淡き河、流るるままに

糸冬

文字の大きさ
上 下
1 / 25

はじめに

しおりを挟む
 東播磨八郡二十四万石を領した播州の名族・別所氏が三木城にて滅んだのは、天正八年(一五八〇年)一月のことである。
 天正六年(一五七八年)二月、それまで織田信長が中国計略の担当者として送り込んだ羽柴秀吉に従っていた別所家は、突如として反旗を翻し、毛利に通じた。
 しかし、その後は秀吉の迅速な対応により、はかばかしい戦果も得られないまま枝城を相次いで落とされた。
 その後も三木城の城兵は、毛利の援軍を待ち続け、後に「秀吉の干し殺し」と呼ばれる厳重な包囲にも二年近くに渡って耐え抜いたが、天正七年(一五七九年)六月に備前の宇喜多直家が毛利方から織田方に転じたこともあり、毛利の援軍が姿を見せることはついになかった。
 別所最後の当主となった別所長治は、城兵の助命を条件に、自らを含む一族ともども命を絶った。
 現代でも、地元では悲運の名君として語り継がれている。
 一方で昨今、秀吉は別所長治らの自刃後、約定を違えて城兵を皆殺しにしたとの説が力を持ち始めている。
 後世に残る幾つかの書状などのいくつか一次史料に、「城兵を一か所に追い寄せて、ことごとく討ち果たした」といった類の記述がみられることがその根拠とされている。
 事実はどちらであろうか。
 留意したいのは、三木城の籠城に別所方として参加した武将が、後に織田勢の配下となっている事例があることだ。
 古田織部の一族ともされる織田方の将・古田重則を討って名を残した石野氏満などが、その一例である。
 無論、三木城落城後に、別所方に加わっていた播州の国衆などは、地元に逼塞して帰農した者も多い筈である。
 一方、主に別所の直臣となれば、旧臣全てが織田家に召し抱えられる筈もなく、かといって三木の地にとどまることも難しく、否応なく他国に落ちていかざるを得ない。
 少なくない人数が、瀬戸内海を渡って讃岐の地に逃れたことも想像に難くなく、事実、様々な記録にもその足跡が残っている。
 昭和四十三年に出版された「図説三木戦記」の著者・三木良治氏は、自身も四国に逃れた別所氏の末裔であるという。
 それらの伝承を考慮すれば、やはり「三木城の城兵は皆殺しにあった」とは、言葉が過ぎると考えざるを得ない。
 さて、「図説三木戦記」には、「東西両軍将士名録」と称し、三十近い書物から拾い集めた武将の名が一覧として記載されている。
 その中に、淡河次郎丸なる名の項目がある。
 三木合戦において、淡河城の攻防戦にて羽柴秀長勢に牝馬をけしかけて混乱を誘い、撃退に成功したことで名を残した淡河弾正定範の次男である。
 その次郎丸は、讃岐国坂出に逃れ、後に民部と名乗り、関ヶ原の合戦において福島正則の陣に加わった、とある。
 一方、香川県高松市立仏生山小学校の創立百周年記念として発刊された「ふるさと仏生山」にも、興味深い記述がある。
 仏生山の古い地名である百相の地にあった百相城の城主となっていた別所長治の遺児・源兵衛長行が関ヶ原の合戦に参陣し、やはり福島正則について戦ったとされているのだ。
 同じ讃岐の地に逃れていた別所と淡河の忘れ形見。
 二つの資料いずれにも互いの名は出てこないが、いずれも福島正則の元で関ヶ原に赴いていたとの内容は見過ごせない。
 一見すると突拍子もない話に聞こえるが、実のところ、彼らに福島正則との縁がないわけではない。
 淡河定範は別所長治の伯母を妻に迎えている。そして、関ヶ原の合戦当時、福島正則の世継である福島正之は、福島正則の姉と別所長治の叔父である別所重宗の間に生まれた子であり、正則の養子となっていたのだ。
 となれば、淡河次郎丸と別所長行は、この血縁を頼って福島正則の元に馳せ参じたものとの仮説が自然と導き出される。
 天下分け目の関ヶ原の合戦を世に出る千載一遇の機会と見定め、敢然と立ち上がった男達の物語が、きっとそこにはあった筈である。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。 播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。 しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。 人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。 だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。 時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

覇者開闢に抗いし謀聖~宇喜多直家~

海土竜
歴史・時代
毛利元就・尼子経久と並び、三大謀聖に数えられた、その男の名は宇喜多直家。 強大な敵のひしめく中、生き残るために陰謀を巡らせ、守るために人を欺き、目的のためには手段を択ばず、力だけが覇を唱える戦国の世を、知略で生き抜いた彼の夢見た天下はどこにあったのか。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

空母鳳炎奮戦記

ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。 というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

楽毅 大鵬伝

松井暁彦
歴史・時代
舞台は中国戦国時代の最中。 誰よりも高い志を抱き、民衆を愛し、泰平の世の為、戦い続けた男がいる。 名は楽毅《がくき》。 祖国である、中山国を少年時代に、趙によって奪われ、 在野の士となった彼は、燕の昭王《しょうおう》と出逢い、武才を開花させる。 山東の強国、斉を圧倒的な軍略で滅亡寸前まで追い込み、 六か国合従軍の総帥として、斉を攻める楽毅。 そして、母国を守ろうと奔走する、田単《でんたん》の二人の視点から描いた英雄譚。 複雑な群像劇、中国戦国史が好きな方はぜひ! イラスト提供 祥子様

アユタヤ***続復讐の芽***

夢人
歴史・時代
徳川に追われた茉緒たちは大海を超えて新天地に向かいます。アユタヤに自分たちの住処を作ろうと考えています。これは『復讐の芽***』の続編になっています。

処理中です...