高嶺の娼婦は嫌われ騎士に囲われて

かべうち右近

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13.貴族の集う場所

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 エドフェルト邸にアルヤが移り住んで、しばらくときが経った。男爵邸でのアルヤの暮らしはのんびりしたもので、エーギルは彼女に仕事を課さないうえに行動の制限もしなかったので、気ままに過ごしていた。彼女は仕えられる立場ながら、街へと買出しに行くドリスと共に出かけたり料理を手伝ってみたり、エーギルにねだって乗馬を習ってみたりと、彼女の人生の中で恐らくもっとも自由に過ごしていると言える。帳簿管理に頭を悩ませていた家令のポールをこっそり手伝って、内政の真似事のようなこともしてはいたが、アルヤはそれらを義務でやっているのではない。

 日々の仕事に追われる平民や、社交や習い事で忙しい貴族、そして夜の務めだけ果たせばいいとは言っても自由にできる金のない娼婦のいずれとも違う。アルヤは特段の贅沢を求めないから、ドレスを買ったのも最初に移り住んだときだけだったし、宝石類をねだることもなく、穏やかな暮らしぶりである。

(こんなに幸せでいいのかしら?)

 何しろ働いてすらいない。ときどきちょっぴりこの状況を享受していていいものかどうかを考えなくもないが、今の生活をアルヤは気負うことなく受け入れていた。

 あの夜、機会を逃したせいでエーギルがどうしてアルヤを身請けしたのかについては未だに聞けていない。エーギルは相変わらずアルヤを求め、飽きもせずに毎夜のように肌を合わせている。とはいえ、アルヤは身請けされただけだから、結婚したわけではない。当然子を孕むわけにはいかないから、アルヤは娼館時代に服用していた避妊薬を今でも服用していた。その避妊薬もそろそろなくなりそうで、アルヤは手配をどうすべきか考えているところだった。

 エーギルから、王都の夜会にパートナーとして一緒に出席して欲しいと言われたのは、ちょうどこのころのことである。

「わたくしが参加してよろしいんですの?」

 これは、娼婦あがりの平民の女をパートナーにして問題ないのか、という意味である。アルヤは娼婦になるにあたり貴族籍を剥奪されているから、身分としては娼婦を脱しても平民でしかない。エーギルが打診しているのは、王都の社交シーズン最初の夜会のことだろうと察しがついたが、そんな場所に連れていくにはアルヤは場違いだろう。

 とはいえ、婚約者のいない貴族は高級娼婦を伴って夜会に参加することもあるから、エーギルの申し出が理解できないわけではない。エーギルには本妻どころか婚約者すらいないらしい。でなければ本邸に愛人を迎えているはずがないだろう。普通に考えたら、戦争英雄として名高いエーギルであれば婚約の申し込みが殺到しそうなものだが、そんな気配もない。この理由についてアルヤはなんとなく察していたが、それをあえてエーギルに尋ねるつもりはなかった。

(だってわたくしは、エーギル様に身請けされただけの人間だもの)

 幸せを享受して気ままに暮らしてはいるが、彼女は決して自分の身分を忘れていないのだ。

「もちろん。俺のパートナーは貴女しかいないだろう」

 力強く頷いたエーギルにそれ以上言葉を重ねることはせず、「わかりました」と微笑んでアルヤは返事をしたのだった。


***


 迎えた王都での夜会は、なんと王城で開催される大規模なものだった。国王に呼ばれたとなれば出ざるを得なかったエーギルの立場も理解できようというものだ。

 王城のパーティーホールに入場する際、エーギルの名が高らかに読み上げられた。その瞬間に、周囲がざわめいた。

「やだ。蛮族が来たわ」
「今日は女を連れているのか」
「まるで獣と子ウサギのようじゃないか」
「どこの誰か知らないけど、連れてこられた方もお気の毒にね」
「どうせそこらの娼婦だろうさ」

 聞くに堪えない陰口が口々に発せられる。しかもそれらの全てが声を抑えてなどおらず、あえて聞こえるように言っているようだった。それらの声が聞こえているはずのエーギルは、表情を全く変えずにただアルヤをエスコートしている。

(やっぱりね……)

 すうっと心の奥が冷えるのを感じながら、アルヤは想像していたことへの答えを得て、内心で嘆息した。

 今夜のエーギルの装いは、惚れた欲目を除いても見事なものだった。王から賜ったその騎士の礼服は、上等の生地で仕立てられており、金糸と銀糸をふんだんに使った刺繍も、飾りボタンも、全てが一流のものだと一目で知れる品物である。その豪奢な礼服に身を包んだエーギルは、服に包まれていてなお、見事な筋肉の形を主張し、服に着られることなく威風堂々たる英雄に相応しいいで立ちだ。

 そんな彼の連れるアルヤについても、ドレスに金こそかかっていないが、きっちりと結い上げられた髪も、ドレスに合わせたアクセサリー類も、洗練されている。それは彼女が娼婦時代に客から贈られたものではあるが、品物を選んでいるのはアルヤである。彼女は自分を引き立てるデザインというものをよく知っていた。だからこそ、彼女が数少ない手持ちの品から選んだと言っても、元娼婦だなどとは一見してわからない。娼婦だとそしる声は聞こえてはいたものの、どこかの貴族の女性を連れてきたのだろうと会場内の人々は思っていることだろう。

 二メートル近くあり体格に優れたエーギルが、アルヤをエスコートする姿は、身長差こそあれど見栄えがよかった。野獣のようだと評されるには、今夜の彼はあまりに眩しい。

 だが、会場の人々が口さがなく罵るのは、エーギルのいで立ちなど関係ないのだ。

(貴族って本当に呆れるわね。平民のどこが気に入らないのかしら)

 アルヤは内心で嘆息しながら、エーギルがエスコートで差し出している手をきゅっと握りこんで彼を見上げる。そうして艶やかに笑って見せた。

(一介の騎士が貴族になりあがったのが気に入らないなんて、ばかばかしい)

 つまりは、周りの貴族たちはエーギルが元は爵位を持たない騎士だったこと、そして男爵を賜ったのが気に入らないのだ。自分たちが偉いと思い込んでいる貴族たちは、平民の血を厭う。戦争英雄であるエーギルがいなければ、敗北していたのはこのタッサの国のほうであり、今穏やかに暮らせているのだってエーギルのおかげなのに、血筋のことだけで彼らはエーギルを蔑んでいるのだ。

 本来なら結婚相手として引く手あまたであるはずのエーギルが、求婚状の一つも届かないでいるのはこのせいだ。

「エーギル様。お伝えし忘れていましたが、今日の装い、とっても素敵ですわ」

「……あ、ああ……」

 アルヤに目を向けたエーギルは、驚いたような顔をしている。だが、やがて、気まずそうに目を伏せた。

「……すまない。俺の連れであるばかりに、貴女まで居心地が悪いだろう」

 エスコートの手を離そうとしたエーギルを、アルヤはそっと引き寄せて頭を彼に預ける。

「わたくしはエーギル様と一緒にいられれば、どこでも楽しいのですよ?」

「アルヤ」

 そう名前を読んで、アルヤの顔を見つめるのは、これまで幾度となく見たエーギルの顔だ。苦しそうに眉間に皺を寄せ、痛みを堪えるようなその表情は、きっと彼の中の深いところに傷があるからなのだろう。

「……貴女は、どうして俺にそんな言葉をくれるんだ」

 絞り出すような声で呟かれて、アルヤは胸がきゅうっと痛むの覚えながら微笑んだ。

(今すぐに抱き締めたい)

 彼の心の傷の原因はわからずとも、勇猛果敢に戦場を駆けたであろうこの目の前の男の、繊細な心を守ってあげたかった。夜会の会場で一目も憚らず抱き着くことは許されないが、代わりに彼女は繋いだエーギルの手をすり、と優しく撫でる。

「そんなの、決まっていますわ。わたくしは……」

「やあ、これはこれは。アルヤじゃないか」

 二人の世界に無粋にも割って入ったのは、男の声だった。
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