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2.初恋の彼
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リディは落ちた意識の中で、昔の夢を見ていた。
それはまだ、彼女が第二の性に目覚めていない少女のころのことだ。
その日は祭りの日で、リディはお忍びでメイドたちにお祭りに連れてきてもらっていた。はぐれてはなりませんよ、と言われていて、リディだってしっかりそのつもりだったのに、大道芸に見惚れている間にメイドを見失ってしまったのだ。
「ばうっ!」
「きゃあっ!」
しかも、犬が追いかけてきた。ただじゃれつこうとしてきただけかもしれないが、大型犬が吼えれば、小柄なリディは逃げるしかない。結果として、彼女は人ごみの中で迷子になってしまった。
(どうしよう、どうしよう……)
犬はしつこく追いかけてきて、裏路地に逃げ込んで樽の上によじのぼって震えるリディに向かって、なおも吼え続けてくる。目をぎゅうっと閉じて、リディは犬がどこかにいってくれるのを必死に祈った。
「こらっ」
そこに響いたのは少年の声である。
「女の子を泣かせちゃだめだろう」
「くぅん……」
「悪いな、うちの犬が逃げ出したみたいだ。大丈夫?」
優しい声に恐る恐る目をあければ、黒い髪の少年が快活に笑って手を差し出していた。
「……だ、だいじょうぶ……」
「降りれる?」
「え、ええと……」
「なんだ、しょうがないな」
いくらも年齢は変わらないはずなのに、少年は笑ってリディの身体をやすやすと抱え、樽から降ろしてくれる。その浮遊感に驚いて、リディは小さく声をあげた。
「可愛いな、お前」
「あ、あの助けてくれて、ありがとう」
思いがけない言葉に頬を赤らめながらも、リディはお礼を言うと、少年ははにかんだ。そうして、少年は大通りまで連れていってくれて、リディがメイドと再会できるまで一緒にいてくれた。別れ際になって名前を聞いていなかったことに気づいたリディは、焦って彼に尋ねる。
「また会えるかな? あなたの名前は?」
「俺? ん-、ジェイだよ。また会えたらな」
そう言って手を振って、少年――ジェイは去っていった。それから何度かジェイには街中で偶然会うことがあったが、何年か前を境に会えなくなっていたのだ。だが、彼のことをリディは鮮明に覚えている。なぜならジェイが、リディの初恋だったのだから。
***
(懐かしい夢……)
「ジェイ……」
目を閉じたまま、ぽつりとリディは呟く。
「呼んだか?」
降ってきた声に驚いて、ぱちっとリディが目を開けば、そこは見覚えのない寝室だった。それに、黒髪の男性が覗き込んでいる。その緑の瞳に見つめられて、リディは気を失う前に何が起きたのかを思い出す。
(なんてことなの……!?)
朦朧とした意識の中で身体を愛撫されていた感触が蘇って、リディはかあっと頬を赤らめた。
「あの、私……!」
ぱっと身体を起こそうとした彼女を、そばにいたメイドが押しとどめた。
「まだおやすみになられていてください」
布団をかけなおされて、リディはベッドに再び横になる。幸いにして服は着ていたが、見合いのときに会場で着ていたのとは違うドレスに着替えさせられていることに気がついたリディは、ぎくりとした。着替えはメイドがしたのだろうが、あの痴態のあとを、誰かに知らないうちにみられたのだ。部屋のカーテンは占められていて、寝室には灯りがともされている。長い時間気を失っていたような錯覚を覚えたが、実のところさほど長くはなかったらしい。
「アンベール家には連絡をしてある。今日はうちで休んで行くといい。正式な婚約の申し込みは後日になるが、お前は俺の……」
「ちょっと、まだそれは決まってないでしょ。あと、ジェラルド。近いよ」
むっとした声が重なって、リディは部屋の中にもう一人いるのに気づく。同じく黒髪の男がベッドに近づいてきて、にこにこと話しかける。
(なんだか……この部屋暑いわ……)
話を聞きながら、見合い会場のときのように、リディは軽い眩暈を覚える。
「リディ。記憶が曖昧かもしれないから、もう一回自己紹介しておくね。僕はガエル・ペロー。そっちはジェラルド」
「ジェイ……あの、ジェラルドさん、私たち、会ったことありますよね?」
「ああ、その話の途中だったな。久しぶりだな、リディ。元気だったか?」
明るく笑ったジェラルドに、リディの胸が高鳴る。先ほどの夢も相まって、初恋の人に再会できた喜びが身体を包んだ。
(やっぱり……ジェラルドさんは、ジェイだったんだわ……!)
顔はガエルもそっくりだが、この明るい笑い方に、喋り方で、ジェラルドに間違いないとリディは思う。
「ふぅん……二人は会ったことがあるんだ?」
「あ、はい。ガエルさん。小さいときに何度か……」
そう答えながらガエルを見た瞬間に、リディの脳裏に気を失う前の痴態が思い出される。
(わ、私、ガエルさんに……!)
明らかに不満そうなガエルだったが、頬を赤らめて目を逸らしたリディの様子に、ぱっと顔を笑ませて「まあいっか」と言う。
(どうして、どうして私……あんなはしたないことしちゃったの?)
「リディに会えて嬉しいよ」
両頬を押さえて俯いたリディの頭に、ジェラルドの声がかけられる。その言葉で、羞恥に染まっていた心がじんわりと温かくなる。
「あ……私も、ジェラルドさんに会えて、嬉しいです……」
はにかんだリディの言葉に、ジェラルドも微笑んだ。だが、その二人の空気を裂くように、ガエルは割り込む。
「さっきのジェラルドの話だけどさ、僕かジェラルド、どっちかとリディは婚約することになるから、そのつもりでいてね。どっちになるかはまた調べようと思ってるんだけど……」
「どっちかじゃなくて、俺の婚約者だ」
「もう、ジェラルドが気が早いなあ。僕と双子なのに、どうしてそうせっかちなの。僕を見習ってよ」
「お前なんか見習えるか、胡散臭い」
二人のやりとりに、リディはやっと得心する。
(双子だからこんなに似てるのね。でも……)
顔立ちが似てるのに、二人の言動はちっとも似ていない。だが、今の問題はそこではなかった。
「じゃあ、リディはもう少し休んだほうがいいだろうし、僕たちはいったん出るよ。ジェラルド、行こう」
「……わかった」
「ちょっと待ってください!」
ベッドから離れて行こうとしたジェラルドの腕を、リディがつかむ。
「どうして、いきなり婚約なんて話になるんですか? あ、あの、お試しで肌を合わせるのは、あの見合いではよくあるって聞いてましたけど……」
「ああ。そうじゃなくて」
説明してなかった、という顔でガエルが笑う。
「リディはね」
「俺の運命の番だからだ」
「僕の運命の番かもしれないからだよ」
双子の声が重なって、リディは言葉を失う。
「運命の、番……?」
それはアルファとオメガの中でも、相性がよくこの世にたった一人しかいないと言われている。この国で行われるアルファとオメガの見合いですらなかなか見つからないというそれは、触れた瞬間に、身体でわかるのだという。
それはリディが頭で理解するよりも早く、身体はしっかりとわかってしまっているらしい。
「あ……、わたし……」
とくんとくんと心臓が高鳴って、羞恥で染まっていたはずの頬が火照り、じんわりと身体が熱くなる。
「まずいね、また発情してる」
「見ろ、俺に触って発情したんだから、やっぱりリディは俺の番だろう」
「うるさいよ、ジェラルド。それより一日に二回も発情してたらリディの身体がきついはずだ。発散させるより、隔離して薬をあげたほうがいい」
ガエルはメイドに目配せすると、ジェラルドの腕をつかんだままのリディの手にそっと触れる。
「リディ、ごめんね。気持ちいいのはおあずけ。だから離して?」
「んんっ」
呻いて声を漏らしたリディがジェラルドの腕を離したのを見届けて、ガエルはリディに触れていた手を離す。
「……あとは頼めるね?」
「はい」
忠実なメイドはお辞儀をして、リディの確認を始める。
「あ、あああ……っ」
(私が、運命の、番……?)
早鐘を打って快楽を求める身体に呼吸を荒くしながら、リディは部屋を出て行く二人を見送るしかできなかった。そうしてその夜、リディはメイドの介抱によって薬を飲み、なんとか発情を押さえ込んだのだった。
それはまだ、彼女が第二の性に目覚めていない少女のころのことだ。
その日は祭りの日で、リディはお忍びでメイドたちにお祭りに連れてきてもらっていた。はぐれてはなりませんよ、と言われていて、リディだってしっかりそのつもりだったのに、大道芸に見惚れている間にメイドを見失ってしまったのだ。
「ばうっ!」
「きゃあっ!」
しかも、犬が追いかけてきた。ただじゃれつこうとしてきただけかもしれないが、大型犬が吼えれば、小柄なリディは逃げるしかない。結果として、彼女は人ごみの中で迷子になってしまった。
(どうしよう、どうしよう……)
犬はしつこく追いかけてきて、裏路地に逃げ込んで樽の上によじのぼって震えるリディに向かって、なおも吼え続けてくる。目をぎゅうっと閉じて、リディは犬がどこかにいってくれるのを必死に祈った。
「こらっ」
そこに響いたのは少年の声である。
「女の子を泣かせちゃだめだろう」
「くぅん……」
「悪いな、うちの犬が逃げ出したみたいだ。大丈夫?」
優しい声に恐る恐る目をあければ、黒い髪の少年が快活に笑って手を差し出していた。
「……だ、だいじょうぶ……」
「降りれる?」
「え、ええと……」
「なんだ、しょうがないな」
いくらも年齢は変わらないはずなのに、少年は笑ってリディの身体をやすやすと抱え、樽から降ろしてくれる。その浮遊感に驚いて、リディは小さく声をあげた。
「可愛いな、お前」
「あ、あの助けてくれて、ありがとう」
思いがけない言葉に頬を赤らめながらも、リディはお礼を言うと、少年ははにかんだ。そうして、少年は大通りまで連れていってくれて、リディがメイドと再会できるまで一緒にいてくれた。別れ際になって名前を聞いていなかったことに気づいたリディは、焦って彼に尋ねる。
「また会えるかな? あなたの名前は?」
「俺? ん-、ジェイだよ。また会えたらな」
そう言って手を振って、少年――ジェイは去っていった。それから何度かジェイには街中で偶然会うことがあったが、何年か前を境に会えなくなっていたのだ。だが、彼のことをリディは鮮明に覚えている。なぜならジェイが、リディの初恋だったのだから。
***
(懐かしい夢……)
「ジェイ……」
目を閉じたまま、ぽつりとリディは呟く。
「呼んだか?」
降ってきた声に驚いて、ぱちっとリディが目を開けば、そこは見覚えのない寝室だった。それに、黒髪の男性が覗き込んでいる。その緑の瞳に見つめられて、リディは気を失う前に何が起きたのかを思い出す。
(なんてことなの……!?)
朦朧とした意識の中で身体を愛撫されていた感触が蘇って、リディはかあっと頬を赤らめた。
「あの、私……!」
ぱっと身体を起こそうとした彼女を、そばにいたメイドが押しとどめた。
「まだおやすみになられていてください」
布団をかけなおされて、リディはベッドに再び横になる。幸いにして服は着ていたが、見合いのときに会場で着ていたのとは違うドレスに着替えさせられていることに気がついたリディは、ぎくりとした。着替えはメイドがしたのだろうが、あの痴態のあとを、誰かに知らないうちにみられたのだ。部屋のカーテンは占められていて、寝室には灯りがともされている。長い時間気を失っていたような錯覚を覚えたが、実のところさほど長くはなかったらしい。
「アンベール家には連絡をしてある。今日はうちで休んで行くといい。正式な婚約の申し込みは後日になるが、お前は俺の……」
「ちょっと、まだそれは決まってないでしょ。あと、ジェラルド。近いよ」
むっとした声が重なって、リディは部屋の中にもう一人いるのに気づく。同じく黒髪の男がベッドに近づいてきて、にこにこと話しかける。
(なんだか……この部屋暑いわ……)
話を聞きながら、見合い会場のときのように、リディは軽い眩暈を覚える。
「リディ。記憶が曖昧かもしれないから、もう一回自己紹介しておくね。僕はガエル・ペロー。そっちはジェラルド」
「ジェイ……あの、ジェラルドさん、私たち、会ったことありますよね?」
「ああ、その話の途中だったな。久しぶりだな、リディ。元気だったか?」
明るく笑ったジェラルドに、リディの胸が高鳴る。先ほどの夢も相まって、初恋の人に再会できた喜びが身体を包んだ。
(やっぱり……ジェラルドさんは、ジェイだったんだわ……!)
顔はガエルもそっくりだが、この明るい笑い方に、喋り方で、ジェラルドに間違いないとリディは思う。
「ふぅん……二人は会ったことがあるんだ?」
「あ、はい。ガエルさん。小さいときに何度か……」
そう答えながらガエルを見た瞬間に、リディの脳裏に気を失う前の痴態が思い出される。
(わ、私、ガエルさんに……!)
明らかに不満そうなガエルだったが、頬を赤らめて目を逸らしたリディの様子に、ぱっと顔を笑ませて「まあいっか」と言う。
(どうして、どうして私……あんなはしたないことしちゃったの?)
「リディに会えて嬉しいよ」
両頬を押さえて俯いたリディの頭に、ジェラルドの声がかけられる。その言葉で、羞恥に染まっていた心がじんわりと温かくなる。
「あ……私も、ジェラルドさんに会えて、嬉しいです……」
はにかんだリディの言葉に、ジェラルドも微笑んだ。だが、その二人の空気を裂くように、ガエルは割り込む。
「さっきのジェラルドの話だけどさ、僕かジェラルド、どっちかとリディは婚約することになるから、そのつもりでいてね。どっちになるかはまた調べようと思ってるんだけど……」
「どっちかじゃなくて、俺の婚約者だ」
「もう、ジェラルドが気が早いなあ。僕と双子なのに、どうしてそうせっかちなの。僕を見習ってよ」
「お前なんか見習えるか、胡散臭い」
二人のやりとりに、リディはやっと得心する。
(双子だからこんなに似てるのね。でも……)
顔立ちが似てるのに、二人の言動はちっとも似ていない。だが、今の問題はそこではなかった。
「じゃあ、リディはもう少し休んだほうがいいだろうし、僕たちはいったん出るよ。ジェラルド、行こう」
「……わかった」
「ちょっと待ってください!」
ベッドから離れて行こうとしたジェラルドの腕を、リディがつかむ。
「どうして、いきなり婚約なんて話になるんですか? あ、あの、お試しで肌を合わせるのは、あの見合いではよくあるって聞いてましたけど……」
「ああ。そうじゃなくて」
説明してなかった、という顔でガエルが笑う。
「リディはね」
「俺の運命の番だからだ」
「僕の運命の番かもしれないからだよ」
双子の声が重なって、リディは言葉を失う。
「運命の、番……?」
それはアルファとオメガの中でも、相性がよくこの世にたった一人しかいないと言われている。この国で行われるアルファとオメガの見合いですらなかなか見つからないというそれは、触れた瞬間に、身体でわかるのだという。
それはリディが頭で理解するよりも早く、身体はしっかりとわかってしまっているらしい。
「あ……、わたし……」
とくんとくんと心臓が高鳴って、羞恥で染まっていたはずの頬が火照り、じんわりと身体が熱くなる。
「まずいね、また発情してる」
「見ろ、俺に触って発情したんだから、やっぱりリディは俺の番だろう」
「うるさいよ、ジェラルド。それより一日に二回も発情してたらリディの身体がきついはずだ。発散させるより、隔離して薬をあげたほうがいい」
ガエルはメイドに目配せすると、ジェラルドの腕をつかんだままのリディの手にそっと触れる。
「リディ、ごめんね。気持ちいいのはおあずけ。だから離して?」
「んんっ」
呻いて声を漏らしたリディがジェラルドの腕を離したのを見届けて、ガエルはリディに触れていた手を離す。
「……あとは頼めるね?」
「はい」
忠実なメイドはお辞儀をして、リディの確認を始める。
「あ、あああ……っ」
(私が、運命の、番……?)
早鐘を打って快楽を求める身体に呼吸を荒くしながら、リディは部屋を出て行く二人を見送るしかできなかった。そうしてその夜、リディはメイドの介抱によって薬を飲み、なんとか発情を押さえ込んだのだった。
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