旅商人と夜ノ森の番人

すがのさく

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 ふらふらと小さな明かり目指して歩いて行く。
 肌寒かったはずの外気も自然と温くなり、足元の状態も悪くなく歩きやすい。

「マイネ、待ってくれ。どこへ行く?」

 呼び掛けても返事はない。ただ光は揺れながら進み、アベルはそれを追う。

「何かあったのか? 俺に何か見せたいの?」

 何も返ってこないとわかっても、声を掛けずにはいられない。こんな静まり返った暗い森の中、何か音がないと心がくじけてしまいそうだ。
 だいぶ歩いた気がするが、不思議と疲れはない。足元が歩きやすいからかもしれない。
 こんな森の中になぜ歩きやすい道があるのかと一瞬考えるが、ここは夜ノ森だと思い出す。
 陽の元の道理など、ここでは通用しないのだ。
 やがて光の動きが止まる。遠ざかろうとするのをやめ、一点に留まる。

「マイネ……」

 漆黒の空間に一点だけ輝く橙色。とても温かく、優しそうだ。

「ここに何かあるの? 何か理由があって俺を呼んだんだろう?」

 かすかに、ざわざわと木々がさざめく。
 変わらず返答はない。

「そっちへ行きたい」
「いいよ、こっちへ来て」

 初めて返事が返ってきた。
 心細さを堪えていたアベルは自然と笑顔になる。

「マイネ」

 安堵と嬉しさが一気にこみ上げてきて、アベルは小走りで光の方へ向かった。

「マイネ、ずっと心配して――」

 ぼう、と低い音がして、視界を占めていた暗闇と小さな光が真っ赤な光にかき消えた。
 熱くてたまらず顔を覆う。一体何が起こったかと考える間もなく、次の瞬間アベルの身体は後方に吹き飛ばされた。

「ぐっ……なんだ……?」

 幸い今度は木の幹に激突はしなかった。柔らかな草の上に落下し、身体を起こす。
 おそらく一瞬前まで自分が立っていたと思しき位置にはごうごうと火柱が立ち上っている。
 その横に立つ黒ずくめの人物は、ここまで追いかけ求めていた少年だった。

「マイネ……?」

 呼ぶと、彼はアベルの方へ顔を向ける。アベルは立ち上がり、少年の方へ駆け寄った。

「アベル。……来ないでって、言ったのに」

 悲し気なマイネの白い頬は黒い煤でべったりと汚れ、王子様人形のような艶やかな髪も顔と同じに黒くくすんでいる。
 熱風に吹かれる黒い外套は所々が破れ、胸に飾られた羽根飾りもボロボロだ。紅玉だけは艶々と光り、手に握られた杖の先端とともに夜闇を照らし輝いている。

「一体、何が起こってる?」
『一体、何が起こってる?』

 自分の声がそう繰り返す。本能的に背筋に悪寒が走った。

 マイネが視線を向けた先を、アベルも追った。
 黒くとぐろを巻く巨大な何かがある。先端が二股にわかれたそれは、それぞれにマイネの持つ杖に似た橙色の光を一つずつ備えている。

『来ないでって、言ったのに』
『アベル、アベル……』

 マイネの声とアベルの声で言葉を繰り返し、時折下品に笑う。
 これは何だとマイネに問いたいが、彼は険しい顔でじっとその何かを睨みつけている。

『……ああおかしい。ヴィリーも変わったな』
『アベル。彼はアベルというらしい。フェーゼル公とはずいぶん趣味が違うじゃないか。匂いがまったく違うよ』

 今度は子どものような声で笑い合う。周囲には生臭い臭気が強く立ち、アベルは口元を押さえた。

『なあヴィリー、そいつを俺たちにおくれ』
『おくれよ』
『そうすれば、お前の血迷った考えは秘密にしといてやるよ』
『秘密だよ。お前が森を出て行こうとしてるなんて、秘密だ』

 そいつとは、自分のことだろう。化け物は人間を食らうものと、大昔から相場が決まっている。
 けれど、「ヴィリー」とは。
 杖を手に立つ少年は、マイネではないのか?

「マイネ、ヴィリーって?」

 化け物に食われようとしている恐怖より、今は不思議とそちらの方が気になった。
 一つの予感が浮かんだ。
 ヴィルフリートの家にはベッドが一つしかない。マイネはヴィルフリートの仕事を手伝い、杖を預けられている。ヴィルフリートは仕事のため長期不在で、一向に帰ってこない――。

『マイネ、ヴィリーって?』
『まだアベルには何も話していないのかい、ヴィリー』

 嘲笑うような甲高い子どもの声だ。
 とぐろを巻く化け物を睨んでいたマイネは、下唇を噛むと杖を一度振り払う。

『ぎゃあ、熱い』
『熱い、熱い』

 化け物が二つの声で口々に叫ぶ。
 杖の先から、ではなく、杖が描いた軌道に沿って、何もない空間から勢いよく炎が放たれたようにアベルには見えた。

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