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(十二)上杉征伐
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懸案であった給金に関する懸念がひとまず解決し、さらには戦さが近いことを確信した斯忠は、来るべき時を待ちながら神指城の普請に励んだ。
もっとも、五百名の配下全員が、気持ちよく働いているとは限らない。
会津入り以来、力仕事の過酷さに音を上げたり、兵として雇われながら来る日も来る日も人足として使われる現実に不満を抱いたり、体調を崩して働けなくなった者などが致仕を申し出た。
脱落者をなるべく出さないように尽力してきたつもりの斯忠としては、残念ではあるが、期待外れの待遇と言われれば返す言葉もない。
岡佐内に預けていた当人分の給金を引き出して手渡し、「達者で暮らせよ」と見送ることしか出来なかった。
その一方で、遅ればせながらお役に立ちたい、と常陸から二人三人と連れだって馳せ参じる者もいた。
去る者追わず、来るもの拒まずの対応を続けた結果、不思議と斯忠の配下の数は五百名前後を維持できていた。
なお、善七郎率いる風車衆は、斯忠らとは別行動をとり、目立たぬよう三々五々会津入りしていた。
そしてひと月と掛からず、神指城下に拓かれつつある城下町の外れに小さな構えた茶屋に、再び「とら屋」と名付けて新たな拠点としている。
「会津にゃ伝手もなかっただろうに、よくこんなにもすぐに店を開けたもんだな」
普請場での役務を終えて足を運んだ斯忠は、にわか普請ながらも新たな茶屋として格好がついている店内を眺め回し、素直に感嘆する。
普請場の人夫たち相手に団子や茶が商売になるものか、斯忠には読めないところもあったが、元々儲けを目的として店を構えている訳ではない。
「粉と餡の仕入れ先の伝手ですよ。まあ、細かいことはお知りにならないほうがよろしいかと存じます」
水戸城下から引き払った「とら屋」と変わらず、看板娘兼事実上の店主として店を切り盛りするお香が、悪戯っぽく笑う。
斯忠の召し放ちにより資金源を失ったため、風車衆の規模も縮小を余儀なくされているが、本来、自分達の喰い扶持は自らで確保できる者たちばかりである。
今回の会津入りも、お香がさほど苦にしている様子に見えないのは、斯忠にとってありがたいことだった。
「なにやら、やましい手管を使ったんじゃないだろうな」
「まさか。他国者が店を出そうってんですから、それなりに調べられますよ。こういう時は、真正面から正直に、車丹波様のお声掛かりで馳せ参じました、と言い切るほうが話は早いんです」
「そういうものかね」
「もっとも、確たる証はないにしろ、裏でなにかをやっていることぐらい、上杉のお役人様もお見通しだとは思いますよ」
目端の効く武将であれば、他の職種を表看板にした間者を情報収集に従事させている、というのは珍しい話ではない。
それが神職や山伏であったり、行商人や商家であったり、旅芸人だったりする中で、車丹波守斯忠は茶屋に間者をやらせている、と勘付かれたとしても不思議ではない。
「そうかい。俺のところには、誰も茶屋の話なんぞ聞きに来なかったがな」
「それこそ、判っていて泳がせている証拠じゃありませんか」
首を傾げる斯忠に向けて、お香は笑みを絶やさず応じる。
今でこそ土運びの人足頭のような扱いを受けてはいるが、斯忠は組外衆の中でも一千石を与えられており、大身の扱いである。
敵の間者が城下に侵入したのであればともかく、家臣の配下が城下に居ついたとしても、上杉にわざわざ排除を計らねばならない理由はない。
「それもそうか。ところで、この辺りの本格的な町割はまだまだ先の話になりそうな気配だな」
八万とも十二万ともいわれる人数が動員されている以上、彼らをあてこんで飯屋などの商売は盛んにおこなわれている。
その一方、政庁としての機能が移転する前である以上、住居を構えて定住しようとする者は少なく、城下町としての体裁が整っているとは言いがたい。
いずれは商家なども鶴ヶ城の城下町から強制的に移転させられることもあるのだろうが、さすがの直江兼続もそこまでは手が回っていない様子だった。
「徳川との戦さのために築かれる城だって噂がもっぱらですよ。そんな城のところにわざわざ、今すぐ移り住みたくはないでしょうよ」
「違いねぇ」
そう応じながらも、斯忠には疑念も残る。
戦さが近いと噂されるなか、政事のためだろうが徳川相手の籠城のためだろうが、悠長に巨城を築いている暇など最早ない。
そんなことぐらい、ましてや自ら挑発そのものの書状を家康に叩きつけた直江兼続ともあろう男が気づかない筈がないのだが。
これで良いのだろうかとの思いは募る。
(まあ、俺があれこれ考えたところで、何が出来る訳でもねぇが……)
なんとも気持ちが落ち着かない斯忠である。
***
斯忠が上杉方の動きに気を揉む間も、情勢は着実に動いていた。
五月三日、家康は諸将に対して会津出征の準備を命じた。
西笑承兌への兼続の返書を読んで家康が激怒し、上杉を討つことを決めたという風聞も聞こえてきたが、これは恐らくは意図的に流されたものだろう。
その風聞が広まった五月も中旬頃になると、さすがに神指城の築城は中止になるのではないかとの声が人夫の間でもささやかれるようになってきた。
彼らの動揺を上杉景勝や直江兼続が知ってか知らずか、その後も神指城の普請は続けられていた。
だが、普請場の人夫の数が日を追って次第に減っていくことに斯忠は目ざとく気づいた。
「なんだか、活気がなくなっていた気がするな」
「砦や街道など、他にも手を入れるべき場所がいくらでもあるんで、人手をそちらに回しているんじゃないですかね」
「珍しく鋭いな」
左源次の言葉に、斯忠も得心する。
事実、知り合って言葉を交わすようになった人夫からも、白河口の普請に加わることになった、と言い残して去っていく者も現れた。
***
六月六日になって、諸将を大坂西ノ丸に参集させた家康は、上杉征伐を正式に宣言し、五つの攻め口の割り当てを発表した。
そのうちの四つは、いずれも地元の将が大将としてあてられている。
北東の信夫口は伊達政宗。
北西の米沢口は最上義光および東北諸将。
南東の仙道口は佐竹義宣と佐竹家に従属する岩城貞隆、そして相馬義胤。
西の越後口は堀秀治と前田利長、および越後勢。
その総勢は少なく見積もっても十二万、多ければ二十万を超えると称された。
全国的に大規模な兵の動員を伴う動きであるためか、その報せは驚くほど迅速に上杉の領地にも広がった。
まさに上杉は天下を敵に回した格好である。
もっともこれらのうち、越後口の堀勢に対しては、長く上杉の地元であった越後の治安に不安があり、兵を差し向ける余裕はないとも見込まれている。
越後に残る、かつての上杉の遺風を懐かしむ旧臣や農民が一揆を起こすことも考えられる。
既になんらかの形で兼続が手を回していても不思議ではない。
加えて仙道口の佐竹家は、上杉と水面下で盟約を結んでいるとの噂が広がっていた。
そうなると斯忠も、佐竹からの密かな援軍として見做されることとなり、普請で顔を合わせる人夫らからは、期待を込めて声を掛けられる機会が増えた。
やはり、いくら上層部が武張った態度を示そうとも、周囲に味方が誰もいないというのは心細いものなのだ。
反徳川の姿勢を鮮明にしすぎたせいで、佐竹家から召し放ちの憂き目にあっただけの斯忠としては、彼らのすがるような期待の声には尻の座りが悪い。
(もし仮に佐竹が敵に回ったりしたとして、それで逆恨みされたんじゃかなわねぇなあ)
斯忠の困惑は別として、前述の四つの攻め口は搦め手でしかない。
関東、東海、さらに西国諸将をもって主力となし、家康自らが率いて討ち入れてくるであろう南の白河口こそが主戦場であるのは、衆目の一致するところだった。
会津討ち入りの動きの風聞が領内にも広まったことを受けてか、ついに六月十日になって、神指城の普請を中断する命令が上杉景勝から下された。
軍記物などでは「一応の完成を見た」とされることもある神指城であるが、実相はかなり異なる。
かろうじて二の丸の外構が城郭らしい形をみせた段階で、防御力の要である水濠となる筈の堀の掘削はいまだ不十分だった。
中にはほとんど手つかずの箇所も残っていた。
情勢は戦さに向けて急激に動いており、もはや神指城の築城に労力を割いている場合ではないことは明らかだった。
「遅ればせながら、というところかも知れねぇが……」
普請場から去っていく人夫の波を呆然と見送りながら、斯忠は思わずつぶやく。
やはり、最初から数年がかりと見越した大普請だったのだ。
普請の中止を聞かされた斯忠は、さすがにその日ばかりは一種の虚脱状態に陥った。
予測していたこととはいえ、三か月近く、来る日も来る日も掘り出した土を運びあげる作業に従事してきたのだ。
「賽の河原じゃあるめぇし。いったい何だってんだ」
その労苦が全て徒労だったとの結論に、気落ちせざるを得ない。
救いがあるとすれば、連日の土運びに携わった結果、身体が鍛えなおされた感覚がすることぐらいだろうか。
ただ、いつまでも虚脱感に浸っているような余裕を、兼続は与えてはくれなかった。
兼続が差し向けてきた使番が、団吉に案内されて斯忠が暮らす掘っ建て小屋に案内されてきた。
本来、斯忠の小者にすぎない団吉が使番を案内するなどという事態はありえない。
しかしながら、斯忠の配下には来るべき戦さでひと働きしてやろうと目論む男しかいない。
そういう連中をかき集めたのだから当然だが、近習や小姓はおろか、家中のことを差配する文官など影も形もない。
武家としての体裁を著しく欠いているのはやむを得ないところだった。
まだ若い使番は怒りとも戸惑いともつかぬ顔で斯忠の前に進み出る。
組外衆の大身と聞いて来てみれば、単なる小者に掘っ建て小屋に案内されたうえ、土と垢にまみれた人足衆の親玉のような男と対面させられたのである。
平静でいられないのは当然かもしれない。
「御役目ご苦労に存ずる。して、我等も白河口に向かうことになるのかね」
生真面目そうな使番の困惑をみてとった斯忠は、口上を聞く前に殊更に軽い口調で尋ねる。
こういう手合いを前にすると、つい立場も忘れてからかってみたくなるのが車丹波と言う男である。
しかし、斯忠の態度に、逆に使番は肚が据わったようにみえた。
口の端にわずかに笑みさえ見せて、挑発し返すように言葉を発する。
「いえ。我が主曰く、車様には福島城へ入っていただければ幸甚、とのことにございます」
福島城は、神指城から二十里あまり東に位置する。
信夫口から伊達政宗が攻め寄せてきた場合には迎え撃つ際の要衝となろうが、家康との決戦の地となるであろう白河口からは程遠い。
「なんだってまた、そんなところへ……」
思わず次の言葉が出てこない斯忠だった。
もっとも、五百名の配下全員が、気持ちよく働いているとは限らない。
会津入り以来、力仕事の過酷さに音を上げたり、兵として雇われながら来る日も来る日も人足として使われる現実に不満を抱いたり、体調を崩して働けなくなった者などが致仕を申し出た。
脱落者をなるべく出さないように尽力してきたつもりの斯忠としては、残念ではあるが、期待外れの待遇と言われれば返す言葉もない。
岡佐内に預けていた当人分の給金を引き出して手渡し、「達者で暮らせよ」と見送ることしか出来なかった。
その一方で、遅ればせながらお役に立ちたい、と常陸から二人三人と連れだって馳せ参じる者もいた。
去る者追わず、来るもの拒まずの対応を続けた結果、不思議と斯忠の配下の数は五百名前後を維持できていた。
なお、善七郎率いる風車衆は、斯忠らとは別行動をとり、目立たぬよう三々五々会津入りしていた。
そしてひと月と掛からず、神指城下に拓かれつつある城下町の外れに小さな構えた茶屋に、再び「とら屋」と名付けて新たな拠点としている。
「会津にゃ伝手もなかっただろうに、よくこんなにもすぐに店を開けたもんだな」
普請場での役務を終えて足を運んだ斯忠は、にわか普請ながらも新たな茶屋として格好がついている店内を眺め回し、素直に感嘆する。
普請場の人夫たち相手に団子や茶が商売になるものか、斯忠には読めないところもあったが、元々儲けを目的として店を構えている訳ではない。
「粉と餡の仕入れ先の伝手ですよ。まあ、細かいことはお知りにならないほうがよろしいかと存じます」
水戸城下から引き払った「とら屋」と変わらず、看板娘兼事実上の店主として店を切り盛りするお香が、悪戯っぽく笑う。
斯忠の召し放ちにより資金源を失ったため、風車衆の規模も縮小を余儀なくされているが、本来、自分達の喰い扶持は自らで確保できる者たちばかりである。
今回の会津入りも、お香がさほど苦にしている様子に見えないのは、斯忠にとってありがたいことだった。
「なにやら、やましい手管を使ったんじゃないだろうな」
「まさか。他国者が店を出そうってんですから、それなりに調べられますよ。こういう時は、真正面から正直に、車丹波様のお声掛かりで馳せ参じました、と言い切るほうが話は早いんです」
「そういうものかね」
「もっとも、確たる証はないにしろ、裏でなにかをやっていることぐらい、上杉のお役人様もお見通しだとは思いますよ」
目端の効く武将であれば、他の職種を表看板にした間者を情報収集に従事させている、というのは珍しい話ではない。
それが神職や山伏であったり、行商人や商家であったり、旅芸人だったりする中で、車丹波守斯忠は茶屋に間者をやらせている、と勘付かれたとしても不思議ではない。
「そうかい。俺のところには、誰も茶屋の話なんぞ聞きに来なかったがな」
「それこそ、判っていて泳がせている証拠じゃありませんか」
首を傾げる斯忠に向けて、お香は笑みを絶やさず応じる。
今でこそ土運びの人足頭のような扱いを受けてはいるが、斯忠は組外衆の中でも一千石を与えられており、大身の扱いである。
敵の間者が城下に侵入したのであればともかく、家臣の配下が城下に居ついたとしても、上杉にわざわざ排除を計らねばならない理由はない。
「それもそうか。ところで、この辺りの本格的な町割はまだまだ先の話になりそうな気配だな」
八万とも十二万ともいわれる人数が動員されている以上、彼らをあてこんで飯屋などの商売は盛んにおこなわれている。
その一方、政庁としての機能が移転する前である以上、住居を構えて定住しようとする者は少なく、城下町としての体裁が整っているとは言いがたい。
いずれは商家なども鶴ヶ城の城下町から強制的に移転させられることもあるのだろうが、さすがの直江兼続もそこまでは手が回っていない様子だった。
「徳川との戦さのために築かれる城だって噂がもっぱらですよ。そんな城のところにわざわざ、今すぐ移り住みたくはないでしょうよ」
「違いねぇ」
そう応じながらも、斯忠には疑念も残る。
戦さが近いと噂されるなか、政事のためだろうが徳川相手の籠城のためだろうが、悠長に巨城を築いている暇など最早ない。
そんなことぐらい、ましてや自ら挑発そのものの書状を家康に叩きつけた直江兼続ともあろう男が気づかない筈がないのだが。
これで良いのだろうかとの思いは募る。
(まあ、俺があれこれ考えたところで、何が出来る訳でもねぇが……)
なんとも気持ちが落ち着かない斯忠である。
***
斯忠が上杉方の動きに気を揉む間も、情勢は着実に動いていた。
五月三日、家康は諸将に対して会津出征の準備を命じた。
西笑承兌への兼続の返書を読んで家康が激怒し、上杉を討つことを決めたという風聞も聞こえてきたが、これは恐らくは意図的に流されたものだろう。
その風聞が広まった五月も中旬頃になると、さすがに神指城の築城は中止になるのではないかとの声が人夫の間でもささやかれるようになってきた。
彼らの動揺を上杉景勝や直江兼続が知ってか知らずか、その後も神指城の普請は続けられていた。
だが、普請場の人夫の数が日を追って次第に減っていくことに斯忠は目ざとく気づいた。
「なんだか、活気がなくなっていた気がするな」
「砦や街道など、他にも手を入れるべき場所がいくらでもあるんで、人手をそちらに回しているんじゃないですかね」
「珍しく鋭いな」
左源次の言葉に、斯忠も得心する。
事実、知り合って言葉を交わすようになった人夫からも、白河口の普請に加わることになった、と言い残して去っていく者も現れた。
***
六月六日になって、諸将を大坂西ノ丸に参集させた家康は、上杉征伐を正式に宣言し、五つの攻め口の割り当てを発表した。
そのうちの四つは、いずれも地元の将が大将としてあてられている。
北東の信夫口は伊達政宗。
北西の米沢口は最上義光および東北諸将。
南東の仙道口は佐竹義宣と佐竹家に従属する岩城貞隆、そして相馬義胤。
西の越後口は堀秀治と前田利長、および越後勢。
その総勢は少なく見積もっても十二万、多ければ二十万を超えると称された。
全国的に大規模な兵の動員を伴う動きであるためか、その報せは驚くほど迅速に上杉の領地にも広がった。
まさに上杉は天下を敵に回した格好である。
もっともこれらのうち、越後口の堀勢に対しては、長く上杉の地元であった越後の治安に不安があり、兵を差し向ける余裕はないとも見込まれている。
越後に残る、かつての上杉の遺風を懐かしむ旧臣や農民が一揆を起こすことも考えられる。
既になんらかの形で兼続が手を回していても不思議ではない。
加えて仙道口の佐竹家は、上杉と水面下で盟約を結んでいるとの噂が広がっていた。
そうなると斯忠も、佐竹からの密かな援軍として見做されることとなり、普請で顔を合わせる人夫らからは、期待を込めて声を掛けられる機会が増えた。
やはり、いくら上層部が武張った態度を示そうとも、周囲に味方が誰もいないというのは心細いものなのだ。
反徳川の姿勢を鮮明にしすぎたせいで、佐竹家から召し放ちの憂き目にあっただけの斯忠としては、彼らのすがるような期待の声には尻の座りが悪い。
(もし仮に佐竹が敵に回ったりしたとして、それで逆恨みされたんじゃかなわねぇなあ)
斯忠の困惑は別として、前述の四つの攻め口は搦め手でしかない。
関東、東海、さらに西国諸将をもって主力となし、家康自らが率いて討ち入れてくるであろう南の白河口こそが主戦場であるのは、衆目の一致するところだった。
会津討ち入りの動きの風聞が領内にも広まったことを受けてか、ついに六月十日になって、神指城の普請を中断する命令が上杉景勝から下された。
軍記物などでは「一応の完成を見た」とされることもある神指城であるが、実相はかなり異なる。
かろうじて二の丸の外構が城郭らしい形をみせた段階で、防御力の要である水濠となる筈の堀の掘削はいまだ不十分だった。
中にはほとんど手つかずの箇所も残っていた。
情勢は戦さに向けて急激に動いており、もはや神指城の築城に労力を割いている場合ではないことは明らかだった。
「遅ればせながら、というところかも知れねぇが……」
普請場から去っていく人夫の波を呆然と見送りながら、斯忠は思わずつぶやく。
やはり、最初から数年がかりと見越した大普請だったのだ。
普請の中止を聞かされた斯忠は、さすがにその日ばかりは一種の虚脱状態に陥った。
予測していたこととはいえ、三か月近く、来る日も来る日も掘り出した土を運びあげる作業に従事してきたのだ。
「賽の河原じゃあるめぇし。いったい何だってんだ」
その労苦が全て徒労だったとの結論に、気落ちせざるを得ない。
救いがあるとすれば、連日の土運びに携わった結果、身体が鍛えなおされた感覚がすることぐらいだろうか。
ただ、いつまでも虚脱感に浸っているような余裕を、兼続は与えてはくれなかった。
兼続が差し向けてきた使番が、団吉に案内されて斯忠が暮らす掘っ建て小屋に案内されてきた。
本来、斯忠の小者にすぎない団吉が使番を案内するなどという事態はありえない。
しかしながら、斯忠の配下には来るべき戦さでひと働きしてやろうと目論む男しかいない。
そういう連中をかき集めたのだから当然だが、近習や小姓はおろか、家中のことを差配する文官など影も形もない。
武家としての体裁を著しく欠いているのはやむを得ないところだった。
まだ若い使番は怒りとも戸惑いともつかぬ顔で斯忠の前に進み出る。
組外衆の大身と聞いて来てみれば、単なる小者に掘っ建て小屋に案内されたうえ、土と垢にまみれた人足衆の親玉のような男と対面させられたのである。
平静でいられないのは当然かもしれない。
「御役目ご苦労に存ずる。して、我等も白河口に向かうことになるのかね」
生真面目そうな使番の困惑をみてとった斯忠は、口上を聞く前に殊更に軽い口調で尋ねる。
こういう手合いを前にすると、つい立場も忘れてからかってみたくなるのが車丹波と言う男である。
しかし、斯忠の態度に、逆に使番は肚が据わったようにみえた。
口の端にわずかに笑みさえ見せて、挑発し返すように言葉を発する。
「いえ。我が主曰く、車様には福島城へ入っていただければ幸甚、とのことにございます」
福島城は、神指城から二十里あまり東に位置する。
信夫口から伊達政宗が攻め寄せてきた場合には迎え撃つ際の要衝となろうが、家康との決戦の地となるであろう白河口からは程遠い。
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