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追憶 ~後編~
しおりを挟む「こちらですっ」
王宮奥深く。侍女に連れられて大広間を抜けたあたりで、フィーアは下半身に違和感を感じる。
股間を伝う不快感。ダバダバと滴る液体を見た侍女らが悲鳴を上げた。
「破水??? こんな所では....っ、 あちらの部屋へっ」
慌てふためく侍女に案内されたのは料理人達が休憩や仮眠を取る控え室。
簡易的なベッドに横たわりながら、鈍く突き刺さるような痛みにフィーアは呻き声を上げる。
「陣痛も来られましたか? 時間がないわ、お湯を沸かして、綺麗な水と布をっ」
.....陣痛? これが....
度重なるショックに産気付いたらしい王妃は、燻る炎と漂う煙の中で出産に挑む事となった。
高まる緊張から陣痛の間隔は瞬く間に早くなり、数時間後には元気な産声が上がる。
「男の子でございますっ! 王子誕生ですっ!」
歓喜に彩られる侍女らを余所に、フィーアは王の事を考えていた。
.....せめて一目..... この子に会わせてあげたかった。
とめどなく流れる涙を拭い、フィーアは剣呑に眼をすがめる。
なんとしても生き延びなければ。この子を失うわけには絶対いかない。
侍女らと共に思案するフィーアは、けたたましい足音を耳にして、ばっと廊下の方へ目を向けた。
.....暴徒達だろうか?
思わず固まる室内の人々。その目の前で扉が蹴破られ、無意識に侍女らは王妃を守るかのよう周囲を取り囲む。
しかし、そこに現れたのは戦鎧のフルプレートを身にまとった男性。赤いマントは騎士団を示し、それを止める飾りに煌めいた艶やかな紋章は聖騎士の証。
「デリラス将軍っ!!」
あまりの安堵に眼を見張り、思わぬ援軍で侍女らの全身から力が抜ける。
「御無事でしたか、王妃様っ!!」
デリラスと呼ばれた男は真っ赤な髪に緑の瞳の大男。彼はその大きな体躯を屈め、王妃の前に跪いた。
王の元に向かおうとしていた彼は、煙に乗って聞こえてくる赤子の泣き声にひかれ、ここまでやってきたのだ。
.....まさか、王妃がおられるとは.... と言う事は....
彼は恐る恐る王妃が抱える赤子に視線を移した。その眼差しに気付き、フィーアは切なげに笑う。
「王子です。こんな時に生まれてしまって.... ある意味、幸運でした」
周囲の人々が怪訝そうに王妃を見つめる。
「デリラス将軍、貴方にこの子を託します」
揺らがぬ焔を瞳に宿し、王妃は真摯な眼差しで将軍を見据えた。
固唾を呑んで見守る侍女らの喉が、ひゅっと鳴り、誰もが信じられない面持ちで王妃を見つめている。
「なん....つ、馬鹿なっ、御二人とも御守りいたしますっ!!」
すがるような眼でデリラス将軍は王妃の前に進み出る。しかし王妃は緩く首を横に振った。
「わたくしは足手まといです。この子と貴方だけなら、追っ手からも逃げ延びられるでしょう」
「そんな事は....っ」
将軍は否定しようとしたが言葉が続かない。王妃の話は正しかったからだ。
出産を終えたばかりな産婦は動けない。安静にしておらねば、どうなるか。最悪、大出血を起こしかねないし、逃げるどころが歩くことすら覚束まい。
自分と赤子のみであれば、全力で走り追手から逃げ切れる。
そうと分かっていても将軍は動けなかった。この不遇の王妃を見捨てる決断を下せなかった。
苦悩に顔を歪める将軍を眺めながら、王妃は柔らかく視線を緩める。
.....優しい人だと思う。産後のわたくしが足手まといになるのは分かりきっているのに、諦め切れないのだろう。仕方がないのだ。今のわたくしは走るどころが歩く事すらままならないのだから。
ここで相手を思いやる時間はない。
「将軍、これは命令です。王子を連れて逃げなさい。願わくば身分を隠し、穏やかな未来を。この子を頼みましたよ」
命令という名の懇願。
情に流されている場合ではないと暗に察し、将軍は切なげに顔を歪めて頷いた。
そして赤子を受け取り深々と頭を下げると、彼は言葉もなく秘密通路に駆け出していく。
それを見送りながら、王妃は赤子の髪の毛を思い出した。
銀髪。特徴ある王家の色だ。あれだけでも、身分を隠しおおせるものではない。しかし将軍とてそのあたりは心得ているだろう。隣国に近い国境あたりまで逃げてくれるはずだ。
辺境の小さな村とかならば、王家の色など知りはしないだろうし、いざとなれば国境を超えて隣国に逃亡出来る。
.....わたくしが妊婦で魔力を封印していなければ、魔法を使って髪の色を変えてあげられたのに。
物憂げな嘆息を小さくつき、フィーアは侍女達を見上げた。
「貴女達もお逃げなさい。わたくしは歩く事も出来ないわ」
しかし侍女らは誰一人として傍を離れない。
「王妃様の擁護を。私達は、王妃様が民のために如何に努力なさっていたのか存じております。少しでも王妃様のお心が民に届くよう努力したく存じます」
泣き出しそうに悲痛な顔で願い出る侍女の背後には、暴徒達のけたたましい叫びが聞こえ始めていた。
王妃らが雪崩れ込んできた暴徒の手に落ちた頃。
デリラス将軍は脇目も振らずに通路を駆け抜ける。
懐に抱いた赤子が傷つかぬようにマントで厚くくるみ、一直線に出口を目指す彼。
そんな彼の前に一人の人影が立ちはだかった。
秘密の通路の存在に気づいた者がいたのだろう。フードを目深に被った人影は、容赦なく魔法を放ってくる。
強力な炎の魔法。
放たれた火炎は、瞬く間に将軍を火だるまにした。
「やった! 騎士を倒したぞっ!!」
歓喜に叫ぶフードの男の目の前で、突然、炎は霧散した。まるで何事も無かったかのように歩を進め、将軍はすがめた眼をギラリと輝かせる。
その鋭利な眼差しに思わずたじろぎ、魔術師らしき男は顔に驚愕を浮かべた。
「な...っ、馬鹿なっ」
往生際悪く何度も火炎を放ちながら、ようやく魔術師は目の前の騎士の正体に気づく。炎を霧散させ、撫でるようにかわす騎士。
そのような者は一人しか存在しない。
「聖騎士か....火の精霊王の守護を受けた!!」
「遅い」
次には将軍の手が魔術師の顔面を掴み、今まで魔術師が放った魔法全てを掌から顔面に打ち出した。
魔術師は声を上げる間もなく、一瞬で頭を消し炭にされる。
デリラスは魔法が使えるわけではない。ただ、焔の精霊王の守護を得ているため、焔を吸収し操れるに過ぎないのだ。
だがそれで十分。
彼は焔の飛沫を打ち払い、苦々しげな顔で迷路のような路をひた走る。
「ここが知られているとは.....王弟様か」
あちらには王家に列なる者が協力しているのだ。時間はない。
将軍は後ろ髪を引かれながらも隠し通路を駆け抜けて、一つ山を越えた岩影の洞窟から外に出た。
そのままさらに山を越え、頂上あたりで彼は恐る恐る背後を振り返る。
そこには夜目にも鮮やかに燃え上がる炎で彩られた王城が見えた。
「う....っ」
燃える王城に彼の人の面影が重なり、将軍は声もなく絶叫する。
慟哭にも似たそれは、涙の泡沫と共に森の中へ吸い込まれていった。
そして王都端まで駆け抜けた将軍は人目を避けて森に潜み、ようやく辿り着いた小さな村を遠目に確認すると、着ていた鎧や装備を森の池に投げ捨てる。
濁った池の深みに沈む装備と決別し、彼は一人の平民として生きる決意をした。
王の処刑は免れないとしても、王妃様が民に寄り添い尽くしていた事は周知の事実。今は激昂している民らも、落ち着けばその温情を正しく理解するだろう。何より王弟様がいる。
王弟は王妃様の行いに共感し感動されていた。何くれと手伝ってもいた。あの王弟様が王妃様を処刑するわけがない。
.....なれば、自分のする事は一つ。
.....いずれ親子の邂逅が叶うやもしれないのだ。
.....その日のために、この赤子を健やかに育て上げる事。自分の持てる全てを教え、導き、後に御母上と出逢えた時、恥ずかしくないよう立派に育て上げなくては。
デリラス将軍は名をデリラと改め、戦争難民に紛れて辺境へと向かった。
王妃が考えたとおり辺境には王家の色を知る者はおらず、内乱で妻を亡くして逃げ延びてきたと説明する将軍に、田舎の純朴な人々は親切な対応をしてくれる。
生まれたての赤子を連れていたせいもあるのだろう。
国境に近い村を選び、将軍は狩りを生業として村外れに居を構えた。
親切にしてくれる村人達のはからいもあり、赤子はスクスクと育ち、今では野山を駆け回るまでになっている。
あれから十年。王弟が即位して国は落ち着き、穏やかな日々が続いていた。
あれは起こるべくして起きた戦い。
最近ではそう思うようにもなった将軍。それだけ前国王陛下の圧政は酷いモノだったのだ。未だにこんな田舎の村でも口にのぼるくらいに。
そんな事も考えるようになった、ある日。
王都からの早馬が一枚の張り紙をしていった。
訝る村人らがたむろする張り紙を見て、将軍の顔が凍りつく。
そこには前王妃処刑の御触れが書かれていた。
.....彼の御方が処刑された??
愕然とする将軍は、ふらつく足取りで自宅前の畑に頽れる。
王弟が彼女を処刑するわけはない。しばし前から王弟の不調が噂されてはいたが、倒れたのだろうか? でなくば彼女を処刑などさせなかっただろう。
前王妃は塔に幽閉されていたと聞く。それが処刑された。
「王弟でないならば.....現王妃か。」
暗く澱む将軍の瞳には、遥か昔に置き去りにしてきたはずの騎士の矜持が甦っている。
今にも仇討ちに駆け出しそうだった彼だが、その勢いは背後から飛び付いてきた暖かい者に梳られた。
「父さん、お帰りっ!!」
飛び付いてきた暖かみに背中を押され、将軍の眼から涙が滴り落ちる。そして首にまとわりつく小さな手を掴み、絞り出すような声で呟いた。
「リィーア....」
母親と一文字違いの名前。いずれ出会った時、親子と気づけるよう付けた名前だった。
「どうしたの父さん、泣いてるの? 痛いの? 悲しいの?」
王族の証たる銀の髪と紫の瞳を持つ子供。
見る人が見れば一目瞭然。
王家の色は特別だ。片方だけでも十分な証になるのに、リィーアはその両方を持ち合わせていた。
小さな子供の手を握りしめ、デリラスは唇を戦慄かせる。おぞましくドス黒い憎悪が腹の奥から噴き上がっていた。
.....申し訳ありません、王妃様。私は約束を破ります。
《願わくば身分を隠し、穏やかな未来を》
彼の人の切なる願い。しかし復讐を望む激しい心の焔が、それを覆い尽くした。
.....私はこの子を王として育てます。いつか現国王夫妻を打倒出来るように。強く賢く....何者にも負けぬ王子に。この子が旗印となる時まで、大事に育て上げます。
そしていつか共に貴女の仇を討ちましょう。
不思議そうに自分を見上げるリィーアを抱き締め、将軍は復讐を誓う。
しかし彼は、その願いが叶う前に、自身の命運が尽きる事を知らなかった。
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