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No.05:「家へ来ませんか?」

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「そもそも早慶大卒で、なんで就職浪人なんですか?」
 超一流大学を卒業して、就職浪人というのは物凄く不思議な話だ。

「あー、もう、事の発端はそこなんだよね……」

 話を聞くとこうだ。
 桐島さんは大学4年の夏、東京都の教員採用試験を受けた。
 結果は残念ながら不合格。
 私立の高校を探したが、就職先が見つからない。
 最終的に講師として、大手予備校の内定をもらった。
 僕でさえ夏期講習に行ったことがある、有名な予備校だ。
 そこで働きながら、教員採用試験を受けて教師を目指すつもりだった。

 ところがである。
 今年の3月、その予備校で不正経理が発覚した。
 デリバティブ契約による会計損失を、隠蔽していたとかなんとか。
 その損失額が約30億円。
 僕もそのニュースをネット記事で読んだことがある。

 予備校はやむなく人員整理に動いた。
 結果として新卒者の内定を全員取り消し。
 ひどいというか、運が悪かったというか……。

 桐島さんは、あえなく就職浪人の身となった。
 それでも教員への夢を諦めきれない。
 アルバイトを続けながら、教師への道を探ることにした。
 割り切って短時間で多く稼げる夜のアルバイトを選んだ。

 残念ながら今年の教員採用試験も不合格。
 東京都はやはり厳しいらしい。
 私立の教員も、全部不採用。
 どうしたって経験者から先に採用されていく。
 即戦力が優遇されるのは、ある意味当然かもしれない。

 そこへ来て、アパート追い出される羽目になった。
 不幸は重なるものである。

「桐島さんって、出身はどちらなんですか?」

「北陸の田舎街だよ。実家の両親は健在だけど、母親は心臓が悪くてね。私が高校の時からもう3回手術してるの。だから実家には金銭的に頼れないんだ」

 実家の周辺でも教員の道を探したが、どうしたって学校数自体が少ない。
 なかなか厳しいらしい。

「新しく住むところを探すってことで、お店の方も今週末までお休みさせてもらってるの。それまでになんとか住む所探さなきゃね」

「普通に不動産屋さんとか行って、紹介してもらえないんですか?」

「うーん、敷金とか礼金とか余分なコストがかかるのと……あとね、夜のお仕事だとなかなか借りられなかったりするんだよ。そもそも私の場合バイト扱いで収入もそんなにないから、余計にね」

 そうだったんだ。
 僕は自分の世間知らずを、少し恥ずかしく思った。
 でもそんな人達って、大勢いるんじゃないのか?

「世の中って、そんなに冷たいんですか?」
 子供の素朴な疑問かもしれない。

「え? う、うん。そうかもしれないね。私もちょっと、そう思うよ……」
 桐島さんは、少し悔しそうな表情を浮かべた。

 その彼女の表情を見て、形容できない想いが心の底から沸き起こる。
 なんだろう、この感情。
 怒り?
 同情?
 いや、なんか違う。

「桐島さん、よかったら家へ来ませんか?」

 気がついたら、僕の口からこんな言葉が溢れていた。

「えっ?」

「えっ? あ、ごめんなさい。何言ってんだろ。そんなの嫌にきまってますよね」

「えっと、いや、嫌とかじゃなくって」

「だっておかしいじゃないですか! こんなに努力して、一生懸命で。それに早慶大もエスカレーターじゃなくて外部受験ってことですよね? それってとんでもない難関だったはずですよ。教員免許まで取って、内定まで決まってて。それで歯車一つ狂っただけで、住むところが見つからないなんて……そんな理不尽な事ってありますか!?」

 この感情の正体がわかった。
 何もできない子供の「悔しさ」だ。

 僕は努めて冷静に言ったつもりだったが、無理だったみたいだ。
 桐島さんの目から、一筋の涙が流れた。

 20秒くらい経っただろうか。
 桐島さんは顔を上げた。

「ごめんね……それと、ありがと。私の言いたいこと、思ってること、全部翔君が代弁してくれたよ」
 作り笑いの桐島さんは、ちょっと痛々しかった。

「あーあ。翔君と一緒に住めたら、毎日楽しいだろうなー」

「じゃあちょっと、考えてみませんか?」

「本気で言ってるの?」
 桐島さんは、複雑な表情を浮かべた。
 ちょっと怒っているようだ。

「そんなことしたら、ご両親に怒られるでしょ?」

「親はいないんです」

「えっ?」

「2年前に両親とも交通事故で亡くなりました。妹も一緒に」

「……そんな……」

 中学3年生の時に、僕は家族3人を一度に失った。
 どうしていいか分からず、ただ泣いていたことだけを覚えている。
 父親の会社の社宅に住んでいたので、住んでいるところもすぐ出なければならなかった。

 途方に暮れていた僕を助けてくれたのは、僕のおじさんだ。
 父親の兄、瀬戸川慎一。
 慎一おじさんは、僕の未成年後見人になってくれた。

 今住んでいるアパートも、慎一おじさんがオーナーだ。
 慎一おじさんは両親、すなわち僕の祖父母が亡くなった時、実家を取り壊して今のアパートを建てた。
 全6部屋のうちの1部屋に僕を住まわせてくれている。
 しかも家賃は無料だ。

 慎一おじさんは今仕事の都合で、隣県に住んでいる。
 電車で2時間ぐらいかかかるところだ。

 本当は慎一おじさんと一緒に暮らす、という選択肢もあった。
 でも僕はそのとき城京大付属中学に通っていて、転校するのはよくないだろうという話になった。
 結局そのまま、僕は今の城京一高へエスカレーターで進学した。

 慎一おじさんは、多忙でアパートに来ることはめったにない。
 ほとんど全てを管理会社に任せているとのことだ。
「お嫁さんがいたら、もっとマメに行ってもらえるんだけどね」
 そう言って笑う慎一おじさんは、今も独り身だ。
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