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彼女の王国※
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今日も行為による満足感は得られそうにない。
ゾーイは枕を寝台に叩きつけ、隅に畳んでおいたガウンを掴んだ。
「どうやら今宵も、私はタリアス様のお役には立てぬようです。下がらせていただきます」
冷たく突き放され、王は端正な顔を泣き出しそうに歪めた。もう四十を超えているというのに、まるで子どものような表情を見せる。
彼は弱々しく扉の脇に控える伽守を呼び寄せた。
「陛下、……」
心配げに王の肩を抱き、伽守は顔の覆われた黒の被り物を外す。
こちらの中身は三十中頃の男だ。甘い顔立ちで多少若くは見える上小綺麗にしてはいるものの、若さと美貌という点においては王妃であるゾーイに敵うわけもないのに。
「達したいのですね?」
ゾーイの夫タリアスは、男に穏やかに問われ目に涙を浮かべ頷く。
「またユノン様を思い出しておいでだったのですか」
伽守は優しく宥めるように訊ね、王の目からは涙が溢れた。
ガウンの帯を結びながら、ゾーイは二人の様子を苛立たしく眺める。
物心ついた頃に初めてタリアスに引き会わされてからというもの、この人には本当に国を治める能力があるのだろうかというのが彼に対し抱いている疑問だ。
笑わず怒らず、穏やかだが、こちらの話を聞いているのかどうなのかよくわからない。無表情で、時々にわか雨のようにめそめそと涙を流しいつもどこか一点を見つめている。
以前は王としての職務を忙しくこなし民からの支持も厚かったらしいが、そんな過去は想像できない。彼の心は、今はここにないのだ。
今は父であるベルネラ宰相が政を取り仕切っており、タリアスなどただのお飾りの王に収まっている。
彼の最初の妻、オルトア家次男のユノンは湖に沈んだと聞いた。王の弟と共に、固く抱き合って死んでいるところが発見されたという。
それからタリアスはおかしくなってしまったらしい。
「ミロ、私はどうしてもゾーイとユノンを重ね合わせてしまう。これではゾーイに申し訳が立たない。子も為せず、私は何のために生きているのか……」
取り縋られ、ミロもひしと王を抱いた。まるで親が子を慰める仕草だ。
「ゾーイ様はもうお出になるようです。ユーティス殿もお呼びしましょうか? ユーティス殿も、よくユノン様に面影が似ておられる」
ミロは言いながら、膝をついてタリアスの股の間に屈み込んだ。
ここまでで耐えきれなくなり、ゾーイは部屋を飛び出した。
乱暴に扉を閉め、大きな音が立つのも気にせず人のいない薄暗い廊下を行く。途中の部屋から出てきた見回りの兵がギョッとしながらこちらを振り返ったが、それを追い越して自室を目指す。
自分の顔貌はユノン・オルトアに似ているらしい。その事実が余計にゾーイを苛立たせる。
黒い髪と目は父母に似なかったが、それでもこの顔つきは両親それぞれから受け継いだものだと思っていた。
それなのに、タリアスは行為のたびに組み敷いたゾーイを見下ろしては亡き前妻の名を呟き、昂りかけた雄を萎れさせるのだ。
突き当たりで人にぶつかりそうになり慌ててのけ反ると、自らの両親だった。
「驚いた。お父様、お母様」
「ゾーイ、そんな格好で……」
袷を適当にかき合わせて出てきたガウンを、母の手が直してくれた。
惨めで仕方なく、裸足の足元を見つめるゾーイの目には涙が滲む。
両親も自分たちの娘がどのような境遇なのかを知っている。王との閨のことまで心配し、娘が泣きながら飛び出してくるのではとやって来たのだ。
「……惨めでなりません。私は、女としての幸せを味わうことはできないのでしょうか。伽守は王の小間使い、妾は前妻の兄。王は、私の身体ではご満足いただけないようです。これでは、一番大切な子を成すという務めすら果たせそうにありません」
ゾーイは唇を噛み、悔し涙が頬を伝うに任せていた。
王がそばに置いているのはミロという名の侍男だけではない。神官を城に常駐させるという名目で神殿から連れてきた、ユーティス・オルトア。彼はユノンの実兄なのだ。
「ユーティス殿は十七年前、別棟に放火した容疑があるという噂ではないですか。なぜそんな罪人同様の男を陛下は何の咎めもなしにおそばに置いておくのです? 私は罪人以下なのですか?」
「そんなことを言うものではありません!」
感情の高揚にまかせ捲し立てるゾーイに、母は鋭く言った。
「ユーティス様は、ユノン様の……」
母は言いかけたまま、言葉を詰まらせる。
「アムリ、やめよう。ゾーイも苦しんでいる。私たちの子として生まれたばかりに、このような苦難を与えてしまった」
拳を握りしめ震える母に、父がそっと寄り添った。
「ゾーイ。泉へ行ってから休みなさい。地下まで送ってあげようか」
父の優しい声が逆に悲しかった。諦めろと、そう言われているような気がしたのだ。
「結構です。泉へは一人で向かいます。おやすみなさいませ」
ガウンの袖で乱暴に涙を拭うと、ゾーイは二人の脇を通り抜けて小走りに歩いた。
ユノン、ユノンと王も両親も。一体彼がなんだというのだ。十七年も前に城から逃げて第二の夫と心中した人物など、その名を聞くのも忌まわしい。
面倒なのでランタンも持たずにゾーイは泉の部屋へ入った。どうせすぐに目が慣れる上、泉が青く光るので足元さえ気をつければ問題ない。
ざぶざぶと水に浸かると、人肌のような温もりが身体を包む。こんなささくれ立った気持ちでここへ来ても、この不思議な青の泉に浸れば身も心もたちまちに解されてしまうような気がする。
それが辛く、ゾーイはまた涙を流した。
ここから出れば、また耐え難い屈辱の日常が待っている。
子宝を願いここへと来ているはずなのに、そもそも種を撒かれなければいくら願おうとも子などできるはずもない。この部屋はただの逃避のための避難場所になっているだけだ。
「消えてしまいたい……」
ゾーイは手で顔を覆った。両親には愛情をたくさん注がれ育てられたと思う。感謝している。あの時幸せだった分、今にしわ寄せが来ているのだろうか。
元々女が少ない土地柄な上、昔流行った病のせいでこの国には若い女が極端に足りない。街に生まれれば、自分だけを一心に愛してくれる男と出会えただろうか。
いや、そもそもどこに生まれても妃になることは定まっていた運命なのだ。病が治まり、一番初めに生まれた女が自分なのだから――。
涙に濡れた腕を下ろし、泉を見下ろした。
ぼんやりと、常に美しく青い光を放ち続ける聖なる泉。ユノンもここを訪れたのだ。男に子などできるはずもないのに。
彼は何を思ってここに浸ったのか。まさか本当に子ができるよう熱心に祈っていたわけではあるまい。
そんなことを考えていると、底の方で一瞬ちかりと眩く光るものがあった。ゾーイは水中にもぐり、その何かを拾い上げる。
「きれい……」
繊細にきらめく長い金の鎖に、飾りの中央には泉の水を集めて凝らせたような見事な碧玉、散りばめられた金剛石や翡翠……。
それは美しい首飾りだった。意匠はとても古いものと思われる。しかしそれを気にさせないほどの、高い技術で作られた貴重なものであることを窺わせる。
ゾーイはそれを胸の膨らみの間に掛けてみた。
うっとりと眺めていると、水面から一頭の黒輝蝶が飛び出してひらひらと舞う。
「うそ、なんで蝶……?」
水の中から蝶が飛び出すなど、ありえないことだ。よっぽど自分は疲れているのだろうか。
夢かもしれないなどと思いつつ吹き抜けを高く昇る蝶を見上げていると、誰かの声が聞こえてきた。
『ゾーイ、それはお前のものだ』
低いような、高いような。性別も年齢もわからない、直接頭に響いてくる不思議な声。
はっとして周囲を見回すも、当然ながら人の気配はない。
ゾーイは夢でもいいし、幻聴でもいいと思った。現実は辛過ぎる。少しくらい変わったことが起こったって、逃避になればそれでいい。
もう黒い点になってしまったひらひらと舞う蝶を、再び見上げる。
「あなたは誰? そしてなぜこれが私のものなのですか?」
『お前は王妃だ。お前には、力がある』
声はゾーイの質問には答えてくれない。湖の精霊か、神だろうか。
ゾーイは普段そういった伝説の類は信じないが、この首飾りを見つけたことが現実なのならばそれらも信じざるを得なくなるだろう。
「……力なんて、ありません。王は私など相手にしてくれない。なんのお役にも立てないのです」
不思議と本音を語れる。側仕えや両親以外の者たちには絶対にこんな弱音は吐けない。
「私は、このままでは王の子を授かることができません。王妃としての務めを果たせず、女として愛されもせずに老いていくのです」
『……すでにいない者に張り合ってはいけない』
「張り合う……?」
少々考えて、はっとした。
思えば、自分は常にユノンと重ねられることに抵抗を感じていた。そしてタリアスも、前妻とゾーイとを重ねてしまい申し訳がないと泣くのだ。その後はゾーイが苛立ち、ミロの仲裁が入り部屋を飛び出す。その繰り返し。
蝶はどこからか外へ出て行ったのか姿を消し、それきり声もやんだ。首飾りだけがゾーイの元に取り残され、この人ならざる誰かとのやり取りは現実なのだと思い始めた。
首飾りの上にガウンを着て部屋を出ると、母が待っていた。
彼女は濡れ髪のゾーイが出てくるなり、腕の中に抱き締めた。
「ゾーイ、ごめんなさい。私はあなたの気持ちを何もわかっていない。ただ、あなたのことを愛している。会いたくて会いたくて産んだんだもの。誰よりも幸せになってほしいと思ってる」
母の言葉はすべて本当だと感じた。別に恨んではいない。のびのびと育ててくれて感謝している。ゾーイも母を、両親を愛している。
「お母様、私はもう怒っていません。悲しんでもいません。見てください、泉でこれを授かりました」
袷から首飾りを出し母に見せてやる。アムリは息を呑んだ。
「これは……」
「泉の底に落ちていました。これを見ていると、なんだか勇気づけられる気がするのです」
アムリは娘の顔と首飾りとを交互に見た。そして、もう一度ゾーイを抱き締める。
「……その首飾り、とても似合ってる。あなたは大丈夫。賢い子だからきっと上手くやれる。あなたとユノン様は確かに少し似ているけれど、違う人間だもの。ゾーイはゾーイのやり方で自分の幸せを掴める」
「私のやり方……?」
そんなこと考えたこともなかった。ただ抱かれ、愛されればいいとだけ思っていた。
アムリは頷き、囁く。
「ユノン様は子を産めないけれど、あなたは産める。そしたら、できることはたくさんある。あなたを魅力的と思う殿方だって、世の中にはたくさんいるの。私もお父様も、あなたのためならなんでも協力するから」
できることとはなんだろうと訊ねても、母は微笑むばかりで何も教えてはくれなかった。けれどゾーイにも答えは漠然と想像がつく。
まずは足元を固めなければならない。そのためには、少しの我慢と頑張りが必要だ。
そのまま母と手を繋ぎ、自室まで送ってもらった。
翌日、ゾーイは王の褥に侍った。
伽守の存在ももう気にならない。ガウンの帯を抜き、タリアスに迫る。
タリアスは表情を強張らせている。また自らの不能を晒し、妻を傷つけてしまうことを恐れているのだ。
「タリアス様。そんなに恐がらないで」
ゾーイは肩からガウンをずらし、ゆっくりと脱ぎ去った。柔らかな胸の間には碧玉の首飾りが現れ、タリアスはそこに釘付けになった。
「ゾーイ、なぜお前がそれを……?」
ゾーイは問いには答えず、タリアスの膝に乗る。
「今宵からは、閨では私のことを『ユノン』とお呼びになっても結構です」
伽守が小さく息を呑んだのがわかった。ゾーイは内心ほくそ笑む。
タリアスは目を見開いてゾーイを見上げた。
「なに……?」
「今まで私は自分のことばかりで、タリアス様のお気持ちにまで気が回らなかった。あなた様はただユノン様を深く愛され、とても愛情深いお方でいらっしゃっただけなのに。お許しいただけますか?」
タリアスの両手を取り、包み込みながら碧玉に押し当てた。怯えたような顔のタリアスに優しく微笑む。
「前の奥方様のお名前で呼ばれたとしても、身体つきや声は違うでしょう。どうしてもその気になれないのでしたら、ミロやユーティス殿もこちらへ呼んで手助けをしてもらいましょうか」
タリアスはまだ驚きの中にあるのか、こぼれ落ちそうなほど見開いた目でゾーイを凝視している。
「……いや、まだいい。ゾーイ、お前は一体……?」
「そうそう、ユノン様はご自分のことを何とお呼びに?」
私は私だ。心の中でそう返しながら、笑みを崩さず訊ねた。
「僕、と。そう呼んでいた」
タリアスの手を解放してやり、ゾーイは胸に夫を抱き込んだ。
不自然だろうか。いや、腑抜けのタリアスはそんなこと気にしないだろう。
この女の身体を持ったユノンの顔なら、きっと上手くやれるはず。タリアスは元々男しか愛せないとは聞いていない。今だって行為の途中、ユノンを思い出すまで雄は猛っているし、女だって抱けるはずなのだ。
「タリアス様。どうぞこの僕に、お情けを。今度こそ、あなた様のお子をこの腹に宿したいのです」
そう言い、頬を包んで口づけた。
今は政さえまともにできないしょうもない王だが、以前は意欲に満ちた精悍な若い王だったと聞いた。そんな王をここまで落ちぶれさせるとは、ユノンはとんでもない魔性の持ち主だったのだろう。
ひくり、とタリアスの唇が震えた。ゾーイはそのまま舌を侵入させ、絡め合わせる。こんなに深い口づけは初めてのことだったが、なんとか挑んでみる。本当は王の方から、導いてほしいのに。
ひとしきりぬるぬると口腔内を蹂躙し、唇を解放してやった。互いに荒く呼吸をしている。
「……ユノン……」
唾液に濡れた唇が動き、王はゾーイの忌む前妻の名を呟いた。目は潤み、頬は高揚している。
ゾーイは、自分の企みがすべて狙い通りにいくことを悟った。
ゾーイはゾーイのやり方で、幸せを掴む。
タリアスは妻の細身の身体に抱きつき、寝台に押し付けた。そして我を忘れたように乳房を吸う。
「あっ……あん、タリアス、さま……」
ゾーイは我慢せずに声を漏らす。咥えられ力強く吸われている乳首から全身に、甘い悶えが走る。
まるで赤子のような夫の頭を撫で、ゾーイはますますにっこりと笑った。
「気持ちいい……。もっと、僕に触ってください……」
熱心に片方を吸い、もう片側は転がし、タリアスはゾーイに夢中だった。
いつもならもうミロに交代している頃だろう。
突っ立つ伽守の被り物の下の表情は、容易に想像できる。ゾーイはおかしくてたまらないのを、快楽に集中し押し殺そうと努めた。
タリアスが下に動き、ゾーイの膝を大きく広げた。タリアスの股の間のものはすっかり怒張し、こんなものが果たして入るのだろうかと一抹の不安がよぎった。
それでもそれに歓喜する心は浮き立ち、ゾーイはもう勝ちを確信する。
「……ああ、タリアスさま……ここに、ください。あなたの……」
我慢できないとばかりに腰をくねらせ、指で陰部を広げて見せる。まだ怖くて後ろを使ってみる気にはなれないが、タリアスはごくりと唾を飲み込んだ。
ユノンとは違うのだ。ゾーイの泉では快楽に蜜が湧き、いつでも男を受け入れることができる。
「……ユノン。触ってみても、いいか?」
「ええ、ええ。たくさん触って。あなたの僕ですから……」
つぷ……、とまずはそこに指が入り込んで来るのを感じ、ゾーイは白い喉を反らせた。
ゾーイは枕を寝台に叩きつけ、隅に畳んでおいたガウンを掴んだ。
「どうやら今宵も、私はタリアス様のお役には立てぬようです。下がらせていただきます」
冷たく突き放され、王は端正な顔を泣き出しそうに歪めた。もう四十を超えているというのに、まるで子どものような表情を見せる。
彼は弱々しく扉の脇に控える伽守を呼び寄せた。
「陛下、……」
心配げに王の肩を抱き、伽守は顔の覆われた黒の被り物を外す。
こちらの中身は三十中頃の男だ。甘い顔立ちで多少若くは見える上小綺麗にしてはいるものの、若さと美貌という点においては王妃であるゾーイに敵うわけもないのに。
「達したいのですね?」
ゾーイの夫タリアスは、男に穏やかに問われ目に涙を浮かべ頷く。
「またユノン様を思い出しておいでだったのですか」
伽守は優しく宥めるように訊ね、王の目からは涙が溢れた。
ガウンの帯を結びながら、ゾーイは二人の様子を苛立たしく眺める。
物心ついた頃に初めてタリアスに引き会わされてからというもの、この人には本当に国を治める能力があるのだろうかというのが彼に対し抱いている疑問だ。
笑わず怒らず、穏やかだが、こちらの話を聞いているのかどうなのかよくわからない。無表情で、時々にわか雨のようにめそめそと涙を流しいつもどこか一点を見つめている。
以前は王としての職務を忙しくこなし民からの支持も厚かったらしいが、そんな過去は想像できない。彼の心は、今はここにないのだ。
今は父であるベルネラ宰相が政を取り仕切っており、タリアスなどただのお飾りの王に収まっている。
彼の最初の妻、オルトア家次男のユノンは湖に沈んだと聞いた。王の弟と共に、固く抱き合って死んでいるところが発見されたという。
それからタリアスはおかしくなってしまったらしい。
「ミロ、私はどうしてもゾーイとユノンを重ね合わせてしまう。これではゾーイに申し訳が立たない。子も為せず、私は何のために生きているのか……」
取り縋られ、ミロもひしと王を抱いた。まるで親が子を慰める仕草だ。
「ゾーイ様はもうお出になるようです。ユーティス殿もお呼びしましょうか? ユーティス殿も、よくユノン様に面影が似ておられる」
ミロは言いながら、膝をついてタリアスの股の間に屈み込んだ。
ここまでで耐えきれなくなり、ゾーイは部屋を飛び出した。
乱暴に扉を閉め、大きな音が立つのも気にせず人のいない薄暗い廊下を行く。途中の部屋から出てきた見回りの兵がギョッとしながらこちらを振り返ったが、それを追い越して自室を目指す。
自分の顔貌はユノン・オルトアに似ているらしい。その事実が余計にゾーイを苛立たせる。
黒い髪と目は父母に似なかったが、それでもこの顔つきは両親それぞれから受け継いだものだと思っていた。
それなのに、タリアスは行為のたびに組み敷いたゾーイを見下ろしては亡き前妻の名を呟き、昂りかけた雄を萎れさせるのだ。
突き当たりで人にぶつかりそうになり慌ててのけ反ると、自らの両親だった。
「驚いた。お父様、お母様」
「ゾーイ、そんな格好で……」
袷を適当にかき合わせて出てきたガウンを、母の手が直してくれた。
惨めで仕方なく、裸足の足元を見つめるゾーイの目には涙が滲む。
両親も自分たちの娘がどのような境遇なのかを知っている。王との閨のことまで心配し、娘が泣きながら飛び出してくるのではとやって来たのだ。
「……惨めでなりません。私は、女としての幸せを味わうことはできないのでしょうか。伽守は王の小間使い、妾は前妻の兄。王は、私の身体ではご満足いただけないようです。これでは、一番大切な子を成すという務めすら果たせそうにありません」
ゾーイは唇を噛み、悔し涙が頬を伝うに任せていた。
王がそばに置いているのはミロという名の侍男だけではない。神官を城に常駐させるという名目で神殿から連れてきた、ユーティス・オルトア。彼はユノンの実兄なのだ。
「ユーティス殿は十七年前、別棟に放火した容疑があるという噂ではないですか。なぜそんな罪人同様の男を陛下は何の咎めもなしにおそばに置いておくのです? 私は罪人以下なのですか?」
「そんなことを言うものではありません!」
感情の高揚にまかせ捲し立てるゾーイに、母は鋭く言った。
「ユーティス様は、ユノン様の……」
母は言いかけたまま、言葉を詰まらせる。
「アムリ、やめよう。ゾーイも苦しんでいる。私たちの子として生まれたばかりに、このような苦難を与えてしまった」
拳を握りしめ震える母に、父がそっと寄り添った。
「ゾーイ。泉へ行ってから休みなさい。地下まで送ってあげようか」
父の優しい声が逆に悲しかった。諦めろと、そう言われているような気がしたのだ。
「結構です。泉へは一人で向かいます。おやすみなさいませ」
ガウンの袖で乱暴に涙を拭うと、ゾーイは二人の脇を通り抜けて小走りに歩いた。
ユノン、ユノンと王も両親も。一体彼がなんだというのだ。十七年も前に城から逃げて第二の夫と心中した人物など、その名を聞くのも忌まわしい。
面倒なのでランタンも持たずにゾーイは泉の部屋へ入った。どうせすぐに目が慣れる上、泉が青く光るので足元さえ気をつければ問題ない。
ざぶざぶと水に浸かると、人肌のような温もりが身体を包む。こんなささくれ立った気持ちでここへ来ても、この不思議な青の泉に浸れば身も心もたちまちに解されてしまうような気がする。
それが辛く、ゾーイはまた涙を流した。
ここから出れば、また耐え難い屈辱の日常が待っている。
子宝を願いここへと来ているはずなのに、そもそも種を撒かれなければいくら願おうとも子などできるはずもない。この部屋はただの逃避のための避難場所になっているだけだ。
「消えてしまいたい……」
ゾーイは手で顔を覆った。両親には愛情をたくさん注がれ育てられたと思う。感謝している。あの時幸せだった分、今にしわ寄せが来ているのだろうか。
元々女が少ない土地柄な上、昔流行った病のせいでこの国には若い女が極端に足りない。街に生まれれば、自分だけを一心に愛してくれる男と出会えただろうか。
いや、そもそもどこに生まれても妃になることは定まっていた運命なのだ。病が治まり、一番初めに生まれた女が自分なのだから――。
涙に濡れた腕を下ろし、泉を見下ろした。
ぼんやりと、常に美しく青い光を放ち続ける聖なる泉。ユノンもここを訪れたのだ。男に子などできるはずもないのに。
彼は何を思ってここに浸ったのか。まさか本当に子ができるよう熱心に祈っていたわけではあるまい。
そんなことを考えていると、底の方で一瞬ちかりと眩く光るものがあった。ゾーイは水中にもぐり、その何かを拾い上げる。
「きれい……」
繊細にきらめく長い金の鎖に、飾りの中央には泉の水を集めて凝らせたような見事な碧玉、散りばめられた金剛石や翡翠……。
それは美しい首飾りだった。意匠はとても古いものと思われる。しかしそれを気にさせないほどの、高い技術で作られた貴重なものであることを窺わせる。
ゾーイはそれを胸の膨らみの間に掛けてみた。
うっとりと眺めていると、水面から一頭の黒輝蝶が飛び出してひらひらと舞う。
「うそ、なんで蝶……?」
水の中から蝶が飛び出すなど、ありえないことだ。よっぽど自分は疲れているのだろうか。
夢かもしれないなどと思いつつ吹き抜けを高く昇る蝶を見上げていると、誰かの声が聞こえてきた。
『ゾーイ、それはお前のものだ』
低いような、高いような。性別も年齢もわからない、直接頭に響いてくる不思議な声。
はっとして周囲を見回すも、当然ながら人の気配はない。
ゾーイは夢でもいいし、幻聴でもいいと思った。現実は辛過ぎる。少しくらい変わったことが起こったって、逃避になればそれでいい。
もう黒い点になってしまったひらひらと舞う蝶を、再び見上げる。
「あなたは誰? そしてなぜこれが私のものなのですか?」
『お前は王妃だ。お前には、力がある』
声はゾーイの質問には答えてくれない。湖の精霊か、神だろうか。
ゾーイは普段そういった伝説の類は信じないが、この首飾りを見つけたことが現実なのならばそれらも信じざるを得なくなるだろう。
「……力なんて、ありません。王は私など相手にしてくれない。なんのお役にも立てないのです」
不思議と本音を語れる。側仕えや両親以外の者たちには絶対にこんな弱音は吐けない。
「私は、このままでは王の子を授かることができません。王妃としての務めを果たせず、女として愛されもせずに老いていくのです」
『……すでにいない者に張り合ってはいけない』
「張り合う……?」
少々考えて、はっとした。
思えば、自分は常にユノンと重ねられることに抵抗を感じていた。そしてタリアスも、前妻とゾーイとを重ねてしまい申し訳がないと泣くのだ。その後はゾーイが苛立ち、ミロの仲裁が入り部屋を飛び出す。その繰り返し。
蝶はどこからか外へ出て行ったのか姿を消し、それきり声もやんだ。首飾りだけがゾーイの元に取り残され、この人ならざる誰かとのやり取りは現実なのだと思い始めた。
首飾りの上にガウンを着て部屋を出ると、母が待っていた。
彼女は濡れ髪のゾーイが出てくるなり、腕の中に抱き締めた。
「ゾーイ、ごめんなさい。私はあなたの気持ちを何もわかっていない。ただ、あなたのことを愛している。会いたくて会いたくて産んだんだもの。誰よりも幸せになってほしいと思ってる」
母の言葉はすべて本当だと感じた。別に恨んではいない。のびのびと育ててくれて感謝している。ゾーイも母を、両親を愛している。
「お母様、私はもう怒っていません。悲しんでもいません。見てください、泉でこれを授かりました」
袷から首飾りを出し母に見せてやる。アムリは息を呑んだ。
「これは……」
「泉の底に落ちていました。これを見ていると、なんだか勇気づけられる気がするのです」
アムリは娘の顔と首飾りとを交互に見た。そして、もう一度ゾーイを抱き締める。
「……その首飾り、とても似合ってる。あなたは大丈夫。賢い子だからきっと上手くやれる。あなたとユノン様は確かに少し似ているけれど、違う人間だもの。ゾーイはゾーイのやり方で自分の幸せを掴める」
「私のやり方……?」
そんなこと考えたこともなかった。ただ抱かれ、愛されればいいとだけ思っていた。
アムリは頷き、囁く。
「ユノン様は子を産めないけれど、あなたは産める。そしたら、できることはたくさんある。あなたを魅力的と思う殿方だって、世の中にはたくさんいるの。私もお父様も、あなたのためならなんでも協力するから」
できることとはなんだろうと訊ねても、母は微笑むばかりで何も教えてはくれなかった。けれどゾーイにも答えは漠然と想像がつく。
まずは足元を固めなければならない。そのためには、少しの我慢と頑張りが必要だ。
そのまま母と手を繋ぎ、自室まで送ってもらった。
翌日、ゾーイは王の褥に侍った。
伽守の存在ももう気にならない。ガウンの帯を抜き、タリアスに迫る。
タリアスは表情を強張らせている。また自らの不能を晒し、妻を傷つけてしまうことを恐れているのだ。
「タリアス様。そんなに恐がらないで」
ゾーイは肩からガウンをずらし、ゆっくりと脱ぎ去った。柔らかな胸の間には碧玉の首飾りが現れ、タリアスはそこに釘付けになった。
「ゾーイ、なぜお前がそれを……?」
ゾーイは問いには答えず、タリアスの膝に乗る。
「今宵からは、閨では私のことを『ユノン』とお呼びになっても結構です」
伽守が小さく息を呑んだのがわかった。ゾーイは内心ほくそ笑む。
タリアスは目を見開いてゾーイを見上げた。
「なに……?」
「今まで私は自分のことばかりで、タリアス様のお気持ちにまで気が回らなかった。あなた様はただユノン様を深く愛され、とても愛情深いお方でいらっしゃっただけなのに。お許しいただけますか?」
タリアスの両手を取り、包み込みながら碧玉に押し当てた。怯えたような顔のタリアスに優しく微笑む。
「前の奥方様のお名前で呼ばれたとしても、身体つきや声は違うでしょう。どうしてもその気になれないのでしたら、ミロやユーティス殿もこちらへ呼んで手助けをしてもらいましょうか」
タリアスはまだ驚きの中にあるのか、こぼれ落ちそうなほど見開いた目でゾーイを凝視している。
「……いや、まだいい。ゾーイ、お前は一体……?」
「そうそう、ユノン様はご自分のことを何とお呼びに?」
私は私だ。心の中でそう返しながら、笑みを崩さず訊ねた。
「僕、と。そう呼んでいた」
タリアスの手を解放してやり、ゾーイは胸に夫を抱き込んだ。
不自然だろうか。いや、腑抜けのタリアスはそんなこと気にしないだろう。
この女の身体を持ったユノンの顔なら、きっと上手くやれるはず。タリアスは元々男しか愛せないとは聞いていない。今だって行為の途中、ユノンを思い出すまで雄は猛っているし、女だって抱けるはずなのだ。
「タリアス様。どうぞこの僕に、お情けを。今度こそ、あなた様のお子をこの腹に宿したいのです」
そう言い、頬を包んで口づけた。
今は政さえまともにできないしょうもない王だが、以前は意欲に満ちた精悍な若い王だったと聞いた。そんな王をここまで落ちぶれさせるとは、ユノンはとんでもない魔性の持ち主だったのだろう。
ひくり、とタリアスの唇が震えた。ゾーイはそのまま舌を侵入させ、絡め合わせる。こんなに深い口づけは初めてのことだったが、なんとか挑んでみる。本当は王の方から、導いてほしいのに。
ひとしきりぬるぬると口腔内を蹂躙し、唇を解放してやった。互いに荒く呼吸をしている。
「……ユノン……」
唾液に濡れた唇が動き、王はゾーイの忌む前妻の名を呟いた。目は潤み、頬は高揚している。
ゾーイは、自分の企みがすべて狙い通りにいくことを悟った。
ゾーイはゾーイのやり方で、幸せを掴む。
タリアスは妻の細身の身体に抱きつき、寝台に押し付けた。そして我を忘れたように乳房を吸う。
「あっ……あん、タリアス、さま……」
ゾーイは我慢せずに声を漏らす。咥えられ力強く吸われている乳首から全身に、甘い悶えが走る。
まるで赤子のような夫の頭を撫で、ゾーイはますますにっこりと笑った。
「気持ちいい……。もっと、僕に触ってください……」
熱心に片方を吸い、もう片側は転がし、タリアスはゾーイに夢中だった。
いつもならもうミロに交代している頃だろう。
突っ立つ伽守の被り物の下の表情は、容易に想像できる。ゾーイはおかしくてたまらないのを、快楽に集中し押し殺そうと努めた。
タリアスが下に動き、ゾーイの膝を大きく広げた。タリアスの股の間のものはすっかり怒張し、こんなものが果たして入るのだろうかと一抹の不安がよぎった。
それでもそれに歓喜する心は浮き立ち、ゾーイはもう勝ちを確信する。
「……ああ、タリアスさま……ここに、ください。あなたの……」
我慢できないとばかりに腰をくねらせ、指で陰部を広げて見せる。まだ怖くて後ろを使ってみる気にはなれないが、タリアスはごくりと唾を飲み込んだ。
ユノンとは違うのだ。ゾーイの泉では快楽に蜜が湧き、いつでも男を受け入れることができる。
「……ユノン。触ってみても、いいか?」
「ええ、ええ。たくさん触って。あなたの僕ですから……」
つぷ……、とまずはそこに指が入り込んで来るのを感じ、ゾーイは白い喉を反らせた。
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