旅商人と夜ノ森の番人

すがのさく

文字の大きさ
上 下
17 / 18

17

しおりを挟む
 あの後街の自警だと名乗る男が宿の部屋まで訪ねてきたが、マイネに関しては「待ち合わせていた知り合いが追剝に遭い、森の出口で倒れていた」という説明でなんとか納得してくれたようだった。
 アベルはマイネの身体を綺麗に拭いてやり、清潔な衣服に着替えさせ寝台に寝かせてやった。
 そのまましばらくマイネは眠っていたが、夕方頃にまぶたがひくりと動くのをアベルは見逃さなかった。

「マイネ」

 驚かせないよう、小声で呼びかけてみる。すると小さな唇がほんの少し開き、すう、と息を吸い込んだ。

「……あ、アベル……?」

 掠れた声で名を呼んでくれた。それからゆっくりとまぶたが開き、ぱちぱちと瞬く。
 マイネの明るい水色の瞳は天井を見上げる。

「マイネ、よかった……」

 安堵のあまり彼の身体をかき抱いた。マイネは驚いたように一瞬身を震わせる。

「ごめん、びっくりした?」
「うん、ちょっと」

 弱々しく微笑んでくれるが、目を合わせてはくれない。喜びでいっぱいのアベルの心の中に、どんよりとした雲が流れる。
 アベルはそっと身体を離した。

「お腹空いてない? 水は? 色々聞きたいけどそれは後だ。今はゆっくり休んで」
「いや、話が先だアベル。ここはどこ? 君が僕を見つけてくれたということは、僕はミロハルトに着けたのか?」

 焦点は定まらないようだが、口調はしっかりしている。アベルは戸惑いながらもそうだと答えた。

「……よかった。ピムは?」
「ピムはこの宿屋の外に繋いであるから安心して。君を守ってたんだよ。でも、小さくなってて驚いた。魔法で大きくしてたのか?」
「そうか、ピムもちゃんといるんだ。よかった」

 マイネはアベルの問いには答えず、安堵したように柔らかく笑った。

「マイネ、今は何も気にしなくていいから、取りあえず」
「アベル、僕はもうその名を手放してしまった。だからもう、名前がないんだ」 

 アベルの言葉を遮ったその声は、水に静かに投げ込まれた重い石のようだった。
 しぶきもほとんど上げずに胸の中に飛び込んできて、そして深いふかいところまでひたすらに沈んでいく。

「……なんだって?」

 しっかりと聞こえていたのに聞き返した。

「僕はその名を口にすることさえできない。魔力と名前は同時に手放すものなんだ。名前を手放すことで、その魔法使いが死んだことになる。つまり僕はもう死んでいる」
「でも、生きてる」

 たまらず握った手は温かい。マイネだった少年はそっと手に手を重ねてくれた。

「そう。身体は生きてる。心も。魔法使いの部分だけが死んだんだ。だから、あなたさえよければ、新しい名前を僕につけてほしい」
「え、えっ! 新しい名前って……俺が?」
「そう。アベルが」

 そんなの、責任重大だしいきなり言われても困る。
 あまりのことに口ごもっていると、少年がふふっと笑った。

「そんなに難しく考えないで。なんだっていいんだ、あなたの好きな言葉で。昔好きだった女の子の名前でもいいし」
「そんなのだめだ! これからずっと一緒にいる人の名前を、そんなに安易に決められない!」

 大声に反応したのか、開けた窓越しにピムの吠える声が聞こえた。喧嘩をしているとでも思ったのかもしれない。

「あ、ピムの声だ。よかった。……ありがとう、アベル。お礼がまだだった。僕とピムを見つけてくれて、本当にありがとう」

 飼い犬の声を聞いて心から安心したのか、マイネだった少年は俯いてぎゅっと手を握ってくれた。

「死ぬかもしれないと思った。でも、胸に着けた飾りがすごく心強かった。あなたが近くにいるような気がして、絶対に生きようと思ったんだ」

 そう言い、胸の辺りに手を伸ばす。着替えさせた衣服をごそごそと探り、はっとしたように顔を上げた。

「どこ? 帽子飾りは?」
「残念ながら、なかったよ」
「……そう。ごめんね、落としてしまったらしい」

 茫然とする彼を見つめる。アベルは気付いてしまった。彼が目覚めてから一度として視線が交わらない。服が変わっていることにも気付かない。

「マイネ」

 どう呼んでいいかわからず、とりあえずその名を口にした。こちらを向くが視線の合わない少年の頬を両手で包み込み、口づけた。
 少年は一瞬固まったが、アベルが背を抱くと抱き締め返してくれた。

「……ねえ、今何が見える?」
「あなたの優しい顔が見える」

 問う声は震えてしまった。これではだめだと思いつつも、抑えられなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ハルとアキ

花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』 双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。 しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!? 「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。 だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。 〝俺〟を愛してーー どうか気づいて。お願い、気づかないで」 ---------------------------------------- 【目次】 ・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉 ・各キャラクターの今後について ・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉 ・リクエスト編 ・番外編 ・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉 ・番外編 ---------------------------------------- *表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) * ※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。 ※心理描写を大切に書いてます。 ※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

なり代わり貴妃は皇弟の溺愛から逃げられません

めがねあざらし
BL
貴妃・蘇璃月が後宮から忽然と姿を消した。 家門の名誉を守るため、璃月の双子の弟・煌星は、彼女の身代わりとして後宮へ送り込まれる。 しかし、偽りの貴妃として過ごすにはあまりにも危険が多すぎた。 調香師としての鋭い嗅覚を武器に、後宮に渦巻く陰謀を暴き、皇帝・景耀を狙う者を探り出せ――。 だが、皇帝の影に潜む男・景翊の真意は未だ知れず。 煌星は龍の寝所で生き延びることができるのか、それとも――!? /////////////////////////////// ※以前に掲載していた「成り代わり貴妃は龍を守る香」を加筆修正したものです。 ///////////////////////////////

【完結】イケメン騎士が僕に救いを求めてきたので呪いをかけてあげました

及川奈津生
BL
気づいたら十四世紀のフランスに居た。百年戦争の真っ只中、どうやら僕は密偵と疑われているらしい。そんなわけない!と誤解をとこうと思ったら、僕を尋問する騎士が現代にいるはずの恋人にそっくりだった。全3話。 ※pome村さんがXで投稿された「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」向けに書いたものです。元イラストを表紙に設定しています。投稿元はこちら→https://x.com/pomemura_/status/1792159557269303476?t=pgeU3dApwW0DEeHzsGiHRg&s=19

[完結]堕とされた亡国の皇子は剣を抱く

小葉石
BL
 今は亡きガザインバーグの名を継ぐ最後の亡国の皇子スロウルは実の父に幼き頃より冷遇されて育つ。  10歳を過ぎた辺りからは荒くれた男達が集まる討伐部隊に強引に入れられてしまう。  妖精姫との名高い母親の美貌を受け継ぎ、幼い頃は美少女と言われても遜色ないスロウルに容赦ない手が伸びて行く…  アクサードと出会い、思いが通じるまでを書いていきます。  ※亡国の皇子は華と剣を愛でる、 のサイドストーリーになりますが、この話だけでも楽しめるようにしますので良かったらお読みください。  際どいシーンは*をつけてます。

ブラッドフォード卿のお気に召すままに~~腹黒宰相は異世界転移のモブを溺愛する~~

ゆうきぼし/優輝星
BL
異世界転移BL。浄化のため召喚された異世界人は二人だった。腹黒宰相と呼ばれるブラッドフォード卿は、モブ扱いのイブキを手元に置く。それは自分の手駒の一つとして利用するためだった。だが、イブキの可愛さと優しさに触れ溺愛していく。しかもイブキには何やら不思議なチカラがあるようで……。 *マークはR回。(後半になります) ・ご都合主義のなーろっぱです。 ・攻めは頭の回転が速い魔力強の超人ですがちょっぴりダメンズなところあり。そんな彼の癒しとなるのが受けです。癖のありそうな脇役あり。どうぞよろしくお願いします。 腹黒宰相×獣医の卵(モフモフ癒やし手) ・イラストは青城硝子先生です。

騎士様、お菓子でなんとか勘弁してください

東院さち
BL
ラズは城で仕える下級使用人の一人だ。竜を追い払った騎士団がもどってきた祝賀会のために少ない魔力を駆使して仕事をしていた。 突然襲ってきた魔力枯渇による具合の悪いところをその英雄の一人が助けてくれた。魔力を分け与えるためにキスされて、お礼にラズの作ったクッキーを欲しがる変わり者の団長と、やはりお菓子に目のない副団長の二人はラズのお菓子を目的に騎士団に勧誘する。 貴族を嫌うラズだったが、恩人二人にせっせとお菓子を作るはめになった。 お菓子が目的だったと思っていたけれど、それだけではないらしい。 やがて二人はラズにとってかけがえのない人になっていく。のかもしれない。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる

クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

処理中です...