旅商人と夜ノ森の番人

すがのさく

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 炎は木々の葉に燃え移り、真っ黒だった化け物の姿を照らす。

「ヘビ……」

 アベルは化け物の正体を捉えた。
 とぐろを巻いた状態でアベルの身の丈の三倍はあろうかという、双頭の大蛇だ。

 黒い身体は辺りの炎にぬめぬめと照り、双頭にそれぞれ目は一つずつ。片目はどちらも潰されているようだった。

 恐ろしくてたまらないのに、圧倒され目が釘付けになる。危険だと本能が叫んでいるのに、逃げようとも思わない。きっと、すぐそばにマイネがいるからだ。

「……ヴィルフリート・マイネだ」

 ばちばちと枯草や木々の焼ける音に混じり、その小さな声は鮮明に耳に届いた。

「……え?」

 しっかりと聞こえていたのに、聞き返した。そうせずにはいられなかった。

「ヴィルフリート・マイネ。これが僕の名前だよ。もし君が昨日の晩、ベッドが一つしかないと僕の正体を言い当てていたら、僕は君を殺すつもりだった」
『言った、言った。ヴィリーが言ったぞ』
『殺して俺たちに寄越すつもりだったんだろう?』

 わいわいと騒ぐ蛇の声はなんだか遠くから聞こえた。今はただ、苦し気に俯くマイネの横顔しか見えない。

「マイネ……」

『でももう殺せなくなったんだよな』
『だって好きになっちゃったんだもんな。身体の中からあの男の匂いをぷんぷんさせて、獣のメスみたいに……』
『フェーゼル公の時以来だ』
『悪の魔法使いも所詮は人の子だ』

 蛇の頭がいやらしく笑い合う。頭をくねくねと絡まり合わせ、まるで二匹の蛇の交尾のようだ。

『アベル、そいつは綺麗だが極悪非道の人非人だ』
『そうだよ、人でなしだ。お前が生まれるずっと前、この辺りの王侯貴族は老若男女みんなそいつを欲しがった』
『こいつはその中から立派な一人の若者を選んで』
『そいつに王位を取らせるため、綺麗な顔と強い力であの手この手を尽くした』
『たくさんの人間を捕らえて殺して』
『脳みそと悪魔の眼球、それに薬草とを大きな鍋でぐつぐつ煮て』

「黙れ悪魔!」

 マイネの叫び声は耳を裂くようだった。
 再び振り下ろされた杖はびゅんと空を切って鳴り、放出された炎は今度は直接大蛇の身体を炙った。

『ひいい、熱い』
『熱い、熱い。全部本当のことなのに』

 大蛇はとぐろを解き、燃えていない近くの木の幹に巻き付く。頭を葉の中に突っ込み、ギラギラ光る一つずつの眼でこちらを見る。

「……はあ、はあ……。アベル、僕のこと、嫌いになったでしょう? 恐いでしょう?」

 マイネは荒く呼吸を繰り返しながら、破れた外套の袖で額の汗を拭った。

「……でも、やつらの言う通り、全部本当なんだ。僕は昔大きな間違いを犯して、……上級魔法使連合に捕えられた。そして罰として、この森の番人になった」
「罰……」

 間違いとは、先ほど蛇が述べた内容だろう。詳しく聞かずとも、おおよそは予想できる。

『僕はこの森を出られないんだ』
『力を手放さないと出られないんだ。お友達は、犬と悪魔だけ』

 マイネの声を真似た大蛇に被せ、がうがうと激しく吠えたてる獣の鳴き声が聞こえる。
 見ると、狼のような動物が蛇の絡まる幹を威嚇し噛みついている。ピムだ。蛇はしゅるしゅると身体を縮ませ上へ上る。

『犬は嫌い』
『犬は嫌い。うるさい畜生より人間が美味い』

 悪魔と自称する大蛇はくすくすと笑う。炎と犬は苦手なようだが、こちらを小馬鹿にするような余裕は感じられる。

「……メレビキュアとメレンデュラだ。やつらは人間が生まれるずっと前から生きてる。目は見えないけど、この身体に残った匂いからあなたの存在に気付いた。そして僕の振りをしてあなたをおびき出したんだ。これは僕の失態だ」
「そんな、失態だなんて。好意を打ち明けたのは俺の方なのに」

『そうだヴィリー、お前が悪い』
『お前が悪いぞ。また想い人を不幸にする気か』

 笑い合う双頭に、けたたましくピムが吠える。

『しっ、しっ、犬め』
『頭の悪い畜生め』

 シャーッ、と蛇の威嚇音が響いた。ピムは怯まずに低く唸り樹の下から威嚇し続けている。

「僕が森を出るには、やらなければならないことがある。僕には夜ノ森の番としての、責任があるから」

 マイネは舌をちらつかせる大蛇を睨み、杖をぎゅっと握り直す。

『なんだヴィリー、今さら責任だなんて。人でなしのお前が責任だなんて』
『お前じゃ俺たちを消せないぞ。力を失くす覚悟がないお前には絶対に無理だぞ』

「下がれ、ピム!」

 びりびりと鼓膜に響く声で怒鳴り、マイネは杖の上部を大蛇の絡まる樹に向けた。
 杖の先端に大きな青い炎の玉が生じ、それはいきおいよく蛇に向かい飛んで行く。

『ぎゃあああ』
『おのれヴィルフリート……!』

 血の底から湧くような恐ろしい悲鳴が上がり、アベルは思わず両耳を覆った。
 炎の玉に蛇の頭の片方がちぎれ飛んたのだ。
 玉はそのまま樹の幹まで抉って飛んで行き、その軌道に沿って木々の葉は赤々と燃える。
 炎に照らされた黒い空に、朦々と灰の色の煙が上っていく。

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