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第1章 1学期
青春スマッシュ ~April 北川サキ~
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集会の終わったあと。
いつまでも校長先生の言葉が残ってるなんて高校生になって初めてだった。
「特に三年生は、最後の一年なんだから、勉強に部活動に悔いの残らない生活をしてください」
悔い、か。
考えたことなかったけど、悔いなんかあるのかな、ボクには。
勉強に関しては……、やめとこ。
悔やんだくらいでどうにかなるほど頭が良くないのが唯一の救いだもんね。
だから、いくら悔やんでも仕方ない。進学先はもう決まってる。高校三年生だからって勉強に打ち込む予定はまるでないんだ。
うん、勉強はナシだ。
お母さんに似たんだよ、ボクは。
小学生の時。
お母さんが高校生の頃読んでた漫画を読んでからのあこがれだった、テニス部。
それもキャプテン。
うん、もうすぐやめなきゃいけないんだけどさ。
いい響きだよね、テニス部のキャプテン。
去年の夏の大会が終わってから、山崎キャプテンに指名されてなったキャプテンだけど、とってもうれしかった。厳しくて、おっかなくて、男の子みたいな山崎キャプテンがすごくいい人に見えた。
「ちっちゃいのに頑張ってるから」
そんな山崎キャプテンの言葉。
運動することしか取り柄のないボクにとって、ほんとに神様の言葉みたいに聞こえたんだ。
まだ試合で勝ったことないけど。
だって、仕方ないよね。
ウチ進学校だもん。
部活の時間だって他の学校に比べればすごく短い。
スポーツ特待生だっていない。
先生の中には「部活ばっかりやってないで、しっかり勉強しなさい」なんていうやっかいな人だっているんだ。
しかもそいつは運動部の顧問で。
しかもテニス部で。
さらに三年生からボクの担任にもなってた。
さいあくだね。
でも、それでも。
テニスやってる時はとっても楽しい。
勉強とか、男子のこととか。
友達の間だのなんやかんやや、そんなのみんな忘れて。
お日様の下で、ただ、走る。
飛んでったサーブの、黄色い球筋がいつまでも残って見えるような時。
絶対追いつかないて思ったきわどいリターンに走る。
その時だけボクの腕の関節が伸びたようになって、よろけながらも打ち返した。
その、感触。
コートを走る足音。
敵のかけ声。
ボクのかけ声。
息づかい。
球音。
歓声。
乾いた風の匂い。
めちゃめちゃに負けちゃった時も、すっごく惜しかった時も。
悲しくて悔しくて、もう二度とやんないって思ってても、心のどこかはいつも楽しくてどきどきする。
考えてるだけで、体中の肌がしっとり湿ってくる。
心臓が、細かくキュルッて震えて身体が熱くなってくる。
楽しいが暴れまわって、抑えられなくなる。
うん、やっぱり楽しいのが一番だよ。
最後の一年、ボクがテニス部のキャプテンとして悔いを残さないようにするためには、楽しむことだ。
キャプテンなんだから、ボクだけじゃなくて、みんなも。
勉強のできる子も、勉強できないボクみたいな子も、彼氏のいる子も、彼氏のいないボクみたいな子も。
みんな、楽しく。
いいなぁ、部室の壁に書いて貼ろうかな。
今年の目標『みんな楽しく』なんてね。
廊下を歩く速さが早くなる。
みんなよりもちっちゃいボクが、みんなを追い越してサクサク歩く。
手を高く挙げて、足をまっすぐ伸ばして。
ああ、自然に笑っちゃいそうだ。
何にもないところで笑ったりしたら、みんな笑われるよ。
でも、今ボクの顔は絶対ににやけてるんだ。
鏡なんて見なくても、わかる。
「あれっ、なんだろう」
教室に向かう二階の廊下の真ん中辺り。
なんだか、今のボクにぴったりくるウキウキな香りがした。
気になって立ち止まってみる。
「うあっ、なんだよ」
振り返ると、小学校の時からの幼なじみの片山がボクを見下ろしていた。
口では怒ってても、いつものみたいに笑顔だ。
昔は色んな顔を知ってた、泣き虫ですぐ怒ってすねちゃう片山。
でも、いま、ボクは片山の笑顔しか、知らない。
「廊下の真ん中で突然止まるなよな、危ないだろ、って、何ぼぉっとしてんだよ」
「ごめん、ごめん。えっとね、なんかいい匂いがしたからさ。ねえ、何の匂いかな、これ」
「ん、どれどれ……」
立ち止まって、鼻を鳴らす。犬みたいに、変な顔して。
「ああ、いい匂いだなぁ、なんだろう」
ボクのバカな質問にも、片山はいつも真剣に答えてくれる。
ほんとにいい奴なんだ、最近は一緒に遊んだりしないけど、小さいときは親友だったんだ。
高校に入ってからも、最初の頃はよく一緒にいた。
「桜……かな」
片山はつぶやいて、斜め前方を見た。
視線の先の窓が開いてて、目には見えないけど、風が入ってきてるのがわかる。
そうだ、あの窓からは裏庭が見える。おっきな桜の木と、テニスコート。
そうだ、桜だよ。
「さんきゅ、片山。ありがと」
ぽんっ、と片山の肩をたたいてその窓に向かって走り出す。
「え、あ、おお」
走るボクの背中に、母音だけで片山が答えた。
「なあ、北川」
急ぐボクを片山が呼び止める。
何だよ、急いでるのに。
「なに、どしたの」
振り返ったボクを、片山はなんだか変な表情をして見た。
困ったような笑ってるような、変な顔だ。
「いや、そのな」
「なにさ」
「……なんでもないよ」
そう答えて、片山は首を軽くふる。
「ただ、いつもみたいに、ガキみたいにはしゃいで窓から落ちンなよ。もし落ちたら、俺が悪いみたいだからよ」
そう言うと片山は、いつもの、キラキラした笑顔でボクに手を振った。
「落ちないよ、ばぁか」
ボクは「さんきゅ」ともう一回小さく言って踵を返すと、目的地の窓に急いだ。
後ろで片山が何か言ってるけど、ごめん、無視する。
たどり着いて窓枠をつかむと、スカートをひるがえして足を地面から離す。
二本の、日焼けした腕が筋肉をきしませながら私を支える。
と、勢い余って、腰骨のあたりまで窓の外に出た。
同時に、身体が絶妙のバランスをとって静止する。
そして、止まった身体を確認してから、ゆっくりと顔を上げた。
その時。
ボクが顔を上げるのを待っていたかのように、急に強い風が窓をめがけて吹き付けてきた。
短くそろえた髪が、風に乱される。
息ができない。
バランスをとる体中の筋肉が硬直して悲鳴のような音を立てる。
危ない、落ちる。
その時なぜか、片山の顔がチラッと浮かんだ。
風は、一瞬でやんだ。
たぶん一瞬、ボクにはもう少し長く。
桜の匂いをボクに吹き付けて消えた。
「ふぁ、びっくりした」
ゆっくりと地面に足をおろして、落ち着いてもう一度窓の外に目をやる。
今度ははっきりと、香りのできるところが目の中に入ってきた。
いつも、どんな季節も、コートのそばにたってテニス部員を見続けてきた桜の大きな木が。
「うわあ、満開だあ」
いつも見てる木なのに。
なんだか全く違う物に見える。
なんだろ、そうだなあ。
そうだ、とっても大きな桜色の雲みたいなんだ。
こんもりとした、ピンクの雲。
暖かい日差しの中で、その雲は風にあわせてはらはらと桜色の雪を落とす。
そうか、これが桜吹雪なんだね。
今まで、桜吹雪って言うと、桜が散っていく様子が雪みたいだからだと思ってたけど。
そうか、桜の木が雲ってのもセットなんだ。
そしてそれが雪であって雨じゃないのは、地面に積もる桜色の雪景色が証明してくれる。
地面を包む、一面の桜雪。
ああ、目が、離せない。
ボクが窓から飛び出して、あの桜の木の下を飛び回ってるみたいだ。
「雪みたいだな、桜」
気が付くと、片山も隣で桜を見ていた。
――ねえ、今、雪みたいって言った?
「俺さ、今気が付いたんだけど」
片山が、桜を見ながら言う。
「桜吹雪って、あの雲みたいな桜の木と一つ揃いで言うんだろうな。な、おまえもそう思わない?」
真剣に桜を見つめながら、瞳の端だけでボクを見た片山の顔が、ボクの呼吸を止める。
「ん、どうした?」
片山が、真剣な表情のままボクの顔をのぞき込む。
こんな近くで片山の顔を見るのも、こんな、こんな大人な顔した片山を見るのも。
ボク、初めてだ。
鼓動が、揺れる。
試合の前の時みたいに、小さく、そして強く。
暴れだして抑えが効かなくなる。
瞳が、片山に前で固まって、動かない。
「どうした、体調でも悪いのか」
「ち、違うよなんでもないよ、その、えっと、ただ」
「ただ、なんだよ」
ただ……なんなんだろう。
そんなこと、わかんないよ。
次の瞬間、ボクの口から出たのは、不思議とちらりとも思わなかった言葉だった。
「ただ、掃除が大変そうだなって、部活の前の」
片山の表情が一瞬、あきれたままで凍る。
でも、その氷はもの凄い早さで溶け、今度は弾けるように笑いはじめた。
「あは、はははははは、は」
片山は、おなかを押さえて、身体をくの字に折り曲げて笑う。
顔をこちらに向けたままで、爽やかな春にぴったりの笑顔で。
満開の桜みたいな、笑顔で。
「おまえらしいな、情緒もなんもねえのな」
おまえらしいって言われた言葉が、なんだかとても胸に刺さった。
とがった爪で、かさぶたをはがした時みたいな、鈍い痛み。
「そんなことないよ、ばか」
ボクはそう言って、窓の所から離れた。
窓の外の光が、片山の身体をシルエットにして、その表情を隠す。
「馬鹿は言い過ぎだろ、じゃぁ、もっかいチャンスやるよ」
片山は、そう言って真剣な表情でわたしを見た。
「お前、桜見てどう思ったんだ?」
片山の言葉は、鋭い。
でもいつものように暖かくて、いつものように笑ってる。
春の桜のような。
底抜けに明るくて、優しくて、そして、眩しい。
あの、桜みたいに。
そうか。
「ボクはね、桜を見て……」
その時、さっきよりも凄い風が、窓の外から吹き付けてきた。
片山の身体を風が通り抜け、ボクの顔に吹き付ける。
そして一瞬遅れてもの凄い量の桜吹雪が、身体に巻き付く生き物のように片山を包んだ。
「片山みたいだなって、思ったよ」
そう小さくつぶやいて、ボクは足早にその場所を離れた。
「なに、今なんて言ったんだ」
片山が後ろで叫んでる。
でもボクは無視して廊下を走った。
体中の筋肉が呼吸してるのが、わかる。
体中に、力がみなぎるのを、感じる。
心に、熱がほとばしるのを、感じる。
そのとき、不意に、また校長先生の言葉がよみがえってきた。
『悔いを残さないように最後の一年を過ごす』
そうか、そうだね。
ボクの課題は、たぶん、今。
ううんきっと。
きっと、ひとつ、増えたんだ。
いつまでも校長先生の言葉が残ってるなんて高校生になって初めてだった。
「特に三年生は、最後の一年なんだから、勉強に部活動に悔いの残らない生活をしてください」
悔い、か。
考えたことなかったけど、悔いなんかあるのかな、ボクには。
勉強に関しては……、やめとこ。
悔やんだくらいでどうにかなるほど頭が良くないのが唯一の救いだもんね。
だから、いくら悔やんでも仕方ない。進学先はもう決まってる。高校三年生だからって勉強に打ち込む予定はまるでないんだ。
うん、勉強はナシだ。
お母さんに似たんだよ、ボクは。
小学生の時。
お母さんが高校生の頃読んでた漫画を読んでからのあこがれだった、テニス部。
それもキャプテン。
うん、もうすぐやめなきゃいけないんだけどさ。
いい響きだよね、テニス部のキャプテン。
去年の夏の大会が終わってから、山崎キャプテンに指名されてなったキャプテンだけど、とってもうれしかった。厳しくて、おっかなくて、男の子みたいな山崎キャプテンがすごくいい人に見えた。
「ちっちゃいのに頑張ってるから」
そんな山崎キャプテンの言葉。
運動することしか取り柄のないボクにとって、ほんとに神様の言葉みたいに聞こえたんだ。
まだ試合で勝ったことないけど。
だって、仕方ないよね。
ウチ進学校だもん。
部活の時間だって他の学校に比べればすごく短い。
スポーツ特待生だっていない。
先生の中には「部活ばっかりやってないで、しっかり勉強しなさい」なんていうやっかいな人だっているんだ。
しかもそいつは運動部の顧問で。
しかもテニス部で。
さらに三年生からボクの担任にもなってた。
さいあくだね。
でも、それでも。
テニスやってる時はとっても楽しい。
勉強とか、男子のこととか。
友達の間だのなんやかんやや、そんなのみんな忘れて。
お日様の下で、ただ、走る。
飛んでったサーブの、黄色い球筋がいつまでも残って見えるような時。
絶対追いつかないて思ったきわどいリターンに走る。
その時だけボクの腕の関節が伸びたようになって、よろけながらも打ち返した。
その、感触。
コートを走る足音。
敵のかけ声。
ボクのかけ声。
息づかい。
球音。
歓声。
乾いた風の匂い。
めちゃめちゃに負けちゃった時も、すっごく惜しかった時も。
悲しくて悔しくて、もう二度とやんないって思ってても、心のどこかはいつも楽しくてどきどきする。
考えてるだけで、体中の肌がしっとり湿ってくる。
心臓が、細かくキュルッて震えて身体が熱くなってくる。
楽しいが暴れまわって、抑えられなくなる。
うん、やっぱり楽しいのが一番だよ。
最後の一年、ボクがテニス部のキャプテンとして悔いを残さないようにするためには、楽しむことだ。
キャプテンなんだから、ボクだけじゃなくて、みんなも。
勉強のできる子も、勉強できないボクみたいな子も、彼氏のいる子も、彼氏のいないボクみたいな子も。
みんな、楽しく。
いいなぁ、部室の壁に書いて貼ろうかな。
今年の目標『みんな楽しく』なんてね。
廊下を歩く速さが早くなる。
みんなよりもちっちゃいボクが、みんなを追い越してサクサク歩く。
手を高く挙げて、足をまっすぐ伸ばして。
ああ、自然に笑っちゃいそうだ。
何にもないところで笑ったりしたら、みんな笑われるよ。
でも、今ボクの顔は絶対ににやけてるんだ。
鏡なんて見なくても、わかる。
「あれっ、なんだろう」
教室に向かう二階の廊下の真ん中辺り。
なんだか、今のボクにぴったりくるウキウキな香りがした。
気になって立ち止まってみる。
「うあっ、なんだよ」
振り返ると、小学校の時からの幼なじみの片山がボクを見下ろしていた。
口では怒ってても、いつものみたいに笑顔だ。
昔は色んな顔を知ってた、泣き虫ですぐ怒ってすねちゃう片山。
でも、いま、ボクは片山の笑顔しか、知らない。
「廊下の真ん中で突然止まるなよな、危ないだろ、って、何ぼぉっとしてんだよ」
「ごめん、ごめん。えっとね、なんかいい匂いがしたからさ。ねえ、何の匂いかな、これ」
「ん、どれどれ……」
立ち止まって、鼻を鳴らす。犬みたいに、変な顔して。
「ああ、いい匂いだなぁ、なんだろう」
ボクのバカな質問にも、片山はいつも真剣に答えてくれる。
ほんとにいい奴なんだ、最近は一緒に遊んだりしないけど、小さいときは親友だったんだ。
高校に入ってからも、最初の頃はよく一緒にいた。
「桜……かな」
片山はつぶやいて、斜め前方を見た。
視線の先の窓が開いてて、目には見えないけど、風が入ってきてるのがわかる。
そうだ、あの窓からは裏庭が見える。おっきな桜の木と、テニスコート。
そうだ、桜だよ。
「さんきゅ、片山。ありがと」
ぽんっ、と片山の肩をたたいてその窓に向かって走り出す。
「え、あ、おお」
走るボクの背中に、母音だけで片山が答えた。
「なあ、北川」
急ぐボクを片山が呼び止める。
何だよ、急いでるのに。
「なに、どしたの」
振り返ったボクを、片山はなんだか変な表情をして見た。
困ったような笑ってるような、変な顔だ。
「いや、そのな」
「なにさ」
「……なんでもないよ」
そう答えて、片山は首を軽くふる。
「ただ、いつもみたいに、ガキみたいにはしゃいで窓から落ちンなよ。もし落ちたら、俺が悪いみたいだからよ」
そう言うと片山は、いつもの、キラキラした笑顔でボクに手を振った。
「落ちないよ、ばぁか」
ボクは「さんきゅ」ともう一回小さく言って踵を返すと、目的地の窓に急いだ。
後ろで片山が何か言ってるけど、ごめん、無視する。
たどり着いて窓枠をつかむと、スカートをひるがえして足を地面から離す。
二本の、日焼けした腕が筋肉をきしませながら私を支える。
と、勢い余って、腰骨のあたりまで窓の外に出た。
同時に、身体が絶妙のバランスをとって静止する。
そして、止まった身体を確認してから、ゆっくりと顔を上げた。
その時。
ボクが顔を上げるのを待っていたかのように、急に強い風が窓をめがけて吹き付けてきた。
短くそろえた髪が、風に乱される。
息ができない。
バランスをとる体中の筋肉が硬直して悲鳴のような音を立てる。
危ない、落ちる。
その時なぜか、片山の顔がチラッと浮かんだ。
風は、一瞬でやんだ。
たぶん一瞬、ボクにはもう少し長く。
桜の匂いをボクに吹き付けて消えた。
「ふぁ、びっくりした」
ゆっくりと地面に足をおろして、落ち着いてもう一度窓の外に目をやる。
今度ははっきりと、香りのできるところが目の中に入ってきた。
いつも、どんな季節も、コートのそばにたってテニス部員を見続けてきた桜の大きな木が。
「うわあ、満開だあ」
いつも見てる木なのに。
なんだか全く違う物に見える。
なんだろ、そうだなあ。
そうだ、とっても大きな桜色の雲みたいなんだ。
こんもりとした、ピンクの雲。
暖かい日差しの中で、その雲は風にあわせてはらはらと桜色の雪を落とす。
そうか、これが桜吹雪なんだね。
今まで、桜吹雪って言うと、桜が散っていく様子が雪みたいだからだと思ってたけど。
そうか、桜の木が雲ってのもセットなんだ。
そしてそれが雪であって雨じゃないのは、地面に積もる桜色の雪景色が証明してくれる。
地面を包む、一面の桜雪。
ああ、目が、離せない。
ボクが窓から飛び出して、あの桜の木の下を飛び回ってるみたいだ。
「雪みたいだな、桜」
気が付くと、片山も隣で桜を見ていた。
――ねえ、今、雪みたいって言った?
「俺さ、今気が付いたんだけど」
片山が、桜を見ながら言う。
「桜吹雪って、あの雲みたいな桜の木と一つ揃いで言うんだろうな。な、おまえもそう思わない?」
真剣に桜を見つめながら、瞳の端だけでボクを見た片山の顔が、ボクの呼吸を止める。
「ん、どうした?」
片山が、真剣な表情のままボクの顔をのぞき込む。
こんな近くで片山の顔を見るのも、こんな、こんな大人な顔した片山を見るのも。
ボク、初めてだ。
鼓動が、揺れる。
試合の前の時みたいに、小さく、そして強く。
暴れだして抑えが効かなくなる。
瞳が、片山に前で固まって、動かない。
「どうした、体調でも悪いのか」
「ち、違うよなんでもないよ、その、えっと、ただ」
「ただ、なんだよ」
ただ……なんなんだろう。
そんなこと、わかんないよ。
次の瞬間、ボクの口から出たのは、不思議とちらりとも思わなかった言葉だった。
「ただ、掃除が大変そうだなって、部活の前の」
片山の表情が一瞬、あきれたままで凍る。
でも、その氷はもの凄い早さで溶け、今度は弾けるように笑いはじめた。
「あは、はははははは、は」
片山は、おなかを押さえて、身体をくの字に折り曲げて笑う。
顔をこちらに向けたままで、爽やかな春にぴったりの笑顔で。
満開の桜みたいな、笑顔で。
「おまえらしいな、情緒もなんもねえのな」
おまえらしいって言われた言葉が、なんだかとても胸に刺さった。
とがった爪で、かさぶたをはがした時みたいな、鈍い痛み。
「そんなことないよ、ばか」
ボクはそう言って、窓の所から離れた。
窓の外の光が、片山の身体をシルエットにして、その表情を隠す。
「馬鹿は言い過ぎだろ、じゃぁ、もっかいチャンスやるよ」
片山は、そう言って真剣な表情でわたしを見た。
「お前、桜見てどう思ったんだ?」
片山の言葉は、鋭い。
でもいつものように暖かくて、いつものように笑ってる。
春の桜のような。
底抜けに明るくて、優しくて、そして、眩しい。
あの、桜みたいに。
そうか。
「ボクはね、桜を見て……」
その時、さっきよりも凄い風が、窓の外から吹き付けてきた。
片山の身体を風が通り抜け、ボクの顔に吹き付ける。
そして一瞬遅れてもの凄い量の桜吹雪が、身体に巻き付く生き物のように片山を包んだ。
「片山みたいだなって、思ったよ」
そう小さくつぶやいて、ボクは足早にその場所を離れた。
「なに、今なんて言ったんだ」
片山が後ろで叫んでる。
でもボクは無視して廊下を走った。
体中の筋肉が呼吸してるのが、わかる。
体中に、力がみなぎるのを、感じる。
心に、熱がほとばしるのを、感じる。
そのとき、不意に、また校長先生の言葉がよみがえってきた。
『悔いを残さないように最後の一年を過ごす』
そうか、そうだね。
ボクの課題は、たぶん、今。
ううんきっと。
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