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新たな記憶 ~ななつめ~
しおりを挟む「あんな格好..... 見たことない」
三人が後をつけているとも知らず、百香は街の明かりを縫って歩いていく。
絹のドレスシャツにシャープな黒のスラックス。足も踵のあるエナメルの黒いパンプスで、どう見ても普段着とは思えない。
髪を下ろして胸に赤いチーフを差したその姿は、一見、気の利いたバーテンダーのようである。
.....あんなに洒落めかした格好して、いったい何処へ? 誰と逢うのか。
三人がそれぞれ疑問を脳裏に浮かべていた矢先に、百香は心ぶれた路地裏へ入っていく。
「え?」
「こんな所に?」
薄暗い怪しげなシャッター街。何の衒いもなく歩く彼女を見て狼狽える幼馴染み二人を余所に、響は眼を見開いてある一点を見つめていた。
「..........まさか」
そう呟いた彼は、暗がりに消えた百香を追って、だっと駆け出していく。
「響っ?」
慌てて響を追いかけた二人は、彼が呆然と立ち竦んでいる姿に首を傾げた。
そこは地下に続く小汚ない階段。
「おい、響。なんだ? ここ」
「百香が..... いるかも」
階段を降りながら、響は慣れた手つきで通路奥のエレベーターに乗り込んだ。そこには2Bのボタンだけ。
当たり前のようにボタンを押す響。地下に到着した途端、幼馴染みの二人は扉の開いたエレベーターの外側に驚愕の眼を向けた。
一面に広がるのはシックな造りのロビー。広々とした空間に、赤と黒の紗々が掛けられ、大きなシャンデリアに照らされている。
仄暗く設定した明かりの中で談笑する身形の良い人々。
まるでパーティー会場か観劇場のようなロビーへ足を踏み入れ、響は受付カウンターに向かうと財布から取り出したカードを示す。
「.....三人だ」
「畏まりました」
言葉少なな受け答え。
受付の男性は響に鍵を渡し、傍に控えていた案内係が三人を観客席に案内した。
響が鍵を使って開けた部屋はボックス席。中二階にあたる席の下には幾つかの丸テーブルが見える。
ボックスのソファーに座り、飲み物の注文を入れ、深々と腰かける慣れた風情の響に幼馴染みの二人は剣呑な眼差しを向けた。
「ここは?」
「アンダー・ザ・ローゼ」
「何ですか?」
「...............」
黙りこくる響。さらに問おうとした拓真が口を開く前に、階下で舞台の幕が上がる。
音の洪水が溢れて、いきなり演奏が始まった。
「なんだ.....?」
バンドが演奏する中心には一人のサックス。緩急つけた繊細な演奏に、拓真の耳が奪われる。
優美な物腰で立ちつつも、額に煌めく幾つかの汗。熱のこもる音の濁流に、拓真は同じ音楽畠の血が騒いだ。
真剣な面持ちで舞台にのめり込む彼を見て、響が微かな笑みを浮かべる。
人を惹き付けてやまない氷の微笑。
「ここは..... 知る人ぞ知る高級クラブ。.....不定期開催。オーナーの.....お眼鏡にかなった奏者が見つかると.....開く社交場」
「やるな、あのサックス。見たことない顔だが」
.....こんな力量を持った奏者が埋もれていたとは。あれなら、俺が支援しても良い、いや、支援したい。
無意識にリズムを踏む拓真を眺めつつ、響は説明を続けた。
「ここの.....出演条件は。無名であること」
「こんなクラブがあるとは知らなかったよ。なんで教えてくれなかったんだ?」
怨めしげに藪睨みする拓真に溜め息をつき、ポツリポツリと響は言葉を紡いだ。
聞けば、このクラブメンバーは世襲制。八十年ほど前にクラブを設立した五人のオーナーによって運営されており、部外者には入れない。
人材発掘と趣味を兼ねた遊興場。長い月日に幾らかメンバーは増えたものの、ここに入場出来るカードは超プラチナカード。おいそれと手に入るモノではない。
そう説明して、息切れする響。
「血族.....にしか。.....扉は、開かない。.....俺の爺さんが、オーナーの一人」
五人のオーナーの血筋にしかカードは発行されないのである。金持ちの道楽の粋を極めた遊興場である。
響も生まれた時から、ここのメンバーになっていた。
ぐぬぬと唸る拓真。
「カード一枚で三人まで同行可能」
「なら、お前が連れてきてくれたら良かったじゃないかっ! 何で黙ってたんだよっ!」
「面倒。.....知ったら、お前、開催するたびに.....連れてけって言う。うん」
.....違いない。
図星を刺されて、ぐうの音も出ない拓真。
それを愉快そうに一瞥し、響は舞台に視線を振る。
あんな艶やかな姿の彼女が目指す先は、ここしか思い浮かばなかった。
このクラブは酔狂なメンバーが無名の新人にチャンスを与える登竜門。
世に埋もれそうな才能を見出だして、パトロンとなれそうな人々に紹介する場所だ。
なので開催されるのは非常に稀。ここに出演した新人には、すぐにパトロンがつきデビューしてしまうから。
開催される場合、メンバーに連絡が入るはずなのだが、今回、響にはそれが無かった。
今まで大して興味ない場所なので気にもしないが、百香が関わっているとあれば話が別である。
そうこうしているうちにサックスの演奏が観客の拍手と共に終わり、舞台が暗転すると今度は大きなグランドピアノが現れた。
思わず、ガタっと席から腰を浮かせる響。
.....やっぱり..........
グランドピアノの席に座るのは百香。
しなやかに指を操り、全身をつかって鍵盤の上を滑らせていく。
テンポの良い前奏から始まったのは、ラ・クンパルシータ。
響は無意識にソファーの手すりを掴み、愛しい少女の艶姿に魅入る。
.....ここに居た。
限界まで見開かれた彼の双眸。
無邪気に瞳を輝かせて鍵盤に指を叩きつけるその姿は、響の心に深く刻みつけられた奏そのものだった。
.....君は、ここに居た。
楽しい、嬉しいを全身で表現する美しい少女。流麗な調に溺れ、観客らをこれでもかと惹きつけ、百香の演奏が終わる。
一瞬の静寂の後に起こる怒涛の拍手。
それを無視して、響はボックス席から飛び出した。
「響っ?!」
駆け出した響を追って、拓真と阿月も飛び出していく。
響がやってきたのは舞台裏側の控え室。スタッフオンリーの立て札を蹴倒し、彼は爆走した。
しかし、さすがは高級クラブ。当然のごとく立ち塞がるのは警備員。
そこを突破すべく、響は足を踏み出した。
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