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(七)邂逅、淡河弾正定範
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堺北荘の屋敷を引き払った則頼は、数名の小者や従者、そして妻の振を連れて三津田の地に足を踏み入れた。
空は晴れ渡り、強い夏の日射しが降り注いでいる。
(この景色を見るのは、四年ぶりとなるのか……)
懐かしい山の稜線が濃い緑に覆われている様を望見する則頼は、父に連れられて三田城に向かった時の雨模様の景色を思い返さずにはいられない。
あの時は、まさかこれほど長期に渡って城を離れることになるとは想像にしていなかった。
ましてや、嫁を連れて戻ることになるとは、完全に予想外であった。
之虎に見せてもらった則重からの書状には、今も淡河勢に攻囲されているかのような書きぶりであり、三津田城に近づく際は緊張感が高まった。
しかし、則頼らが戻った時は幸いにも、淡河の兵の姿は周囲にみられなかった。
ただ、城下には焼け残った人家などもあり、最近戦さがあった事実を示していた。
無事に三津田城に戻った際にはそれなりに感慨深い思いを抱いた則頼であるが、出迎えた則重は対面の挨拶もそこそこに、三木城から登城の命令が届いていると告げた。
なお別所家においても、当主が代替わりしている。
かつて三好に三木城を攻められて従属を決意した別所村治は、弘治二年(一五五六年)に家督を長男・安治に譲っていた。
別所安治は天文元年(一五三二年)生まれ。この時二十七歳の青年大名である。
「夫婦そろって顔を出せとのことじゃ。これで、先般よりの淡河の動きも抑えられよう」
書院の上座に座る則重は、整った面立ちに愛想笑いじみた表情を浮かべて言葉を付け足した。
「まあ、別所一門から嫁御を迎えている以上、一度は挨拶しておくのは当然ですな」
己の不甲斐なさを棚に上げたような則重の態度に腹を立て、則頼はぶっきらぼうに応じた。
振を連れて三木城に登ってまず驚いたのは、淡河範之・定範父子が同じ日、同じ刻限にやってきていたことだ。
案内役に付いた若い侍に尋ねたところ、彼らは淡河城を奪還するにあたり、別所家から武具や兵糧のみならず、ある程度の数の兵を借りていたと教えられた。
今日の淡河家の登城は淡河城周辺の仕置きに一段落がついたため、助力に対する御礼を言上するためで、前もって予定されていたものだという。
つまり最初から、別所安治は有馬と淡河を手打ちさせるため、両家が顔を合わせることを仕組んだことになる。
(嫌らしい手管を使われるものだ)
則頼は腹立たしく思うが、その思いは淡河の父子も同じかもしれない。
安治の立場からしてみれば、有馬家と淡河家をこの際きちんと和睦させておきたいとの思惑があるのだろう。
案の定、別所家の家臣が居並ぶ本丸御殿の広間には、則頼と淡河父子が同時に通された。
なお、振は実家の元へと里帰りしており、この場には呼ばれていない。
この時、則頼ははじめて淡河定範をみた。
(この男が、淡河家自慢の養子か)
則頼は既に、三津田城で則重から改めて定範の人となりについて聞いている。
弘治年間に範之の養子となった淡河弾正忠定範は、天文八年(一五三九年)生まれ。
美作国江見荘江見城の城主である江見又次郎祐春の次男として生まれ、初名を江見次郎行定であるという。
則頼が見たところ、上背こそ常人なみであるが、小袖を着ていてもその下の四肢はたくましく引き締まっているのが判った。
顎は四角く張り出し、さながら目の粗い木を荒々しくノミで削りだしたような、厳めしい面構えをしていた。眉は太く、切れ長の目に宿る光は鋭い。
この年二十歳の若武者であるが、どこかふてぶてしい貫禄があった。
鶏卵を連想させる丸顔で、頑健さを誇るとは言い難い則頼とは、何もかもが対照的な存在だった。
一方、傍らの養父・淡河範之は子も為せない蒲柳の質であり、見た目にも頼りない。
やはり淡河城を奪い返すにあたっては、定範の働きが大きかったのだろうと推察された。
まず、淡河範之が安治に対して手勢を借りたことの御礼を述べ、別所の助けがあってこそ淡河城と野瀬城を取り戻すことができたと報告する。
それを真横で聞いている則頼としては、どのような顔をするべきか判らない。
いくら自分が城を攻め落とされた訳ではないとはいえ、決して気持ちの良いものではなかった。
続いて則頼の番となる。
「お陰様を持ちまして、この度、三好より証人の役目を解かれ、三津田に戻りましてございます。また、振姫様を妻に迎え、これほどの喜びはございませぬ。これからも別所の為に尽くしたく存じます」
我ながら歯の浮くような台詞よ、と思いながら則頼は滔々と口上を述べた。
則頼の帰還を受けて、三津田城攻めの矛を収めざるを得なくなった淡河父子としては、わざわざ聞きたくもない内容であっただろう。
なんとも微妙な空気が広間に漂う。
満足気な表情を見せているのは上座の安治だけと言っても過言ではなかった。
(この御仁、よほどの大器なのか、単なる変わり者なのか判らんな)
則頼がそんなことを考えながら平伏していると、不意に広間にざわめきが広がった。
そっと顔をあげて様子を伺った則頼は、思わず息をのんだ。
上座の安治とその両脇に流れる家臣たちの間から、薄紅色の打掛の裾を翻した娘が顔をのぞかせているのが見えたのだ。
まるでその娘の周囲にだけ、陽の光が差し込んでいるかのようだった。
(おお、皐姫様か)
則頼は内心で感嘆の声をあげる。
記憶の中の朗らかなお転婆な少女は、華やかな気品を保ったまま、さらに美しく成長した娘となっていた。
比べてはならぬと思いつつ、則頼は正妻・振の冷えた目の光を、脳裏に描かずにはいられない。
場違いな姫の乱入にも別所の家臣たちは慣れっこになっているのか、やれやれと言った調子で、特にとがめだてする者もいない。
兄である安治ですら、首をすくめているだけだ。
「姫様、何事でございましょうか」
最初に皐姫に向かって困惑げに声を発したのは、定範であった。
「いえ。先ほどから、聞き慣れぬ声が耳に届いたものですから」
皐姫の涼やかな声が広間に響く。
二人のやりとりからは、既に旧知の間柄であることが伺えた。
則頼はつい、その様子を妬ましげに眺めてしまう。
すると、皐姫の視線が則頼に向いた。
「有馬源次郎様、この度の帰参、おめでとうございます。既に当家の御一門になられたとのこと、頼もしく思っております」
皐姫の言葉はありきたりな挨拶であったが、その言葉の温かみに、則頼は震えるような感動に襲われた。
「はっ。ありがたきお言葉にござりまする」
思わず、皐姫に対して這いつくばるようにして平伏する。
居並ぶ別所家の家臣から失笑が漏れたが、まるで気にならなかった。
安治への挨拶を終えて広間から次の間へと下がったところで、則頼は定範に呼び止められた。
「互いの遺恨を水に流すことは、やはり難しいでしょうかな」
定範の口ぶりは決して喧嘩腰ではないのだが、定範の目に宿る力の強さに、則頼は内心でたじろぎそうになる。
言うまでもなく淡河家と有馬家は、淡河城を奪い、また奪い返した相手同志である。
とはいえ、当事者である定範にとっては、淡河城の失陥は養子となる前の出来事である。
対する則頼にしても、人質に出された三好之虎の元に身を寄せていた時期の話であって、淡河城を巡る攻防は伝聞でしか知らない。
加えて、今日に至る事態を引き起こした張本人である有馬重則は誅殺され、既にこの世の人ではない。
つまり、当人同士に際だった遺恨がある訳ではなく、痛み分けとすることも可能だとも考えられる。
「さて。そればかりは、相手があることですからな」
則頼は曖昧に応じた。
無闇に事を荒立てる気はない。しかし、だからといって不用意に言質を取られるつもりもなかった。
「もちろんのこと、今日明日という話ではござらぬ。いずれ、良き間柄となりたいものにござる」
そう言い残して、定範は範之と共に去って行った。
この日の邂逅こそ、則頼にとって宿敵となる淡河定範との出会いであった。
ただしその因縁を則頼が思い知るまでには、まだしばらくの時が必要となる。
空は晴れ渡り、強い夏の日射しが降り注いでいる。
(この景色を見るのは、四年ぶりとなるのか……)
懐かしい山の稜線が濃い緑に覆われている様を望見する則頼は、父に連れられて三田城に向かった時の雨模様の景色を思い返さずにはいられない。
あの時は、まさかこれほど長期に渡って城を離れることになるとは想像にしていなかった。
ましてや、嫁を連れて戻ることになるとは、完全に予想外であった。
之虎に見せてもらった則重からの書状には、今も淡河勢に攻囲されているかのような書きぶりであり、三津田城に近づく際は緊張感が高まった。
しかし、則頼らが戻った時は幸いにも、淡河の兵の姿は周囲にみられなかった。
ただ、城下には焼け残った人家などもあり、最近戦さがあった事実を示していた。
無事に三津田城に戻った際にはそれなりに感慨深い思いを抱いた則頼であるが、出迎えた則重は対面の挨拶もそこそこに、三木城から登城の命令が届いていると告げた。
なお別所家においても、当主が代替わりしている。
かつて三好に三木城を攻められて従属を決意した別所村治は、弘治二年(一五五六年)に家督を長男・安治に譲っていた。
別所安治は天文元年(一五三二年)生まれ。この時二十七歳の青年大名である。
「夫婦そろって顔を出せとのことじゃ。これで、先般よりの淡河の動きも抑えられよう」
書院の上座に座る則重は、整った面立ちに愛想笑いじみた表情を浮かべて言葉を付け足した。
「まあ、別所一門から嫁御を迎えている以上、一度は挨拶しておくのは当然ですな」
己の不甲斐なさを棚に上げたような則重の態度に腹を立て、則頼はぶっきらぼうに応じた。
振を連れて三木城に登ってまず驚いたのは、淡河範之・定範父子が同じ日、同じ刻限にやってきていたことだ。
案内役に付いた若い侍に尋ねたところ、彼らは淡河城を奪還するにあたり、別所家から武具や兵糧のみならず、ある程度の数の兵を借りていたと教えられた。
今日の淡河家の登城は淡河城周辺の仕置きに一段落がついたため、助力に対する御礼を言上するためで、前もって予定されていたものだという。
つまり最初から、別所安治は有馬と淡河を手打ちさせるため、両家が顔を合わせることを仕組んだことになる。
(嫌らしい手管を使われるものだ)
則頼は腹立たしく思うが、その思いは淡河の父子も同じかもしれない。
安治の立場からしてみれば、有馬家と淡河家をこの際きちんと和睦させておきたいとの思惑があるのだろう。
案の定、別所家の家臣が居並ぶ本丸御殿の広間には、則頼と淡河父子が同時に通された。
なお、振は実家の元へと里帰りしており、この場には呼ばれていない。
この時、則頼ははじめて淡河定範をみた。
(この男が、淡河家自慢の養子か)
則頼は既に、三津田城で則重から改めて定範の人となりについて聞いている。
弘治年間に範之の養子となった淡河弾正忠定範は、天文八年(一五三九年)生まれ。
美作国江見荘江見城の城主である江見又次郎祐春の次男として生まれ、初名を江見次郎行定であるという。
則頼が見たところ、上背こそ常人なみであるが、小袖を着ていてもその下の四肢はたくましく引き締まっているのが判った。
顎は四角く張り出し、さながら目の粗い木を荒々しくノミで削りだしたような、厳めしい面構えをしていた。眉は太く、切れ長の目に宿る光は鋭い。
この年二十歳の若武者であるが、どこかふてぶてしい貫禄があった。
鶏卵を連想させる丸顔で、頑健さを誇るとは言い難い則頼とは、何もかもが対照的な存在だった。
一方、傍らの養父・淡河範之は子も為せない蒲柳の質であり、見た目にも頼りない。
やはり淡河城を奪い返すにあたっては、定範の働きが大きかったのだろうと推察された。
まず、淡河範之が安治に対して手勢を借りたことの御礼を述べ、別所の助けがあってこそ淡河城と野瀬城を取り戻すことができたと報告する。
それを真横で聞いている則頼としては、どのような顔をするべきか判らない。
いくら自分が城を攻め落とされた訳ではないとはいえ、決して気持ちの良いものではなかった。
続いて則頼の番となる。
「お陰様を持ちまして、この度、三好より証人の役目を解かれ、三津田に戻りましてございます。また、振姫様を妻に迎え、これほどの喜びはございませぬ。これからも別所の為に尽くしたく存じます」
我ながら歯の浮くような台詞よ、と思いながら則頼は滔々と口上を述べた。
則頼の帰還を受けて、三津田城攻めの矛を収めざるを得なくなった淡河父子としては、わざわざ聞きたくもない内容であっただろう。
なんとも微妙な空気が広間に漂う。
満足気な表情を見せているのは上座の安治だけと言っても過言ではなかった。
(この御仁、よほどの大器なのか、単なる変わり者なのか判らんな)
則頼がそんなことを考えながら平伏していると、不意に広間にざわめきが広がった。
そっと顔をあげて様子を伺った則頼は、思わず息をのんだ。
上座の安治とその両脇に流れる家臣たちの間から、薄紅色の打掛の裾を翻した娘が顔をのぞかせているのが見えたのだ。
まるでその娘の周囲にだけ、陽の光が差し込んでいるかのようだった。
(おお、皐姫様か)
則頼は内心で感嘆の声をあげる。
記憶の中の朗らかなお転婆な少女は、華やかな気品を保ったまま、さらに美しく成長した娘となっていた。
比べてはならぬと思いつつ、則頼は正妻・振の冷えた目の光を、脳裏に描かずにはいられない。
場違いな姫の乱入にも別所の家臣たちは慣れっこになっているのか、やれやれと言った調子で、特にとがめだてする者もいない。
兄である安治ですら、首をすくめているだけだ。
「姫様、何事でございましょうか」
最初に皐姫に向かって困惑げに声を発したのは、定範であった。
「いえ。先ほどから、聞き慣れぬ声が耳に届いたものですから」
皐姫の涼やかな声が広間に響く。
二人のやりとりからは、既に旧知の間柄であることが伺えた。
則頼はつい、その様子を妬ましげに眺めてしまう。
すると、皐姫の視線が則頼に向いた。
「有馬源次郎様、この度の帰参、おめでとうございます。既に当家の御一門になられたとのこと、頼もしく思っております」
皐姫の言葉はありきたりな挨拶であったが、その言葉の温かみに、則頼は震えるような感動に襲われた。
「はっ。ありがたきお言葉にござりまする」
思わず、皐姫に対して這いつくばるようにして平伏する。
居並ぶ別所家の家臣から失笑が漏れたが、まるで気にならなかった。
安治への挨拶を終えて広間から次の間へと下がったところで、則頼は定範に呼び止められた。
「互いの遺恨を水に流すことは、やはり難しいでしょうかな」
定範の口ぶりは決して喧嘩腰ではないのだが、定範の目に宿る力の強さに、則頼は内心でたじろぎそうになる。
言うまでもなく淡河家と有馬家は、淡河城を奪い、また奪い返した相手同志である。
とはいえ、当事者である定範にとっては、淡河城の失陥は養子となる前の出来事である。
対する則頼にしても、人質に出された三好之虎の元に身を寄せていた時期の話であって、淡河城を巡る攻防は伝聞でしか知らない。
加えて、今日に至る事態を引き起こした張本人である有馬重則は誅殺され、既にこの世の人ではない。
つまり、当人同士に際だった遺恨がある訳ではなく、痛み分けとすることも可能だとも考えられる。
「さて。そればかりは、相手があることですからな」
則頼は曖昧に応じた。
無闇に事を荒立てる気はない。しかし、だからといって不用意に言質を取られるつもりもなかった。
「もちろんのこと、今日明日という話ではござらぬ。いずれ、良き間柄となりたいものにござる」
そう言い残して、定範は範之と共に去って行った。
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