上 下
73 / 126

夢なら覚めて2

しおりを挟む
「ここだけの話、私はこの国を出ようと思っているのです。すでにラティハにおいていくつか事業を起こしている。老後の楽しみに取っておくつもりでしたが、いかんせんこの国は女がいないので」

「ラティハ、ですか」

 カザカル南港の対岸にある国、ラティハ。この国の広大な領土の一部は海に面している。
 古来から海を渡って別の大陸から伝来するものは、すべてラティハから伝わってきた。

「豊かな国です。美しい自然と都市が共存している。海の近くには泥油が湧いています。精製すればとても上質な燃料油になる。私はこの油田をいくつか所有しています」

「そこで取れた油を売っているのですか?」

「ええ。主に他国に輸出しています。ちなみにここへは入ってきていない。カザカルにはこれを上手く扱える技術がない」

「では技術者を呼んで教わっては?」

「いいえ、王妃様」

 ジャペルは首を振る。子どもの間違いをよく考えさせようと、穏やかに指摘する親のような仕草だ。

「この国は貧しく、遅れている。けれどそれに甘んじているのです。タリアスもそれでよしとしている。この国の伝統を守るため、あえて世界の世俗と離れた生活様式を保っている」

「けれど、外交は行っているでしょう? ジャペルさまも、ライル様もよく外遊なさっている」

「さすがに何も知らない、取り入れないではすぐに淘汰されてしまいますからね。必要な情報、技能、貿易だけ取り入れて、あとは古来からの生活を守る。我々の世界は、元々この湖の中で完結していたわけですから」

 カザカルにとって湖は海に等しいものだ。新しいものは湖を越えてやって来る。人も、物も。生活に欠かせないものとして、この淡水の海はいつもカザカルの民とともにあった。

「そこでです。よろしければ、あなた様も私と一緒にラティハへ参りませんか?」

 生き生きと輝く瞳がユノンを捉えた。年長者なのに、少年のような光を湛えている。思わず一瞬見惚れてしまった。
 タリアスやライルと似た面影がある彼なので、やはり人柄を好ましいかそうでないかとは別にどきりとさせられる瞬間がある。

「僕が? なぜです? 陛下やライル様は?」
「彼らには知られないよう、こっそりと連れて行ってあげます。私が養ってあげてもいいし、もし自由になりたいなら手助けをしてあげます」
「……ご冗談を」

 あり得ない。この国に生まれ、外に出たいと望んだことなど一度もない。王家と国を裏切ることなどできるはずもないのだ。
 ……ただ、今でないいつかの世で見た美しい青空の景色は、忘れようとしてもなかなか忘れられないけれど。

「なぜ僕を? 城下には懇意にしている少年もおられるでしょう? なんなら他国の姫君も」
「王妃殿下もなかなかの情報通だ。その通り、私は悲しきかな博愛主義者で、愛しい男女は各地に複数いるのです」

 またしても額に手を当て、悩ましげに俯いて見せる。
 芝居がかっているが、これがこの男が人の懐に入る際の常套手段なのかもしれないとユノンは察した。
 こんな風に大袈裟な身振りを見せられれば、呆れで自然と緊張が解けてしまう。

「でもご心配なさらず。性的対象としては女性の方をやや好んでおりますゆえ、私のそばに美しい姫君がおられればあなたには指一本たりとも触れません」
「姫君がおられなければ?」
「さあ、その時はどうでしょう」

 俯いたままぎらりとユノンに視線を向け、にっと笑ってみせる。

 ユノンは思わずじりじりと後ずさった。

「……はは、冗談ですよ。ユノン殿は守りがお固い。真面目でいらっしゃるところも魅力の一つだ。もうあなたを手篭めにしようとはさすがの私も考えておりませんよ」

 王妃殿下、ではなく名前で呼ばれた。
 破顔したジャペルの目はもうおかしな光は含んでおらず、ぱっと見には上品な紳士が笑っているだけだ。
 ユノンはこっそりと安堵の息をついた。信用しきれるわけではないが、おそらく彼はもう嘘は言っていないような気がする。

「しかしあなたもタリアスとライルばかりで飽きやしないのか? タリアスはまだしも、ライルは何を考えているのかさっぱりわからん。仕事は有能だが、身内の私ですら彼の人となりは理解できない。わかり合えそうにない」

 ジャペルは首を捻る。以前、彼とライルの間には信頼や親しみといったものは一切感じられなかった。
 確かにこんなジャペルとライルではな、と心の中で納得する。

「ライル様は、お仕事には熱意を持って取り組まれています。それに、本当はお優しい方です」

 そう言うと、ジャペルは片眉を上げて怪訝な顔をした。

「……まあ、あなたのことをとても大切にしているということは伝わりましたよ。あの場でね。幼い頃から薄気味の悪い子どもだったが、あそこまで感情を露わにしたところは見たことがない」

「薄気味の悪い……」

 ライルの考えは読めないけれど、ユノンはそんな風には感じなかった。
 少年の日のタリアスが振り撒いていた幸せな明るい雰囲気が脳裏によぎる。
 きっとタリアスは常に周りを人々に囲まれ、期待を背負って育ってきたはずだ。それと対照的に、弟のライルはどんな子ども時代を送っていたのか。
 放っておけばすぐに湖畔へ行きたがり、部屋に閉じ込めても湖を見つめ続ける。勉強は優秀だが、誰とも最低限の言葉しか交わさない。
 きっと孤独だったろう。性格だって捻くれるはずだ。
 幼いライルの心細げな横顔を想像しながら、思い出されるのは初めて身体を繋げた日の彼の言葉。

 ――ユノン・オルトアは、俺の妻――。

 おこがましいことだが、まるで自分自身に言い聞かせるような、心からの安堵を含む声色だったように思う。

「人の好みや私生活をどうこう言う筋合いはありませんがね。人生は一度きりだし、色々楽しみたいとは思いませんか?」

 ジャペルはふん、と鼻で笑うと手すりから身体を離した。
 再び心の中をライルに占められてしまい、ユノンは上の空で「はぁ……」と曖昧に呟く。

「まあその気になったらいつでも声を掛けてくださいよ。明後日の浄逸の儀を見て気が変わるかもしれないし」

「浄逸の儀? なぜですか?」

「それはお楽しみにしておきましょう。タリアスにもあなたには教えるなと口止めをされております」

 人差し指をユノンの唇に当て、ジャペルがにこりと微笑んだ。
 ユノンは驚いて後ずさる。

「今年はあなたがおられるおかげで、私は出席しなくとも済むようだ。感謝申し上げますよ。あの儀式は興味深いが、私は毎年見たいとは思えませんからね」

 意味深げに口元を歪め、ジャペルは去ろうと踵を返す。ユノンは彼の横に並んだ。

「気になります。兄……ユーティスも教えてくれません。教えてはくださいませんか」

 教えてもらおうと縋ってみたが、ジャペルは穏やかに首を振った。

「タリアスもライルも付いているのですから、心配は無用でしょう。ベルネラも同行するはずです」

 これ以上何を話す気もないようだ。気になる話題を振っておいて、これはずるい。

「ジャペル様、もう皆様お揃いですよ」

 早足でコツコツ歩く音が近づいてくる。これは知っている。かなり急いでいる時のタリアスの側近の足音だ。
 鋭い眼差しのベルネラがジャペルめがけて一目散にやって来た。肩の辺りでぱつんと切り揃えられた髪が彼の几帳面さを表しているようだ。
 傍のユノンに気づくと一瞬表情を和らげ頭を下げ、ユノンも咄嗟に会釈を返してしまった。
 ジャペルはやれやれといった風に肩を竦めた。

「皆様あなた様をお待ちです」
「そうか。では仕方ない。行くとしよう」

 ベルネラに引っ張られるようにして歩きながら、ジャペルは茫然と見送るユノンに軽く手を振った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

兄が届けてくれたのは

くすのき伶
BL
海の見える宿にやってきたハル(29)。そこでタカ(31)という男と出会います。タカは、ある目的があってこの地にやってきました。 話が進むにつれ分かってくるハルとタカの意外な共通点、そしてハルの兄が届けてくれたもの。それは、決して良いものだけではありませんでした。 ハルの過去や兄の過去、複雑な人間関係や感情が良くも悪くも絡み合います。 ハルのいまの苦しみに影響を与えていること、そしてハルの兄が遺したものとタカに見せたもの。 ハルは知らなかった真実を次々と知り、そしてハルとタカは互いに苦しみもがきます。己の複雑な感情に押しつぶされそうにもなります。 でも、そこには確かな愛がちゃんと存在しています。 ----------- シリアスで重めの人間ドラマですが、霊能など不思議な要素も含まれます。メインの2人はともに社会人です。 BLとしていますが、前半はラブ要素ゼロです。この先も現時点ではキスや抱擁はあっても過激な描写を描く予定はありません。家族や女性(元カノ)も登場します。 人間の複雑な関係や心情を書きたいと思ってます。 ここまで読んでくださりありがとうございます。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

処理中です...