【架空戦記】炎立つ真珠湾

糸冬

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(一)

 一九四一年十二月八日。
 日米開戦の日として人類の歴史に深く刻まれることになる一日であるが、決して唐突に訪れたものではない。

 開戦に至る過程を遡ると、その約四十年前の日露戦争にたどり着く。

 大国ロシアとの戦いを、奇跡的に引き分けに持ち込んだ日本は、曲がりなりにも列強の仲間入りを果たしたと世界に認められた。

 そして日本は列強並みの帝国主義を具現化すべく、中国大陸にその力を一層注ぎ込む事となった。

 だが一九三一年の満州事変、一九三七年の日中戦争勃発と、日本の強引な対中国政策に、アメリカを始めとする西欧諸国は態度を次第に硬化させていった。

 一九四一年十一月二十六日。
 その六日前に日本側が提出した最終妥協案に対して、アメリカ合衆国政府は中国および仏印からの撤退や、満州の否認等を始めとする十か条を突きつけた。

 いわゆる「ハル・ノート」である。

 これは、同年四月の対日資産凍結、八月の対日石油禁輸以上の衝撃を日本にもたらした。

 この時点で、半年以上に渡った野村吉三郎大使とコーデル・ハル国務長官との交渉は、ついに全くの無駄に終わったのである。

「このままでは日本は戦わずしてアメリカに屈服する事になる」

 事ここに至り、開戦やむを得ず、との空気が日本政府のみならず、国民世論にも満ち満ちた。

 このまま石油禁輸が続いたまま交渉を続けても、いたずらに資源を消費するのみで意味がない、と。

 「ハル・ノート」の内容は、当時の日本人にとりアメリカの宣戦布告も同然と受け止められていた。



 奇しくも、その同日。
 日本帝国海軍連合艦隊の主力部隊が、アメリカ太平洋艦隊の根拠地であるハワイ諸島オワフ島の真珠湾軍港を目指して、ひそかに択捉島単冠湾を出撃していた。

 この部隊の中核をなすのは、長年にわたって海軍の主戦力であると考えられ続けてきた戦艦ではなく、六隻の空母であった。

 連合艦隊司令長官・山本五十六大将が発案した真珠湾奇襲攻撃に際し、連合艦隊は保有する正規空母六隻全てを投入していた。

 搭載する航空機は約三百五十機におよぶ。
 これほどの航空機が集中して使用されるのは、史上初の事である。



  十二月一日。
 御前会議において、ついに対米戦争の開始が決定された。

 日米の命運を決する「ニイタカヤマノボレ1208」の暗号電報が第一航空艦隊旗艦、空母「赤城」に対して発信さられた。

 戦争はもはや避けられない所まで来ていた。

 現地時間十二月七日午前一時二十分。
 日本艦隊はハワイ諸島沖約三百二十キロの地点に到着していた。

  「赤城」のマストに、黄・黒・赤・青の四色を配した「Z旗」が翻る。

 日本海軍においては、「皇国ノ興廃コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」との意味を持つ、日本海海戦以来の伝統の旗である。

 「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の六隻の空母の飛行甲板には、既に零式艦上戦闘機(零戦)、九七式艦上攻撃機(九七艦攻)、九九式艦上爆撃機(九九艦爆)がずらりと並び、エンジン音を轟かせて発進を待っている。

  発着艦指揮所から、「発艦セヨ」の合図が出ると、手すきの乗組員達が海軍伝統の「帽振レ」で見送る中、まず零戦隊が先陣を切って離陸していく。

 九七艦攻、九九艦爆がそれに続く。第一次攻撃隊第一波計百八十三機が出撃に要した時間はわずか十五分。

 パイロットは皆、世界の水準を遥かに超えた技量の持ち主ばかりであった。

(二)

 午前七時三十分。
 真珠湾攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐はオワフ島の島影を視界前方に見出した。

 敵戦闘機の姿はない。

 入念な準備と、いくつかの幸運にも助けられ、彼等は奇襲に成功しつつあった。

「行ける」 
  淵田は彼の乗る九七艦攻の通信員に、攻撃隊突撃の信号を送らせた。

 いわゆるト連送である。

 あわせて淵田機からは、信号弾一発が放たれる。

 これは、奇襲成功時には艦攻による雷撃を先行させる合図であった。

 しかし、九七艦攻隊に動きが見られなかったことから、淵田はやむを得ずもう一度信号弾を発射した。

 これに対して、九九艦爆を率いる高橋赫一少佐は、信号弾二発が意味する「強襲」の合図と認識した。

 強襲の場合は、対空砲火を制圧するため艦爆隊が先行しなければならない。 

 この混乱もあり、攻撃隊と艦爆隊は一斉に各自に定められた目標へと殺到する形となった。

  通信員は艦隊へ向け、モールス信号を放つ。

「・・-・・、・・・、・・-・・、・・・」

「トラ・トラ・トラ」(我レ奇襲ニ成功セリ)という意味の、歴史的な通信である。

 時に、一九四一年十二月八日午前三時二十五分。

 命令の伝達には課題を残す形となったが、日本軍の攻撃は見事だった。

 まずヒッカム陸軍基地に零戦が機銃掃射を浴びせ、列線を作って置かれていた敵戦闘機を破壊し、九九艦爆が急降下爆撃で滑走路に大穴を穿った。

 敵戦闘機は離陸する暇もなく、そのほとんどが地上で破壊された。

 真珠湾軍港でも、日本軍の猛攻が始まっていた。

 まずフォード島の東側に二列になって停泊していた戦艦のうち、外側の四隻に対して九七艦攻が雷撃を敢行した。

 九七艦攻が搭載していた八百キロ魚雷には、木製のひれがついており、これによって魚雷は浅い真珠湾の底に沈降することなく戦艦の艦腹に命中して炸裂、大爆発を起こした。

 続いて、爆装する九七艦攻が内側に停泊しているため雷撃できない戦艦に対し、「八十番」と呼ばれる八百キロ爆弾を水平爆撃した。

 一時間に渡る第一波攻撃の後、第二波攻撃隊百六十七機が真珠湾上空に現れた。

 ようやく始まったアメリカ軍の本格的な反撃の中、第二波もまた、第一攻撃目標である敵戦艦に対して猛攻をかけた。

 第一次攻撃隊第二波は、二十機被撃墜の損害を受けたものの、大戦果をあげ、それぞれの母艦へと帰投していった。
 
 この攻撃により、アメリカ海軍の受けた損害は、
<艦艇>
  ・沈没  戦艦五  軽巡洋艦一
  ・大破  軽巡洋艦一  駆逐艦一
  ・中破  戦艦二
  ・小破  戦艦一  重巡洋艦一  軽巡洋艦一
<航空機>
  ・完全喪失百八十八
  ・使用不能二百九十一
  という、壊滅的なものであった。
 まさに日本軍は奇襲に成功したのである。

(三)

 午前六時。
 第一次攻撃隊第一波が、空母の上空へと戻ってきた。

 乗組員の歓呼の中、一機、また一機と飛行甲板に舞い降りて来る。

 中には銃弾や高角砲の破片を機体に浴び、穴だらけになっているものもある。

「第二次攻撃隊を出しましょう。やるなら徹底的に打撃を与えるべきです」

  「赤城」の艦橋では、第一航空艦隊航空参謀の源田実中佐が、第一航空艦隊司令の南雲忠一長官に進言していた。

 しかし南雲は、「奇襲は成功した。もはや叩くべき戦艦は残っていまい」と、第二次攻撃隊を出す事をためらっていた。

 南雲はもともと水雷畑の人間であり、航空戦を知悉している訳ではないとの思いが強かった。

 加えて、開戦早々に空母を一隻でも失う訳にはいかないと、慎重になっていた。

「ともかく敵に大損害を与えた以上、長く敵の勢力圏内に留まっているのは危険だ」
 この時点では南雲は早くも、そう結論づけかけていた。

「『飛龍』より信号。『我レ、第二次攻撃の準備完了ス。第二次攻撃の要在りト認ム』以上です」

 信号員が第二航空戦隊旗艦の「飛龍」からの発光信号を読み、それを艦橋の南雲達に伝えた。

 第二航空戦隊司令の山口多聞少将は、南雲とは対照的に航空戦の知識も持つ猛将として知られている。

「やりましょう、長官。確かに戦艦は潰しましたが、ドックと重油タンクは手付かずのままです。あれを潰せば、敵艦隊のこれからの行動が制限されることは間違いありません」

  第一次攻撃隊を指揮し、先ほど戻ってきたばかりの淵田も源田の意見に賛成した。

  南雲は悩んだ。

 この大戦果で十分ではないか。血気にはやって、いらぬ損害を出すようであっては……。

 しかし、敵本拠地を叩く機会はもう二度と無いかも知れない。

 しばらくの沈黙の後、南雲は「吉と出れば天啓、凶と出れば悪魔のささやき」と内心で呟きつつ、決断を下した。

「よし、やろう」

 淵田と源田の顔がぱっと明るくなった。

「ただし、今度こそこれで最後だ。第一次攻撃隊第一波の可動全機をもって第二次攻撃隊を編成。攻撃目標は重油タンクとドック。これで良いか?」
 南雲は草鹿龍之介参謀長に聞いた。

 草鹿は気難しい顔をしながらうなずいた。

 それを見届けてから、淵田は航空艦橋から飛び出していった。
 第二次攻撃隊の指揮を執るためである。

 草鹿は、敵空母の所在を気にしていた。

「真珠湾に敵空母がいなかったのが気になります。索敵を出しましょう」

「そうだな。いまさら、敵空母からの奇襲を受けるような真似は避けたい」

 南雲は、航空機の威力に対する認識を新たにし始めていた。

 味方に出来た事が敵に出来ないという保証はないのだ。

(四)

 午前七時二十分。
 第二次攻撃隊、計百十四機が出撃を開始した。

 攻撃隊は、第一次攻撃隊第一波の参加機を中心に編成されている。

 第一波の損失機は九機だけだったのだが、損傷機が大事をとって参加していない為、随分と少なくなっている。

 そして二時間半後。

 第二次攻撃隊は再び、地獄と化した真珠湾上空へと達して突撃を開始した。

 攻撃隊の搭乗員には、攻撃目標は重油タンクとドックだと言い渡されていた。

 しかしいざ戦場へと舞い戻ってくると、どうせなら大物をやりたいという気になり、黒煙を吹き上げて傾斜している戦艦へと、いらぬ打撃を与えるものが続出した。

 そして、アメリカ軍も決して黙って攻撃を受け続けていた訳ではない。

 激しく高角砲や対空機銃を打ち上げて、攻撃を阻止しようと懸命になっていたのである。

 九九艦爆の一機が、その弾幕の中に突っ込み、被弾した。

 右翼をもぎとられた九九艦爆の搭乗員は、なんとか敵戦艦に体当りを仕掛けようと機体を操った。

 機体を失えば、仮に敵の真っ只中に脱出できたところで、どのみち生還の見込みはない。

 そう思い定めている攻撃隊の搭乗員は、落下傘を最初から積んでいない。

 やがて搭乗員の懸命な操作にも関わらず、九九艦爆は失速して墜落していった。

 しかし、その墜落した先こそは、本来の攻撃目標である重油タンク群であった。

 整然と並んだ重油タンクのど真ん中に墜落した九九艦爆は一つの重油タンクの外板をぶち抜き、積んでいた二百五十キロ爆弾をそこで爆発させた。

 発生した火災はたちまち気化した重油に引火して、さらに延焼を引き起こした。

 第二次攻撃隊は、先の攻撃で中小破していた三隻の戦艦全てを大破させ、重巡一隻を撃沈。

 さらにドックを完全に破壊したうえ、重油タンクの半数を炎上させることに成功したのである。
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