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初夏の朝の約束1
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王には夜毎たっぷりと精を注がれ、朝までそこに栓をしておくという異常な子作りを繰り返している。
泉の部屋へ足を踏み入れる際は怪異が恐ろしくて、しばらくは毎回泉の外でこわごわ水を被るだけだった。
しかし勇気を出して入泉してみても何も起こらない。
気のせいだったのかもしれない、夢だったのかもしれないと思えるようになってきた。慣れない環境で精神的に疲れが溜まっていたのだろう。
ユノンは外気に大きく伸びをし、深呼吸した。筋肉痛の腰と腿が少々痛むが、平和だ。
もう王には何夜抱かれたかわからない。そもそもいつの時点から千を数え始めればよいのかも知らないし、知ろうともしていない。
夜のことばかり考えているのも嫌で、ミロにたまには一人になりたいとわがままを言い、別棟の庭から湖畔まで下りてきた。
湖上からやってきて髪を揺らす風はだいぶ温くなり、庭に咲き誇る花の種類も変わった。もう城の生活にも慣れただろうということで、ユノンへの王族としての基本的な教育も始まっている。
伝承についての講義もあり、ユノンは国の起こりから伝説に至るまで興味深く学んでいる。
湯殿でミロから聞いた話は基本的なもので、この狭い国でも地域によって伝えられ方や登場人物は少々異なったりもする。どれもこれも聞いていて楽しい。
季節が、一つ巡ろうとしている。
霧は珍しく晴れている。
湖畔からは西港の様子が見える。出入りする漁船、そして魚のおこぼれを狙って飛び回る水鳥たちに、ユノンは目を細めた。
上を見上げれば分厚い灰色の雲の隙間からはわずかに青々とした色が覗く。今日はカザカルの快晴だ。
おそらくいつかの世で見た雲一つない晴れの空は、今生の世では目にしたことはない。
今日はライルが帰国する日と告げられていた。深い緑を湛えた湖は凪いでおり、ライルの乗る船も揺れずに帰って来られるだろう。
「ライル様にお会いするのは久しぶりだ」
一人きりで開放的になり、誰に聞かせるともなく呟いた。
あの初めて抱かれた日以来身体を合わせていない。ライルは忙しく、城にいないことも多いのだ。
今回北港の湖を渡った対岸にある国、フェーゼンへ外商に赴くということで七日前に港まで見送りに行ったが、言葉を交わすことも手を振ってくれることもなかった。
「……正直、ライル様がご不在だと気が楽だ」
これが本音だ。
ここへ来てから夜の務めの慣習に対し戸惑うことは多々あったが、王妃の自覚を持たねばと自分を叱咤することで耐えてこられた。しかし、ライルはそういうものとは関係ないところでユノンの心を乱すのだ。
重婚のことも、王の弟とも結婚することは別にいい。こんなご時世では仕方のないこと。
しかし、何をするにしてもユノン本人には事前に打診されず事がいきなり進むのが堪える。
やはり王妃などとは形ばかりで、自分などただの物として扱われているような――。
「本当は、早く女児が生まれればいいのにと思うよ」
「それは本心からの希望なのか?」
誰もいないと思っていたのに背後から声をかけられ、ユノンは飛び上がった。その上、その声とぶっきらぼうな話し方には覚えがある。
こわごわ後ろを振り返った。
「……ライル様。いつからそこにおられたのですか」
不機嫌そうな男はふんと鼻を鳴らす。かっちりと着こまれた黒い衣の左胸にはカザカル王家の紋章、そして瞳の色に似た深緑のサッシュ。
出立したあの朝と同じ凛々しい姿だ。
「お早いお帰りでしたね。港へお迎えに上がるつもりでしたのに」
「いらん。あんたがいても何にもならない」
それは確かにそうだろうが。
ユノンは小さくため息をついた。この男とこの場に二人きり。場が持たない。
どうして彼は一人でこの場を訪れ自分と二人になろうなどと思ったのだろうか。
こんな場では夫婦の営みを持つこともできないし、茶も出せない。自分に用などないはずなのだ。一仕事終えて疲れているはずだろうに。
「さっきの話だが。お前は女児が生まれればいいと願っているのか?」
ユノンの立場上あまり聞かれたくない本音を知られてしまった。
どうせならフェーゼンの土産話でも自慢げに語ってくれればいいのに、わざわざ今痛いところを突くのか。
それでも話を逸らしたとしてこの王子にごまかしは通用しないだろうと、観念することにする。
「……はい。今女児が生まれれば、十五年後には子を成せる。タリアス様もライル様も、その時はまだお若いままです」
「若くはないが、そうだな。子を成せないわけではない」
「ですから僕は、いずれ女児が生まれるまでのつなぎの王妃の役目でいるつもりなのです。若く美しい少女が妾としてやって来ても、自分の身をわきまえておりますのでご安心ください」
「馬鹿だな」
ライルがどかりと砂の上に座った。この場にまだ居座るつもりなのかとユノンは内心たじろいだが、隣に座れと促されてその通りにした。なんとなく人二人分くらいの間隔を空ける。
「なぜ離れる?」
「ええと……」
「俺には近付きたくないと言うか。腹が立つ男だ。もっと寄れ。俺はお前の隅々まで知っている」
言われ、かっと顔が熱くなった。はからずも自分からはしたなく求めてしまったあの昼の談話室が蘇る。
なんて粗野な男だとユノンも頭に血が上り、二人の肩がぶつかるすれすれにどんと腰を下ろした。
「それでいい」
ライルは口の端を釣り上げる。大人げないユノンの様子を楽しんでいるようだ。
湿気を含んだ湖上の風が、ふわりと甘い花の香りを運んでくる。黒輝蝶が一頭姿を現し、ひらひらと別棟の庭へ飛んで行った。
「……後宮というものを知っているか?」
少しの間風が頬を撫でるのを楽しんでいたユノンだったが、ライルが口を開いた。
泉の部屋へ足を踏み入れる際は怪異が恐ろしくて、しばらくは毎回泉の外でこわごわ水を被るだけだった。
しかし勇気を出して入泉してみても何も起こらない。
気のせいだったのかもしれない、夢だったのかもしれないと思えるようになってきた。慣れない環境で精神的に疲れが溜まっていたのだろう。
ユノンは外気に大きく伸びをし、深呼吸した。筋肉痛の腰と腿が少々痛むが、平和だ。
もう王には何夜抱かれたかわからない。そもそもいつの時点から千を数え始めればよいのかも知らないし、知ろうともしていない。
夜のことばかり考えているのも嫌で、ミロにたまには一人になりたいとわがままを言い、別棟の庭から湖畔まで下りてきた。
湖上からやってきて髪を揺らす風はだいぶ温くなり、庭に咲き誇る花の種類も変わった。もう城の生活にも慣れただろうということで、ユノンへの王族としての基本的な教育も始まっている。
伝承についての講義もあり、ユノンは国の起こりから伝説に至るまで興味深く学んでいる。
湯殿でミロから聞いた話は基本的なもので、この狭い国でも地域によって伝えられ方や登場人物は少々異なったりもする。どれもこれも聞いていて楽しい。
季節が、一つ巡ろうとしている。
霧は珍しく晴れている。
湖畔からは西港の様子が見える。出入りする漁船、そして魚のおこぼれを狙って飛び回る水鳥たちに、ユノンは目を細めた。
上を見上げれば分厚い灰色の雲の隙間からはわずかに青々とした色が覗く。今日はカザカルの快晴だ。
おそらくいつかの世で見た雲一つない晴れの空は、今生の世では目にしたことはない。
今日はライルが帰国する日と告げられていた。深い緑を湛えた湖は凪いでおり、ライルの乗る船も揺れずに帰って来られるだろう。
「ライル様にお会いするのは久しぶりだ」
一人きりで開放的になり、誰に聞かせるともなく呟いた。
あの初めて抱かれた日以来身体を合わせていない。ライルは忙しく、城にいないことも多いのだ。
今回北港の湖を渡った対岸にある国、フェーゼンへ外商に赴くということで七日前に港まで見送りに行ったが、言葉を交わすことも手を振ってくれることもなかった。
「……正直、ライル様がご不在だと気が楽だ」
これが本音だ。
ここへ来てから夜の務めの慣習に対し戸惑うことは多々あったが、王妃の自覚を持たねばと自分を叱咤することで耐えてこられた。しかし、ライルはそういうものとは関係ないところでユノンの心を乱すのだ。
重婚のことも、王の弟とも結婚することは別にいい。こんなご時世では仕方のないこと。
しかし、何をするにしてもユノン本人には事前に打診されず事がいきなり進むのが堪える。
やはり王妃などとは形ばかりで、自分などただの物として扱われているような――。
「本当は、早く女児が生まれればいいのにと思うよ」
「それは本心からの希望なのか?」
誰もいないと思っていたのに背後から声をかけられ、ユノンは飛び上がった。その上、その声とぶっきらぼうな話し方には覚えがある。
こわごわ後ろを振り返った。
「……ライル様。いつからそこにおられたのですか」
不機嫌そうな男はふんと鼻を鳴らす。かっちりと着こまれた黒い衣の左胸にはカザカル王家の紋章、そして瞳の色に似た深緑のサッシュ。
出立したあの朝と同じ凛々しい姿だ。
「お早いお帰りでしたね。港へお迎えに上がるつもりでしたのに」
「いらん。あんたがいても何にもならない」
それは確かにそうだろうが。
ユノンは小さくため息をついた。この男とこの場に二人きり。場が持たない。
どうして彼は一人でこの場を訪れ自分と二人になろうなどと思ったのだろうか。
こんな場では夫婦の営みを持つこともできないし、茶も出せない。自分に用などないはずなのだ。一仕事終えて疲れているはずだろうに。
「さっきの話だが。お前は女児が生まれればいいと願っているのか?」
ユノンの立場上あまり聞かれたくない本音を知られてしまった。
どうせならフェーゼンの土産話でも自慢げに語ってくれればいいのに、わざわざ今痛いところを突くのか。
それでも話を逸らしたとしてこの王子にごまかしは通用しないだろうと、観念することにする。
「……はい。今女児が生まれれば、十五年後には子を成せる。タリアス様もライル様も、その時はまだお若いままです」
「若くはないが、そうだな。子を成せないわけではない」
「ですから僕は、いずれ女児が生まれるまでのつなぎの王妃の役目でいるつもりなのです。若く美しい少女が妾としてやって来ても、自分の身をわきまえておりますのでご安心ください」
「馬鹿だな」
ライルがどかりと砂の上に座った。この場にまだ居座るつもりなのかとユノンは内心たじろいだが、隣に座れと促されてその通りにした。なんとなく人二人分くらいの間隔を空ける。
「なぜ離れる?」
「ええと……」
「俺には近付きたくないと言うか。腹が立つ男だ。もっと寄れ。俺はお前の隅々まで知っている」
言われ、かっと顔が熱くなった。はからずも自分からはしたなく求めてしまったあの昼の談話室が蘇る。
なんて粗野な男だとユノンも頭に血が上り、二人の肩がぶつかるすれすれにどんと腰を下ろした。
「それでいい」
ライルは口の端を釣り上げる。大人げないユノンの様子を楽しんでいるようだ。
湿気を含んだ湖上の風が、ふわりと甘い花の香りを運んでくる。黒輝蝶が一頭姿を現し、ひらひらと別棟の庭へ飛んで行った。
「……後宮というものを知っているか?」
少しの間風が頬を撫でるのを楽しんでいたユノンだったが、ライルが口を開いた。
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