旅商人と夜ノ森の番人

すがのさく

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 翌朝、マイネはいつも通り朝食を準備してから起こしてくれた。
 どんなぎこちない関係になってしまうかと心配したけれど、彼も自分もいたって落ち着いている。

「あの、さ」

 向かいのマイネに呼びかけると、パンをちぎって口に入れたところだった彼は顔を上げた。

「身体、大丈夫? ちょっと無理しちゃったかな」
「ううん」

 マイネは頬を赤くし、もごもご俯きながら首を横に振った。

「……気持ちよかった。僕も、あなたになら抱かれてもいいって思ってたから」
「えっ」
「男の人が好きなんだ」
「……うん」

 ヴィルフリートに抱かれていた彼のことだ。男しか知らなければ、自然と性嗜好もそうなるだろう。
 男が好きだから自分に抱かれたいと思ったのだろうか。それでは、男なら誰でもいいのかと訊ねたくなる。そんなことはないだろうから、わざわざ口に出して問うことはしないけれど。

「もう、ヴィルフリートとあんなことはしないでほしいんだ」

 誰でもいいわけじゃないだろう? そう問い詰めたいけれど、代わりに口から出てきたのは懇願だった。

「俺とだけにして。お願いだ」

 スープをすくうマイネの手が途中で止まった。

「これからも君が誰かとあんなことをするなんて耐えられない」
「どうして? あなたはもうじきここからいなくなる。もう傷痕のかさぶたもなくなっていたし、今日にでも森の出口まで連れてってあげる。そしたら、僕たちはもう会わない」

 マイネの声は冷静だ。浮かされているのは自分だけなのか?
 ……そんなこと、考えたくない。

「君も一緒にここを出よう」

 絨毯で丸まっていたピムがバネのように身体を起こしてこちらを窺う。
マイネは苦しげに首を横に振った。

「できない」
「ヴィルフリートはまだ帰ってこないんだろう? だったらしばらくばれないはずだ。全力で遠くへ行こう。俺が絶対に君を守るから」
「守る?」

 マイネはおかしそうに訊き返してきた。こちらを見下すように歪められた唇に、アベルの胸は重苦しく痛む。

「恐ろしい魔力を持った凶悪な夜ノ森の魔法使いから、あなたは僕を守れるの? そんな力があるの? ただの行商人なのに?」

 蔑む声音は、かすかに震えている。
 本当に守れるのかと訊かれれば、もちろん自信はない。こんな森の中で出会った少年に優しくされて、それで心惹かれて。
 たったそれだけの関係なのに、果たしてなんの力も持たないお前は身を挺して自分を守ることができるのかと。そう疑問に思われても仕方ない。
 それでももし出会ったのが彼でなかったら、こんな気持ちにはならなかったはずだ。

 お礼のつもりのささやかな贈り物に感動し、すぐにそれを身につけてくれ、自分の愛撫に涙を流してよがったマイネ。
 今この瞬間にヴィルフリートが目の前に現れれば、自分は彼の前に跪き、床を舐めて懇願する。
 マイネを俺にください、彼とともに生きていきたいんです、と。

「……なんの力もないよ。でも、俺は君といたい」
「やめて」
「やめない。聞いて」
「聞きたくない」

 マイネはスープ皿がひっくり返りそうなくらいの力でテーブルを叩き、両耳を覆った。

「君はそれでいいのか? 普通の、ただの人間なのに、こんな常夜の森で世界を知らずに暮らしてる。君は魔法使いじゃない、俺と同じ人間なのに」
「あなたと同じなんかじゃない! 知ったようなことを言うな! 僕がどんな気持ちで、昨日……」

 立ち上がったマイネが見下ろしてくる。こちらを睨みつける目の奥に轟々と燃えているのは怒りだ。それでも、こちらも主張を取り下げるわけにはいかない。

「僕のことなんか、あなたには関係ない」

 口ごもり、マイネが言葉を選んだことは明らかだった。
 冷たく言い放ち、部屋を出て行く。ことの成り行きを静かに見守っていたピムもそれに従った。

「どこへ行くの」
「関係ない」

 マイネは玄関に掛けていた真っ黒な外套を羽織り、フードまですっぽり被る。 

「マイネ、行かないで。一緒に考えたいんだよ、俺がどうすれば君の力になれるのか」 
「力に……? 僕がいつ助けてほしいなんて言った?」
「言ってないけど、感じたんだ。だって君は、俺にたくさん話しかけて興味深く故郷の話を聞きたがった。綺麗なものを見たいと言った。本当は森の外に出てみたいんじゃないのか?」

 図星だったのか、わからない。彼はもう先ほどのように感情を爆発させたりはしない。
 アベルを氷の視線で一瞥すると、マイネは顔の上半分まで深く覆われるようフードを下げた。そして立て掛けられていたヴィルフリートの杖を手に取り、玄関扉に向かい合う。

「少し一人になりたいだけだから。あなたは絶対に外へは出ないで」
「マイネ、逃げないで。君と一緒にいたい」
「僕は、一人になりたい」

 そうして振り返らず、ピムを引き連れマイネは出て行った。ゆらゆら揺れる橙の明かりがどんどんと遠ざかるのを、アベルはドアに嵌め込まれた小さなステンドガラス越しに見つめているしかなかった。

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