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ミロハルトの小さな宿屋に滞在して七日程が経つ。
アベルは二階の窓を開け放ち、出窓に腰掛けてぼんやりと周りの赤い屋根群を見渡す。
ミロハルトは晴天続きだ。朝の陽はぽかぽかと温かく、家々の窓辺には花の咲いた植木鉢が置かれ、朝市を開く人々も穏やかだ。
あの晩、ピムを追いかけ走っていたのは覚えている。けれど、記憶は曖昧だ。
気付けばアベルは開けた場所で座り込み、疲労で息をついていた。空はどんよりと紫色で、ほの明るかった。
ひどく喉が渇いていたのも覚えている。ピムがわんわん吠えて、すぐそばの小川のありかを示してくれた。
その冷たく清浄な水を手ですくって飲んでいる間に、ピムは忽然と消えてしまった。呼び掛けても獣の気配はかき消え、アベルはピムは主人の元へ戻ったのだと理解した。
アベルはその後ふらふらと道なりに歩き続け、ミロハルトの入り口に立つ木のアーチをくぐった。
高価な商売道具の数々は失ったが、なぜか覚えのない金貨が五枚衣服のポケットに入っていた。おそらくアベルが生まれる前に使われていたものだ。
金貨は金貨で間違いないので、身一つのアベルはそれを使いしばらくこの街に滞在することにした。
「森で火事だってよ」
「はあ? 火事? 森なんてどこも燃えてないぞ?」
男たちが大声で話す声が聞こえ、アベルは通りへ目をやった。
ちょうど宿屋の下で、身体の大きな木こり風の男二人が立ち話をしている。
「森が燃えてないなら山か?」
「さあ、どこも燃えたなんて話は聞かないな」
「でも猟をしてた知り合いがよ、確かに焦げ臭いにおいがしたって言ってたんだよ。火も煙もどこにも上がってなかったがよ、恐くなって帰ってきたそうだ」
そう言った男が大袈裟にぶるぶると震えて見せる。もう一人の男は威勢よく笑った。
「はは。ヴィルフリートに化かされたんじゃねえのか?」
「いるわけねえだろ、そんなもん」
肩を叩き合い、げらげらと笑いながら二人は歩いて行ってしまった。
「……いるわけねえだろ、そんなもん……」
アベルはぽつりと繰り返した。
いるわけない。自分だってそう思っていた。
「マイネ、君に会いたい」
俯いて唱える。アベルの足は自然と外へ向かう。そうしてピムが案内してくれた森の出入口まで歩いて行く。
毎朝こうだ。朝起きたらまず森の入口へと向かう。そして丁度いい大き目の石に腰掛け、日が傾き始めるまでマイネが出てくるのを待つ。
(ミロハルトは大きな街だから、俺を見つけられないかもしれない)
そう、魔力を失ったマイネはただの少年だから、アベルを見つけられないに決まっている。だから待っていてやらなければ。
毎日森で仕事をする男たちからは気味悪がられたが、人を待っていると説明し居座り続けたら次第に構われなくなった。
今日も朝から石に座りじっと待ち続ける。喉が乾けば近くの小川の水を飲み、日が傾き空が紫に染まる頃には空腹が我慢できなくなり、宿へ戻る。
こんな日々を繰り返している。
また朝が来て、窓から差す日差しにアベルは目を開けた。立ち上がると少しフラフラする。
ここへ来てからどんどんやつれていると宿の女将には心配されたが、食事をとる暇があったら森の入り口でマイネを待っていたいのだ。
アベルは窓を開ける。相変わらず晴天だ。朝市の通りを見下ろすと、こちらもいつも通りがやがやと賑やかだが、今日はやけに森の方向へ人が流れている。
前日に火事の話をしていた男二人組が、宿の前でまた話し込んでいた。
「おい、森の入り口に行ってみたか?」
「いや、今日はまだだ。どうした?」
話を切り出した男の声は興奮に弾んでいる。アベルは身を乗り出して聞き耳を立てた。
「ひどく綺麗な少年が倒れているらしい」
「はあ? 行き倒れか?」
「なんでも、死んではいないらしいんだが一緒にいる犬が吠えまくって誰も少年に近づけないんだとよ。どんなタマか気にならねえか?」
「……気になるねえ」
男二人組はいそいそと森の方向へ歩き出す。
「綺麗な少年……犬……」
心当たりがある。アベルもすぐに部屋を出た。
アベルは二階の窓を開け放ち、出窓に腰掛けてぼんやりと周りの赤い屋根群を見渡す。
ミロハルトは晴天続きだ。朝の陽はぽかぽかと温かく、家々の窓辺には花の咲いた植木鉢が置かれ、朝市を開く人々も穏やかだ。
あの晩、ピムを追いかけ走っていたのは覚えている。けれど、記憶は曖昧だ。
気付けばアベルは開けた場所で座り込み、疲労で息をついていた。空はどんよりと紫色で、ほの明るかった。
ひどく喉が渇いていたのも覚えている。ピムがわんわん吠えて、すぐそばの小川のありかを示してくれた。
その冷たく清浄な水を手ですくって飲んでいる間に、ピムは忽然と消えてしまった。呼び掛けても獣の気配はかき消え、アベルはピムは主人の元へ戻ったのだと理解した。
アベルはその後ふらふらと道なりに歩き続け、ミロハルトの入り口に立つ木のアーチをくぐった。
高価な商売道具の数々は失ったが、なぜか覚えのない金貨が五枚衣服のポケットに入っていた。おそらくアベルが生まれる前に使われていたものだ。
金貨は金貨で間違いないので、身一つのアベルはそれを使いしばらくこの街に滞在することにした。
「森で火事だってよ」
「はあ? 火事? 森なんてどこも燃えてないぞ?」
男たちが大声で話す声が聞こえ、アベルは通りへ目をやった。
ちょうど宿屋の下で、身体の大きな木こり風の男二人が立ち話をしている。
「森が燃えてないなら山か?」
「さあ、どこも燃えたなんて話は聞かないな」
「でも猟をしてた知り合いがよ、確かに焦げ臭いにおいがしたって言ってたんだよ。火も煙もどこにも上がってなかったがよ、恐くなって帰ってきたそうだ」
そう言った男が大袈裟にぶるぶると震えて見せる。もう一人の男は威勢よく笑った。
「はは。ヴィルフリートに化かされたんじゃねえのか?」
「いるわけねえだろ、そんなもん」
肩を叩き合い、げらげらと笑いながら二人は歩いて行ってしまった。
「……いるわけねえだろ、そんなもん……」
アベルはぽつりと繰り返した。
いるわけない。自分だってそう思っていた。
「マイネ、君に会いたい」
俯いて唱える。アベルの足は自然と外へ向かう。そうしてピムが案内してくれた森の出入口まで歩いて行く。
毎朝こうだ。朝起きたらまず森の入口へと向かう。そして丁度いい大き目の石に腰掛け、日が傾き始めるまでマイネが出てくるのを待つ。
(ミロハルトは大きな街だから、俺を見つけられないかもしれない)
そう、魔力を失ったマイネはただの少年だから、アベルを見つけられないに決まっている。だから待っていてやらなければ。
毎日森で仕事をする男たちからは気味悪がられたが、人を待っていると説明し居座り続けたら次第に構われなくなった。
今日も朝から石に座りじっと待ち続ける。喉が乾けば近くの小川の水を飲み、日が傾き空が紫に染まる頃には空腹が我慢できなくなり、宿へ戻る。
こんな日々を繰り返している。
また朝が来て、窓から差す日差しにアベルは目を開けた。立ち上がると少しフラフラする。
ここへ来てからどんどんやつれていると宿の女将には心配されたが、食事をとる暇があったら森の入り口でマイネを待っていたいのだ。
アベルは窓を開ける。相変わらず晴天だ。朝市の通りを見下ろすと、こちらもいつも通りがやがやと賑やかだが、今日はやけに森の方向へ人が流れている。
前日に火事の話をしていた男二人組が、宿の前でまた話し込んでいた。
「おい、森の入り口に行ってみたか?」
「いや、今日はまだだ。どうした?」
話を切り出した男の声は興奮に弾んでいる。アベルは身を乗り出して聞き耳を立てた。
「ひどく綺麗な少年が倒れているらしい」
「はあ? 行き倒れか?」
「なんでも、死んではいないらしいんだが一緒にいる犬が吠えまくって誰も少年に近づけないんだとよ。どんなタマか気にならねえか?」
「……気になるねえ」
男二人組はいそいそと森の方向へ歩き出す。
「綺麗な少年……犬……」
心当たりがある。アベルもすぐに部屋を出た。
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