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【番外編】胸に愛しさを抱いて
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タッサ国営の娼婦として、初めて客を取った夜、アルヤは無感動だった。王太子に肌を暴かれて、あんなにも恐ろしかった行為は、彼が無様にタッサ王の前に跪くのを見て心が冷えたおかげなのか、もう彼女に恐怖を与えなかった。美しいアルヤに興奮して、初めての客は腰を振る。快楽を求めて必死に彼女を貪る姿は、滑稽ですらあった。
(どうしてこんなものが怖かったのかしらね)
股を貫いたもので身体を揺すぶる振動に感じているふりをしているうちに、客はアルヤの中で果てる。
避妊薬を飲んでいるから、子を孕むこともない、何の意味もない身体の奥に満ちた熱。
(そういえば、子を孕むことに怯える必要もないのね)
気づいたアルヤは、心の中で嘆息した。それはつまり、誰かの子を孕み、慈しむべき子をこの手に抱くこともないということだ。
(わたくしはもう一生、誰とも、愛し、愛されることはないんだわ)
それが特段、寂しいとも思わない。むしろ『誰かの妻』になる未来を捨てて手に入れたのが、これからの自由なのだ。そう思いながら、アルヤは目を閉じたのだった。
***
ふつりと目を覚まして、アルヤはカーテンの隙間の光で、今が夜明け直前であることに気づく。
(ずいぶんと古い夢ね)
どうしていまさらになって娼婦になったばかりのころの夢を見たのだろうとアルヤは思ったが、こんなことは考えていても仕方ない。気分を変えるために寝ぼけたままみじろぎをしようとして、それが叶わないことを疑問に思った。だが、次の瞬間にはその理由に察しがついて、彼女は小さく笑いを漏らす。
太くたくましい腕が、後ろから逃がさないとばかりにアルヤの身体を抱き込んでいるせいだ。抱きしめる腕も、アルヤも裸体である。足をわずかに動かせば、昨夜もたっぷりと中に注ぎこまれた子種のせいか、股がぬめっているのがわかった。
そろりと自身の腕を動かして、男の太い指に手を這わせれば、彼の薬指には指輪がはまっている。そして、それはアルヤの指も同じだ。
「ん……アルヤ?」
寝ぼけた声が頭上からかかって、抱きしめられていた腕の力がにわかに緩む。それをいいことに、アルヤはもぞもぞと腕の中で回って、声の主を窺いみた。
「起こしてしまいましたか? エーギル様」
「どうせもう少しで起きるところだった。……が、まだ貴女と離れがたいな」
目を細めたままのエーギルは、アルヤの額に唇を落として、それから瞼、頬、そして唇を順についばむ。
「ん……」
口づけが一度きりだと思ったのは一瞬で、離れるのを惜しむようにすぐにまたついばんで、そのうちに深い口づけになる。閨を共にするようになって、もうずいぶんと経つが、エーギルは未だに毎夜のようにアルヤを求めてくる。さすがに四度五度と情事を重ねて朝方まで貪ることは少なくなったが、それは翌日に備えて自制するようになったというだけで、時間が許すのであればふたりはいつまででもぬくもりを分かちあいたいと思っていた。
「ぅ……ん、ぁ。えーぎるさま……」
吐息を漏らして、アルヤは小さく名前を呼ぶ。これ以上唇を重ねていては、もっと深いところに熱を受けたくなってしまう。むしろすでにその情欲の炎は灯っているのだが、それはエーギルも同じことだろう。
「……そうだな」
彼もまた深くため息を吐いて、名残惜しそうにアルヤの唇から離れると、彼女のつむじに甘えるように頬を擦り寄せた。
(本当、可愛らしいお方なんだから)
腕の中でくすくすと笑って、アルヤもエーギルの胸元に頬を寄せる。とくとくと彼の大きな鼓動が聞こえて、また笑みがこぼれる。
「時間までもう少しだけ、こうしていましょう?」
「ああ」
答えたエーギルが、背中に回した腕の力をこめて、今度はつむじに口づける。だが、それ以上アルヤの身体をまさぐったりすることはしない。必死に自制しているのだろう。
「……もう時間か」
無言で互いの鼓動を聞きながら過ごしていれば、あっと言う間に日がのぼる。名残惜しそうに身体を起こしたエーギルの肌のぬくもりが離れたので、アルヤも一緒に起き上がった。
「アルヤはまだ寝ていてくれ」
エーギルを追ってベッドを滑りおりようとしたアルヤを、彼は押しとどめる。エーギルはこのまま身支度をするが、アルヤはこれから湯あみをせねばならない。湯あみの準備はこれからだし、アルヤがベッドから抜け出ても、着るべき服さえない。だから彼女は、ドリスが湯あみの準備をしてくれるまでベッドで待っているしかないだろう。それは毎朝の恒例のことなのに、毎度アルヤはエーギルと一緒に起きたくなるのだ。
(夜にはまた会えるのに寂しいなんて。昔なら絶対に思わなかったのに)
今は、ほんのひと時エーギルと離れるのが寂しい。きっとそれは、アルヤが彼を愛しているからなのだろう。
(……あのころのわたくしは、こんなふうに想いあえる方ができるなんて、思ってもいなかったわ)
つい先ほど見た夢を思い出して、アルヤは目を細める。
(その相手が、エーギル様だなんて)
彼女を王太子という檻から解放してくれたのがエーギルなら、愛を教えてくれたのも彼だ。
「また今夜、わたくしを可愛がってくださいませ」
「……っああ」
背を向けたまま振り返らず、返事がそっけないのは、彼が我慢をしているからだろう。それをわかっていて、アルヤは口元が緩んで仕方がない。
「愛しています、エーギル様」
嬉しさが溢れて口にした言葉に、エーギルがとうとう振り返る。
「ああ、俺もだ。アルヤ」
甘やかな声が降ってきて、アルヤは目を伏せる。その瞼に柔らかな唇が重なった。愛し愛されることはないと思っていたころの彼女は、もう、ここにはいない。
(どうしてこんなものが怖かったのかしらね)
股を貫いたもので身体を揺すぶる振動に感じているふりをしているうちに、客はアルヤの中で果てる。
避妊薬を飲んでいるから、子を孕むこともない、何の意味もない身体の奥に満ちた熱。
(そういえば、子を孕むことに怯える必要もないのね)
気づいたアルヤは、心の中で嘆息した。それはつまり、誰かの子を孕み、慈しむべき子をこの手に抱くこともないということだ。
(わたくしはもう一生、誰とも、愛し、愛されることはないんだわ)
それが特段、寂しいとも思わない。むしろ『誰かの妻』になる未来を捨てて手に入れたのが、これからの自由なのだ。そう思いながら、アルヤは目を閉じたのだった。
***
ふつりと目を覚まして、アルヤはカーテンの隙間の光で、今が夜明け直前であることに気づく。
(ずいぶんと古い夢ね)
どうしていまさらになって娼婦になったばかりのころの夢を見たのだろうとアルヤは思ったが、こんなことは考えていても仕方ない。気分を変えるために寝ぼけたままみじろぎをしようとして、それが叶わないことを疑問に思った。だが、次の瞬間にはその理由に察しがついて、彼女は小さく笑いを漏らす。
太くたくましい腕が、後ろから逃がさないとばかりにアルヤの身体を抱き込んでいるせいだ。抱きしめる腕も、アルヤも裸体である。足をわずかに動かせば、昨夜もたっぷりと中に注ぎこまれた子種のせいか、股がぬめっているのがわかった。
そろりと自身の腕を動かして、男の太い指に手を這わせれば、彼の薬指には指輪がはまっている。そして、それはアルヤの指も同じだ。
「ん……アルヤ?」
寝ぼけた声が頭上からかかって、抱きしめられていた腕の力がにわかに緩む。それをいいことに、アルヤはもぞもぞと腕の中で回って、声の主を窺いみた。
「起こしてしまいましたか? エーギル様」
「どうせもう少しで起きるところだった。……が、まだ貴女と離れがたいな」
目を細めたままのエーギルは、アルヤの額に唇を落として、それから瞼、頬、そして唇を順についばむ。
「ん……」
口づけが一度きりだと思ったのは一瞬で、離れるのを惜しむようにすぐにまたついばんで、そのうちに深い口づけになる。閨を共にするようになって、もうずいぶんと経つが、エーギルは未だに毎夜のようにアルヤを求めてくる。さすがに四度五度と情事を重ねて朝方まで貪ることは少なくなったが、それは翌日に備えて自制するようになったというだけで、時間が許すのであればふたりはいつまででもぬくもりを分かちあいたいと思っていた。
「ぅ……ん、ぁ。えーぎるさま……」
吐息を漏らして、アルヤは小さく名前を呼ぶ。これ以上唇を重ねていては、もっと深いところに熱を受けたくなってしまう。むしろすでにその情欲の炎は灯っているのだが、それはエーギルも同じことだろう。
「……そうだな」
彼もまた深くため息を吐いて、名残惜しそうにアルヤの唇から離れると、彼女のつむじに甘えるように頬を擦り寄せた。
(本当、可愛らしいお方なんだから)
腕の中でくすくすと笑って、アルヤもエーギルの胸元に頬を寄せる。とくとくと彼の大きな鼓動が聞こえて、また笑みがこぼれる。
「時間までもう少しだけ、こうしていましょう?」
「ああ」
答えたエーギルが、背中に回した腕の力をこめて、今度はつむじに口づける。だが、それ以上アルヤの身体をまさぐったりすることはしない。必死に自制しているのだろう。
「……もう時間か」
無言で互いの鼓動を聞きながら過ごしていれば、あっと言う間に日がのぼる。名残惜しそうに身体を起こしたエーギルの肌のぬくもりが離れたので、アルヤも一緒に起き上がった。
「アルヤはまだ寝ていてくれ」
エーギルを追ってベッドを滑りおりようとしたアルヤを、彼は押しとどめる。エーギルはこのまま身支度をするが、アルヤはこれから湯あみをせねばならない。湯あみの準備はこれからだし、アルヤがベッドから抜け出ても、着るべき服さえない。だから彼女は、ドリスが湯あみの準備をしてくれるまでベッドで待っているしかないだろう。それは毎朝の恒例のことなのに、毎度アルヤはエーギルと一緒に起きたくなるのだ。
(夜にはまた会えるのに寂しいなんて。昔なら絶対に思わなかったのに)
今は、ほんのひと時エーギルと離れるのが寂しい。きっとそれは、アルヤが彼を愛しているからなのだろう。
(……あのころのわたくしは、こんなふうに想いあえる方ができるなんて、思ってもいなかったわ)
つい先ほど見た夢を思い出して、アルヤは目を細める。
(その相手が、エーギル様だなんて)
彼女を王太子という檻から解放してくれたのがエーギルなら、愛を教えてくれたのも彼だ。
「また今夜、わたくしを可愛がってくださいませ」
「……っああ」
背を向けたまま振り返らず、返事がそっけないのは、彼が我慢をしているからだろう。それをわかっていて、アルヤは口元が緩んで仕方がない。
「愛しています、エーギル様」
嬉しさが溢れて口にした言葉に、エーギルがとうとう振り返る。
「ああ、俺もだ。アルヤ」
甘やかな声が降ってきて、アルヤは目を伏せる。その瞼に柔らかな唇が重なった。愛し愛されることはないと思っていたころの彼女は、もう、ここにはいない。
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