旅商人と夜ノ森の番人

すがのさく

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 笑ってくれるが、額には汗が浮かび見るからに無理している。

「あと、しばらくこんなことしてなかったから、身体がびっくりしてる。でも大丈夫だ」
『歳だろ』
『歳だよ』
『もうお前はいい歳だ』
『お前が生まれてから今まで、人一人の人生何人分だ?』

 ピムが言い返すように吠えるが、蛇はケラケラと笑う。
 マイネは下唇を噛んでから、もう一度立ち上がった。そして一歩進み、アベルの前へ出る。

「……アベル、さっきも言ったけど、僕にはやるべきことがある。あなたは先に森を出ててほしいんだ」
「できない、そんなの!」

 マイネの細い背中に訴えた。
 こんな悪魔のいる森に一人残して行けるわけがない。

「あなたがいても邪魔なだけだよ」

 冷たく返される。事実だろうが、確かめたいことがある。

「さっきあの蛇が言ってた。君は俺のことを好きになったって。……悪魔の言うことを信じるのもおかしいけど、本当?」

 マイネは押し黙る。何も言わず、ただ大蛇と睨み合う。

「マイネ……」
「本当だよ。好きになっても辛いだけだってわかってたのに」

 ちらりとマイネが振り向く。縋る瞳のアベルを一瞥し、また正面に向き直った。

「最初傷つけたのは本当にわざとじゃないよ。でも、あなたと話ができて楽しかった。ずっとここにいてほしいって思った。正体を知られて怖がられるくらいなら、いっそ殺してしまおうって思った。嫌われたくなかったから」

 轟々と炎が燃え広がる。喉が渇いた。ここにいてはだめだと本能でわかる。
 それなのに、ここを動きたくない。アベルの足は、動かない。

「……力を手放さないと、この森は消えない。この森を作ってるのは僕だから。その前にあなたを外の世界に送って、ここに閉じ込めてるあれを始末する」
「どうやって?」
「力を手放す際には膨大な魔力を放出することになる。それをぶつけるんだ。僕の魔法使いとしての最後の仕事だ」

 大蛇が大声で何か喚き、太く巨大な尾を払って燃え盛る大木を投げつけてくる。
 マイネは杖をかざしそれを弾き返したが、地面を踏みしめる脚はずるずるとわずかに後退した。押されているのだ。

「マイネ!」
「大丈夫。ここには罠が張ってある。ピム!」

 マイネが呼び掛けると、傍らで唸っていたピムはアベルの服の裾を後ろから引っ張り、マイネから引き離した。

「おい、ちょっと、やめろピム!」

 服が破けそうな勢いで後ろに引っ張られ、よろける。マイネは振り返って微笑んだ。

「ピムが抜け道を知ってる。ミロハルトで待ってて。商売道具は全部どこかに行っちゃうけど、ごめんね」
「そんなのどうでもいいんだよ! 一緒に行こう」

 無理だとわかっているのにアベルは懇願した。マイネは悲し気に笑い、勢いよく杖を地面に突き立てた。
 マイネの立ち位置を端として、黄色い光が稲妻のように地面を走る。大蛇を囲んで巨大な円が描かれ、アベルには理解できない文字や記号が円内に次々と現れた。それらは各々が意思を持っているように動き出す。

「僕がここを出たら、キスしてくれる?」

 眩い光に下から照らされながら、マイネが振り返らずに訊ねてくる。
 大蛇はのたうち回りながら黒い皮膚を盛り上がらせ、変形しようとしている。蝙蝠のような翼が突き出し、マイネの肩越しに大きく広がった。

「もちろんだよ、マイネ。待ってるから。一緒に俺の故郷へ行こう。綺麗なものを、たくさん見よう……」

 ピムにぐいぐい引っ張られよろめきながら、必死に声を張った。一瞬だけ、マイネがもう一度笑顔で振り返った。
 もう彼が振り返ることはない。アベルは悟り、ピムを追って走り出す。胸を裂かれ、心臓を握り潰される思いだった。

「我が名はヴィルフリート・マイネ! 我は魔の使い手として授かりしこの名を返上し、力を永久放棄する――」

 燃える森の轟音の中、後ろから響く凛とした声は途中で途切れた。
 その後は溢れてくる涙を拭いながら、必死になって大きなピムの背だけを見つめ走った。


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