高嶺の娼婦は嫌われ騎士に囲われて

かべうち右近

文字の大きさ
上 下
22 / 32

【番外編】胸に愛しさを抱いて

しおりを挟む
 タッサ国営の娼婦として、初めて客を取った夜、アルヤは無感動だった。王太子に肌を暴かれて、あんなにも恐ろしかった行為は、彼が無様にタッサ王の前に跪くのを見て心が冷えたおかげなのか、もう彼女に恐怖を与えなかった。美しいアルヤに興奮して、初めての客は腰を振る。快楽を求めて必死に彼女を貪る姿は、滑稽ですらあった。

(どうしてこんなものが怖かったのかしらね)

 股を貫いたもので身体を揺すぶる振動に感じているふりをしているうちに、客はアルヤの中で果てる。

 避妊薬を飲んでいるから、子を孕むこともない、何の意味もない身体の奥に満ちた熱。

(そういえば、子を孕むことに怯える必要もないのね)

 気づいたアルヤは、心の中で嘆息した。それはつまり、誰かの子を孕み、慈しむべき子をこの手に抱くこともないということだ。

(わたくしはもう一生、誰とも、愛し、愛されることはないんだわ)

 それが特段、寂しいとも思わない。むしろ『誰かの妻』になる未来を捨てて手に入れたのが、これからの自由なのだ。そう思いながら、アルヤは目を閉じたのだった。


***


 ふつりと目を覚まして、アルヤはカーテンの隙間の光で、今が夜明け直前であることに気づく。

(ずいぶんと古い夢ね)

 どうしていまさらになって娼婦になったばかりのころの夢を見たのだろうとアルヤは思ったが、こんなことは考えていても仕方ない。気分を変えるために寝ぼけたままみじろぎをしようとして、それが叶わないことを疑問に思った。だが、次の瞬間にはその理由に察しがついて、彼女は小さく笑いを漏らす。

 太くたくましい腕が、後ろから逃がさないとばかりにアルヤの身体を抱き込んでいるせいだ。抱きしめる腕も、アルヤも裸体である。足をわずかに動かせば、昨夜もたっぷりと中に注ぎこまれた子種のせいか、股がぬめっているのがわかった。

 そろりと自身の腕を動かして、男の太い指に手を這わせれば、彼の薬指には指輪がはまっている。そして、それはアルヤの指も同じだ。

「ん……アルヤ?」

 寝ぼけた声が頭上からかかって、抱きしめられていた腕の力がにわかに緩む。それをいいことに、アルヤはもぞもぞと腕の中で回って、声の主を窺いみた。

「起こしてしまいましたか? エーギル様」

「どうせもう少しで起きるところだった。……が、まだ貴女と離れがたいな」

 目を細めたままのエーギルは、アルヤの額に唇を落として、それから瞼、頬、そして唇を順についばむ。

「ん……」

 口づけが一度きりだと思ったのは一瞬で、離れるのを惜しむようにすぐにまたついばんで、そのうちに深い口づけになる。閨を共にするようになって、もうずいぶんと経つが、エーギルは未だに毎夜のようにアルヤを求めてくる。さすがに四度五度と情事を重ねて朝方まで貪ることは少なくなったが、それは翌日に備えて自制するようになったというだけで、時間が許すのであればふたりはいつまででもぬくもりを分かちあいたいと思っていた。

「ぅ……ん、ぁ。えーぎるさま……」

 吐息を漏らして、アルヤは小さく名前を呼ぶ。これ以上唇を重ねていては、もっと深いところに熱を受けたくなってしまう。むしろすでにその情欲の炎は灯っているのだが、それはエーギルも同じことだろう。

「……そうだな」

 彼もまた深くため息を吐いて、名残惜しそうにアルヤの唇から離れると、彼女のつむじに甘えるように頬を擦り寄せた。

(本当、可愛らしいお方なんだから)

 腕の中でくすくすと笑って、アルヤもエーギルの胸元に頬を寄せる。とくとくと彼の大きな鼓動が聞こえて、また笑みがこぼれる。

「時間までもう少しだけ、こうしていましょう?」

「ああ」

 答えたエーギルが、背中に回した腕の力をこめて、今度はつむじに口づける。だが、それ以上アルヤの身体をまさぐったりすることはしない。必死に自制しているのだろう。

「……もう時間か」

 無言で互いの鼓動を聞きながら過ごしていれば、あっと言う間に日がのぼる。名残惜しそうに身体を起こしたエーギルの肌のぬくもりが離れたので、アルヤも一緒に起き上がった。

「アルヤはまだ寝ていてくれ」

 エーギルを追ってベッドを滑りおりようとしたアルヤを、彼は押しとどめる。エーギルはこのまま身支度をするが、アルヤはこれから湯あみをせねばならない。湯あみの準備はこれからだし、アルヤがベッドから抜け出ても、着るべき服さえない。だから彼女は、ドリスが湯あみの準備をしてくれるまでベッドで待っているしかないだろう。それは毎朝の恒例のことなのに、毎度アルヤはエーギルと一緒に起きたくなるのだ。

(夜にはまた会えるのに寂しいなんて。昔なら絶対に思わなかったのに)

 今は、ほんのひと時エーギルと離れるのが寂しい。きっとそれは、アルヤが彼を愛しているからなのだろう。

(……あのころのわたくしは、こんなふうに想いあえる方ができるなんて、思ってもいなかったわ)

 つい先ほど見た夢を思い出して、アルヤは目を細める。

(その相手が、エーギル様だなんて)

 彼女を王太子という檻から解放してくれたのがエーギルなら、愛を教えてくれたのも彼だ。

「また今夜、わたくしを可愛がってくださいませ」

「……っああ」

 背を向けたまま振り返らず、返事がそっけないのは、彼が我慢をしているからだろう。それをわかっていて、アルヤは口元が緩んで仕方がない。

「愛しています、エーギル様」

 嬉しさが溢れて口にした言葉に、エーギルがとうとう振り返る。

「ああ、俺もだ。アルヤ」

 甘やかな声が降ってきて、アルヤは目を伏せる。その瞼に柔らかな唇が重なった。愛し愛されることはないと思っていたころの彼女は、もう、ここにはいない。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

ブラック企業を退職したら、極上マッサージに蕩ける日々が待ってました。

イセヤ レキ
恋愛
ブラック企業に勤める赤羽(あかばね)陽葵(ひまり)は、ある夜、退職を決意する。 きっかけは、雑居ビルのとあるマッサージ店。 そのマッサージ店の恰幅が良く朗らかな女性オーナーに新たな職場を紹介されるが、そこには無口で無表情な男の店長がいて……? ※ストーリー構成上、導入部だけシリアスです。 ※他サイトにも掲載しています。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

義兄の執愛

真木
恋愛
陽花は姉の結婚と引き換えに、義兄に囲われることになる。 教え込むように執拗に抱き、甘く愛をささやく義兄に、陽花の心は砕けていき……。 悪の華のような義兄×中性的な義妹の歪んだ愛。

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

魔性の大公の甘く淫らな執愛の檻に囚われて

アマイ
恋愛
優れた癒しの力を持つ家系に生まれながら、伯爵家当主であるクロエにはその力が発現しなかった。しかし血筋を絶やしたくない皇帝の意向により、クロエは早急に後継を作らねばならなくなった。相手を求め渋々参加した夜会で、クロエは謎めいた美貌の男・ルアと出会う。 二人は契約を交わし、割り切った体の関係を結ぶのだが――

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...