上 下
33 / 84
【フラグ折りも楽じゃない】

腕が鳴りますわ

しおりを挟む
「お話は判りましたわ。でも、それって本当にアビゲイルさんが悪いのかしら?」

「そうだよね、聞く限り、アビゲイルが悪い訳じゃなくない?」

 テレンシアが言うのに私も頷いた。しかし、アビゲイルはそれには頷けないらしい。ふるふると首を振った。 

「でででも、私がこ、転んだりしなければ……傷物の責任を、ぐ、グランツが取らされることも……」

 彼女の言葉で、しん、と部屋が静まる。

「ねえ、失礼ですけれど、傷跡を見せて下さる?」

「……い、いいですよ」

 不躾と言えるテレンシアの要求に、アビゲイルはぴくりと震えたが、素直に頷いた。彼女は眼鏡を外してから、そっと額が見えるように前髪をかきあげた。

 額の右側からこめかみにかけて、うっすらとではあるが大きな傷跡がある。だがそれ以上に目立つのは、彼女の美貌だ。

「あら……」

 テレンシアが口に手をあてて声をあげる。それは、アビゲイルの美しさについてあげられた感嘆の声だろう。でもアビゲイルはそうは取らなかったらしい。

「すすすみません、み、見苦しいものをお見せして」

「貴女、とても綺麗な顔をしてたのね」

 アビゲイルが慌てて顔を隠したのと、テレンシアが言うのは同時だった。

「え?」

「テレンシアもやっぱりそう思う? 綺麗だよね、アビゲイルの顔!」

 意見が同じなのが嬉しくなって、私の声が弾む。

「前にちらっと見えただけだったんだけど、絶対顔出したほうがいいと思うんだよね!」

 拳を握って力説すると、テレンシアもコクリと頷く。

「な、何をおっしゃってるんです、お、おふたりとも」

「失礼しますわね」

 アビゲイルの前髪をかき分けて、テレンシアはまじまじと傷跡を見つめる。

「この程度の傷でしたら、お化粧で隠せますわよ。随分薄いですもの」

「え……?」

 信じられない、という顔でアビゲイルは声をあげる。

「もしかして鏡、見てないの? 待ってね」

 私はドレッサーから手鏡を取ってきて、アビゲイルに見せる。

「ほら」

 鏡に映った自分を見て、アビゲイルは驚いたように目を見開いた。

 きっと、彼女は自分の顔についた傷跡を受け入れられなくて、鏡を見ることをやめてしまったのだろう。前髪を降ろしておけば、うっかり鏡を見てしまってもその傷を見ることはない。長年そうして過ごしてきたから、傷跡が薄くなっていることに気付かなかったに違いない。

「おしろいを少し塗れば隠れるんじゃないかしら」

 私はドレッサーの引き出しから、おしろいを持ってくる。

「そうですわね」

 とんとん、と軽くアビゲイルの額に乗せただけで、傷跡はほとんど見えなくなる。間近で見れば判るだろうが、遠目ならほとんど気付かないだろう。

「どう? アビゲイル」

「……こ、こんな……」

 じわじわとアビゲイルの目に涙が溜まっていく。泣かせたいわけじゃないんだけどなあ。

「傷が気になって隠してるなら、化粧でどうにかできるんだし、顔出そうよ」

「だめです!」

 アビゲイルは前髪を乱暴に戻して、顔を隠してしまった。手を振り払われたテレンシアは、「あら」と小さな声をあげて手をさする。

「わわ、私の、か、顔が見えるようにするなんて……み、見えづらくても、き、傷が……ぐ、グランツに見られ、たら……また、グランツを、き、傷つけ……」

 アビゲイルは、グランツのために顔を隠してたのか……。

「そんなにその傷を隠したいなら、前髪で野暮ったく隠す以外の方法をしたらいかがかしら」

 突如として、呆れたようにテレンシアが言う。

「な、なんでテレンシア様に、そ、そんなこと……」

「アビゲイルさん、貴女、幼馴染さんのことを随分気にしていらっしゃるようですけれど、幼馴染さんのことを好きではないんでしょう?」

「そ、そうですけど……」

 滲みかけていた涙が止まって、アビゲイルは戸惑っている。

「それに、貴女は幼馴染さんをその傷で縛り付けるのは申し訳なく思っていて、できれば解放して差し上げたいと願っている。そうではありませんの?」

「は、いや、え……?」

 おどおどとしながら、アビゲイルは歯切れの悪い返事をする。

「でしたら、アビゲイルさんは別の結婚相手を探すべきではなくて?」

「そ、そんなこと、で、できません」

「あら、どうして? 貴女の顔は美しいもの、きちんと髪を整えてその顔を見せれば、いくらでも求婚者は現れるはずよ。貴女が別の方と婚約できれば、幼馴染さんは晴れて自由の身なのではなくて?」

 にっこりと微笑んだテレンシアは、とても意地悪そうに言う。

「で、でも……」

「何がだめなのかしら?」

 高圧的に言うテレンシアに、アビゲイルは俯いた。

「幼馴染さんのことについて、傷跡のことで迷惑をかけてると思ってらっしゃるみたいですが、わたくしからすれば、どっちもどっちですわね。きっかけは従者を連れずに出かけたグランツさんは悪いですし、注意を払わず走った貴女も悪いんでしょう。でもどれもこれも幼い子供にありがちな、不幸な事故ですわ。まあ、わたくしたちは貴族の子女ですし、身体に傷があれば、縁談を結びにくいというのも理解できます。ですから、その幼馴染さんが縁談に縛られるのは仕方のないことですわ。ですけれど、その後、彼がお世辞にも品行方正に振舞えなかったのは、別に貴女の責任ではなくてよ。もちろん、彼がご両親に厳しくされていることも。だってそうでしょう? 政略結婚は貴族の務め、それに従えない人の方がおかしいのですわ。貴女は悪くないのですから、貴女が彼と結婚するつもりがないのでしたら、彼との関わりなんて絶っておしまいなさい。そして、婚約者を探せばいいんですわ」

 応えようとしないアビゲイルに、テレンシアは一方的にまくしたてる。それはヒロインを虐める悪役令嬢そのままの表情だ。けれど、違和感がある。

「……ねえ、テレンシア。わざとそういう言い方するのやめようよ」

 はあ、と溜め息を吐いて私が言うと、テレンシアはふふっと笑いだした。

「あら、クレア様にはバレていましたの?」

 テレンシアは面白そうに笑って言う。

「いや、だっていつもと雰囲気違いすぎるし……」

「どう違ったかしら? わたくし、いつもと同じだと思うのだけれど……」

「もっとフワっとしてるかな、いつもは」

「そんな風にわたくしのことを評する方は、クレア様だけね」

 クスクスと笑い合っていると、アビゲイルがぽかんとしてこちらを見ていた。

「ああ、ごめんごめん。アビゲイル。でも、あんまりアビゲイルが素直じゃないから」

「そうですわ、全身で好きだって訴えておきながら、幼馴染さんのこと好きじゃないなんておっしゃるから、ついからかいたくなったんですの」

「え、え……?」

 私とテレンシアを見比べながら、アビゲイルは訳が判らないという風だ。

「……アビゲイルはさ、縛り付けるのは申し訳ないと思ってても、それでも彼の側にいたいんでしょう? 本当は」
 私が聞くと、アビゲイルはびくりと震えた。

「わ、私は……好きなんか、じゃ……」

「本当に?」

「……グランツのこと……す、好きです……」

「うん……」

 そうこぼしたアビゲイルの手を、私はそっとなでる。何か尋問をして無理やり吐かせたみたいで申し訳ないな。いやその通りなんだけど。

「なら、なおさら綺麗になさいな」

「ど、どうしてですか?」

「好いた相手には一番きれいな自分を見てもらうべきよ」

 テレンシアは優しく微笑んだ。悪役令嬢の高圧説教から、天使のスマイルの落差凄い、ドキドキしちゃうね。

「そ、そんな……わ、私がそんなことして、も……」

「口答えは許しませんわ、貴女は綺麗になってもらうことにします」

 一転して、再び悪役令嬢顔に戻ったテレンシアはぴしゃりと言う。

「貴女、長年容姿を磨くことに気を使ってなかったでしょう。安心なさって? 美しく見せるのには自信があります。まずはその野暮ったい前髪……それからださい眼鏡をどうにかいたしましょう」

 容赦なくアビゲイルの容姿にだめだしをするアビゲイル。そうそう、これがしたくてこの部屋に案内したんだよね!

「テレンシア、ドレッサーの道具は好きに使って!」

「腕が鳴りますわ」

 そう言ったテレンシアは、悪役令嬢と呼ぶにふさわしい悪そうな笑顔だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小説主人公の悪役令嬢の姉に転生しました

みかん桜(蜜柑桜)
恋愛
第一王子と妹が並んでいる姿を見て前世を思い出したリリーナ。 ここは小説の世界だ。 乙女ゲームの悪役令嬢が主役で、悪役にならず幸せを掴む、そんな内容の話で私はその主人公の姉。しかもゲーム内で妹が悪役令嬢になってしまう原因の1つが姉である私だったはず。 とはいえ私は所謂モブ。 この世界のルールから逸脱しないように無難に生きていこうと決意するも、なぜか第一王子に執着されている。 そういえば、元々姉の婚約者を奪っていたとか設定されていたような…?

【完結】悪役令嬢のトゥルーロマンスは断罪から☆

白雨 音
恋愛
『生まれ変る順番を待つか、断罪直前の悪役令嬢の人生を代わって生きるか』 女神に選択を迫られた時、迷わずに悪役令嬢の人生を選んだ。 それは、その世界が、前世のお気に入り乙女ゲームの世界観にあり、 愛すべき推し…ヒロインの義兄、イレールが居たからだ! 彼に会いたい一心で、途中転生させて貰った人生、あなたへの愛に生きます! 異世界に途中転生した悪役令嬢ヴィオレットがハッピーエンドを目指します☆  《完結しました》

モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~

咲桜りおな
恋愛
 前世で大好きだった乙女ゲームの世界にモブキャラとして転生した伯爵令嬢のアスチルゼフィラ・ピスケリー。 ヒロインでも悪役令嬢でもないモブキャラだからこそ、推しキャラ達の恋物語を遠くから鑑賞出来る! と楽しみにしていたら、関わりたくないのに何故か悪役令嬢の兄である騎士見習いがやたらと絡んでくる……。 いやいや、物語の当事者になんてなりたくないんです! お願いだから近付かないでぇ!  そんな思いも虚しく愛しの推しは全力でわたしを口説いてくる。おまけにキラキラ王子まで絡んで来て……逃げ場を塞がれてしまったようです。 結構、ところどころでイチャラブしております。 ◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆  前作「完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい」のスピンオフ作品。 この作品だけでもちゃんと楽しんで頂けます。  番外編集もUPしましたので、宜しければご覧下さい。 「小説家になろう」でも公開しています。

【完結済】冷血公爵様の家で働くことになりまして~婚約破棄された侯爵令嬢ですが公爵様の侍女として働いています。なぜか溺愛され離してくれません~

北城らんまる
恋愛
**HOTランキング11位入り! ありがとうございます!** 「薄気味悪い魔女め。おまえの悪行をここにて読み上げ、断罪する」  侯爵令嬢であるレティシア・ランドハルスは、ある日、婚約者の男から魔女と断罪され、婚約破棄を言い渡される。父に勘当されたレティシアだったが、それは娘の幸せを考えて、あえてしたことだった。父の手紙に書かれていた住所に向かうと、そこはなんと冷血と知られるルヴォンヒルテ次期公爵のジルクスが一人で住んでいる別荘だった。 「あなたの侍女になります」 「本気か?」    匿ってもらうだけの女になりたくない。  レティシアはルヴォンヒルテ次期公爵の見習い侍女として、第二の人生を歩み始めた。  一方その頃、レティシアを魔女と断罪した元婚約者には、不穏な影が忍び寄っていた。  レティシアが作っていたお守りが、実は元婚約者の身を魔物から守っていたのだ。そんなことも知らない元婚約者には、どんどん不幸なことが起こり始め……。 ※ざまぁ要素あり(主人公が何かをするわけではありません) ※設定はゆるふわ。 ※3万文字で終わります ※全話投稿済です

【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。

樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」 大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。 はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!! 私の必死の努力を返してー!! 乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。 気付けば物語が始まる学園への入学式の日。 私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!! 私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ! 所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。 でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!! 攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢! 必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!! やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!! 必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。 ※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。 ※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。

【完結】異世界転生した先は断罪イベント五秒前!

春風悠里
恋愛
乙女ゲームの世界に転生したと思ったら、まさかの悪役令嬢で断罪イベント直前! さて、どうやって切り抜けようか? (全6話で完結) ※一般的なざまぁではありません ※他サイト様にも掲載中

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

処理中です...