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その日の夕食は、いつもより少し豪勢だった。
普段はスープの中に少量浮かんでいる程度の肉が、今日はかたまりのままハーブとローストされている。パンも白くてふわふわだ。
マイネはヴィルフリートが食糧を持って来てくれたのだと話す。泉で待ち合わせて、水と一緒に運んで来たらしい。
「仕事が難しくて、まだ当分帰れそうもないそうです。だから今回は少し多めによこしたと言っていました」
「大荷物だったんじゃないのか?」
「ピムの背中にくくり付けて手伝ってもらったので、大丈夫ですよ」
先に餌を食べ終えたピムは絨毯でごろ寝していたが、自分の名が出たからか目をつぶりながらも耳だけをピンと立たせた。
「ヴィルフリートが君に持った来たものを俺まで勝手にごちそうになって、申し訳ないな」
「いいんです。元はといえば森に迷い込んだ人間を助けるのは彼の役目。彼の家の者が人間にけがをさせてしまったのですから、責任を取るのは当然です」
「ありがとう。君には感謝してる」
マイネの顔が赤くなる。そわそわと視線を泳がせ、「冷めるので早く食べてください」と呟いた。
夜、いつものようにベッドに入っていると、明かりの消灯のため寝間着にガウンを羽織ったマイネが部屋に入って来た。手には燭台を持っている。
家の灯りを消して回るのは彼でないとだめらしい。そうしないと、家を守るヴィルフリートの魔法が上手く作用しないのだと聞いた。
「明かりを消しに来ました」
そう静かで優しい声で言い、壁、テーブル、暖炉と三つある光源を消していった。
「ありがとう」
「おやすみなさい」
いつもの短いやり取りだ。微笑んで部屋を出て行こうとする彼を、今日初めてアベルは引き留めた。
「待って、マイネ」
ベッドから降りて彼に近付き、何も持たない方の手首を握ってやんわりと引いた。冷たい、細い手首だ。マイネは驚いたような顔で振り向く。
「どうされましたか?」
ろうそくの炎が、彼の頬を火照ったような色に照らしている。
「ごめん。先に謝っておく。今日、君にしてはいけないと禁じられたことをしたんだ」
見上げてくる瞳が大きく見開かれた。軽蔑されるか、家主によって罰されるかもしれない。
「ヴィルフリートの部屋を覗いてしまった。君が鍵を隠すところを見ていたから」
マイネはかわいそうなくらいに瞠った瞳はそのままに、小さく「どうして」と訊ねてきた。
「君のベッドを俺が占領してる。君はきちんと温かなベッドで眠れているか心配だったんだ。……でも、白状すると一番は魔法使いの部屋を見てみたいという好奇心だ」
マイネは何も言わない。もう後戻りできないという恐怖がじんわり湧いてきて、背筋に冷たい汗が滲む。
「何も盗ってないし、いじってない。もっというと部屋の中に足を踏み入れてもいない。これは信じてくれ。……でも一体君がどうやって寝ているのか、ヴィルフリートがこの家にいた時は二人ともどこで寝ていたのかどうしても気になって」
マイネの閉じられた唇は相変わらず何も言葉を発さず、冷たい人形のようにアベルを見つめている。
アベルは辛くなり、俯いた。それでもどうしても確かめたいことを取り下げる気にはならない。絞り出すような声で、続ける。
「……この家にベッドは一つしかない」
「何が言いたいんです?」
温かみのまったく感じられない、こちらをなじるような声音。こんな声をマイネが出せるなんて思いもしなかった。
「君は、ヴィルフリートのなんなんだ? 拾われたと言っていたけど、いつも一緒に寝ていたのか?」
寝ていたからなんなのだ。理性的な心の声はそうたしなめる。魔法使いとその拾い子のことだ、自分には関係ない。
それでもなぜかどうしても看過したくない。一度着火してしまえば理性を押し留めることなどできなかった。
「え……?」
張り詰めていたマイネの表情が、ふっと緩んだ気がした。
「君は毎晩ヴィルフリートと眠っていたのか? あんな狭い、一人用のベッドで?」
ついつい語尾が強まり、尋問するような口調になってしまう。もし質問の通りなら、干渉する理由もないのに咎めたい。
――でも、どうして?
「……そうだったら、どうしますか?」
マイネがゆっくりと口を開く。ほんのわずかに首を傾け、耳に掛けていた髪が落ちる。
「そんなことを知って、どうするつもりなんですか?」
「嫌なんだ」
「どうして?」
どうして? そんなの自分が知りたい。
アベルは悔しくて唇を噛む。何も答えられない。けれど訊ねられているのだから、この流れではなんらかの応答をせねばならない。
(得体の知れない魔法使いと、この少年は床を共にしている。いくら育ての親でも、こう美しく清らかな彼を一人の男として放っておけるのだろうか)
とにかく嫌だ。この少年が、マイネが誰かと同衾するのは絶対に嫌だ。この常夜の森で一点だけの光のようなマイネが、男に抱かれることを日常としているのだったら。
アベルはマイネの手から燭台を取り上げた。
「何……?」
マイネの手を引っ張ったまま、燭台をテーブルの上に置いた。
「嫌なんだ。理由ははっきりとはわからないけど、君が誰かのものだなんて」
「アベル?」
不安げなマイネを腕の中に収め、そのまま唇を触れ合わせた。
冷たい唇が、震えるのを感じた。
普段はスープの中に少量浮かんでいる程度の肉が、今日はかたまりのままハーブとローストされている。パンも白くてふわふわだ。
マイネはヴィルフリートが食糧を持って来てくれたのだと話す。泉で待ち合わせて、水と一緒に運んで来たらしい。
「仕事が難しくて、まだ当分帰れそうもないそうです。だから今回は少し多めによこしたと言っていました」
「大荷物だったんじゃないのか?」
「ピムの背中にくくり付けて手伝ってもらったので、大丈夫ですよ」
先に餌を食べ終えたピムは絨毯でごろ寝していたが、自分の名が出たからか目をつぶりながらも耳だけをピンと立たせた。
「ヴィルフリートが君に持った来たものを俺まで勝手にごちそうになって、申し訳ないな」
「いいんです。元はといえば森に迷い込んだ人間を助けるのは彼の役目。彼の家の者が人間にけがをさせてしまったのですから、責任を取るのは当然です」
「ありがとう。君には感謝してる」
マイネの顔が赤くなる。そわそわと視線を泳がせ、「冷めるので早く食べてください」と呟いた。
夜、いつものようにベッドに入っていると、明かりの消灯のため寝間着にガウンを羽織ったマイネが部屋に入って来た。手には燭台を持っている。
家の灯りを消して回るのは彼でないとだめらしい。そうしないと、家を守るヴィルフリートの魔法が上手く作用しないのだと聞いた。
「明かりを消しに来ました」
そう静かで優しい声で言い、壁、テーブル、暖炉と三つある光源を消していった。
「ありがとう」
「おやすみなさい」
いつもの短いやり取りだ。微笑んで部屋を出て行こうとする彼を、今日初めてアベルは引き留めた。
「待って、マイネ」
ベッドから降りて彼に近付き、何も持たない方の手首を握ってやんわりと引いた。冷たい、細い手首だ。マイネは驚いたような顔で振り向く。
「どうされましたか?」
ろうそくの炎が、彼の頬を火照ったような色に照らしている。
「ごめん。先に謝っておく。今日、君にしてはいけないと禁じられたことをしたんだ」
見上げてくる瞳が大きく見開かれた。軽蔑されるか、家主によって罰されるかもしれない。
「ヴィルフリートの部屋を覗いてしまった。君が鍵を隠すところを見ていたから」
マイネはかわいそうなくらいに瞠った瞳はそのままに、小さく「どうして」と訊ねてきた。
「君のベッドを俺が占領してる。君はきちんと温かなベッドで眠れているか心配だったんだ。……でも、白状すると一番は魔法使いの部屋を見てみたいという好奇心だ」
マイネは何も言わない。もう後戻りできないという恐怖がじんわり湧いてきて、背筋に冷たい汗が滲む。
「何も盗ってないし、いじってない。もっというと部屋の中に足を踏み入れてもいない。これは信じてくれ。……でも一体君がどうやって寝ているのか、ヴィルフリートがこの家にいた時は二人ともどこで寝ていたのかどうしても気になって」
マイネの閉じられた唇は相変わらず何も言葉を発さず、冷たい人形のようにアベルを見つめている。
アベルは辛くなり、俯いた。それでもどうしても確かめたいことを取り下げる気にはならない。絞り出すような声で、続ける。
「……この家にベッドは一つしかない」
「何が言いたいんです?」
温かみのまったく感じられない、こちらをなじるような声音。こんな声をマイネが出せるなんて思いもしなかった。
「君は、ヴィルフリートのなんなんだ? 拾われたと言っていたけど、いつも一緒に寝ていたのか?」
寝ていたからなんなのだ。理性的な心の声はそうたしなめる。魔法使いとその拾い子のことだ、自分には関係ない。
それでもなぜかどうしても看過したくない。一度着火してしまえば理性を押し留めることなどできなかった。
「え……?」
張り詰めていたマイネの表情が、ふっと緩んだ気がした。
「君は毎晩ヴィルフリートと眠っていたのか? あんな狭い、一人用のベッドで?」
ついつい語尾が強まり、尋問するような口調になってしまう。もし質問の通りなら、干渉する理由もないのに咎めたい。
――でも、どうして?
「……そうだったら、どうしますか?」
マイネがゆっくりと口を開く。ほんのわずかに首を傾け、耳に掛けていた髪が落ちる。
「そんなことを知って、どうするつもりなんですか?」
「嫌なんだ」
「どうして?」
どうして? そんなの自分が知りたい。
アベルは悔しくて唇を噛む。何も答えられない。けれど訊ねられているのだから、この流れではなんらかの応答をせねばならない。
(得体の知れない魔法使いと、この少年は床を共にしている。いくら育ての親でも、こう美しく清らかな彼を一人の男として放っておけるのだろうか)
とにかく嫌だ。この少年が、マイネが誰かと同衾するのは絶対に嫌だ。この常夜の森で一点だけの光のようなマイネが、男に抱かれることを日常としているのだったら。
アベルはマイネの手から燭台を取り上げた。
「何……?」
マイネの手を引っ張ったまま、燭台をテーブルの上に置いた。
「嫌なんだ。理由ははっきりとはわからないけど、君が誰かのものだなんて」
「アベル?」
不安げなマイネを腕の中に収め、そのまま唇を触れ合わせた。
冷たい唇が、震えるのを感じた。
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