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あの後街の自警だと名乗る男が宿の部屋まで訪ねてきたが、マイネに関しては「待ち合わせていた知り合いが追剝に遭い、森の出口で倒れていた」という説明でなんとか納得してくれたようだった。
アベルはマイネの身体を綺麗に拭いてやり、清潔な衣服に着替えさせ寝台に寝かせてやった。
そのまましばらくマイネは眠っていたが、夕方頃にまぶたがひくりと動くのをアベルは見逃さなかった。
「マイネ」
驚かせないよう、小声で呼びかけてみる。すると小さな唇がほんの少し開き、すう、と息を吸い込んだ。
「……あ、アベル……?」
掠れた声で名を呼んでくれた。それからゆっくりとまぶたが開き、ぱちぱちと瞬く。
マイネの明るい水色の瞳は天井を見上げる。
「マイネ、よかった……」
安堵のあまり彼の身体をかき抱いた。マイネは驚いたように一瞬身を震わせる。
「ごめん、びっくりした?」
「うん、ちょっと」
弱々しく微笑んでくれるが、目を合わせてはくれない。喜びでいっぱいのアベルの心の中に、どんよりとした雲が流れる。
アベルはそっと身体を離した。
「お腹空いてない? 水は? 色々聞きたいけどそれは後だ。今はゆっくり休んで」
「いや、話が先だアベル。ここはどこ? 君が僕を見つけてくれたということは、僕はミロハルトに着けたのか?」
焦点は定まらないようだが、口調はしっかりしている。アベルは戸惑いながらもそうだと答えた。
「……よかった。ピムは?」
「ピムはこの宿屋の外に繋いであるから安心して。君を守ってたんだよ。でも、小さくなってて驚いた。魔法で大きくしてたのか?」
「そうか、ピムもちゃんといるんだ。よかった」
マイネはアベルの問いには答えず、安堵したように柔らかく笑った。
「マイネ、今は何も気にしなくていいから、取りあえず」
「アベル、僕はもうその名を手放してしまった。だからもう、名前がないんだ」
アベルの言葉を遮ったその声は、水に静かに投げ込まれた重い石のようだった。
しぶきもほとんど上げずに胸の中に飛び込んできて、そして深いふかいところまでひたすらに沈んでいく。
「……なんだって?」
しっかりと聞こえていたのに聞き返した。
「僕はその名を口にすることさえできない。魔力と名前は同時に手放すものなんだ。名前を手放すことで、その魔法使いが死んだことになる。つまり僕はもう死んでいる」
「でも、生きてる」
たまらず握った手は温かい。マイネだった少年はそっと手に手を重ねてくれた。
「そう。身体は生きてる。心も。魔法使いの部分だけが死んだんだ。だから、あなたさえよければ、新しい名前を僕につけてほしい」
「え、えっ! 新しい名前って……俺が?」
「そう。アベルが」
そんなの、責任重大だしいきなり言われても困る。
あまりのことに口ごもっていると、少年がふふっと笑った。
「そんなに難しく考えないで。なんだっていいんだ、あなたの好きな言葉で。昔好きだった女の子の名前でもいいし」
「そんなのだめだ! これからずっと一緒にいる人の名前を、そんなに安易に決められない!」
大声に反応したのか、開けた窓越しにピムの吠える声が聞こえた。喧嘩をしているとでも思ったのかもしれない。
「あ、ピムの声だ。よかった。……ありがとう、アベル。お礼がまだだった。僕とピムを見つけてくれて、本当にありがとう」
飼い犬の声を聞いて心から安心したのか、マイネだった少年は俯いてぎゅっと手を握ってくれた。
「死ぬかもしれないと思った。でも、胸に着けた飾りがすごく心強かった。あなたが近くにいるような気がして、絶対に生きようと思ったんだ」
そう言い、胸の辺りに手を伸ばす。着替えさせた衣服をごそごそと探り、はっとしたように顔を上げた。
「どこ? 帽子飾りは?」
「残念ながら、なかったよ」
「……そう。ごめんね、落としてしまったらしい」
茫然とする彼を見つめる。アベルは気付いてしまった。彼が目覚めてから一度として視線が交わらない。服が変わっていることにも気付かない。
「マイネ」
どう呼んでいいかわからず、とりあえずその名を口にした。こちらを向くが視線の合わない少年の頬を両手で包み込み、口づけた。
少年は一瞬固まったが、アベルが背を抱くと抱き締め返してくれた。
「……ねえ、今何が見える?」
「あなたの優しい顔が見える」
問う声は震えてしまった。これではだめだと思いつつも、抑えられなかった。
アベルはマイネの身体を綺麗に拭いてやり、清潔な衣服に着替えさせ寝台に寝かせてやった。
そのまましばらくマイネは眠っていたが、夕方頃にまぶたがひくりと動くのをアベルは見逃さなかった。
「マイネ」
驚かせないよう、小声で呼びかけてみる。すると小さな唇がほんの少し開き、すう、と息を吸い込んだ。
「……あ、アベル……?」
掠れた声で名を呼んでくれた。それからゆっくりとまぶたが開き、ぱちぱちと瞬く。
マイネの明るい水色の瞳は天井を見上げる。
「マイネ、よかった……」
安堵のあまり彼の身体をかき抱いた。マイネは驚いたように一瞬身を震わせる。
「ごめん、びっくりした?」
「うん、ちょっと」
弱々しく微笑んでくれるが、目を合わせてはくれない。喜びでいっぱいのアベルの心の中に、どんよりとした雲が流れる。
アベルはそっと身体を離した。
「お腹空いてない? 水は? 色々聞きたいけどそれは後だ。今はゆっくり休んで」
「いや、話が先だアベル。ここはどこ? 君が僕を見つけてくれたということは、僕はミロハルトに着けたのか?」
焦点は定まらないようだが、口調はしっかりしている。アベルは戸惑いながらもそうだと答えた。
「……よかった。ピムは?」
「ピムはこの宿屋の外に繋いであるから安心して。君を守ってたんだよ。でも、小さくなってて驚いた。魔法で大きくしてたのか?」
「そうか、ピムもちゃんといるんだ。よかった」
マイネはアベルの問いには答えず、安堵したように柔らかく笑った。
「マイネ、今は何も気にしなくていいから、取りあえず」
「アベル、僕はもうその名を手放してしまった。だからもう、名前がないんだ」
アベルの言葉を遮ったその声は、水に静かに投げ込まれた重い石のようだった。
しぶきもほとんど上げずに胸の中に飛び込んできて、そして深いふかいところまでひたすらに沈んでいく。
「……なんだって?」
しっかりと聞こえていたのに聞き返した。
「僕はその名を口にすることさえできない。魔力と名前は同時に手放すものなんだ。名前を手放すことで、その魔法使いが死んだことになる。つまり僕はもう死んでいる」
「でも、生きてる」
たまらず握った手は温かい。マイネだった少年はそっと手に手を重ねてくれた。
「そう。身体は生きてる。心も。魔法使いの部分だけが死んだんだ。だから、あなたさえよければ、新しい名前を僕につけてほしい」
「え、えっ! 新しい名前って……俺が?」
「そう。アベルが」
そんなの、責任重大だしいきなり言われても困る。
あまりのことに口ごもっていると、少年がふふっと笑った。
「そんなに難しく考えないで。なんだっていいんだ、あなたの好きな言葉で。昔好きだった女の子の名前でもいいし」
「そんなのだめだ! これからずっと一緒にいる人の名前を、そんなに安易に決められない!」
大声に反応したのか、開けた窓越しにピムの吠える声が聞こえた。喧嘩をしているとでも思ったのかもしれない。
「あ、ピムの声だ。よかった。……ありがとう、アベル。お礼がまだだった。僕とピムを見つけてくれて、本当にありがとう」
飼い犬の声を聞いて心から安心したのか、マイネだった少年は俯いてぎゅっと手を握ってくれた。
「死ぬかもしれないと思った。でも、胸に着けた飾りがすごく心強かった。あなたが近くにいるような気がして、絶対に生きようと思ったんだ」
そう言い、胸の辺りに手を伸ばす。着替えさせた衣服をごそごそと探り、はっとしたように顔を上げた。
「どこ? 帽子飾りは?」
「残念ながら、なかったよ」
「……そう。ごめんね、落としてしまったらしい」
茫然とする彼を見つめる。アベルは気付いてしまった。彼が目覚めてから一度として視線が交わらない。服が変わっていることにも気付かない。
「マイネ」
どう呼んでいいかわからず、とりあえずその名を口にした。こちらを向くが視線の合わない少年の頬を両手で包み込み、口づけた。
少年は一瞬固まったが、アベルが背を抱くと抱き締め返してくれた。
「……ねえ、今何が見える?」
「あなたの優しい顔が見える」
問う声は震えてしまった。これではだめだと思いつつも、抑えられなかった。
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