高嶺の娼婦は嫌われ騎士に囲われて

かべうち右近

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27.英雄の結婚

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 その日、王都の大聖堂に祝福の鐘が鳴り響いた。荘厳なステンドグラスが落とす光の中で、純白の衣装を身にまとったアルヤと英雄のいでたちのエーギルが永遠の愛を誓いあったのだ。とはいえ、その式に参列したのはほとんどエーギルとアルヤには関わりのない者たちばかりなので、どこか空々しい。

(だが、参列者なんて関係ない)

 これで正式にアルヤはエーギルの妻となった。エーギルにとっては、その事実だけがあればいい。

 ちなみにエーギル自身の希望で戦争英雄の結婚式への参列者はごく少数に限られたものの、王が参席するとあってリクハルドをはじめ高位の貴族の参席率は高かった。タッサ王はエーギルを見せびらかすために盛大な披露宴を計画していたらしい。今さら中止にはできないので、エーギルとアルヤは披露宴に参加することになってしまった。

 披露宴は、王城のパーティーホールで開かれた。以前社交シーズンに散々な想いをしたあの場所である。

「エーギル様、大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」

 セタ公爵領で開いたときの夜会と違い、王都の貴族たちはエーギルを見下している者たちばかりだ。式のときとは違って、他国からの客も招いての披露宴は人が多い。当然、以前の夜会と同じように陰口を叩く者も多いと予想されていた、が。

「陛下のおかげだろう」

 穏やかに言ったエーギルの言う通り、口さがのない貴族の陰口は今日も多少はあるものの、あまり多くはない。それというのも、今日は王自らが主催してエーギルの結婚の披露宴を開催しているのに加えて、披露宴の開始時にタッサ王が場を制したからだ。

 エーギルとアルヤがホールに入場するとき、タッサ王が自ら先頭を歩いた。そうして披露宴の開始時に、タッサ王はこう述べたのである。

『我が国の英雄のめでたい席である。皆存分に、祝うがいい』

 短い言葉である。だが、祝えという言葉はエーギルを虐げるのは許さないという言葉の裏返しでもある。この挨拶が終わったあと、エーギルにこっそりと話しかけてきたタッサ王は呆れたような顔をしていた。

『やれやれ。これでようやく、そなたを英雄として遇せるな』

 どうやらタッサ王は、今まで貴族の間でエーギルが蔑まれていることをよく思っていなかったらしい。だからこそ、これまでの夜会でもエーギルを英雄として呼び寄せていた。なのにエーギルがいつも夜会からすぐ帰ってしまうから、タッサ王の隣に立たせることもできなかったし、陰口を叩く貴族たちに対して牽制をすることも難しかったらしい。夜会のたびにやたらと豪奢な礼服を贈っていたのも、今回の式を王都でさせるために呼び寄せたのも、エーギルの地位を向上させるためだったというのだ。

(できれば英雄だなどという立場は捨てたいが……)

 そうもいかないのはエーギルだってわかっている。何しろ先の戦争で彼は活躍しすぎたのだ。だが、以前は厭わしいばかりだったこの肩書きが、今はさほどでもない。隣にいるアルヤを見れば、不思議と悪くもないと思える。戦争に出たからこそアルヤを救え、英雄になったからこそ今彼女を妻にできたのだから。それを考えたら、たまのタッサ王の求めで英雄の役割を果たすことくらい、悪くないのではないかと今では思えるようになった。

 エーギルが嫌がろうが、どうせタッサ王は彼を英雄として遇するのだ。だからこそ、アルヤを『セウラーヴァの公女』としてエーギルに嫁がせたのだろうから。そうして一つ一つ、エーギルが状況を受け入れていくごとに、貴族の間での空気も少しずつ変わっていくのだろう。

 そんなわけで、王都にくる前に想像していたよりも披露宴の雰囲気は悪くなかった。しばらくエーギルの顔を見つめていたアルヤだったが、彼の穏やかな表情に安心した様子で頷いた。

「そうですわね」

「俺のことより、アルヤ。立ちっぱなしで辛くはないか? 披露宴はまだ終わらないと聞いているから、少し休んだほうがいい」

「わたくしはまだ大丈夫ですが……そうですわね。少しお化粧を直したいです。エーギル様、ちょっとだけ席を外してもよろしいかしら」

 ちらりと辺りを見回して、特に陰口を叩く貴族が近くにいないことを確認してアルヤは言う。

「もちろんだ。化粧室まで送っていこう」

 そう請け負ったエーギルは、甲斐甲斐しくアルヤをエスコートして化粧室まで送り届けた。彼女をエスコートするときには、身体の大きなエーギルの背が丸まっていて、まるで大人しい飼い犬のように見える。きっと、前回の王都での夜会や今回の披露宴での彼のこんな姿も、陰口が沈静化するのに一役買っているのだろう。

 主役なのだから先に戻ってくれていいと言われたものの、エーギルは化粧室そばの廊下で彼女を待っている。そこへ招待客が歩いてきた。護衛らしい騎士を一人連れたその男は、エーギルの横を通り過ぎるのかと思えば、彼の姿を認めて立ち止まる。

「人殺し風情がもてはやされて、いい気なものだな」

 暴言を吐いてきたのは、身なりのいい優男だ。金髪に緑の瞳でいかにも貴族めいた色味を持ったその男の顔は、酷く整っている。王子様だと言われたらしっくりくる風貌だ。ただしその顔が醜悪に歪められていなければ、の話である。

 こんな暴言は言われ慣れているし、どうせエーギルには貴族の顔も名前もわからない。男の顔を一瞥したあとはエーギルは黙ったまま、腕を組んですぐに目を逸らした。その態度が気に入らなかったのだろう、男は苛立ったようにさらに続けた。

「チッ木偶の坊が。図体ばかりでかくて、女にへこへこしやがって。自分じゃ何も考えられないやつが英雄だなどと……」

 男は服をつかんで、エーギルにまだ難癖をつけてくる。ただし、彼は平均的な身長なのでエーギルの首元までは手が届かない。だが、そんなことをされてもまだ、エーギルは金髪の男に目をくれず、ただ前を向いてアルヤを待っている。

「おやめください」

「黙っていろ」

 制止の声をかけたのは、護衛らしい騎士のほうだ。彼はおろおろとした様子だが、エーギルにも護衛対象の男にも触れることができないらしい。口ばかりである。

「この国はつくづく腐ってるな。おい、何か言ったらどうだ」

「陛下……! そこまでに……!」

 国をもけなす言葉に、騎士が色めき立つ。そこで初めてエーギルはぴくりと眉を動かした。わずかに顔を動かしてもう一度難癖をつけてきている男を見る。

 金髪に緑の瞳。それは貴族にはありふれた色味だが、この取り合わせはよく目に馴染んだ色だ。アルヤと同じ瞳の色なのだから。

「黙れ! 父を殺した男に文句を言って何が悪い」

 そこまで言われて、ようやくエーギルは思い至る。この男は、セウラーヴァの王だった。敗戦と同時に王位を継いでお飾りの王になった男、つまりアルヤの元婚約者である。一度相対したことがあるはずだが、戦場でのことだ。記憶に薄かった。

「あんなあばずれを妻にしたからといって調子に乗るなよ。お前は、ただの、人殺しだ。王族の前で頭が高いんだよ」

「今……」

 それまで無表情だったエーギルの顔が、きゅっと引き締まる。首をさらに動かして男――セウラーヴァ王を見下ろせば、エーギルの顔が影になった。顔に大きな傷のある彼が見下ろせば、酷い威圧感を与える。それだけで一瞬息を呑んだセウラーヴァ王だったが、顔をひきつらせてなおも吠えた。

「なんだ、逆らう気」

「アルヤのことを、貶したのか」

 地を這うような低い声だ。つかまれた服ごとセウラーヴァ王の拳をつかんで、エーギルが見下ろす。顔に落ちた影の中に、赤い瞳だけが光っている。たったそれだけの挙動で、セウラーヴァ王の威勢が悪くなる。だがまだ口汚い言葉は止まらない。

「事実だろ! アルヤは汚れた女だろうが! あんな股を開くしか能のないくだらない女のことで」

「黙れ」

 唸るような獰猛な声に、とうとうセウラーヴァ王が口を閉ざした。

「貴様がアルヤを語るな」

 ぐっと力をこめて、服から手を引きはがすと、エーギルはセウラーヴァ王の拳をつかんだまま引っ張りあげて、つるし上げる。

「アルヤを……俺の妻を、傷つけたのは貴様だろうが。その名を口にするんじゃない」

「エドフェルト卿! お放しください!」

 護衛が慌ててエーギルに縋るが、彼の身体はびくともしない。つるされた痛みで声も出ないらしい、セウラーヴァ王は口をぱくぱくとしている。その彼にしっかりと目を合わせて、低く唸る。

「俺は確かに人殺しだ。英雄だなどと偉ぶるつもりはない。だが、俺はアルヤの夫として、妻を侮辱する輩を許すつもりもない」

「ぐ……ぅう……」

 みし、と音をたててセウラーヴァ王の拳が握りこまれる。頭蓋さえ潰す腕だ。その気になれば拳なと握りつぶすのもたやすいだろう。

「エドフェルト卿!」

「今すぐに、謝罪をしろ」

「誰、が……!」

「まあ、エーギル様、どうなさったの?」

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