34 / 42
(三十四)最後の茶席
しおりを挟む
朝鮮における戦局は思わしくなく、秀吉が不本意ながらもいったん矛を収めたまま早くも二年が過ぎた文禄四年(一五九五年)。
六月末頃から、伏見の住人の間に「聚楽第に残る者から聞いた」と称する、奇妙な噂があちこちで囁かれるようになった。
天正十九年に秀吉が聚楽第を秀次に譲り、新たに伏見指月に隠居屋敷を建てたことにあわせて、聚楽第から多くの住民が伏見に移っている。
なお則頼もまた、聚楽第に賜った屋敷を引き払い、新たな屋敷を伏見に構えている。
新しい屋敷の敷地は申し分なく広く、茶室はもちろんのこと、猿楽の舞台まで設えられていた。
それはさておき、住民らの噂に曰く、「関白秀次に謀反の疑いあり」と。
秀次を中心とした秀吉の治世を快く思わない一派が存在し、鷹狩りと称して謀議を巡らせているというのだ。
「妙な話ですな。太閤殿下に謀叛を奉ったところで、勝てるはずもなし」
伏見の有馬屋敷にて、則頼に噂を報告する吉田大膳がしかめ面で首をひねった。
今回に限ったことではないが、大膳は何か事が起こる度に、事情がよく呑み込めずに首をひねってばかりいる、と則頼は場違いなことを思う。
「しかし、困ったことに全くあり得ぬ話とも言い切れぬ」
則頼は首を振って嘆息する。
秀吉が唐入りの最中である二年前に誕生した実子・拾を溺愛しているのは、周知の事実である。
秀次に関白を譲って世継として世間に喧伝したことを秀吉が悔やんでいる、との憶測は根強かった。
無論、秀吉を討つために秀次が挙兵するなどという噂は現実的ではないにしろ、秀次が己の立場を確固たるものにするべく、他の大名と交流を深めようと画策したとしてもおかしくはない。
則頼が危惧するのは、秀次本人もさることながら、秀次付の家老となっている娘婿・渡瀬繁詮の処遇である。
秀次付の家老である繁詮は、同時に遠州横須賀三万石の大名としての顔も持つ。
ただし、同様の東海道筋の小大名として配置された他の家老には、秀次への諫言を煙たがられて遠ざけられたことなどの事情もあって己の所領に戻り、もっぱら領地経営に励んでいる者も多い。
それに対し、繁詮は秀次の傍に付き従い続けている。
処世に長けているとみるべきか、不器用な生き様とみるかは人によって見方が分かれるところだろう。
いずれにせよ横須賀の統治は、繁詮の付家老である豊氏に半ば任せきりの状態になっている。
秀次との近さが災いして、婿殿が巻き添えを喰う羽目になどならねばよいが、と案じつつ、則頼には状況の推移を見守ることしかできなかった。
六月下旬から七月上旬にかけ、二度に渡って聚楽第の秀次の元に、石田三成をはじめとする奉行衆が足を運んだ。
当初、奉行たちの要求は逆心無きことを示すための誓紙の提出だった。秀次はそれに従ったものの、次には奉行たちは伏見への出頭を求めるようになった。
秀次は自ら冤罪を晴らすとして望んで伏見に向かったが、なぜか登城も拝謁も許されぬまま、高野山へと追いやられた。
七月十三日の夜更け。
「珍客がみえられましたぞ」
伏見の有馬屋敷にて、寝所の則頼に向かって、廊下越しに吉田大膳が報告する。
「もったいぶるでないわ」
書見台に向かい、とりとめのないことを考えていた則頼はそう応じてから、古い記憶を脳裏によみがえらせた。
三木合戦の折、当時は好光と名乗っていた渡瀬繁詮が居城を失って萩原城に助けを求めてやってきた際、確か同じようなやりとりをしなかったか。
「渡瀬殿がことか」
「御意。殿の茶をご所望とのこと」
聞けば、輿も馬も持ちいず、徒立ちで供も二人だけという微行で通用門に訪いを入れたという。
目下の情勢を考えれば、かつては茶の湯に興味のなかった繁詮も茶の湯の道に目覚めたか、などとはとても考えられない。
「いかがなされますか」
「決まっておる、茶室に案内せよ」
わずかな眠気も吹き飛び、則頼はせわしげに腰を上げた。
「このような夜更けに押しかけた無礼、平にご容赦のほどを。人目については、いらぬ疑いを招きかねませぬゆえ」
「いや、いや。ようお越しになられた」
恐縮する繁詮を、則頼は笑って出迎える。
茶室には牧渓の画軸が掛けられ、茶道具の中には九十九髪茄子が置かれていた。
いずれも秀吉から則頼が拝領したものだ。
伝わるかどうかはともかく、秀吉の意に沿うようにせよ、との含意を込めたつもりだった。
「最後の挨拶をせぬままでは悔いが残ると思い、参りました次第にござる」
主客の席に腰を落ち着けた繁詮は、既に覚悟を決めている様子だった。
聞けば、既に内々に処断を匂わせる報せが何度か届いているという。
「なにも死罪になると決まった訳でもなかろう。微力ながら殿下に取り成してみよう。早まってはならぬぞ」
「それはなりませぬ。今の太閤殿下に異を唱えては、有馬様にも累が及びかねませぬ」
聞けば、既に繁詮は前野長康や木村重茲らとともに秀吉に対して秀次の弁護を行ったが、却って勘気を被って退席させられたのだという。
「なんという……」
「従って、なんらかの御咎めは間違いないものと存じます」
「しかしじゃな」
則頼は言葉を継ごうとするも、何も思い浮かばない。
「良いのです。家老として傍近くにお仕えした主君が追放の責めを負った以上、どのような処断が下されようとも致し方のないこと」
繁詮はすっきりした表情で笑みを見せた。
日頃は多弁な則頼も、この時ばかりは言葉を失い続けていた。
「それにしても、有馬様の茶は美味い。それがし、茶の湯にはとんと疎いままでございましたが、この味だけは忘れられずにおりました。最後に味わえて嬉しゅうござる」
「嬉しいことを言うてくれる」
泣き笑いの表情の則頼を前に、繁詮は居住まいを正した。
「萩原城下にて有馬様に助けていただかねば、行き倒れて終わっていた筈のこの身。思いがけずも三万石の大名にまでなり、随分と晴れがましい思いをさせていただきました。これもひとえに、有馬様のお陰にござる」
則頼は秀吉に重用されているように世間からみられてはいても、それは政事に一切かかわりを持たないからこそである。
何かを進言して判断を変えさせるような力はない。
持てる限りの才覚で乱世を生き延びてきた自負はあったが、この時ほど己の力の無さが悔やまれる時はなかった。
秀次を高野山に追放してもなお、太閤秀吉は満足できなかったらしい。
七月十五日には、秀次に弁明も許さぬまま切腹を命じる。
さらに、責めの対象は秀次の妻子や家臣、さらには付き合いのあった大名家にまで及び、様々な悲劇を生み出すことになる。
秀次の家老として近侍していた渡瀬繁詮も、やはり処罰は避けがたく、常陸の佐竹義宣の元に身柄を預けられる流罪に処せられた。
「厳しい沙汰ではあるが、切腹を命ぜられなかっただけでもまだ良かった」
心中穏やかではない中、伏見の有馬屋敷でこの一報を伝え聞いた則頼は、むしろ胸をなでおろした。
だが、安心してばかりはいられない。
秀吉の尾張時代からの股肱である前野長康ですら、秀次を後見していたことから死罪を命ぜられたのをはじめ、多くの者が打ち首や切腹に処されている。
いつ秀吉の気が変わって腹を切れなどと言い出すか知れたものではなかった。
繁詮には止められたものの、時節を見計らって赦免を取り成してみよう、則頼はそう思っていた。
今の秀吉がそう簡単に聞く耳を持つとも思えないが、生きていればこそ、いずれ再起の目も出てくるだろう。
ここは一つ、娘婿のためにも腹をくくらねばなるまい。
しかし、決意を固めていた則頼の元に、思いがけない悲報が届く。
将来を悲観したのか、秀次を諌めきれなかった己を責めたのか。
あるいは、流罪とは表向きで、実際は機を見て処断されたのか。
繁詮は常陸国に向かう道中、碓氷峠にて自ら腹を切ったというのだ。
「早まった真似をしおって」
則頼は天を仰ぐ。
その哀しみを、秀吉への隔意に向けようとしている自分に、思わず身震いする。
数日後、なおも落胆を隠せない則頼の元に、秀吉から伏見城への登城を求める使いが来た。
(娘婿の自裁が気にいらず、腹立ちまぎれに儂まで連座させられるというのか)
則頼は訝りつつも、腹に冷たいものが走る感覚を覚えた。
もともと則頼は、秀次とは積極的に親交を深めてはいなかった。
単に機会がなかっただけではあるが、小牧長久手の合戦の折、秀次に従っていた嫡男・則氏が討死したことが、心のどこかに引っかかっていたのかも知れない。
だから、今回の一件に関わり合いはない筈であるが、秀吉が何を言い出すかは予断を許さない。
万が一に備えて身の回りの整理をして、後事を吉田大膳に託してから秀吉の元に向かう。
「渡瀬左衛門佐のことは聞いておるな」
書院の上座に座る秀吉の声音は、意外にも明るかった。
今は、内患を取り除けたことに安堵しているのか。
「関白の家老であった以上、責は免れぬと承知しておりまするが、それでも娘婿なれば悲しく存じます」
「うむ。儂とて、このような真似はしとうなかったわ。それでじゃ。遠州横須賀三万石は左衛門佐の子には継がせぬ。代わりに、家老の玄蕃豊氏に家臣もろとも、そのまま引き継がせるつもりじゃ」
「なんと」
「玄蕃は、左衛門佐が不在の間も、領内をよくまとめておると聞くでな。どうじゃ、嬉しかろう。有馬の坊主の息子は、親を超えおったぞ」
秀吉は笑み皺を深くした。
(なんというむごい沙汰を考え付くのじゃ、この御方は)
かつては秀吉の邪気のない笑みに例えようもなく惹かれたものだが、今はどうだ。
その笑顔の裏に隠しきれない悪意が渦巻いているのを感じずにはいられない。
世継の栄達を喜ぶ気持ちよりも先に、実の弟に夫の家を丸ごと乗っ取られる娘に対する不憫さが勝った。
だが、口を開いて声に出せるのは、真意とは裏腹の、本音からは程遠い言葉でしかない。
「まこと、ありがたき幸せにございます。我が息子ながら、あやかりたいほどの実に果報者にございますな」
心の中に、冷え冷えとした風が吹く。
己の顔に浮かんだ嫌悪の色を気取られぬよう、則頼は深く深く頭を下げ続けた。
六月末頃から、伏見の住人の間に「聚楽第に残る者から聞いた」と称する、奇妙な噂があちこちで囁かれるようになった。
天正十九年に秀吉が聚楽第を秀次に譲り、新たに伏見指月に隠居屋敷を建てたことにあわせて、聚楽第から多くの住民が伏見に移っている。
なお則頼もまた、聚楽第に賜った屋敷を引き払い、新たな屋敷を伏見に構えている。
新しい屋敷の敷地は申し分なく広く、茶室はもちろんのこと、猿楽の舞台まで設えられていた。
それはさておき、住民らの噂に曰く、「関白秀次に謀反の疑いあり」と。
秀次を中心とした秀吉の治世を快く思わない一派が存在し、鷹狩りと称して謀議を巡らせているというのだ。
「妙な話ですな。太閤殿下に謀叛を奉ったところで、勝てるはずもなし」
伏見の有馬屋敷にて、則頼に噂を報告する吉田大膳がしかめ面で首をひねった。
今回に限ったことではないが、大膳は何か事が起こる度に、事情がよく呑み込めずに首をひねってばかりいる、と則頼は場違いなことを思う。
「しかし、困ったことに全くあり得ぬ話とも言い切れぬ」
則頼は首を振って嘆息する。
秀吉が唐入りの最中である二年前に誕生した実子・拾を溺愛しているのは、周知の事実である。
秀次に関白を譲って世継として世間に喧伝したことを秀吉が悔やんでいる、との憶測は根強かった。
無論、秀吉を討つために秀次が挙兵するなどという噂は現実的ではないにしろ、秀次が己の立場を確固たるものにするべく、他の大名と交流を深めようと画策したとしてもおかしくはない。
則頼が危惧するのは、秀次本人もさることながら、秀次付の家老となっている娘婿・渡瀬繁詮の処遇である。
秀次付の家老である繁詮は、同時に遠州横須賀三万石の大名としての顔も持つ。
ただし、同様の東海道筋の小大名として配置された他の家老には、秀次への諫言を煙たがられて遠ざけられたことなどの事情もあって己の所領に戻り、もっぱら領地経営に励んでいる者も多い。
それに対し、繁詮は秀次の傍に付き従い続けている。
処世に長けているとみるべきか、不器用な生き様とみるかは人によって見方が分かれるところだろう。
いずれにせよ横須賀の統治は、繁詮の付家老である豊氏に半ば任せきりの状態になっている。
秀次との近さが災いして、婿殿が巻き添えを喰う羽目になどならねばよいが、と案じつつ、則頼には状況の推移を見守ることしかできなかった。
六月下旬から七月上旬にかけ、二度に渡って聚楽第の秀次の元に、石田三成をはじめとする奉行衆が足を運んだ。
当初、奉行たちの要求は逆心無きことを示すための誓紙の提出だった。秀次はそれに従ったものの、次には奉行たちは伏見への出頭を求めるようになった。
秀次は自ら冤罪を晴らすとして望んで伏見に向かったが、なぜか登城も拝謁も許されぬまま、高野山へと追いやられた。
七月十三日の夜更け。
「珍客がみえられましたぞ」
伏見の有馬屋敷にて、寝所の則頼に向かって、廊下越しに吉田大膳が報告する。
「もったいぶるでないわ」
書見台に向かい、とりとめのないことを考えていた則頼はそう応じてから、古い記憶を脳裏によみがえらせた。
三木合戦の折、当時は好光と名乗っていた渡瀬繁詮が居城を失って萩原城に助けを求めてやってきた際、確か同じようなやりとりをしなかったか。
「渡瀬殿がことか」
「御意。殿の茶をご所望とのこと」
聞けば、輿も馬も持ちいず、徒立ちで供も二人だけという微行で通用門に訪いを入れたという。
目下の情勢を考えれば、かつては茶の湯に興味のなかった繁詮も茶の湯の道に目覚めたか、などとはとても考えられない。
「いかがなされますか」
「決まっておる、茶室に案内せよ」
わずかな眠気も吹き飛び、則頼はせわしげに腰を上げた。
「このような夜更けに押しかけた無礼、平にご容赦のほどを。人目については、いらぬ疑いを招きかねませぬゆえ」
「いや、いや。ようお越しになられた」
恐縮する繁詮を、則頼は笑って出迎える。
茶室には牧渓の画軸が掛けられ、茶道具の中には九十九髪茄子が置かれていた。
いずれも秀吉から則頼が拝領したものだ。
伝わるかどうかはともかく、秀吉の意に沿うようにせよ、との含意を込めたつもりだった。
「最後の挨拶をせぬままでは悔いが残ると思い、参りました次第にござる」
主客の席に腰を落ち着けた繁詮は、既に覚悟を決めている様子だった。
聞けば、既に内々に処断を匂わせる報せが何度か届いているという。
「なにも死罪になると決まった訳でもなかろう。微力ながら殿下に取り成してみよう。早まってはならぬぞ」
「それはなりませぬ。今の太閤殿下に異を唱えては、有馬様にも累が及びかねませぬ」
聞けば、既に繁詮は前野長康や木村重茲らとともに秀吉に対して秀次の弁護を行ったが、却って勘気を被って退席させられたのだという。
「なんという……」
「従って、なんらかの御咎めは間違いないものと存じます」
「しかしじゃな」
則頼は言葉を継ごうとするも、何も思い浮かばない。
「良いのです。家老として傍近くにお仕えした主君が追放の責めを負った以上、どのような処断が下されようとも致し方のないこと」
繁詮はすっきりした表情で笑みを見せた。
日頃は多弁な則頼も、この時ばかりは言葉を失い続けていた。
「それにしても、有馬様の茶は美味い。それがし、茶の湯にはとんと疎いままでございましたが、この味だけは忘れられずにおりました。最後に味わえて嬉しゅうござる」
「嬉しいことを言うてくれる」
泣き笑いの表情の則頼を前に、繁詮は居住まいを正した。
「萩原城下にて有馬様に助けていただかねば、行き倒れて終わっていた筈のこの身。思いがけずも三万石の大名にまでなり、随分と晴れがましい思いをさせていただきました。これもひとえに、有馬様のお陰にござる」
則頼は秀吉に重用されているように世間からみられてはいても、それは政事に一切かかわりを持たないからこそである。
何かを進言して判断を変えさせるような力はない。
持てる限りの才覚で乱世を生き延びてきた自負はあったが、この時ほど己の力の無さが悔やまれる時はなかった。
秀次を高野山に追放してもなお、太閤秀吉は満足できなかったらしい。
七月十五日には、秀次に弁明も許さぬまま切腹を命じる。
さらに、責めの対象は秀次の妻子や家臣、さらには付き合いのあった大名家にまで及び、様々な悲劇を生み出すことになる。
秀次の家老として近侍していた渡瀬繁詮も、やはり処罰は避けがたく、常陸の佐竹義宣の元に身柄を預けられる流罪に処せられた。
「厳しい沙汰ではあるが、切腹を命ぜられなかっただけでもまだ良かった」
心中穏やかではない中、伏見の有馬屋敷でこの一報を伝え聞いた則頼は、むしろ胸をなでおろした。
だが、安心してばかりはいられない。
秀吉の尾張時代からの股肱である前野長康ですら、秀次を後見していたことから死罪を命ぜられたのをはじめ、多くの者が打ち首や切腹に処されている。
いつ秀吉の気が変わって腹を切れなどと言い出すか知れたものではなかった。
繁詮には止められたものの、時節を見計らって赦免を取り成してみよう、則頼はそう思っていた。
今の秀吉がそう簡単に聞く耳を持つとも思えないが、生きていればこそ、いずれ再起の目も出てくるだろう。
ここは一つ、娘婿のためにも腹をくくらねばなるまい。
しかし、決意を固めていた則頼の元に、思いがけない悲報が届く。
将来を悲観したのか、秀次を諌めきれなかった己を責めたのか。
あるいは、流罪とは表向きで、実際は機を見て処断されたのか。
繁詮は常陸国に向かう道中、碓氷峠にて自ら腹を切ったというのだ。
「早まった真似をしおって」
則頼は天を仰ぐ。
その哀しみを、秀吉への隔意に向けようとしている自分に、思わず身震いする。
数日後、なおも落胆を隠せない則頼の元に、秀吉から伏見城への登城を求める使いが来た。
(娘婿の自裁が気にいらず、腹立ちまぎれに儂まで連座させられるというのか)
則頼は訝りつつも、腹に冷たいものが走る感覚を覚えた。
もともと則頼は、秀次とは積極的に親交を深めてはいなかった。
単に機会がなかっただけではあるが、小牧長久手の合戦の折、秀次に従っていた嫡男・則氏が討死したことが、心のどこかに引っかかっていたのかも知れない。
だから、今回の一件に関わり合いはない筈であるが、秀吉が何を言い出すかは予断を許さない。
万が一に備えて身の回りの整理をして、後事を吉田大膳に託してから秀吉の元に向かう。
「渡瀬左衛門佐のことは聞いておるな」
書院の上座に座る秀吉の声音は、意外にも明るかった。
今は、内患を取り除けたことに安堵しているのか。
「関白の家老であった以上、責は免れぬと承知しておりまするが、それでも娘婿なれば悲しく存じます」
「うむ。儂とて、このような真似はしとうなかったわ。それでじゃ。遠州横須賀三万石は左衛門佐の子には継がせぬ。代わりに、家老の玄蕃豊氏に家臣もろとも、そのまま引き継がせるつもりじゃ」
「なんと」
「玄蕃は、左衛門佐が不在の間も、領内をよくまとめておると聞くでな。どうじゃ、嬉しかろう。有馬の坊主の息子は、親を超えおったぞ」
秀吉は笑み皺を深くした。
(なんというむごい沙汰を考え付くのじゃ、この御方は)
かつては秀吉の邪気のない笑みに例えようもなく惹かれたものだが、今はどうだ。
その笑顔の裏に隠しきれない悪意が渦巻いているのを感じずにはいられない。
世継の栄達を喜ぶ気持ちよりも先に、実の弟に夫の家を丸ごと乗っ取られる娘に対する不憫さが勝った。
だが、口を開いて声に出せるのは、真意とは裏腹の、本音からは程遠い言葉でしかない。
「まこと、ありがたき幸せにございます。我が息子ながら、あやかりたいほどの実に果報者にございますな」
心の中に、冷え冷えとした風が吹く。
己の顔に浮かんだ嫌悪の色を気取られぬよう、則頼は深く深く頭を下げ続けた。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
浅井長政は織田信長に忠誠を誓う
ピコサイクス
歴史・時代
1570年5月24日、織田信長は朝倉義景を攻めるため越後に侵攻した。その時浅井長政は婚姻関係の織田家か古くから関係ある朝倉家どちらの味方をするか迷っていた。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる