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彼女であって、彼女でない婚約者
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お膳立てが整いすぎているきらいはあるが、果たしてその日はやってきた。
ルドガーたちは両親を含め、ヴィルヘルミーナと共に早めの晩餐に舌鼓をうち、食後酒と会話を楽しみながら談話室で和やかに話している。その内にダールベルク夫妻が湯あみのために先に席を外し、キャンドルで彩られた談話室の中はルドガーとヴィルヘルミーナだけになった。
ソファに隣り合って座るヴィルヘルミーナの頬がほんのりと赤いのは、酒のせいばかりではないだろう。急に口数の少なくなった彼女に、ルドガーは内心で笑みながら、酒杯をテーブルに下ろしてそっと彼女の手に自分のものを重ねた。
「ミーナ」
指を絡めて、囁くように発した声は、酒のせいか少し掠れている。それが妙に低く甘く耳に響くようで、ヴィルヘルミーナは身体を震わせる。けれど、指を絡めるのに応じて、彼女はルドガーの肩に頭を預けた。
ふわり、と髪につけた香油がルドガーの鼻をくすぐった。彼女とこの至近距離になるのは珍しいことではないから気付いたが、いつもとは違うほんのりと甘い香りだ。それはヴィルヘルミーナがダールベルク家に来る前に、念入りに身支度をしたことの証左なのだろう。
「可愛い」
ちゅ、と髪に口づけを落として、ルドガーは彼女を様子を窺う。するともじもじした様子のヴィルヘルミーナが遠慮がちに彼を見上げた。
「ルドガー様……その、今夜はいつまでこちらに?」
「お前が良ければだが……この後俺の部屋に来ないか?」
ルドガーの言葉に、ヴィルヘルミーナはきゅうっと手に力が入る。緊張の面持ちで更に頬を赤くしたヴィルヘルミーナは、一瞬返事に詰まって固まってしまったらしい。けれどすぐに、小さく頷いた。
「……はい。連れていって、ください」
その返事を受けて、ルドガーは逸る気持ちを抑えながら、ヴィルヘルミーナをエスコートしてできるだけゆっくりと廊下を歩いた。
部屋についてしまえば、きっとすぐに押し倒してしまうだろう。この後の段取りについて色々と考えていたはずだが、いざヴィルヘルミーナを目の前にすると、ルドガーは冷静でなどいられない。だからせめて、部屋に着くまでの時間だけでも、ヴィルヘルミーナに覚悟を決める猶予を与えたかった。
(ヴィルヘルミーナは初めてだからな……)
既に何度も愛撫をしているし、ルドガーの肉棒を擦りつけたことだってある。だが、それと純潔を捧げることとは全く次元の違う緊張を強いられるだろう。何しろ、純潔を捧げてしまえば、真に嫁げる相手はルドガーしかいなくなるのだ。
それに、ルドガーは処女を相手にしたことがないが、破瓜はどんなに解していても一般的に痛いと聞く。シュルツ夫人のことだから、ヴィルヘルミーナに初夜の心得的なものを言い聞かせていることだろう。スキンシップに積極的な彼女が緊張の面持ちなのは、その痛みを恐れているのもあるに違いない。
(……夢中になって、腰を振らないようにしないと)
そんなことを考えているうちに、ルドガーたちは部屋に着いてしまった。
ベッドにサイドチェスト、そして書棚と小さなテーブルに椅子が二脚。殺風景とも言える部屋の中はメイドが先回りして寝仕度を整えてくれており、カーテンがぴったりと閉じられ、明かりは既にテーブルの上のランプのみだった。一緒に葡萄酒と軽食が用意されているのは、気遣いだろう。
いかにも、これから部屋の主が誰かを迎えて、そこで共に時間を過ごすという前提で、ご丁寧に杯は二個用意されている。
「……少し、飲むか?」
部屋の入り口に佇んだまま、固まってしまったヴィルヘルミーナの顔を窺って、ルドガーが尋ねる。
「いえ……」
ふるふると首を振ったヴィルヘルミーナは、エスコートのために組んだ腕に、ぎゅっと力を込めた。ルドガーは彼女を正面に向き直って抱き寄せると、頬に手を添えて、ヴィルヘルミーナの緑の目をまっすぐに見つめる。
「今からお前を抱くが、いいのか?」
ムードもへったくれもない。けれど、ヴィルヘルミーナは目を細めて微笑んだ。
「はい。……わたくしを、ルドガー様のものにしてください」
いじらしいおねだりをされて、たまらずルドガーは彼女の唇を奪う。軽く唇をついばんで気持ちを高めるなんてできなかった彼は性急に舌を差し込んだが、待っていたかのように舌が絡んできて、ちゅくちゅくと唾液が二人の唇を濡らす。
「ん、んん」
舌を絡めて夢中で吸い合い、ルドガーの手は無意識に彼女の腰へと伸びる。今夜の彼女の装いは、以前ルドガーを誘惑してきたのと同じタイプのドレスだった。秋という季節に合わせて長袖ではあるものの薄衣を重ねてコルセットを排除したドレスは、服越しに身体を撫でてもしなやかな身体のカーブが判りやすい。柔らかく弾力のある尻を撫でまわしていると、やがてヴィルヘルミーナの身体から力が抜けてきて、とろけた彼女が助けを請うように、きゅ、と服を掴んだ。唇を離せば気持ち良さで潤んだ目のヴィルヘルミーナと目が合って、ルドガーは笑んだ。
「ベッドに行こう」
囁いたルドガーはヴィルヘルミーナを横抱きにして歩き、ベッドにゆっくりと彼女の身体を下ろした。そうして自分も、ベッドに乗り上げ、ヴィルヘルミーナを組み敷く。
普段自分が寝ているベッドに、ヴィルヘルミーナが横たわっている。見下ろした彼女は、暗い寝室の中でも、美しい緑の瞳がきらめいて見える。ランプの薄明りでオレンジに照らされたキャラメル色の髪は、婚約のときのテラスを彷彿とさせた。彼女に嫌われて逃げられたあの夜と違って、これからのことを受け入れてくれるのだろう。あのとき脳内に描いた妄想が、今から現実になるのだ。
(……本当に、これでいいのか?)
不意に、ルドガーは心配になった。
彼に抱かれるために大人しくベッドに横になっているヴィルヘルミーナは、確かに『ヴィルヘルミーナ・シュルツ』で、ルドガーの婚約者だ。今から彼女の初めてをもらうのだって、泊まりを了承した時点で彼女も覚悟の上だろうし、彼女の母親だって後押しをしている。
けれど、今、ここにいる彼女は『あなたと婚約なんかしたくなかった』と言ったヴィルヘルミーナではない。
そのことが急に、ルドガーの胸を衝く。
「ルドガー様……?」
急に止まってしまったルドガーに、どうしたのかとヴィルヘルミーナが声をかける。
「ミーナ……」
そっと彼女の頬に手を添えると、彼女はすぐにその手に自分の手を重ねて、ルドガーの言葉を待ってくれる。その仕草がまた、記憶を失う前のヴィルヘルミーナとは違う反応でルドガーは胸が詰まる。
「今さらになって言うのは、卑怯だと思う。だが、言わせてくれ」
「どうしたんですか?」
急にトーンの下がったルドガーにきょとんとしたヴィルヘルミーナは、頬の手を離さないままに聞く。
「俺は……いや、お前が記憶を失う前」
「はい」
「ヴィルヘルミーナ、お前は俺のことを嫌っていたんだ」
自分で言いながら、ルドガーは苦しくなる。婚約したくなかった、とはつまりはそういうことだろう。
「……はい?」
きょとんとしたままのヴィルヘルミーナが、わずかに眉間に皺を寄せる。
「あの……何かの間違いでは?」
「いいや。本当だ」
きっぱりと断言したルドガーに、ヴィルヘルミーナは少し考えるような顔になる。
「隠していてすまない。……もし、お前の記憶が戻ったとき、嫌いな俺に抱かれたことを知ったら、きっと……『ヴィルヘルミーナ』は嫌がるだろう……? 俺は、お前にこれ以上嫌われるのは、耐えきれない」
もともと卑怯を覚悟で、記憶が戻っても離れられないくらいに口説き落してやろうと思っていたにも関わらず、今更になってルドガーは怖気づいたのだ。今は目の前で頬を染めて笑ってくれる彼女だが、このまま肌を重ねたとしたらきっとヴィルヘルミーナは『騙して処女を奪うなんて最低』だと罵るだろう。そんな姿が容易に想像できる。記憶をなくした彼女と相思相愛になり、気持ちに応えてくれる幸福を知ってしまった今、わずかにでも彼女に嫌悪の感情を向けられることなど、耐えられそうにない。
ルドガーは心痛に顔を歪め、ヴィルヘルミーナの言葉を待つ。しかし、彼女はそんなルドガーの告白に、なぜだか、ふふっと笑った。
「ルドガー様は意外と心配性なんですね。知りませんでした」
嬉しそうに笑ったヴィルヘルミーナは、腕を伸ばすとルドガーの首を引き寄せて、軽く唇を重ねる。
「大丈夫ですよ。わたくしはルドガー様が好きです。今も、昔も、ずっと」
「しかし」
「わたくしがルドガー様を嫌うなんて、ありえません。記憶を失ってからのわたくしに、ルドガー様は真摯に向き合ってくれたじゃありませんか。もう、何回惚れなおしたか判らないくらいなんですから」
「ミーナ……」
情けなく眉尻の下がったルドガーに、ヴィルヘルミーナの唇がもう一度重なる。
「それに」
言葉を切ったヴィルヘルミーナは、それまでの優しい笑みから変わって、悪戯っぽい表情になる。
「もしわたくしの記憶が戻って、万が一『嫌い』って言っても、ルドガー様はわたくしをまた惚れなおさせてくださるでしょう?」
挑発的な言葉だが、それは絶大なルドガーへの信頼だった。そして、こんな風に挑発してくるのは、記憶を失う前のヴィルヘルミーナも同じだった。
「……ああ、そうか」
呆然としながら、ルドガーは呟く。
嗜好や癖、ちょっとした仕草、そして物事の捉え方など、ヴィルヘルミーナは記憶を失う前と変わらない。それは記憶をなくした彼女を初めて見舞った時に気付いていたことなのに、怖気づいたルドガーはそんなことも忘れていたらしい。
自分にまつわることも、ルドガーに対しての気持ちも忘れていても、ヴィルヘルミーナは、ヴィルヘルミーナだ。
「そうだな。……俺は、何度でもお前を口説くよ」
「お願いします」
柔らかい表情になったヴィルヘルミーナに、ルドガーはほっとして、唇を重ねる。
「こんな情けない男で申し訳ないが、俺に抱かれてくれるか?」
本日二度目の伺いをたてて、ルドガーはその答えを聞く前に、また唇を吸う。絡める舌に応える熱が、彼女の答えだった。
ルドガーたちは両親を含め、ヴィルヘルミーナと共に早めの晩餐に舌鼓をうち、食後酒と会話を楽しみながら談話室で和やかに話している。その内にダールベルク夫妻が湯あみのために先に席を外し、キャンドルで彩られた談話室の中はルドガーとヴィルヘルミーナだけになった。
ソファに隣り合って座るヴィルヘルミーナの頬がほんのりと赤いのは、酒のせいばかりではないだろう。急に口数の少なくなった彼女に、ルドガーは内心で笑みながら、酒杯をテーブルに下ろしてそっと彼女の手に自分のものを重ねた。
「ミーナ」
指を絡めて、囁くように発した声は、酒のせいか少し掠れている。それが妙に低く甘く耳に響くようで、ヴィルヘルミーナは身体を震わせる。けれど、指を絡めるのに応じて、彼女はルドガーの肩に頭を預けた。
ふわり、と髪につけた香油がルドガーの鼻をくすぐった。彼女とこの至近距離になるのは珍しいことではないから気付いたが、いつもとは違うほんのりと甘い香りだ。それはヴィルヘルミーナがダールベルク家に来る前に、念入りに身支度をしたことの証左なのだろう。
「可愛い」
ちゅ、と髪に口づけを落として、ルドガーは彼女を様子を窺う。するともじもじした様子のヴィルヘルミーナが遠慮がちに彼を見上げた。
「ルドガー様……その、今夜はいつまでこちらに?」
「お前が良ければだが……この後俺の部屋に来ないか?」
ルドガーの言葉に、ヴィルヘルミーナはきゅうっと手に力が入る。緊張の面持ちで更に頬を赤くしたヴィルヘルミーナは、一瞬返事に詰まって固まってしまったらしい。けれどすぐに、小さく頷いた。
「……はい。連れていって、ください」
その返事を受けて、ルドガーは逸る気持ちを抑えながら、ヴィルヘルミーナをエスコートしてできるだけゆっくりと廊下を歩いた。
部屋についてしまえば、きっとすぐに押し倒してしまうだろう。この後の段取りについて色々と考えていたはずだが、いざヴィルヘルミーナを目の前にすると、ルドガーは冷静でなどいられない。だからせめて、部屋に着くまでの時間だけでも、ヴィルヘルミーナに覚悟を決める猶予を与えたかった。
(ヴィルヘルミーナは初めてだからな……)
既に何度も愛撫をしているし、ルドガーの肉棒を擦りつけたことだってある。だが、それと純潔を捧げることとは全く次元の違う緊張を強いられるだろう。何しろ、純潔を捧げてしまえば、真に嫁げる相手はルドガーしかいなくなるのだ。
それに、ルドガーは処女を相手にしたことがないが、破瓜はどんなに解していても一般的に痛いと聞く。シュルツ夫人のことだから、ヴィルヘルミーナに初夜の心得的なものを言い聞かせていることだろう。スキンシップに積極的な彼女が緊張の面持ちなのは、その痛みを恐れているのもあるに違いない。
(……夢中になって、腰を振らないようにしないと)
そんなことを考えているうちに、ルドガーたちは部屋に着いてしまった。
ベッドにサイドチェスト、そして書棚と小さなテーブルに椅子が二脚。殺風景とも言える部屋の中はメイドが先回りして寝仕度を整えてくれており、カーテンがぴったりと閉じられ、明かりは既にテーブルの上のランプのみだった。一緒に葡萄酒と軽食が用意されているのは、気遣いだろう。
いかにも、これから部屋の主が誰かを迎えて、そこで共に時間を過ごすという前提で、ご丁寧に杯は二個用意されている。
「……少し、飲むか?」
部屋の入り口に佇んだまま、固まってしまったヴィルヘルミーナの顔を窺って、ルドガーが尋ねる。
「いえ……」
ふるふると首を振ったヴィルヘルミーナは、エスコートのために組んだ腕に、ぎゅっと力を込めた。ルドガーは彼女を正面に向き直って抱き寄せると、頬に手を添えて、ヴィルヘルミーナの緑の目をまっすぐに見つめる。
「今からお前を抱くが、いいのか?」
ムードもへったくれもない。けれど、ヴィルヘルミーナは目を細めて微笑んだ。
「はい。……わたくしを、ルドガー様のものにしてください」
いじらしいおねだりをされて、たまらずルドガーは彼女の唇を奪う。軽く唇をついばんで気持ちを高めるなんてできなかった彼は性急に舌を差し込んだが、待っていたかのように舌が絡んできて、ちゅくちゅくと唾液が二人の唇を濡らす。
「ん、んん」
舌を絡めて夢中で吸い合い、ルドガーの手は無意識に彼女の腰へと伸びる。今夜の彼女の装いは、以前ルドガーを誘惑してきたのと同じタイプのドレスだった。秋という季節に合わせて長袖ではあるものの薄衣を重ねてコルセットを排除したドレスは、服越しに身体を撫でてもしなやかな身体のカーブが判りやすい。柔らかく弾力のある尻を撫でまわしていると、やがてヴィルヘルミーナの身体から力が抜けてきて、とろけた彼女が助けを請うように、きゅ、と服を掴んだ。唇を離せば気持ち良さで潤んだ目のヴィルヘルミーナと目が合って、ルドガーは笑んだ。
「ベッドに行こう」
囁いたルドガーはヴィルヘルミーナを横抱きにして歩き、ベッドにゆっくりと彼女の身体を下ろした。そうして自分も、ベッドに乗り上げ、ヴィルヘルミーナを組み敷く。
普段自分が寝ているベッドに、ヴィルヘルミーナが横たわっている。見下ろした彼女は、暗い寝室の中でも、美しい緑の瞳がきらめいて見える。ランプの薄明りでオレンジに照らされたキャラメル色の髪は、婚約のときのテラスを彷彿とさせた。彼女に嫌われて逃げられたあの夜と違って、これからのことを受け入れてくれるのだろう。あのとき脳内に描いた妄想が、今から現実になるのだ。
(……本当に、これでいいのか?)
不意に、ルドガーは心配になった。
彼に抱かれるために大人しくベッドに横になっているヴィルヘルミーナは、確かに『ヴィルヘルミーナ・シュルツ』で、ルドガーの婚約者だ。今から彼女の初めてをもらうのだって、泊まりを了承した時点で彼女も覚悟の上だろうし、彼女の母親だって後押しをしている。
けれど、今、ここにいる彼女は『あなたと婚約なんかしたくなかった』と言ったヴィルヘルミーナではない。
そのことが急に、ルドガーの胸を衝く。
「ルドガー様……?」
急に止まってしまったルドガーに、どうしたのかとヴィルヘルミーナが声をかける。
「ミーナ……」
そっと彼女の頬に手を添えると、彼女はすぐにその手に自分の手を重ねて、ルドガーの言葉を待ってくれる。その仕草がまた、記憶を失う前のヴィルヘルミーナとは違う反応でルドガーは胸が詰まる。
「今さらになって言うのは、卑怯だと思う。だが、言わせてくれ」
「どうしたんですか?」
急にトーンの下がったルドガーにきょとんとしたヴィルヘルミーナは、頬の手を離さないままに聞く。
「俺は……いや、お前が記憶を失う前」
「はい」
「ヴィルヘルミーナ、お前は俺のことを嫌っていたんだ」
自分で言いながら、ルドガーは苦しくなる。婚約したくなかった、とはつまりはそういうことだろう。
「……はい?」
きょとんとしたままのヴィルヘルミーナが、わずかに眉間に皺を寄せる。
「あの……何かの間違いでは?」
「いいや。本当だ」
きっぱりと断言したルドガーに、ヴィルヘルミーナは少し考えるような顔になる。
「隠していてすまない。……もし、お前の記憶が戻ったとき、嫌いな俺に抱かれたことを知ったら、きっと……『ヴィルヘルミーナ』は嫌がるだろう……? 俺は、お前にこれ以上嫌われるのは、耐えきれない」
もともと卑怯を覚悟で、記憶が戻っても離れられないくらいに口説き落してやろうと思っていたにも関わらず、今更になってルドガーは怖気づいたのだ。今は目の前で頬を染めて笑ってくれる彼女だが、このまま肌を重ねたとしたらきっとヴィルヘルミーナは『騙して処女を奪うなんて最低』だと罵るだろう。そんな姿が容易に想像できる。記憶をなくした彼女と相思相愛になり、気持ちに応えてくれる幸福を知ってしまった今、わずかにでも彼女に嫌悪の感情を向けられることなど、耐えられそうにない。
ルドガーは心痛に顔を歪め、ヴィルヘルミーナの言葉を待つ。しかし、彼女はそんなルドガーの告白に、なぜだか、ふふっと笑った。
「ルドガー様は意外と心配性なんですね。知りませんでした」
嬉しそうに笑ったヴィルヘルミーナは、腕を伸ばすとルドガーの首を引き寄せて、軽く唇を重ねる。
「大丈夫ですよ。わたくしはルドガー様が好きです。今も、昔も、ずっと」
「しかし」
「わたくしがルドガー様を嫌うなんて、ありえません。記憶を失ってからのわたくしに、ルドガー様は真摯に向き合ってくれたじゃありませんか。もう、何回惚れなおしたか判らないくらいなんですから」
「ミーナ……」
情けなく眉尻の下がったルドガーに、ヴィルヘルミーナの唇がもう一度重なる。
「それに」
言葉を切ったヴィルヘルミーナは、それまでの優しい笑みから変わって、悪戯っぽい表情になる。
「もしわたくしの記憶が戻って、万が一『嫌い』って言っても、ルドガー様はわたくしをまた惚れなおさせてくださるでしょう?」
挑発的な言葉だが、それは絶大なルドガーへの信頼だった。そして、こんな風に挑発してくるのは、記憶を失う前のヴィルヘルミーナも同じだった。
「……ああ、そうか」
呆然としながら、ルドガーは呟く。
嗜好や癖、ちょっとした仕草、そして物事の捉え方など、ヴィルヘルミーナは記憶を失う前と変わらない。それは記憶をなくした彼女を初めて見舞った時に気付いていたことなのに、怖気づいたルドガーはそんなことも忘れていたらしい。
自分にまつわることも、ルドガーに対しての気持ちも忘れていても、ヴィルヘルミーナは、ヴィルヘルミーナだ。
「そうだな。……俺は、何度でもお前を口説くよ」
「お願いします」
柔らかい表情になったヴィルヘルミーナに、ルドガーはほっとして、唇を重ねる。
「こんな情けない男で申し訳ないが、俺に抱かれてくれるか?」
本日二度目の伺いをたてて、ルドガーはその答えを聞く前に、また唇を吸う。絡める舌に応える熱が、彼女の答えだった。
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