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4.あれよあれよとお引越し

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 婚姻に先駆けて、数日後にはもうミシェルの引越しの算段がついた。ずいぶんと急すぎることだが、ミシェルが持って行きたい思い出の品や、少しの間の着替えだけを用意すれば、あとは全てレイモンが準備してくれるとのことだったので、準備はあっと言う間に終わった。本来、嫁が準備すべき持参金も必要ないらしいので、急ぎだという点ではずいぶんとレノー家に都合のいい婚姻である。

「ところで、私が嫁ぐ場所はどこなんです?」

 当然といえば当然の、そしてもっと早くに尋ねるべきであろう質問を、ミシェルは引越しの朝になって発した。それは引越しのための荷物を乗せた馬車に乗り込む直前である。

 見送るために出てきていた家人はみな、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。

「お前そんなことも知らず……っ! ……っはぁ……いや……それは、レイモン様に聞きなさい」

 怒髪天を衝く勢いで叫びかけたアベルだったが、続きを口にする前に自制心を発揮したらしい、血走った目でやっとそう言う。最初に大声を出している時点で自制しきれていないが。

 それを見守っていたレイモンが、目を丸くしている。

「……そう、ですね。すっかり僕は説明を……忘れて……すみません」
「大丈夫ですよ」

 嫁ぎ相手の名前しか知らない。そんなのは全然大丈夫ではない。

(って言っても、ある程度予測はついているけど……)

 レイモンはちらりとアベルに目配せしたが、男爵は首を振って天を仰ぐ。

「……ミシェル嬢、貴女は本当に、僕に嫁いでも、大丈夫ですか? 自分でいうのもなんですが、僕のことを名前しか知らないでしょうに……」
「でも、政略結婚ってそういうものですよね?」

(問題があるなら、お父様がこの結婚を許すはずがないもの)

 つまり、一度会っただけだったレイモンを信用しているというより、それは育ててくれた父への信頼である。

「ですが」

 自分が言い出した縁談の割りに、まだレイモンは戸惑っている。そんな彼にミシェルはふふっと笑った。

「おいおい教えていただければ大丈夫です。ふつつか者ですが、これからよろしくお願いします」

 そう言って、ミシェルは馬車に乗り込んでしまう。驚きで一瞬固まっていたものの、レイモンはやがてふっと笑って、アベルたちを振り返った。

「では、大切なお嬢さまをお預かり・・・・します」
「よろしくお願いします……」

 そうしてアベルたちの見送りで、馬車は出発した。
 ガタガタと揺れながら街中を馬車は進む。馬車に乗り込んでいるのは、ミシェルとレイモン、そしてリーズである。彼女は幼いころからミシェルつきのメイドをしており、嫁入りに際してついていくことになったのだ。

「これから向かうのは、世界樹の森です」
「世界樹、って」

 ちらりと馬車の窓から、空を見る。その視線の先には、うっすらと影の浮かび上がった世界樹のシルエットがある。

「そう、その世界樹です」

 レイモンの肯定に、ミシェルとリーズはぱあっと顔を輝かせる。だが、リーズのほうはメイドらしく主人の会話に割って入ることはせず、ただ黙って聞いている。

「ではレイモン様はやっぱり、世界樹の守り手なんですね」

 ぱち、と手を合わせてミシェルが言えば、彼も頷いて「気づいていましたか」と穏やかに言う。

(最初に会ったときはそこまで気が回らなかったけど、考えてみればそうなのよね)

 妖精は世界樹で生まれ、天寿をまっとうすれば世界樹に還る。太古の昔からあるという世界樹だが、おとぎ話と呼ばれるほどに世界樹は謎に包まれた存在だ。妖精の存在を名前を知ってはいても誰も会ったことがないのは、妖精が世界樹から出ないこともあるが、徹底的に世界樹と妖精を守る存在があるからだ。

 それが世界樹の守り手である。

 世界樹と妖精に比べたら、守り手に関する記述はおとぎ話の中でも極めて少ない。だが、世界樹と人間の住まう領域の境の森に暮らす一族がいるのだという伝承自体はあった。

(妖精がいるのを当たり前のように接していたのだもの。レイモン様は守り手以外にないわ)

 予測が当たっていたことに嬉しくなったミシェルはしかし、首を傾げる。

「でも、私なんかを嫁に選んでよかったんですか? 世界樹の守り手って、外部との接触がないんじゃないんですか?」

 世界樹の守り手も妖精も存在していたが、伝承やおとぎ話レベルにしか世の中に伝わっていないということは、存在を秘匿されているということだ。きっと妖精と世界樹を守るために外部と接触しないようにしているのだろう。

 この質問について、レイモンは即答をしないで少し考えるような素振りを見せる。だがすぐに頷いた。

「貴女以外、僕の花嫁はありえませんよ」

 目を細めてレイモンは微笑む。

(わあ……顔の整った人の笑顔は破壊力がすごいわ!)

 どきりとしながらミシェルは、あくまで表面上は平静を保って笑い返す。

(まるで私のこと好きだから、みたいに聞こえるけど、政略結婚なんだからそんなわけないものね。紛らわしい言い方をされる方だわ)

「僕たちは確かに、世界樹の外に住む方との接触は必要最低限にしています。ですが、稀に守り手の里を離れて外界で暮らす者も居ます。……ミシェル嬢のひいおばあ様のように」
「え?」

 突然の話題に、ミシェルはパチパチと目をしばたかせる。

「貴女の瞳の色は、僕と同じハシバミ色でしょう? 僕のこの銀色の髪と、ハシバミ色の瞳は守り手の証です。貴女のひいおばあ様は……恐らくレノー家当主以外には秘されていたと思いますが、世界樹の守り手の者だったので、きっとその血を強く受け継いだんでしょうね」
「……おとぎ話が本当だった、って驚いているんですが……私がおとぎ話の子孫だったんですか?」
「おとぎ話の子孫とは面白い言い方ですね」

 くすくすと笑ってレイモンは続ける。

「僕はもともと結婚相手を探していたのですが、トネールがなかなか許さないものですから、里のどの女性も僕の結婚相手にはなれなくて。そこでトネールが見つけた貴女が血筋的にも、色々な意味でいいだろうということで求婚させていただきました」
「……あの日、出会ってすぐのお話でしたけど、レイモン様のご家族にお話は通っていますか……?」

 いまさらな質問である。だが、レイモンは出発前と異なり、呆れもしないで彼は頷いた。

「もちろんです。家族だけでなく、里の者、みながミシェル嬢が来るのを心待ちにしていますよ。何しろ貴女はネージュの……」

 そこで言葉を切って、レイモンは馬車の外を見る。ガタン、と揺れて、馬車は停車したが、そこはまだ街を出たばかりで、街の建物は遠いものの街と街を繋ぐ街道に出たばかりの場所だ。

「話の続きは、里に着いてからしましょう。一旦馬車から降りましょうか」

 そう言って先に降りたレイモンが、ミシェルをエスコートしてくれる。

(まだ森にも着いてないけれど……)

 きょろきょろと辺りを見回して不思議に思っていると、レイモンがくすくすと笑う。

「先日、森に転移したのを覚えていますか? あれを使います。馬車で移動していては世界樹まで何か月もかかってしまいますからね」

 レイモンが説明している間に、馬車から御者が降りて、なぜか馬を馬車から外している。

「馬車ごと移動できるのですか?」
「いいえ、あちらは彼が……」

 ちら、と御者の方を見てレイモンが言うのと、御者が虚空を指でなぞったのとは同時だった。指の動いた軌跡に沿って、すうっと空間が裂ける。その裂け目を広げるように手を動かすと、ぐわっと広がって裂け目は一瞬のうちに馬車を呑み込み、消してしまった。御者が手をぎゅっと握ると、それで裂け目も見えなくなる。

「……まあっ! 守り手の方々は、便利な魔法をたくさん使えるんですね…!」
「ええ。全て妖精のおかげですけどね。ああ、そうでした。移動する前にこれだけは言っておかなければ」

 不意に真剣な顔になり、レイモンはミシェルに向き直り、ぴ、と人差し指を立てる。

「いいですか、あちらに移動したら恐らく妖精たちが、名前をつけてくれとねだるかと思いますが、一旦全て無視してください。白い妖精にネージュという名を与えたのは知っています」
「もしかして、いけないことでしたか……?」

 不安そうにミシェルが問えば、レイモンは首を振る。

「いいえ、悪いことではありません。ですが、名前を交わす前に知っておくべきことがたくさんありますからね。それらの説明をせずに、里に先に連れることを許してください。すぐに終わる話ではないので、あちらでゆっくりと話しましょう」
「わかりました……」

 穏やかにレイモンは言うが、ミシェルは自然と気持ちが沈む。

「あの、勝手に名前をつけてごめんなさい」
「いいえ。悪いのは貴女ではなく、何の説明もなしに唆したトネールですよ。いくら貴女を里に迎えたかったからって言って……いえ、すみません。移動を先にしましょう」

 忌々しげにトネールのことを言い出すので、ミシェルはきょとんとしてしまう。

「手をお願いします。そちらの……リーズさんはミシェル嬢と手を繋いでいただけますか?」
「わかりました」

 頷いてミシェルはリーズと手を繋ぎ、そうしてレイモンが差し出した手に重ねる。

(……なんだか緊張するわ)

 エスコートされるのに初めてでもないのに鼓動が早くなった気がするのは、きっと世界樹の元に転移してしまえば、それで嫁入りになるからだろう。

(よし! 頑張ろう!)

 心なしかレイモンの手を握る力が強くなったミシェルを、レイモンが目を細めて見つめる。

「では、移動しますね。目を閉じてください」

 その宣言と共に、辺りに光が満ちて、ミシェルたちの身体は浮き上がったような浮遊感を覚える。だがそれは一瞬のことで、すぐにトン、と足が地面についた感触がした。

「ミシェル嬢、もういいで」
「ひどいわひどいわひどいわ! ミシェルのばかぁ~! どうして私を置いて行っちゃったの! 信じらんない! 悲しくてずぅっと泣いてたんだから!」

 レイモンが言い終わるよりも早く、そしてミシェルが目を開くよりも早く、べちん、と顔に何かが貼りついて泣き叫んでいる。

「ネージュ……?」

 そっと顔に貼りついた白い妖精を両手で包んで剥がし、ミシェルが呼びかけると、涙でべしょべしょになったネージュが目を腫らしていた。
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