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14.招かれざる客

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 アルヤとエーギルの会話中に、無粋に割って入ったその男の声の正体を、アルヤはすぐに思い出すことができた。ただし、それはいい意味ではない。

(いやだわ。こんなタイミングで)

 内心でため息を吐きながらも、アルヤは優美に微笑んだ。先ほどエーギルに向けていた表情が、彼に対する愛なら、今浮かべた笑顔は淑女の仮面だろう。

「……ごきげんよう、スリアン伯爵様」

 淑女の礼をとってアルヤは挨拶する。

「急にいなくなるから心配していた。貴女は今日も美しいな」

「ありがとうございます。ご心配おかけしました」

 アルヤはそう答えたところで、エーギルをちらりと見る。彼は突然話しかけてきたスリアン伯爵に驚いているようだ。何しろ目上の貴族がわざわざエーギルに話しかけてくるようなことはないだろうから、恐らくこれが初めてのことだ。

「エーギル様。ご挨拶を」

 そっと小声で言えば、エーギルはぴくりと動いて、息を吐く。

「エーギル・エドフェルトです。よろしくお願いします。……貴方は、アルヤと知り合いなのですか?」

 丁寧語を使い慣れていないであろうエーギルの言葉遣いに、スリアン伯爵は小ばかにするように鼻で笑った。

「ああ。知り合いだとも。いや、もっと深い仲だと言ったほうがいいかな?」

 そこでスリアンはアルヤの姿をつま先から頭のてっぺんまで、舐めるように見る。

「そのドレスもネックレスも、私が贈ったものだからね。……彼女の悦ぶところも、隅々まで知り尽くしているのだよ」

 声を潜めたスリアンは、余裕の笑みを浮かべてエーギルに告げる。

(あいかわらず気持ちの悪い人ね)

 内心の呆れを表に一切見せることなく、アルヤは淑女の仮面で微笑み続けている。スリアンは、アルヤの娼婦時代の常連客だった。彼の言う通り、今身に着けているドレスもネックレスも、たまたまスリアンが贈ってくれたものである。だが、そのことに大した意味はない。単純に社交シーズンの夜会に着て行くべきドレスとして選んだだけで、思い入れなど何もないのだ。

(『お前の連れてる女は俺も抱いたことがある』なんて話、下品だってわからないのかしら)

 挨拶もそこそこにこんな話をしはじめるのだって非常識だ。夜会で娼婦の話題が口にのぼらないというわけではないが、それは親しい仲での話だろう。相手にする価値もないと、冷めた気持ちですぐにあしらおうと思うアルヤだったが、それに反してエーギルは一瞬のうちに顔が怒りに染まっており、このままでは済まさないと全身が訴えている。とはいえ今すぐに怒鳴るのがまずいのは彼もわかっているらしい。アルヤの手を握っていない反対の拳を強く握ることでなんとか耐えている。

 だがそれも、次のスリアンのセリフまでだった。

「アルヤ。いつ娼館に戻るんだ? 噂で身請けされたと聞いたが……まさか、けだもの・・・・のところにいるわけじゃないんだろう? 私ともまた会って欲しいのだが、どうだろう?」

「なっ」

 色めき立って叫びかけたエーギルの手を、アルヤがそっと押しとどめて、握って黙らせる。

「……アルヤ」

 押し殺した声が名前を呼ぶのに、アルヤは見上げたエーギルに視線を合わせてゆっくりと瞬きして見せて、ふんわりと笑った。燃え上がるような怒りに身を包んでいたに違いないエーギルが、そのアルヤの挙動だけで、にわかに気迫が緩む。その彼にアルヤはそっと身を寄せたが、スリアンに目を向けたときにはもう淑女の顔になっている。

「申し訳ありません、スリアン伯爵様。わたくしはもう身も心も全てエーギル様のものですわ。彼以外の方に、指一本でも触れさせるつもりはありませんの」

 エーギルの胸元に甘えるように頭を預けて、とろりと微笑んだ。その微笑みは視界には彼しか映っていないと言わんばかりだ。

(こんなふうに宣言して、エーギル様は気を悪くされないかしら。でも、わたくしの本音だもの)

 彼女の発言に、二人の男は二の句を告げられずに黙り込んでいる。特にエーギルは、酷く驚いた顔でアルヤを見ていたが、彼の胸に顔を預けたままのアルヤは熱のこもったのその視線には気づかなかった。

「お気を悪くされました? それでは今すぐに、というわけにはまいりませんけれど、このドレスとネックレスはお返しいたしますわ。それでよろしくて?」

 アルヤの追い打ちに、スリアンはわなわなと震え出す。客が娼婦に贈り物をするのは普通のことだが、一度贈ったプレゼントを取り返すということは、それだけ金に困っているというサインだ。別に彼はそんなことを求めてはいないだろうが、これはアルヤの意趣返しである。身請けをされた女に対して、その主の目の前で粉をかけるような真似をしたのだから、これくらい許されようというものだ。もちろん身分を考えたらとんでもないが、そこは男女の仲の話だから仕方ない。

 顔を真っ赤にしていたスリアンは、不意ににやりと笑った。

「……そんなものはいらないよ。だが、ああ。アルヤ。残酷な話じゃないか」

 ひきつった笑顔でスリアンは話す。震えている間に、どうにかしてやり込める話がないか考えていたらしい。

「その男は知らないんだろう? 君がそのけだもののせいで家を失ったことも、娼婦に身をやつすことになったことも」

(何を言うかと思えば)

 とうとうアルヤは淑女の微笑みをとりつくろうのを辞めて、呆れの顔を露わにした。握りこんだエーギルの手がぴくりと震えたおかげで、彼が事情がわからないなりに動揺しているのが、アルヤにも伝わる。

「スリアン伯爵様。お言葉が過ぎます」

「事実だろう。その戦争狂がセウラーヴァ王を殺したせいで、我が国の捕虜になった君が敗戦の賠償金を支払うはめになったんだからな」

「何……」

 エーギルの低い声が呟かれてアルヤは慌てる。

「耳を貸さないでくださいませ、エーギル様」

 そう声をかけたものの、先ほどまで怒りに染まっていたはずのエーギルの顔は、真っ青だ。それに幾分か気分を良くしたスリアンがひきつっていた笑みをにんまりとさせる。

「ちゃんと教えてあげなきゃだめじゃないか、アルヤ」

「スリアン伯爵様、いい加減に」

「アルヤに愛されるような資格は、その男になんかないだろう」

 笑いを含んだ声で言い放たれたそのセリフに、エーギルは固まる。

「愛される、資格なんて……」

「エーギル様。そんなこと関係ありません、わたくしは……」

 きゅっと手を握りこんで言い募るが、エーギルは首を振った。

「スリアン伯爵の言う通りだ。俺は、貴女にそう言ってもらえるような男では、ない」

 ただ、呆然と呟いたその顔に、ぎゅっと眉間に皺が寄った。
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