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6.安宿のベッド

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 アルヤたちが娼館を発って半日後、隣の街へと夜更け近くになってようやくたどり着いた彼らは、宿屋で泊まる部屋に困っているところだった。比較的大きな街だから宿屋は多いはずだが、それだけ宿泊客も多いのだろう。夜ともなればほとんどの宿屋が埋まっていて、今は寝床を求めて三件目だった。路銀を持たないアルヤの代わりに、宿屋の交渉をしているのはエーギルである。その彼が今、店主と話しながら難しい顔をしていたが、やがて頷いた。

「……わかった。それで頼む」

 前払いで清算を済ませると、エーギルは後ろで待っていたアルヤを振り返る。

「待たせてすまない」

「とんでもありませんわ」

 夕飯はすでに軽く済ませていた彼らは、もうベッドに潜り込んで眠るだけだ。今夜は湯あみができていないが、もともと旅路の中では濡らした手拭いで身体を拭き清める程度なのが普通である。今日に限っては出かける前に湯あみをしているから、夜が遅いこともあり、手ぬぐいでの拭き清めも省略することを先にエーギルから謝られていた。

 店主から鍵とランプを受け取ったエーギルは、荷物を持ってアルヤを先導する。

(悩んでらっしゃる様子だったけれど、どうされたのかしら?)

 階段をついてあがりながら、内心首を傾げたアルヤだったが、部屋に入ってすぐにエーギルの苦悩の理由がわかった。部屋の中はいたって簡素だ。通りに面した窓があって、机もなく、家具は椅子とベッドだけである。問題は、それが一台だけで、どう見ても一人用のサイズだということだ。

 荷物とランプをベッドの傍に下ろしながら、エーギルはアルヤを振り返る。

「ベッドが一つの部屋しか空いてなかったから、貴女がベッドで寝てくれ」

「エーギル様はどうなさるんです?」

「俺は椅子か、床ででも」

「だめです」

 エーギルの言葉を遮ったアルヤは、ベッドに近づく。それは成人男性が横になるには充分なサイズだろうが、二人で寝るにはいささか狭い。

(だから迷ってらしたのね。でも)

「エーギル様は今日一日ずっと馬を操ってらしたもの。明日もでしょう? きちんとベッドで休まれませんと。床か椅子に寝るべきなのはわたくしだわ」

「そんなのはだめだ!」

 慌てたように反論されて、アルヤはそこでほんのりと微笑んだ。

(本当に、優しい方ね)

 エーギルの反応がわかっていたアルヤは、内心でくすくすと笑いながら、次の手を繰り出す。

「では、わたくしと一緒にベッドで寝ましょう?」

「だが俺が一緒だと狭いだろう。それでは貴女が」

「エーギル様」

 そっと彼に身体を寄せて、首を傾げながらアルヤは彼を見上げる。

「わたくしと添い寝するのはおいやですか?」

 その視線に、エーギルは息を呑んでぎゅっと眉間に皺を寄せた。だが、すぐに諦めたように息を吐くと、彼女の肩にそっと触れて苦く笑ってみせる。

「いやじゃないから困るんだろう」

「それはよかったです」

 ふふふ、と笑ってアルヤはベッドに腰かけた。

「どちらも床で寝るのは承知できないんですもの。一緒にベッドで寝たほうがいいに決まっています」

「それでは貴女が休まらないと思うが……」

「押し問答は終わりです。さあ、エーギル様もこちらにいらして?」

 アルヤが手を伸ばせば、エーギルはやっと諦めたように外套を脱いで椅子へと放り、ベッドへと座る。彼が靴を脱ぎ始めたのを見て、アルヤはそれに倣い外套を脱いで靴も脱ぐ。彼は旅先では寝間着に着替える習慣はないらしい。上着を脱いだ軽装になると、エーギルはそのまま布団を剥いでベッドに横になる。だが、アルヤはまだ横にならないでドレスのリボンに手をかけ始めた。

「……どうして脱いでいる?」

「? 寝るのですから脱ぎますでしょう?」

 きょとんとして答えてから、アルヤはすぐに思い至った。

「ああ。こちらでは違いましたね。わたくしの故郷では、寝るときには服を身に着けないのです」

 ほんのりと笑ってアルヤはそのままドレスのリボンを解いてしまう。彼女の言葉は嘘ではない。アルヤの故郷では寝間着など身に着ける習慣はなかった。それにドレスを着たままベッドに横になるのでは皺になってしまう。付け加えれば、彼女は娼婦であったがゆえに、今まで眠るときの服など必要なかったのだ。

 だかそれらの全てを伝える必要などない。

「アルヤ、それだと」

 エーギルが焦っている間に、アルヤはさっと服を脱いでしまい、裸になる。ついでに言えば、娼婦である彼女の身に着けるものはほとんど全て客から贈られたものだ。コルセットも足を隠すドロワーズも彼女は持っていないから、ドレスの下は裸体である。ランプの薄い灯りに照らされた彼女の肢体に、エーギルはさっと目を逸らした。

(昨日もされたのに、まるで初めて女の裸を見られるような反応ね。そういえば……)

 不意にアルヤは今日の道程を思い出す。

 エーギルに後ろから抱きかかえられるようにして馬に乗っていたアルヤが、ふと彼を見上げたとき、情事でもないのにエーギルの顔が近かった。その近さにエーギルは戸惑ったように赤い瞳を揺らして、遠慮がちに軽く口づけしてきていた。あれではまるで、女を抱いたことのない男のようだ。

(明るいところで口づけたのは初めてだったけれど……エーギル様は本当に可愛い方だわ)

 くすくすと笑いながらベッドに乗り上げると、エーギルが「どうした」と声をかけてくる。だがその目線はどことなく彼女の裸体からは逸らされているようだった。

「灯りを消すのを忘れていましたわ」

 そう言ってアルヤがランプの灯りを消せば、部屋の中は一瞬真っ暗になる。だが、窓から差し込むうっすらとした月明かりで、すぐに目は慣れた。彼女がベッドにもう一度乗り上げると、エーギルは彼女に場所を譲るように壁際に身体を寄せて、横向きになった。

「失礼いたします」

 エーギルと向かい合わせになるようにアルヤは寝そべったところで、またくすくすと笑う。

「もう少し近寄りますね?」

 身体の大きいエーギルと一緒に寝ていると、予想はしていたものの、やはり狭かった。ぴったりと抱き合って寝ないとベッドから落ちてしまうかもしれない。

「アルヤ」

 抱き着くように身体を寄せたアルヤに対して、エーギルが明らかに動揺したような声を出す。彼女の胸が押し付けられるような形になればそれも仕方ないだろう。例え昨日も一昨日も、その柔らかな乳房を彼が存分に揉みしだき、散々に虐めていたのだとしても。

「すまないが、背中を向けてくれるか。その……目のやり場に困る」

「ふふ、仕方ありませんね」

 目のやり場も何も、全裸だって見ているし、昨日だって秘部を舐めていたというのに。

(いつまでも意地悪をしていてもいけないものね)

 柔らかに笑いながらもアルヤはくるりと身体を反転させて、背中を向ける。だがベッドに余裕はないから、彼の胸に背中をぴったりくっつけるような形だ。

「すまない……」

「わたくしこそごめんなさい。エーギル様があんまり可愛くて。少しからかいすぎました」

「貴女という人は……」

 はあ、と息を吐いたエーギルは、アルヤのつむじに埋めるように顔を寄せて、後ろから彼女の身体を抱き締めてきた。

(あら。情事をしないために接触を最低限にされようとしているのかと思ったのに)

「あまり俺を煽らないでくれ」

「ふふ、ごめんなさい」

 彼がベッドを共にしたくないという態度を見せたのも、裸体から目を逸らそうとしていたのも、昼間に顔の近さに戸惑っていたのだって、全て欲情してはいけない場面で己を律するためなのだろう。それがわかっていてアルヤは彼をからかっていたのだ。今は宿屋の中ではあるが、壁の薄そうな安宿で盛るわけにもいかないし、明日も早いのだから早く寝るに越したことはない。

 それがわかっていながらも、アルヤはエーギルの反応が楽しくて、同衾できるようにことを運んだのだ。もちろん、ベッドで横にならなければ彼の疲れがとれないだろうという心配も本音ではあったが。

「もう寝よう」

「はい、おやすみなさい。エーギル様」

「おやすみ、アルヤ」

 そう言葉を交わして、アルヤはエーギルの腕にそっと自分の腕を絡め、目を閉じる。温かく大きなエーギルの身体に包まれて、心地良さにアルヤはとろとろと意識が落ちていく。しかし、こんな状況ですんなりと眠れるわけがなかったのである。
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