上 下
6 / 11

5.ろくでもない羽伸ばし

しおりを挟む
 ときは三年ほど前、イレーニアが成人したばかりの頃に遡る。

「たまには羽を伸ばして、楽しんでいらっしゃい」

 彼女にそう声をかけたのは、養父のカルタ伯爵だ。聖女の任にも休暇はある。時折数日だけ教会を離れ、イレーニアはカルタ伯爵や両親に会いに行ったりしているのだ。このときも三日ほどカルタ伯爵邸で過ごす予定だった。

 カルタ伯爵はイレーニアに、夜会に行くよう勧めてきたのだ。

「……夜会に? でも、行きたくないです……」

「デビュタントだって行かなかったでしょう。あなたは根を詰めすぎじゃないかな。聖女が夜会だなんて、って評判を気にしているのかい?」

 それは半分正解で、半分はずれだ。

 今世において、イレーニアは社交界を徹底的に避けていた。それは聖女の任があるからでない。夜会に名のある聖女が訪れるのは喜ばれるものだ。だというのに、成人のデビュタントにすら、イレーニアは参加していない。

 彼女はただ、貴族の集まる社交界が怖かった。淑女としての振舞いはできる。けれど、華やかな社交界に触れれば、前世の放蕩三昧の日々に戻ってしまうのではないか。魅了の力がなくとも、治癒や信託のおかげでイレーニアの周囲の者はちやほやしてくる。だからこそ、そんな者たちにもてはやされて、溺れるのは簡単だろう。そして、そんな享楽にふけって、聖女の作り上げたイメージが壊れるのも恐ろしい。評判が落ちた享楽にふける聖女など、前世と同じではないか。その先に待つのは死だ。

 答えない彼女に対して、カルタ伯爵は微笑んだ。

「ちょうどいい集まりがあるよ。仮面舞踏会だね。身分を隠しておしゃべりできるから、無礼講なんだ。それにあなたは姿変えの魔法も扱えたでしょう? 一回だけでいいんだ。たまには楽しんでおいで」

 カルタ伯爵はそう言って仮面を差し出し、イレーニアを夜会へと送り出してくれたのだった。

 地味な茶色の髪にそばかすの浮いた顔。素朴な顔に魔法で変じたイレーニアは、久々の夜会の空気に浮かれていた。行く前はあんなに気乗りしなかったのに、である。

 身体の形状変化まではできなかったから、彼女の豊満な身体は隠しきれなかった。だから変身が完璧なわけではない。けれどもたったこれだけで、彼女を『治癒の聖女』と見抜くものはいなかった。問題の魅了の瞳は、仮面の目の部分にレースが貼ってある。だからこそ、彼女を『聖女』として扱わない集まりはとても気が楽だった。

 今世で飲み過ぎないようにと気をつけていたお酒を飲み過ぎた。治癒魔法が効けばよかったが、酩酊は怪我ではないから治せない。結果として、酔っぱらった彼女はよからぬ輩に目をつけられたのだ。

「お嬢さん、具合が悪そうだ。休憩をする場所に連れていってさしあげましょう」

「ああ、これはいけない。俺も手伝います」

 親切そうなそぶりで、身なりのいい男が二人、イレーニアに近づいてくる。とろん、と酒に酔った彼女は微笑んだ。

「あら……ありがとう。ちょうど座れる場所を探しているところだったの」

 酒を飲んでしまえば、尽くされることが当たり前だった前世の自分が顔を出した。彼らの親切を疑わず、イレーニアは素直に手をとってもたれかかる。

「ええ、ええ。ゆっくり疲れを癒しましょう」

 仮面をつけていても隠しきれない下卑た笑みを、男が浮かべる。ほとんど寝落ちしそうな彼女の身体を支えて、男二人がベッドのある休憩室へと連れこもうとした。休憩室に連れていかれたら、横になるだけでは済まされない。そんな危機感を抱かなかったのは、前世では身なりのいい貴族に酷いことをされたことがなかったからだろう。

「たっぷり、愉しませて・・・・・あげますからね」

 腰に腕を回して撫でまわしながらの台詞で、意識を落としかけていたイレーニアははっとした。

「だめっ! ご、ごめんなさい、私……そんなつもりじゃなくて!」

「おいおい、ここまできてそりゃないだろう」

「たっぷり悦くしてやるから、任せときなって」

 ドアをあけられた。あと二歩ほど進めばもう部屋のドアを閉められる。引きずり込まれてしまったら、そのまま犯されるだろう。

(酔っぱらっちゃうなんて! 今までちゃんとしてきたのに……!)

「いやぁ……っ!」

 暴れて逃げようとする。けれども二人がかりの男の手は振り払えない。この後に起こることにぞっとして、イレーニアは震えた。

「そこまでにしておけ」

 低い声で制止をかけたのは、背の高い男だった。仮面舞踏会にふさわしく、彼も仮面をしていて表情は読み取れない。ただ、黒い髪が印象的だった。その姿に、イレーニアは驚く。

(ジルド様……!?)

 彼にそっくりだ。けれど、仮面舞踏会だなんて、そんな場所にジルドがいるはずがない。すぐに思いなおした。

「助けてください……!」

「ああ」

 黒髪の男はさっと距離を詰めると、イレーニアの両脇の男の肩をぐっとつかんだ。

「いっ……」

 途端に顔を歪めて、男の腕が緩む。

「あ……」

 支えられていた腰から腕が急に離れて、イレーニアはバランスを崩す。その身体を黒髪の男が支えてくれた。

「騒ぎになる前に、退散したほうがいい」

「ちっ」

 イレーニアを襲おうとした男たちは、舌打ちをして退散していった。それを見送ったところで、黒髪の男は小さく息を吐いた。

「酔って男についていくなんて、感心しないな。一晩の愉しみだとわかっているならいいが、そうでないなら貴女のような女性が来るべきではないだろう」

「ごめんなさい…………こんなことになるなんて……思ってなくて……ん」

 イレーニアは吐息を漏らした。酔っているせいだが、足元がまだおぼつかない。その色気の漂う仕草に、男はまたもや息を吐いた。

「早く帰ったほうがいい。従者は? どこにいる」

「それが……今日はこちらに泊まることになっていて……」

「ここに?」

「招待状をくださった方が義父と親交が深く、ご厚意で……」

 ここまで言ったところで、イレーニアは口をつぐんだ。何を口走っているのだ。仮面舞踏会といえば、身分を明かさないのが当たり前なのに。

「ならば、当主に連絡を」

「だめ!」

 ぎゅっとイレーニアは男の服をつかんだ。

「ご、ごめんなさい。こんなに酔っぱらったのを、ほ、他の人に見られたくなくて」

 これは本音だ。今回の舞踏会の主催者には、カルタ伯爵の養女、つまり聖女が来ていることは知れている。姿を変えて楽しむことも伝えているようだが、こんな酩酊した姿で主催者に会うわけにはいかない。聖女カルタの名が落ちてしまう。

「……では、休憩室で酔いを醒ましたほうがいい。貴女はひとりで……」

 大丈夫かと聞こうとしたのだろう。今のイレーニアは立っているのもやっとだ。休憩室に一人でいたら、またさっきの二の舞になりかねない。男は三度目のため息を吐いた。

「俺が付き添おう。酔いが覚めるまで」

 さすがのイレーニアも、今度は警戒した。

「でも」

「今すぐ家人に引き渡されるのと、どちらがいい」

 じっと見つめられて、答えを求められる。イレーニアが選べるのは一つしかない。

「……付き添いを、お願いします」

 白旗を揚げて、イレーニアは男の世話になることにしたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

逆行令嬢は聖女を辞退します

仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。 死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって? 聖女なんてお断りです!

お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました

群青みどり
恋愛
 国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。  どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。  そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた! 「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」  こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!  このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。  婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎ 「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」  麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる── ※タイトル変更しました

本日をもって、魔術師団長の射精係を退職するになりました。ここでの経験や学んだことを大切にしながら、今後も頑張っていきたいと考えております。

シェルビビ
恋愛
 膨大な魔力の引き換えに、自慰をしてはいけない制約がある宮廷魔術師。他人の手で射精をして貰わないといけないが、彼らの精液を受け入れられる人間は限られていた。  平民であるユニスは、偶然の出来事で射精師として才能が目覚めてしまう。ある日、襲われそうになった同僚を助けるために、制限魔法を解除して右手を酷使した結果、気絶してしまい前世を思い出してしまう。ユニスが触れた性器は、尋常じゃない快楽とおびただしい量の射精をする事が出来る。  前世の記憶を思い出した事で、冷静さを取り戻し、射精させる事が出来なくなった。徐々に射精に対する情熱を失っていくユニス。  突然仕事を辞める事を責める魔術師団長のイースは、普通の恋愛をしたいと話すユニスを説得するために行動をする。 「ユニス、本気で射精師辞めるのか? 心の髄まで射精が好きだっただろう。俺を射精させるまで辞めさせない」  射精させる情熱を思い出し愛を知った時、ユニスが選ぶ運命は――。

誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。

木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。 それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。 誰にも信じてもらえず、罵倒される。 そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。 実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。 彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。 故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。 彼はミレイナを快く受け入れてくれた。 こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。 そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。 しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。 むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。

腹黒王子は、食べ頃を待っている

月密
恋愛
侯爵令嬢のアリシア・ヴェルネがまだ五歳の時、自国の王太子であるリーンハルトと出会った。そしてその僅か一秒後ーー彼から跪かれ結婚を申し込まれる。幼いアリシアは思わず頷いてしまい、それから十三年間彼からの溺愛ならぬ執愛が止まらない。「ハンカチを拾って頂いただけなんです!」それなのに浮気だと言われてしまいーー「悪い子にはお仕置きをしないとね」また今日も彼から淫らなお仕置きをされてーー……。

【R18】聖女のお役目【完結済】

ワシ蔵
恋愛
平凡なOLの加賀美紗香は、ある日入浴中に、突然異世界へ転移してしまう。 その国には、聖女が騎士たちに祝福を与えるという伝説があった。 紗香は、その聖女として召喚されたのだと言う。 祭壇に捧げられた聖女は、今日も騎士達に祝福を与える。 ※性描写有りは★マークです。 ※肉体的に複数と触れ合うため「逆ハーレム」タグをつけていますが、精神的にはほとんど1対1です。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

処理中です...