軍評定でその事実を聞かされた斯忠は、大学館の陣屋に戻り、呆然とした面持ちで呟く。

 文机の上に紙を広げ、ミミズがのたくったような、という比喩そのものの下手くそな絵図を描いた。改めて位置関係を確認するためである。

 上杉百二十万石と一口に称するが、その内情は会津、仙道、米沢の他、庄内および佐渡島は飛び地となっている。

 そして会津と庄内を隔てる最上領である出羽山形の地は、上杉旧領の越後とも通行を妨げる位置にある。

 越後では、会津に同行しなかった上杉旧臣が一揆を起こし、新たな領主となった堀家を悩ませているという。

 最上領を奪って庄内と地続きとなり、さらに故地である越後とも往来が可能になれば、上杉家は現在の百二十万石に越後一国と最上領を単に足し算した以上の一大勢力となる。

「直江様は軍略家ですな。いや、これこそ上杉のお屋形様のご決断かも知れませぬが」
 横から地図を覗きこんだ嶋左源次は好意的に解釈するが、斯忠は納得できない。

「引き上げる徳川勢を追い討つのが義に反する、ってえのは百歩譲って頷いたとしてもな。だからって徳川という柱を外されて度を失っている最上領に押し入ることの、どこに義があるってんだ」

 この頃には、徳川勢の追撃を主張した直江兼続に対し、いつもは異を唱えたことのない上杉景勝が、敵の背後を討つのは義に反するとして頑として応じなかった、という噂がまことしやかに城中で囁かれていた。

 それゆえ、斯忠は最上攻めが義に叶うとはどうにも思えなかったのだ。

「それがし思いますに、直江様はこの戦さがおおいに長引くと踏んでおるのでは。東西手切れとなれば、かの小牧長久手の折の事も当然お考えにあるでしょうし」

 天正十二年(一五八四年)に、徳川家康が当時は羽柴と名乗っていた豊臣秀吉と対峙した小牧長久手の戦いは、半年以上の長きに及んだ。

 その間、羽柴秀次を大将とする中入り策を見破った徳川家康が池田恒興、森長可といった羽柴方の有力武将を討ち取る一幕もあったが、ほとんどの期間はにらみ合いに終始した。

 その再現になるのではないか、と左源次は言っていた。

「ふん、あの時とは状況が違うぜ。石田も徳川も、どっちも溶けかけた雪玉を握りしめてるようなもんだ。早くぶつけなけりゃ手の中で消えてなくなっちまわぁ」
 鼻を鳴らした斯忠が、手をひらひらと振って否定する。

 斯忠に言わせれば、強引に上杉の非を言い立てて兵を率いて乗り込んできた家康が、石田三成を討つためにその兵を用いるのは理屈にあわない。

 一方で、形式上は豊臣家から正式に上杉討伐を命ぜられた立場にある家康を逆族とみなして討とうとする三成にも、さしたる理屈はない。

 要するに、どちらも勢いに任せて理屈の通らないことをやっている訳で、雪玉のように握り込まれた軍勢が長持ちするはずがない、というのが斯忠の考えだった。

「家臣になった訳でもないのに、いつまでも命令されたんじゃたまらねぇ。そんなことは、どっちの大将も判り切ってるんだ。だったらさっさと勝負する以外にねぇだろ」

「雪玉の例えは面白うございますな」
 左源次はやけに斯忠の例え話を面白がって笑い声をあげた。

「まったく、呑気な野郎だな」
「あ痛ぇ」

 いつものように、左源次の額目掛けて指をはじく斯忠だった。
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