傾国の遊女

曼珠沙華

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第三章

謎の華

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「ぅ……ぐ…っ……」

月の光が差し込む一室。
ウチの唸り声だけが、唯一の音だった。
一室と言っても倉庫なのだから一室しかないのだけれど。
いや、唸り声だけだと感じるのはウチ以外から聞いたら、だろう。
つまり客観的に見れば、この倉庫にはウチの唸り声しか聞こえない。
だけどウチにしか聞こえない、ウチ自身の鼓動の音。
それがけたたましく鳴るものだから無視できない。

何てったって、現在ウチは

「はっ…はっ…」

自身の体から血液が抜かれるのは、不快だった。
採血程度だと高を括っていた自分を殴り飛ばしたい程、それは不快だった。
とにかく気持ちが悪い。
しかも酸欠の如く思考がぼぅっとなり、視界がグラグラ揺れる。

ここまで来ると流石に男は、ウチの首元から自身の牙を引き抜いた。

引き抜かれる心地も気持ち悪いが、吸血中の時よりは遥かにマシだ。
案外、これでも慣れた方だ。
最初なんか耐えきれずに吐いてしまったし、吸血後にぶっ倒れる始末だったのだから。

「…。」

男は相変わらずの硬い表情のまま、懐から小さなケースを取り出す。
プラスチックのお菓子の容器の様だ。
でも、きっと素材はプラスチックのではないだろう。
この未来の世界には、プラスチックの以上に便宜な物があるに決まってる。
そのケースの中には小さな薬剤が入っている。
過去にあったベビーチョコ位の大きさしかないそれを、男の白い指が摘み出す。
そしてそれを砕くと、その破片をウチの口元へと運ぶ。
手足の自由が効かないウチにとっては随分と助かる。

大人しくそれを嚥下すると、身体中の痛みが無くなった。
そして小さな傷口は自ら閉じていく。
勿論、男の牙の跡も綺麗さっぱり無くなっただろう。
どこかのホラー映画の様だが、此処は未来。
なんでもありなのは今更のこと。

「ありがとうございます…。」

ウチはいつも通り男に礼を言う。
男はやはり相変わらずの表情で何も言わなかった。
そして静かに、この倉庫を後にする。
男の影が倉庫から消えて、暫くすると日が昇る。

あぁ、何処までも吸血鬼みたいな人だな…。

そう一人で笑いながら目を閉じる。
これがウチの最近のルーティン。





こうなったのはウチがシレネに捕らえられてから、6番目の夜。

体力的にも精神的にも参っていたウチの元に現れた吸血鬼。
未来人かも、過去の人間かも分からない様な見た目の男。
その男に襲われたのだ。
首元に噛みつかれ、血を啜られる。
正直体がもう限界だったウチは、血を啜られてすぐ気を失ってしまった。

しかし、次に目覚めた時は何故か

それも、シレネたちに暴行される前の状態に。

意味が分からなかった。
目が覚めたら原因の男は居ないし、しかも体の傷どころか痛みさえ無いのだから。
暫く混乱した状態で、夜を迎える。
しかし、シレネたちはウチが治ったことは悟られない様にした。
悟られてしまっては、ウチが彼女たちの的になっている意味が無いのだから。
前の血の後が残っていたのと、夜だったからか気付かれずに済んだが…。
結局、治ったのは良いものの、またボロボロにされるのだから意味はない。

「じゃぁね~」

シレネの間延びした声。
「さっさとお風呂に入りたいわ」そんな声が聞こえる中、ウチはただひたすら床の木目を数えた。
そうしないと、あの地獄を耐えられないからだ。
何か考えないと、きっとウチは壊れてしまう。
そう自分でも分かっているから、痛みに支配された脳を懸命に動かして木目を数える。

どれくらいだったか。
確か木目の数が五千を超えた辺りで、自分以外の気配を感じた。
シレネ達ではない。
シレネ達ではあれば、もっとギャアギャア騒ぎながら来る。
しかしウチ以外の気配は、全く何も喋らない。それどころか小さな音すら立てようとしない。
ウチはそんな気配に気を取られながらも、木目を数え続けた。

拷問の後は人と話すのが嫌だったから。
ただでさえコミニュケーションには緊張感がいるのに、今の不安定な精神状態では駄目だ。相手にも、自分にもメリットがない。

だから無視を続ける。
そして気配の主も黙ったまま。

そして木目の数は8953に。
ウチ自身、気配の存在を完全にシャットアウトしてきたその時…。

「…何故、また…。」

低い声が聞こえる。
きっとこの部屋の様な静かな場所でないと聞こえない程、その声は低かった。
オペラ歌手で言うバス程ではないが、バリトンと言うには低すぎる…そんな声。
オペラで例えてしまう程、声には上品さが漂っていた。
滑らかで聞いていて心地の良い。

しかし、そんな思いを凌駕する程の冷たい声だった。

まるで此方がどうなろうとどうでもいい、と声だけで伝わるほど、慈愛が全く感じられない声色。
まるで氷の様。
他者を近付けない、近付けば忽ち貫かれてしまう様な静かな鋭さ。

「……あな…た…っは…?」

散々叫んだせいでガラガラになった喉で男に問いかける。
この状態で無理に声を出すとたちまち血まみれになってしまうと学んだから、ウチの声はとても小さかった。
常日頃、話している声だけでもうるさいと言われる程の声量だったのに…と、自虐の念に駆られる。

「…。」

男からの返答はなかった。

「……たす…けてくれ…た…ですか?」

出来るだけ文字数が多くならないよう喋ったせいか日本語がおかしくなってしまった。
でも、もしかしたら此処に居るのが昨夜の人で有ればお礼を言わねば。
何せ、ウチの怪我が治っているのはきっと昨夜の吸血鬼のおかげに違いないのだから。

「…。」

男は話さない。

「…あり…がとう…ございます…。」

そう告げた時だった。

「ゴボッ!!!ッゴボッゲホッ…!」

ウチの口に鉄の味が広がる。
その感覚が気持ち悪くて、ウチは口の中のモノを吐き出した。
横たわっていたからか、それは気管支に入ったらしくウチは傷ついた体のまま、激しく咽せてしまう。
息苦しさと、痛みで目の端から涙が出てくるが、そんな事に気を取られている余裕はなかった。
咳をすれば傷付いた陰部から血が溢れ、喉が焼けるように熱くなり、更に血を流す。
そうやって負のループが続く。
起き上がればまだマシなのだが、手足の自由が奪われている今、どうすることも出来ない。
無意識に背中が仰け反ってしまうほどの痛みが延々とウチを襲う。

早く止まれ、止まれ。

そう祈った時だった。
ウチの上半身が浮く。

「はっ、はっ、ごほっごぼっ!!」

途切れ途切れの呼吸。
上半身が起きた事によって、気管支に入るしか無かった血が、床に落ちる。
ぼたぼたと血潮を作る床を見つめながら、ウチは懸命に呼吸を整えた。
涙のせいで視界が歪んでいる。

「はっ…、はっ…はぁ、はー…。」

漸くして、呼吸が落ち着いたものになる。
床に涙が落ちたおかげで、視界もクリアになった。
大分楽になった所で、ウチは自身を支える気配に気付いた。

「あ…、あり…」

「喋らなくていい。」

即座にウチの言葉を遮った声は、ウチのすぐ後ろ、そしてすぐ近くで聞こえた。
変な人だ。
声はこんなにも冷たさを帯びていると言うのに、行動は真逆なのだから。

「内臓をやられたな…。」

男の言葉にウチは肝が冷えたのを感じた。
そう言えば最近腹を殴られる事が増えた気がする。
だけど、血を吐いてしまうほど傷つけてられているなんて…。
てっきり、喉が傷付いたばかりだと…。
自分がこの先、これ程の…いやこれ以上の仕打ちを受けるなら、きっと待っているの死。
そう考えれば考える程、体は冷えていった。

「……。」

男がウチの体をそっと自身の体へと寄せた。
そしてそのまま自身の胸元へと手を入れ、何かを取り出す。
小さなケース。
中に入っている粒々も小さい。
明○のチョコベビーの様なそんな粒達。
それを摘んだかと思えば、ウチの口元へと運び、そして…。

「…食べろ」

「…ぇ?」

恐らく、今のウチの顔は間抜けているのだろう。
だってそうだろう。
さっき会ったばかりの人によくわからない固形物を食べろ、と言われてはいそうですかと食べられるだろうか。
ウチは無理だ。
だが、若い衆のような連中にそうされるよりはマシなことは確かだ。
それにこの人は、きっとウチのことを助けてくれた人だろうから…。

「…。」

ウチは暫く目の前の薄茶色の固形物と睨み合った。
そして、意を決してそれを口に入れた。

「噛まなくていい…、舌で暫く溶かしてから飲むといい…。」

声色は冷たい。
だけどウチの喉が裂けているからか、そういう風な飲み方なのか分からないが、一言声を掛けてくれるのはありがたい。
言われた通り薬を舌に乗せ、暫くモゴモゴと頬を動かし液体にする。
味は無かった。
本当に無の味。
若い衆から貰った栄養剤も味が無かったし、もしかすれば未来の薬は味がないのか…?
そう思案しながら、唾液と絡んだ薬を喉に流し込む。

「っ…!」

飲んですぐに痛みが無くなった。
次に小さな傷が消え始める。

「こっ!…れは…?」

驚きでふと声を上げる。
しかし思った以上に大きな自分の声で、再度驚いた。
自分の声ってこんなに大きかったっけ?
そんな声を出せるほど、喉が痛くないのだ。
喉だけでなく、体の至る所も…。

「…薬だ。」

全く表情を変えずに男はそう言った。
だけど、何となく男が不思議そうに感じているのではないかと思える。

「やっぱり未来は凄いですね…」

自分に言い聞かせるように呟けば、男の真っ赤な瞳が鈍く光った。

「…過去は…こんな簡単な薬も無かったのか……?」
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