18 / 18
18
しおりを挟む
「森を出られたらキスしてって言ったの、覚えてたの」
少年の声は落ち着き払い、柔らかい。初めて出会った時のことを思い出した。
目覚めた自分を心配げに見つめ、優しく言葉をかけてくれたマイネ。
「忘れるはずない。ずっとずっと君の夢ばかり見てた」
「僕も、あなたの夢を見てた気がするよ」
軽く胸を押され、身体を離した。少年は両手のひらをアベルの胸の辺りに押し当て、ゆっくり慎重に首、顔、と上らせていく。
「泣いてるの、アベル。どうして」
どうして、なんてきっとわかっているだろうに。
濡れた頬を包む手に、自分の手を重ねた。
「いつからなんだ、マイネ。どうして」
アベルの首のあたりに向かい静かに微笑んでいるマイネは、少し考えるような間を置いた。
「……取られてしまった。道連れになったんだ。奴らの見える方の目を潰したのは僕だから。そうしないと、どうしようもなかったんだ」
聞いたのはこちらだけれど、道連れとか取られてしまったとか、そういうのはもう十分だった。
彼は明るい陽の下に戻ってきた。そういうのは、忘れてしまえばいい。
滲む視界で、もう見えない少年の目を見つめる。
何も見えないはずなのに、今この瞬間はしっかりと視線が交わっている。優しい、優しい眼差しだ。
アベルは再び彼を腕の中に収めた。
「……アベル、僕はこの先きっとすぐあなたの邪魔になる」
「何も聞こえない」
聞きたくない。彼の言わんとしていることはわかる。でも、聞かなくていい。
やっと常夜の森を出られたのに、彼は闇の中に取り残されてしまったのか?
そんなはずない。だって隣には自分がいるじゃないか。
「マイネ、君は俺がいなければ今頃は悪いやつに拾われて娼館行きだったよ。ものすごい美人が倒れてるって噂になってたから」
冗談を言うように明るく話すが、腕の中の彼は笑ってはくれない。
「……そうか。でも、もうそれくらいしか僕にできる仕事はないな」
そんな悲しいこと言わないでほしい。こんなに大事に思っているのに、離れていくようなことは聞きたくない。
「そんなこと言うなよ。一緒に俺の故郷に行こう。売り物を失くしてごめんって、家族に一緒に謝ってくれないと」
「あなたの故郷に?」
「そうだよ。約束したよ、忘れたの?」
抱き締める腕に力を込めた。抱き締め返してくれる彼の力に、希望を感じる。
「君のことは俺の恩人だと話すよ。きっとみんな喜んで迎えてくれる。それに君は薬草に詳しいし、どこへ行っても頼られる存在になるに決まってる」
少年がふふっと笑った。少しの寂しさを含んだようなその笑いを、心からのものに変えたい。
「二人で店を開いてもいいね。君の薬草と、俺の作品を置く店だ」
「アベルも宝飾品を作るの?」
「たまに、帰った時に。まだ修行中だけど」
「あなたの作る作品、見てみたかったな」
もう諦めている。そんな調子だ。
確かに、彼の目にはもう何も映らないのかもしれない。アベルの作品も見られない。
それでも、それが二人で同じ道を歩むことの妨げになるとは思えない。
「君がそばにいてくれないと作れない。俺は、もう君とずっと一緒にいるって決めたんだ。俺が君の手を引くから、どうか一緒に来て」
両肩を掴んで、もう一度キスをして、訴えた。
キスの寸前、温かい唇が何か言葉を発するように動いたが、アベルの口づけを素直に受け入れた。
魔法使いは夢から醒めて、人間の少年に戻った。
長く時を止めていた彼の時計は動き出した。これからは、アベルと同じ時を歩んでいく。
「アベル……」
涙を滲ませた瞳が俯いている。
愛しくてたまらない。彼はきっと空腹だから早く何か食べさせてやらなければと思っていたが、ちょっと長いキスくらいなら許してくれるだろう。
「愛してるよ。新しい名前は、二人でじっくり考えよう」
もう何度目かのキスも、彼は拒まなかった。
これから幾度も彼に口づけを贈ることになる。これが当たり前のことになっても、感動がなくなっても、きっと自分はいつまでも彼を愛している。
未来について確信が持てることといえば、そのことだけだった。
少年の声は落ち着き払い、柔らかい。初めて出会った時のことを思い出した。
目覚めた自分を心配げに見つめ、優しく言葉をかけてくれたマイネ。
「忘れるはずない。ずっとずっと君の夢ばかり見てた」
「僕も、あなたの夢を見てた気がするよ」
軽く胸を押され、身体を離した。少年は両手のひらをアベルの胸の辺りに押し当て、ゆっくり慎重に首、顔、と上らせていく。
「泣いてるの、アベル。どうして」
どうして、なんてきっとわかっているだろうに。
濡れた頬を包む手に、自分の手を重ねた。
「いつからなんだ、マイネ。どうして」
アベルの首のあたりに向かい静かに微笑んでいるマイネは、少し考えるような間を置いた。
「……取られてしまった。道連れになったんだ。奴らの見える方の目を潰したのは僕だから。そうしないと、どうしようもなかったんだ」
聞いたのはこちらだけれど、道連れとか取られてしまったとか、そういうのはもう十分だった。
彼は明るい陽の下に戻ってきた。そういうのは、忘れてしまえばいい。
滲む視界で、もう見えない少年の目を見つめる。
何も見えないはずなのに、今この瞬間はしっかりと視線が交わっている。優しい、優しい眼差しだ。
アベルは再び彼を腕の中に収めた。
「……アベル、僕はこの先きっとすぐあなたの邪魔になる」
「何も聞こえない」
聞きたくない。彼の言わんとしていることはわかる。でも、聞かなくていい。
やっと常夜の森を出られたのに、彼は闇の中に取り残されてしまったのか?
そんなはずない。だって隣には自分がいるじゃないか。
「マイネ、君は俺がいなければ今頃は悪いやつに拾われて娼館行きだったよ。ものすごい美人が倒れてるって噂になってたから」
冗談を言うように明るく話すが、腕の中の彼は笑ってはくれない。
「……そうか。でも、もうそれくらいしか僕にできる仕事はないな」
そんな悲しいこと言わないでほしい。こんなに大事に思っているのに、離れていくようなことは聞きたくない。
「そんなこと言うなよ。一緒に俺の故郷に行こう。売り物を失くしてごめんって、家族に一緒に謝ってくれないと」
「あなたの故郷に?」
「そうだよ。約束したよ、忘れたの?」
抱き締める腕に力を込めた。抱き締め返してくれる彼の力に、希望を感じる。
「君のことは俺の恩人だと話すよ。きっとみんな喜んで迎えてくれる。それに君は薬草に詳しいし、どこへ行っても頼られる存在になるに決まってる」
少年がふふっと笑った。少しの寂しさを含んだようなその笑いを、心からのものに変えたい。
「二人で店を開いてもいいね。君の薬草と、俺の作品を置く店だ」
「アベルも宝飾品を作るの?」
「たまに、帰った時に。まだ修行中だけど」
「あなたの作る作品、見てみたかったな」
もう諦めている。そんな調子だ。
確かに、彼の目にはもう何も映らないのかもしれない。アベルの作品も見られない。
それでも、それが二人で同じ道を歩むことの妨げになるとは思えない。
「君がそばにいてくれないと作れない。俺は、もう君とずっと一緒にいるって決めたんだ。俺が君の手を引くから、どうか一緒に来て」
両肩を掴んで、もう一度キスをして、訴えた。
キスの寸前、温かい唇が何か言葉を発するように動いたが、アベルの口づけを素直に受け入れた。
魔法使いは夢から醒めて、人間の少年に戻った。
長く時を止めていた彼の時計は動き出した。これからは、アベルと同じ時を歩んでいく。
「アベル……」
涙を滲ませた瞳が俯いている。
愛しくてたまらない。彼はきっと空腹だから早く何か食べさせてやらなければと思っていたが、ちょっと長いキスくらいなら許してくれるだろう。
「愛してるよ。新しい名前は、二人でじっくり考えよう」
もう何度目かのキスも、彼は拒まなかった。
これから幾度も彼に口づけを贈ることになる。これが当たり前のことになっても、感動がなくなっても、きっと自分はいつまでも彼を愛している。
未来について確信が持てることといえば、そのことだけだった。
0
お気に入りに追加
35
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
なり代わり貴妃は皇弟の溺愛から逃げられません
めがねあざらし
BL
貴妃・蘇璃月が後宮から忽然と姿を消した。
家門の名誉を守るため、璃月の双子の弟・煌星は、彼女の身代わりとして後宮へ送り込まれる。
しかし、偽りの貴妃として過ごすにはあまりにも危険が多すぎた。
調香師としての鋭い嗅覚を武器に、後宮に渦巻く陰謀を暴き、皇帝・景耀を狙う者を探り出せ――。
だが、皇帝の影に潜む男・景翊の真意は未だ知れず。
煌星は龍の寝所で生き延びることができるのか、それとも――!?
///////////////////////////////
※以前に掲載していた「成り代わり貴妃は龍を守る香」を加筆修正したものです。
///////////////////////////////
【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました
及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。
※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19

[完結]堕とされた亡国の皇子は剣を抱く
小葉石
BL
今は亡きガザインバーグの名を継ぐ最後の亡国の皇子スロウルは実の父に幼き頃より冷遇されて育つ。
10歳を過ぎた辺りからは荒くれた男達が集まる討伐部隊に強引に入れられてしまう。
妖精姫との名高い母親の美貌を受け継ぎ、幼い頃は美少女と言われても遜色ないスロウルに容赦ない手が伸びて行く…
アクサードと出会い、思いが通じるまでを書いていきます。
※亡国の皇子は華と剣を愛でる、
のサイドストーリーになりますが、この話だけでも楽しめるようにしますので良かったらお読みください。
際どいシーンは*をつけてます。
ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~
ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。
*マークはR回。(後半になります)
・ご都合主義のなーろっぱです。
・攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。
腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手)
・イラストは青城硝子先生です。
騎士様、お菓子でなんとか勘弁してください
東院さち
BL
ラズは城で仕える下級使用人の一人だ。竜を追い払った騎士団がもどってきた祝賀会のために少ない魔力を駆使して仕事をしていた。
突然襲ってきた魔力枯渇による具合の悪いところをその英雄の一人が助けてくれた。魔力を分け与えるためにキスされて、お礼にラズの作ったクッキーを欲しがる変わり者の団長と、やはりお菓子に目のない副団長の二人はラズのお菓子を目的に騎士団に勧誘する。
貴族を嫌うラズだったが、恩人二人にせっせとお菓子を作るはめになった。
お菓子が目的だったと思っていたけれど、それだけではないらしい。
やがて二人はラズにとってかけがえのない人になっていく。のかもしれない。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる