高嶺の娼婦は嫌われ騎士に囲われて

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26.ドレスと礼服

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『英雄の結婚式は、もちろん王都で行うのであろう?』

 そんなタッサ王の命によって、アルヤたちは社交シーズンも終わった夏の前に、王都へと向かうことになった。本来ならば、アルヤとエーギルたちだけで向かうだろうが、今回の王都行きには同行者がいる。

「それにしても、陛下もお人が悪いよねえ、わざわざ王都に呼び寄せるなんてさ」

 王都に向かう馬車の中で、笑いを含んだ声で言ったのはリクハルドだった。前回王都に行ったときとは大違いの豪奢で広い馬車である。それもそのはずで、この馬車はセタ公爵家のものだからだ。

 乗っているのは三人だけで、アルヤとドリス、そしてその正面にリクハルドという形で座っている。エーギルは軍馬に乗って馬車と並走していた。今の彼はセタ公爵家の騎士団長としての職務にあたっているのだ。

 リクハルドが同行しているのは、アルヤたちの結婚式に参列するからにほかならない。目的地が同じなのだから、一緒に行こうとリクハルドが言い出したのだった。

「エーギル様は、タッサの英雄ですから。王都で行うのが筋でしょう」

「ふうん? それは本音?」

 探るような目で見られて、アルヤは小さく息を吐く。

「一般論ですわ」

「じゃあアルヤの意見は?」

「わたくしの……」

 窓の外を見れば、エーギルが目に入る。けれど、彼はまっすぐに前を見ていてこちらを見ることはない。今の彼は、別人のようだ。それはきっと、普段エドフェルト邸にいるときには着ていない豪奢な騎士の服を着ているせいだろう。これは王都に呼び出しに際してタッサ王が寄越したものだ。道中も英雄の姿を見せびらかしてこいということらしい。

 背筋を伸ばして英雄の服を纏い、軍馬に跨る姿は本当に英雄のようだ。いや、彼は英雄ではあるのだが。

 タッサ王としてはきっとエーギルには『英雄』という身分を存分に誇示してほしいのだろう。そして、タッサの王族には英雄がついているのだと知らしめたいに違いない。

(エーギル様は、それを望んでいらっしゃるのかしら)

 彼は莫大な褒賞や爵位を断り、王都での栄誉ある職も断って故郷に帰ってきている。しかもアルヤが夜会を開こうと言い出すまで、彼はタッサ王の命以外で社交の場に出たことがないはずだ。それはエーギルが夜会の開き方など知らなかったのもあるだろうが、彼自身が社交を望んでいなかったからに違いない。

 セタ領に住んでいても、貴族として過ごす以上は社交活動はすべきだ。しかし王都に残って『英雄』として君臨し続けるならば、今とは段違いに社交が必要になる。

(『英雄』であり続けることをエーギル様が望んでいるとは思えないわ)

 げんに今回の王都行きだって、書状が来たときにエーギルは顔をしかめていた。だが王命には逆らえないからこそ、こうして呼び出しに応じているのだ。

 今エーギルが王都に留め置かれていないのは、故郷がたまたまセタ公爵領であり、準王族であるリクハルドに仕えることになったからだろう。それを考えると今後はいつ彼が英雄として戦場に駆り出されるかはわからない。そうならない未来を願うばかりだ。

 まだアルヤの言葉の続きを待っていたらしいリクハルドに目線を戻して、アルヤは眉尻を下げた。

「わたくしはエーギル様がお望みなら、どこだっていいんです」

「ふうん?」

「ですから、本当は王都になんて行く必要ないと思いますわ。わたくしが嫁ぐのは、『英雄エドフェルト』ではなくエーギル様ですから。エーギル様のお傍にいるために必要だというなら、従うだけです」

「なるほどね。それ・・もエドフェルト卿のため?」

「これ……は……」

 リクハルドに指摘されて、アルヤは手元に目を落とし、ほんのりと頬を染める。彼女は今、刺繍をしているところだった。銀糸と白糸を使って刺された刺繍でびっしりと埋められた純白の生地は、ドレスだ。彼女は今、婚礼衣装に刺繍をいれているのだ。

「わたくしのわがままですわ」

「そうなの?」

「王都の大聖堂で式を挙げるなら、職人に作らせた婚礼衣装を身に着けるべきでしょう。ですが……」

 続きを話そうとしたところで、馬車が緩やかに止まった。まだ次の街にはほど遠い道の途中である。

「あら」

 窓に目を向ければ、ちょうど軍馬から降りたエーギルが馬車を覗いたところだった。

「一度、昼食をとるそうだ」

「もうそんな時間でしたのね」

「じゃあ僕は先に降りているよ」

 そう言ってリクハルドが先に馬車を降りる。

「私も昼食の準備を手伝ってきます」

「お願いね」

 ずっと口を挟まずに黙っていたドリスも、先に馬車を降りた。

 アルヤがドレスを片付けて馬車を降りようとしたところで、エーギルが立っている。待っていてくれたらしい。エスコートのための手を差し出してくれた。

「ありがとうございます」

「ああ」

 この旅程の間、馬車で隣に座ることはできないが、彼はこうして乗り降りのエスコートを欠かさない。まるでその役目は自分以外には譲らないとでもいうのかのようだ。

 あの夜会のあと、エーギルはすぐに嫉妬をぶつけてくれた。不安ならばエーギルで満たしてくれ、とアルヤがねだったのを実行するように、彼は甲斐甲斐しくなっていた。とはいえ、リクハルドと話していても、もう嫉妬はされていない。ただただ、愛情表現が多くなっただけだ。

「婚礼衣装の進み具合はどうだ?」

「なんとか王都に到着するまでには終わりそうですわ」

「そうか……」

 エスコートのために触れた指先をすりすりと撫でて、エーギルは不思議そうな顔をする。

「随分と指先が硬くなったな。もう痛くはないのか?」

 それは毎日指先を触れているからこそ気づく変化だろう。ドレスへの刺繍を始めたばかりの頃に、よく指が腫れていたのを覚えていてくれて、頻繁に気遣ってくれる。その気持ちをくすぐったく思いながら、アルヤは頷く。

「もう大丈夫ですわ。刺繍をこんなにしたことがありませんし、久々でしたから……指が硬くなって慣れるだなんて知りませんでした」

「以前もやっていたのか?」

「ええ。淑女のたしなみの一つとして一通りのことは習いましたので」

 一通り習ったというには、刺繍の腕前は職人にもひけをとらない出来栄えである。そんなものか、とエーギルは納得したふうだったが、なおも指先を撫で続けている。

「貴女の指があんなに腫れると知っていれば、ドレスの刺繍など仕立て屋に任せたものを……」

「あら、刺繍はわたくしがやりたいと言い出したのですわ。エーギル様のお隣に立つのに、どうしても……自分でやりたかったんです」

 見上げてアルヤが微笑めば、エーギルは首を傾げる。彼は、婚礼衣装に花嫁自らが刺繍をする意味を知らないのだ。だが、知らないままでいいとアルヤは思っている。

「深く尋ねなかったが、もしかして、アルヤがすることに意味があるのか?」

「え」

 聞かれると思っていなかったせいで、エーギルの問いにアルヤは小さく声をあげる。「ん?」とエーギルは顔を覗きこんでくる。一瞬言葉を失って、代わりにアルヤの頬が赤くなった。

「セウラーヴァでは、花嫁が嫁ぐ相手のことを想いながら一針一針婚礼衣装の刺繍を刺す伝統があるんだよ、エドフェルト卿」

「公爵様……!」

 会話に割り込んできたのはリクハルドだった。馬車の前で話しこんでいて、いつまでも来ない二人の様子を見にきたらしい。何も公爵自ら見に来なくともいいのに、彼はエーギルたちをからかいたいようだ。

「ドレスを覆う刺繍の面積が広ければ広いほど、花婿への想いの大きさを表すそうだよ。ロマンチックな風習だよね」

(どうしてセウラーヴァの風習にお詳しいのかしら……!)

 婚礼衣装を仕立てたい、そのドレスに刺繍を自分で刺したい。その我儘は伝えていたものの、今まで気恥ずかしくて、理由までは告げていなかったのだ。

 リクハルドの言う通り、セウラーヴァでは花嫁が婚礼衣装に刺繍を施す風習がある。うら若い乙女たちにとって、婚礼衣装に刺繍を刺すのは憧れの作業だった。

 とはいえ、結婚にふわふわとした夢を見る生娘ならばともかく、アルヤは結婚に憧れを抱くような身分ではない。それを思えば、少女のような理由で婚礼衣装を自分で用意しているのが恥ずかしかったのだ。それも、ドレスを覆いつくすほどの刺繍を施しているなんて、エーギルのことが好きで好きでたまらないと告白しているようなものではないか。直接言葉で伝えるのは構わないが、それだけで飽き足らず全身で愛を告げるだなんて照れくさい。裸を恥ずかしがらないくせに、アルヤは服で羞恥を覚えるのである。

(この国の方なら、知らないと思っていたのに)

 リクハルドに見抜かれていて、恥ずかしい。

「花婿への想い……」

 ぽつりと呟いたエーギルが、リクハルドを見て瞬きをする。

「貴族のご令嬢の場合は刺繍をするって言っても、ほとんどは職人が縫って、形式的に一針か二針くらい刺すのが一般的らしいけどね。全て自分でするのはとても珍しいみたいだよ」

「そうなんですか」

 リクハルドに返事をしながらも、エーギルはアルヤを見つめてきた。その目元が、柔らかい。空いた手でするりと頬に触れてきたせいで、彼女が熱くなっているのが伝わっただろう。

「……早く食べにおいでよ、って呼びに来たんだけど……もう少し待ってあげたほうがいいかな? あまり遅くならないようにね」

 くすくすと笑って踵を返すと、リクハルドは口を挟む間もなく再び去っていく。食事の準備をしているのは目と鼻の先だが、馬車の影に隠れている二人は皆からは見えない。だからこそリクハルドは言ったのだろう。彼はこのあとのエーギルの行動がわかっているに違いない。

「アルヤ」

 リクハルドの消えたほうを向いていたアルヤの顔が、やんわりと上向かされて、口づけられる。すぐに唇を離したものの、目元を緩ませたままのエーギルはまだ至近距離で彼女を見つめていた。

「ドレスの刺繍に、あんな意味があるとは思わなかった。貴女の気持ちに応えるのに、俺はどうしたらいいだろうか」

 腫らした指を見つけた彼が、刺繍は職人に頼んだらどうかと勧めてきたのは一度や二度ではない。そのたびに「わたくしがやりたいのです」と断っていたのはアルヤだ。彼女の意図をエーギルがいやがったり、からかったりしてくると思っていたわけではない。むしろ彼が喜んでくれることくらい想像にかたくなかった。ただただ、少女のような憧憬にこだわっているのを知られるのが恥ずかしかっただけで。

 目の前のエーギルは口元まで緩ませて、またも柔らかに口づけを落としてくる。

「貴女のドレスに見合うだけの服が、俺は用意できそうにないのが口惜しいな。また、陛下が用意した服を着ることになるだろうから」

 心の底から思っていそうな声音で言うのがおかしくて、アルヤは目を瞠った。

 一国の王が婚礼のための衣装を用意してくれる。そんな贅沢な服ですら、アルヤのドレスには見合わないとは大胆な発言である。くすくすと笑えてしまって、今度はアルヤから軽く口づける。

「心配なさらなくても、エーギル様はわたくしを受け入れてくださるだけでいいのですわ」

「だが……いや、俺は衣装に負けないようにしないといけないな」

「どういうことです?」

 率直に尋ねれば、エーギルは困ったようにそこでやっと顔をわずかに離す。そうして自分の服を見下ろして苦笑した。

「こんな豪奢な服は俺には似合わないだろう。……以前の夜会で陛下が用意された服もだ。俺にはきらびやかすぎる」

 言われてアルヤは彼の服をまじまじと見る。確かに豪奢な服である。旅の途中、しかも護衛だというのに相応しくない程である。だが。

「とてもよくお似合いですわ。あの夜会の日の服も、とても素敵でした」

「また貴女はそんなことを……」

「あら、わたくしがお世辞を言っているとお思いですか?」

 くすくすと笑いながら、アルヤは身体をそっと離す。見上げねばならないほど長身の彼は、文句のつけようもないほどに礼装姿が様になっている。

「エーギル様にしか着こなせませんわ」

 心からそう言えば、エーギルは小さく息を吐いた。自分でも服を見下ろして苦笑する。

「そうか……不思議なものだな。俺は英雄なんて柄ではないが、貴女にそう言われると似合っているような気がしてくる」

「気がしてくる、ではありません。本当にそうなんですから」

 くすくすと笑うと、エーギルは苦笑が穏やかな笑みに変わった。

「本当は結婚式のときも陛下の用意してくださる服を断ろうと思っていたんだがな。ならば着たほうがいいか」

「ええ、きっとその礼服もお似合いになりますわ。今から楽しみです」

 アルヤの言葉に、エーギルがぴたりと止まって、彼女の顔を見る。

「貴女は俺が着る服に興味がないものだと思っていたが」

「まあ! お慕いしている方が綺麗に着飾っているのを見るのがいやな人はいないと思いますわ?」

「そういうものか」

 しっくりきていない様子ではあるものの、エーギルは首をひねりながらも頷く。だがアルヤの次の言葉には呆れたような顔になった。

「エーギル様は何を着ていても素敵ですから」

「貴女は俺を甘やかしすぎではないだろうか」

「だってエーギル様のことが好きなんですもの」

 どんな格好をしていたって格好よく見える。それは彼のことが好きだからだ。もちろん着飾った姿はより魅力的に見えるが、ナイトガウンを羽織っただけの姿だって、朝稽古前のシャツ姿だって、あるいは朝の無精ひげが生えた眠そうな顔だって、全てが愛おしい。

 そんな彼女の気持ちは顔に出ていたらしい。エーギルは深いため息を吐いて、離していた手を引き寄せてくる。

「ああ……まずいな。今すぐアルヤを馬車に閉じこめてしまいたくなってきた」

「ふふ、それはいけませんわね。また遅いって様子を見に来られてしまうかも」

 彼に抱き寄せられて、腕の中に閉じ込められながら、アルヤが笑う。またしても深いため息が頭上に響いて、アルヤはくすくすと笑いが止まらない。

「そうならないよう、早く向こうに行くとしようか」

「ええ、そういたしましょう」

 頷きあったところで、名残惜しそうに身体を離したエーギルは、ようやく皆の元へとアルヤをエスコートしたのだった。
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