仕合せ屋捕物控

綿涙粉緒

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第肆章 風の行方

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 太平から、偽疾風の顛末を聞いたその日の夜半、戌の刻過ぎ。秋葉亭の廊下を歩きながら、北川は少しとまどっていた。

 お役目の都合で、お大尽専門の料亭というのは何度か訪れた事はあるが、ここまで豪華な所は初めてである。何気ない調度品が、目の付く限り値が高そうで、足下の廊下の板一枚一枚が、黒光りして北川の身体を下から写していた。 

「こりゃ、勢いとは言え、店を間違えたなぁ」

 きょろきょろとせわしない北川の様子に、女中達の目も、どことなし冷たい。

 あのとき、湊屋が二つ返事で請け負ったのは、この居心地の悪さをもって仕返ししようという算段だったのかも知れない。そう思うと、どこか上の方で、湊屋が笑って見ているような気がして、北川は首の後ろを寒そうにさすった。

「帰るわけには……いかねぇか」

 北川は今日ここに来ている、利吉親子の事を思って、少し不憫になった。

 士分である自分でさえそうなのだ、さぞかし利吉親子は肩身の狭い思いをしている事だろう。屋台担ぎの素っ町人には、この場の空気も何もかも、拷問だ。

 急ぐか。

 北川は、女中の後をついて行きながら、せかすように足を速める。

 途中、たいそう金のかかっているであろう、大きな岩のごろごろする中庭の脇を抜けていても、その風情など目に入らない。

 ただただ、早く利吉親子の元へ。それだけを考えながら、歩く。

 そして、あきれるほど長い廊下を抜けると、高そうなふすまの前に出た。

 これはまた……。

 絢爛な桃源郷に鳳凰が舞い躍るふすまの模様から、利吉父娘が通された部屋の豪勢さがうかがえる。

 鳳凰を彩る金糸銀糸が恨めしい。

「お連れ様は、中でお待ちでございます」

 立ち止まって女中は恭しくそう言うと、その重そうな鳳凰のふすまを開けた。

 開け放たれて見えた部屋の中は、二十畳はあろうかと言うほどに広く、その真ん中にぽつんと並べられた3膳の塗りの膳の前に利吉が真っ青な顔で座っている。

 哀れだな……。

 北川は、心底後悔した。

「す、すまぬなふたりとも、この様な堅苦しい所に呼んで」

 上座に座りながら北川が言うと、利吉は震える声で答えた。

「え、い、いや、滅相もございません」

 目が泳いでいる。全力で泳いでいる。

「し、しかし北川様、これはいったい……」

 しかし、北川は、おどおどと話す利吉の言葉も耳に入らないかのように、ある一点に視線を奪われていた。

 美代だ。 

 そこには、湊屋の用意した衣装を着た美代が、いつものように無表情で座っている。

 緋色の牡丹が大きく艶やかな、晴れ着。

 相当の逸品なのであろうが、その着物でさえ、美代にかかれば、引き立ての役目すら果たしていなかった。

「こりゃぁ、おどろいた……」

 そこには、今まで見た事もないような、白く美しい少女が座っていた。

 この豪華な料亭の、贅をこらした何物も及ばないほどに、高貴で清廉な光を放ちながら。

 思わず、見とれてしまうのも無理ないほどに。

「美代、お前はまた、美しいな」

 北川は、ほとんど無意識にそう言っていた。人間は、あまりに驚くと素直になるのかもしれない。

 しかし、美代は、照れるでも怒るでもなく、冷静に言い放った。

「おじちゃん、そんな事を言いたくて呼んだんじゃないでしょ」

 堅く、冷たい口調である。

 北川は、一気に現実の世界に引き戻された。

「そうか、そうで、あったな」

 利吉は、いまだに緊張しきりである。

 しかし、それは、ただこの料亭の迫力に萎縮しているだけではないのだろう。

 利吉は、ゆっくりと言葉を発した。

「こんな所にお呼びだてになるなんて、いったい、あっしらは何をしでかしたんでしょうか?」

 まぁ、ありきたりの発想だ。

 北川は、鼻の頭を掻いた。

「大丈夫とおちゃん、悪いのは私らじゃない」

 美代は、やはり表情を変えない。

「何だって、そりゃいったいどういう事だい?」

 北川は、そう言葉を交わしあう利吉と美代をまじまじと見た。

 偽者の親子。

 いや、でも……。

 にしても、美代のやつは、予想通り感づいてやがったか。

「うむ、そうだ、利吉、悪いのはお前ら親子ではないのだ」

 そう言うと、利吉は、目の玉が転がって落ちるのではないかと言うほどに目を見開き、身構えた。

 そのあまりに極端な驚きに、北川は眉をしかめる。

「な、なんで、なんで北川様は、あたくしの名を?」

 あ、そうであったな。

 そうだ、まだ利吉は、北川がその名を知っている事を知らなかったのだ。

「うむ、それも含めてな、謝るのは……俺の方なのだ」

 すると、北川の言葉尻をとって美代が続けた。

「で、おじちゃん、何がわかったの?ううん、ちがうな、何が……わからなかったの?」

 するどいねぇ……。 

「おい、美代、いったい何の事だい?」

 利吉は、完全に混乱している。

 この場所と、そしてこの展開、真っ正直な利吉には無理のない事ではあった。しかし、それでもやはり、哀れではある。

「まぁ待て利吉、じつはの、この前の疾風の一件以来、俺は不安だったのだよ」

 利吉はきょとんとして北川を見た。

 美代は、やはり表情を動かさずに北川の顔を見つめている。

「なんで、お美代はあれほどまでに疾風の気持ちが読めるのか。そりゃ、手がかりや足がかりがあれば、わかる所まではわかる」

 北川は続ける。

「しかし、疾風のお豊殺しについては、なんの足がかりもなく、疾風の、その心を読んだ」

 美代は唇をかんだ。

 北川はそれを見逃さない。

「わしはそれが不思議で、そして不安だったのだよ」

 正直な気持ちだった。

 あのとき北川が感じたのは、まさしく、不安だった。

「お美代の勘働きはすごい、そりゃすごい。しかしな、利吉。俺は同時に恐ろしくもあったのだ、何の迷いもなく、大人が混乱しているような難事件をこともなく解き明かすお美代が」

 美代は、北川から視線をそらした。

 それが、北川には痛くて仕方がなかった。

「そして、最後には、疾風の、あの大悪党の心まで読んだ。その時は俺は、お美代の心の中に、悪党と同じ心の形を見たような気がしての。不安になったのだ……お美代の……これからがな」

 座敷は、早朝の湖のように、静まりかえっていた。

 波紋ひとつ立たず。さざ波ひとつ起きない。

 鏡のような、湖。

 その静寂を、最初に破ったのは利吉だった。

「で、北川様は、何を謝るんで?」

「ああ、それでわしはな、おまえらを……」

「調べたんでしょ?」

 そうだ、お美代、そうだよ。

「ああ、調べた、浅草の、藤五郎のところへ行ってな」

 藤五郎の名前を聞いて、利吉は、「ううう」っと苦しそうに唸ると、額に手を当てて、その場にうずくまった。

「で、何を聞いたの、藤五郎おじちゃんのところで」

 藤五郎……おじちゃんか。ずいぶん親しいんだなぁ。

 っと、こりゃ妬心か。

「ああ、それを、今から話そう」

 そういって北川は、藤五郎のところで聞いた話を、語り始めた。

 利吉の生い立ち、桜屋の事。桜屋で起きた、主と花板の諍い。

 そして……おけいの事。 

「なんで、なんでそんな事まで……」

 おけいのくだりで、利吉はそう唸った。

 どうしても想い出したくない、忘れたい過去。

 北川は、心の中で何度も手を合わせた。

 すまねぇ、すまねぇな。後で、まとめてわびるからよぉ。

 北川は、続けた。

 そして、桜屋が疾風に襲われ、そして、美代の母が、おけいが犠牲になった所まで一気に話すと、一息ついて酒をあおった。

「藤五郎おじちゃん、何もかも話したんだね」

 美代は、やはり表情は変えずにそう言った。それが落胆なのか、ただの感想なのかもわからないほどに。

「ああ、藤五郎としても、俺にせがまれては断れなかったのだろうさ。あいつを、責めちゃいけねぇ」

 利吉は何も言わない、ただ、恨めしそうに北川を見るばかりだ。

 そして、美代は、何かを頭の中でゆっくりと考えそして、語り始めた。

「藤五郎おじちゃんは、その先、話した?」

 北川は答える。

「ああ、話したさ。その先も」

 しかし、美代は、その北川の言葉に、あまりにも予想外の言葉を吐いた。

「ふぅん、でも、それは違うよ。それは、間違ってる」

「な、なんだと?」

 北川は、思わず大きな声を出していた。

 まだ何も言っていない、なのに、それは違っている……だと?

 「美代、おめぇ、何を言うつもりだ!」

 そう突然叫んだのは、利吉だった。その場に立ち上がり、鬼のような形相で美代を睨みつけている。

 そんな利吉を、北川は一喝した。

「やめねぇか、利吉!」

 しかし、利吉もひるまない。

「もういい加減にしてください、旦那!あっしらが何をしたんで?確かに、確かに旦那は大切なお得意だ、でも、だからといって、何の因果でこんな事を?もうこれ以上あっしら親子にかかわらねぇでください!」

 利吉は必死だった。

 この男、しがない蕎麦屋の主であっても、馬鹿ではない。

 たとえ普段から懇意にしている北川が相手であるとは言え、侍に、しかも町方の役人にこの様な口をきいたのでは、命の保証はない。利吉には、それくらいの事はよくわかっていた。

 そう利吉は、今この一言に、この瞬間に。

 命をかけている。

 北川にも、それは、ありありと感じられていた。
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