淡き河、流るるままに

糸冬

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(十六)

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 福島家には、正則の武威と石高を慕ってか、次郎たち以外にも少なくない数の陣借衆が集っており、才蔵の陣の周囲に根小屋を掛けていた。
 確かに、正則配下の諸将の備に陣法を知らぬ牢人者を無分別にばら撒いたのでは、軍の統制が危うくなると思われた。
 それならば、元より細かな采配を期待されていない才蔵の元に集めて任せるのは理にかなっていた。
 次郎は、図らずも同陣することとなった牢人たちと積極的に声をかけ、顔と名前を覚えるよう努めた。
 甲斐の武田家や、武蔵の北条家の旧臣がいた他、かつて福島正則が領した伊予国の河野家を浪人した者などとも話をする機会を得た。
 中には別所一党にも長宗我部勢でも見かけない類の、厳めしく荒れた雰囲気の牢人者もいて、内心で怯む思いをすることもあった。
 話しかけてみても「別所など、知らぬ」といった態度の者もいるにはいたが、多くは相見互いと割り切り、進んで名乗ってくれた。
 次郎が聞いたのは、身の上話もさることながら、会津征伐のため宇都宮の小山まで進出し、東海道を戻る一大行軍の顛末だ。
 その話を通じて、福島家がどこの家中と親しく、また疎遠であるかを聞き覚えるためだ。
 もちろん、陣中に流れる風聞や、於寿からの報せも聞いており、大方のことは次郎の頭に入っている。しかし、実際に従軍した者の言葉を聞くのは、同じ内容でもまた違った感覚があった。

「殿がお呼びじゃ」
 いくつもの軍を渡り歩いたという綿貫と名乗る牢人者と話し込んでいた次郎を、赤松外記が呼びに来た。
「承知した。すぐに参る。綿貫殿、申し訳ござらぬがこれにて失礼仕ります」
 綿貫に断りを入れて、次郎は腰を上げた。
「あのような者どもと交わって、どうするつもりじゃ」
 次郎と連れ立って歩きながら、例によって赤松外記は目を細め、非難めいた口ぶりで咎めてくる。
「戦さ場において、顔と名を知っておること、知られておることは大事にございましょう。知っておれば、敵と見誤ることもない」
「ふん」
 次郎の答えが気にいらないのか、赤松外記は鼻を鳴らす。
「それに、福島様への仕官が叶えば、いずれ同僚ともなる相手にござります」
「気の早い話じゃ。共に召し抱えられるとは限らぬぞ」
「無論。我が殿が仕官が叶い、そのうち禄高が増えれば、新たに家臣を増やさねばならぬ時も参りましょう。その折、牢人者の伝手があれば役に立つときもあろうかと存じます」
「そこまで考えておるのか」
 赤松外記は、感心したというよりも呆れたと言った調子で首を振った。



「淡河民部、お呼びにより参上いたしました」
「おお、待っておったぞ」
 源兵衛の根小屋に入ると、中では源兵衛の他に於寿が待っていた。
 次郎は於寿の横顔を一瞥してから腰を降ろし、源兵衛に向き直って頭を下げる。
「して、いかなる御用にございましょうか」
「なに、この於寿がその方に伝えたいことがあると申してな。儂が勝手に聞くわけにもいかぬでな」
 にやりと源兵衛が笑い、対照的に澄ました表情のまま於寿が小さく会釈する。
「殿の御耳に入れても構わぬのであれば、ここで聞こう」
 身体をわずかに於寿のほうに向けて、次郎は問うた。
「はい。長宗我部勢が伊勢長島城の包囲陣から離れたとの報せが参りました」
「伊勢におる上方勢も動くか。やはり、向かう先は大垣か」
「しかとは判りかねますが、北に転じたのは間違いなき様子にございます」
「そうか」
「かなうならば、直接戦場で相まみえたくはないものよのう」
 二人のやり取りに源兵衛が口を挟んだ。
「仰せのとおりで。於寿は苦労であった。他に報せはないか」
「今のところはございませぬ。時に民部様。陣中にて不足しておる品などはございませぬでしょうか。こうして陣中に出入りしておる以上、葛屋として、いくらか商いをさせていただければ幸いに存じます」
 於寿の言い分はもっともだと次郎は思った。商人がわざわざ危険を冒して陣中に入り込む割に、何も商売をしていないのでは怪しまれよう。
「とは申しても、今のところ兵糧の支給は受けておるし、矢玉も不足してはおらぬ」
 顎を撫でながら次郎は思案する。上座の源兵衛もこれといった不足の品も思い浮かばない様子だった。
「まあ、馬なり鉄砲なり、持ってくればよかろう。我等以外にも、陣借衆のいずれかが銭を出すやも知れぬ」
「承知いたしました。では」
 わずかばかり落胆した表情を見せ、於寿は源兵衛と次郎の前から辞去した。



「随分とあの娘はその方を好いておるようじゃなあ」
 於寿の座っていた場所に視線を向けながら、源兵衛は羨まし気に呟いた。
「自らの役目を果たそうとしておるだけだと存じますが」
「役目と言えばそうだが、元々はその方の叔父御に命ぜられただけのこと。淡河民部に忠誠を誓う立場ではないのじゃぞ」
「それはまあ、確かに」
 次郎としても返答に困る。
「それとも讃岐に残した娘が恋しいか。確か、翡翠とか申したか」
 言葉に窮している次郎を見かねてか、それともさらにからかうつもりなのか、源兵衛は話の矛先を変えた。
「それは殿次第かと。皆々様が福島様への仕官が叶うたならば、妻に迎えることもあるでしょう」
「なるほど。道理じゃな」
「独り身のそれがしなどより、殿こそ奥方様を残しての出陣となれば、郷心もつくのではございませぬか」
 次郎にしてみれば、何気ない返しのつもりだった。
 しかし、意に反して源兵衛は言葉に詰まり、しばし低い唸り声をあげるばかり。
「如何なされましたか」
 さすがに心配になった次郎に対し、源兵衛は思いつめたような表情を向けてくる。
「奥方、か。既に離縁したわ」
「なんと」
 思いがけない言葉だった。
「どうやら、謝らねばならぬようじゃな。その方を決起に誘った際に話したことは、いささか取り繕ったものがある」
 ばつが悪そうな顔をして源兵衛は打ち明けた。曰く、別所家再興の為に城主の座を返上し、姓を旧に復したというのは表向きのことだという。
「実際には、千代に愛想を尽かされて離縁されたのよ。儂の女癖が悪いと申してな」
 千代というのが宗鹿家の娘の名であると、初対面の折に聞いていたことを次郎は思い返す。
「たしか、子を三人成しているとお伺いましたが」
 妻のいない次郎には理解しがたいが、夫婦仲は悪くないと考えるのが普通ではないかと思う。
「うむ、千代は抱くとすぐ孕む女での。三年の間に男ばかり三人も産みおった。それは目出度いことではあるが、年中孕んでおる上に側室も許されぬとなれば、儂の腰が落ち着かぬわ」
 そう自嘲して源兵衛が嘆息する。
 年下の、若干二十歳の僧形の主君が吐露する赤裸々な言葉に、次郎は迂闊に相槌も打てない。
「危うく腹を切らされるところであったが、再度出家すると説き伏せて、頭も丸めてどうにか命だけは助かった。さりとて、いまさら善通寺に顔を出せる身の上でもない。城主でもなく当主でもなく、坊主にも戻れぬ以上、別所の家を再興させる以外に、儂には身の置き所がないことと相成った。それが決起の真実じゃ」
 源兵衛の告白に、次郎は束の間、返す言葉を失った。
「なぜ、今になって真実を打ち明けられたので」
 間をおいて次郎が発したのは問いかけの言葉だった。
 詮索するべきではないと頭の一部では思いつつ、やはり問わずにはいられなかった。
「いや、なに。実のところ、一党は皆、たいていは知っておるよ。知らぬのはその方ぐらいのものであってな。ここまでよく働いてくれておるのに、隠し事をしておったのでは申し訳ないでな」
 源兵衛は内心の屈託を吐き出し、どこかすっきりした顔つきになっていた。
「知らぬはそれがしばかりとなれば、やはり鉄入斎も知っておったのですな」
 次郎は呻くようにつぶやいた。
「うむ。あの者の望みは、淡河家の跡継ぎであるそなたが世に出ることのみ。形はどうあれ別所家が再興されるというのであれば、選り好みはせぬと申しておったわ」
「確かに、鉄入斎は常よりそう申しておりました」
 次郎の肩から、どっと力が抜ける。その様子に、源兵衛が表情を曇らせ、次郎の顔を伺う。
「失望したか」
「正直、よく判りませぬ。さりながら、だからと申して殿を見限ることなどはございませぬ。嘘から出たまこととの言葉もございますれば。要は、本当に別所家の再興がなれば、すべて丸く治まりましょう」
「よう申してくれた。というところでその方には真実を伝えておきたい。今の話は、真実の半分じゃ」
「と申されますと」
「儂が百相の城主の世継として据えられて後、別所長治の忘れ形見であることを知った別所の旧臣、つまり、今の一党が城下に集まり、仕官を求めるようになってな。曲りなりにも別所と縁ある者となれば、儂も無碍にはできぬ。妻も義父も、初めのうちこそこれぞ長治公の遺徳と喜んでおったが、元からの家臣は面白くないわな」
 このまま別所遺臣が家中に入り込むことになっては宗鹿の家を乗っ取られる形になってしまう、と元々の宗鹿家の家臣が源兵衛の排除を画策し始めたのだという。
「それ故に、殿は別所の遺臣の為に起ったのでございますか」
 別所の遺臣に、自分達のために城主の座を追われたとの負い目を与えぬために、己の女癖の悪さが理由と自嘲していたのか。
 それに気づいた次郎は、不思議な感動にとらわれた。この方についてきて良かった、と心から思えた。
「まあ、なに。いずれにせよ、始まりはばつの悪い話ではあるが、別所の名を再び世に出すことにかけては嘘偽りのない思いあってのこと。済まぬが、その方の力をこれからも貸してくれ」
 次郎が向けるまなざしに気恥ずかしくなったのか、源兵衛は照れくさそうに笑った。
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