仕合せ屋捕物控

綿涙粉緒

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幕間の弐

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「……ああ、これから行ってみようと思うんだよ、太平」

 回向院近くの小さな、そして寂しげな墓地で、北川は墓と呼ぶには粗末すぎる丸石を置いただけの盛り土に、しゃがみ込んだままそう語りかけた。

 ここに太平の亡骸を葬ってからまだ半月も経っていない。

 盛り土の色も、まだ、若干湿っている様にさえ感じられた。

 しかし。

「なぁ太平、なんだか、もう何年も前のことのように思えるじゃねぇか。なぁ」

 北川は、一面に星屑をちりばめた冬の夜空を仰いでそう呟いた。

 嵐の様なあの日の事が、ちらりと北川の脳裏をよぎる。あの日の一部始終が、ここ数日何度もよみがえってくるあの景色が、まぶたの裏に沸き上がる。

 恐怖が、血が、月影が。

 断末魔の、声が。

「……なんだろうな、疾風の野郎を葬ったってのに、ちっとも、嬉しくなんかないんだな」

 北川はそう言って、月代をぺしゃりと平手で叩く。どこか、上の方で、太平の頷く声が聞こえてくる様な気がした。

 ――そうでやんすねぇ、旦那。

 ――でも、これで良かったんですよ、旦那。

「そうか、そうだよな。これで、良かったんだよな」

 北川は、姿の見えない太平にそう、話しかけた。そして、心の奥の方で、いまだに太平のいない生活になれていない自分を思って、なんともスウスウとした心持ちになる。

 あの日、太平を失ってから、北川の心のすきま風が止む事はない。

「半身をもがれるたぁ、こういうこったなぁ」

 そう言うと北川は、「よいしょぉ」と一声かけて、墓の前から立ち上がった。

「じゃあな、太平、またくらぁ。今度はうちのと、それと、おめぇの好物の羊羹を持ってな」

 そう言って墓に背を向け、歩き出した時、また声が聞こえた様な気がした。

 ――旦那、早く新しい手下を見つけてくださいよ。

 北川は、その声に振り返りもせず、低い小さな声で答えた。

「かまわねぇのかい」

 どう返事して欲しいのか、北川にもわからなかった。

 太平が新しい手下を望んでいても、望んでいなくても、すっきりしない心持ちになるだろう事は、簡単に想像が付いていた。

 俺の手下は、おめぇだけよ。なぁ太平、おめぇ以外にはいねぇのよ。

 そう、心中でつぶやいた北川の心は、冷たくなってゆく太平を抱きしめたあの瞬間から凍り付いているのだ。

 そんな北川に、太平は優しく語りかける。

 語りかけてくる様に、感じられる。 

 ――かまわねぇですよ、旦那一人で探索じゃぁ、心配でおちおち極楽へも行けやしねぇ。

「ふ、そりゃ、ちげぇねぇがな」

 北川は、微笑んだ。

 ずいぶん久しぶりに、顔の肉を緩めた様な気がする。

 俺ですらこうなのだ、あの蕎麦屋はさぞかし……。

「なぁ、太平、俺はどんな顔をしてあの店にゆけばよいと思うかの」

 北川の迷いは、そこにしかなかった。

 ただその迷いだけで、どこよりも心穏やかでいられたあの蕎麦屋台に行く事を、この半月間躊躇し続けてきたのであった。

 仕合せ屋の暖簾を、くぐれずにいたのだ。

「なぁ、太平よ、俺はいったい……」

 太平は、答えない。

 真の闇に包まれた墓地に、冬の夜にしか訪れる事のない、ピンと張りつめる様な沈黙が根を下ろす。

 そうか、そうだよな。

 北川は、すたすたと早足で歩き始めた。

 こりゃ、太平の声なんかじゃねぇ、太平の声を借りた…俺の声よ。

 俺にもわからぬ事を、答えようがねぇやな。

「ふ、情けのねぇことだ」

 北川は、白い息と共にそう吐き出すと、キンと冷えた両手を懐手にして肩をすくめた。

 冬の夜、綿入れを担いでいるとは言え、芯まで凍える。

「まぁ、これが口実だな、寒い夜は、酒と蕎麦に限る」

 ――相変わらず、寒がりですねぇ

「ほっとけよ」

 北川はそう言うと、今度はぴくりとも表情を変えないまま、振り返る事もなく宵闇の中に消えていった。

 ――旦那。旦那なら、大丈夫です

 北川のいなくなった墓地に、そんな声が聞こえた気がした。

 誰もいなくなった墓地に。

 声が、確かに。
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