ヨハネの傲慢(上) 神の処刑

真波馨

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第11話 再会と交渉

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 缶コーヒーを掌の上で転がしながら、時也は廊下の長椅子に腰を下ろす。カフェインたっぷりの液体を喉に流し込むと、空き缶を手にしたまま背もたれに身体を預けた。
「失踪中の三人の議員は、立浜ネクストワールドの建設計画に関わっている。そして今回、建設工事を請け負っていた徳光社長が殺された。タイミングからして両事件は無関係ではないだろう。
 特異な点は、殺害後の犯人の行動だ。わざわざマル害の遺留品を使って警察に通報した。下手をすれば捕まる虞すらあるのに、そのリスクを負ってでも遺体を一刻も早く見つけてもらう必要があったのか。あるいは己の犯罪を見せびらかしたいだけの愉快犯か。
 遺体発見現場の位置も気になる。マル害の勤め先であるトクミツ建設は、現場から直線距離にして一キロほどしか離れていない。もし犯人に証拠隠滅の意図があるのなら、もっと人目につかない遠方を現場に選ぶはずだ。犯行を隠すつもりがなかったのか」
 そこまで考えてから、ふとひとつの仮説が浮上した。
「見せしめ、か」
 脳裏をよぎったのは、数ヶ月前に捜査した事件の加害者であり被害者でもあった森野一裕。両手首と足首を縛られて逆さに吊られていた森野の遺体を見て、内海は「まるでタロットカードの〈吊された男〉だ」と口にした。吊された男はイエス・キリストを裏切ったユダに例えられる。組織の反逆者であった森野一裕は見せしめとして処刑されたのでは——という彼女の話を、刑事部の者は一笑に付していたが。
「徳光社長も公開処刑されたのか? 遺体発見現場は夜間の人通りはほとんどないが、あの場所はちょっとした遊歩道になっている。日中になれば通行人もいるだろう。焼死体が見つかったともなれば騒ぎになるし、無論報道だって」
 そこまで独り言ちて、はっとする。犯人の思惑を読めた気がしたが、それはあくまで憶測の範疇を出ない。憶測が事実だと立証するには、とにかく動くのみだ。
 コーヒーの空き缶をゴミ箱に投げ入れ、廊下を足早に歩く。角を曲がって階段を降りようとしたとき、階下から重たげな足音が聞こえてきた。燻んだ緑色のスーツ姿が少しずつ視界に侵入し、相手の顔が見えた瞬間に思わず「あ」と声が出る。
「重松さんじゃないですか」
「あなたは……新宮さん、でしたか」
 K県警刑事部捜査二課の重松三郎警部補。ゾディアック団の捜査時、ある医療法人が過去に起こした闇献金事件について彼に訊ねたことがあった。県警に赴任する以前は地方検察庁で政治家の汚職事件を管轄していたという異色の経歴の持ち主だ。
「お久しぶりですね。〈路地裏のサンデー〉でお会いしたとき以来ですか」
 踊り場の壁に寄りかかりながら、不器用な笑みをのぞかせる。強面に似合わない艶やかなバリトンボイスも健在だ。
「同じ庁舎にいるのに、なかなかお見かけしませんね」
「刑事部と公安じゃフロアも離れていますからね。それに、あなたはいつもお忙しそうだ」
「それはお互い様でしょう。二課は今、談合事件で休む暇もないのでは」
 美土里区が計画を進めている森林公園の建設について、十五社の建設会社が口裏を合わせて入札操作をしていた——いわゆる入札談合が先月末に発覚し、捜査二課は対応に追われているはずだ。
「今回発覚したのは官製談合です。建設会社と役所職員でかなりの逮捕者が出ていますし、どうやらここ数年の話でもないようで」
「談合が常習化していたのですか」
「もはや慣例と化していたきらいがあります。かなり悪質なケースなので、慎重に裏取りを進めているところです」
「そうですか……ところで重松さん、別件で少しだけお話をよろしいですか」
 空いている会議室に滑り込むと、重松刑事は「よかったらこれ」とコンビニの袋から紙パックのコーヒー牛乳を取り出した。仕事続きの日は定期的に飲みたくなるのだという。
「実は、建設会社つながりでちょっと訊きたくて」
 ストローの差し込み口に穴を開ける。パッケージのデザインは昔と変わっていないが、幼少の記憶にある味よりも随分と甘くなっていた。重松刑事が手にしている紙パックには〈特濃ミルク配合の美味しいコーヒー牛乳〉の文字が踊っている。
「立浜市が建設を進めているテーマパークはご存知ですか」
「立浜ネクストワールドですね。もちろんです。新聞やニュースでも取り上げられていますし」
「その立浜ネクストワールドですが、関係者の周辺で何か不審な動きがあるといった話を聞いていませんか」
 口にストローを咥えたまま、重松刑事は視線だけを持ち上げる。ズズズと音を立てて一気に中身を飲み干すと、紙パックを几帳面に折りたたんでレジ袋に放り込んだ。
「もしや、トクミツ建設の社長殺しを追っているのですか」
 ド直球を投げられ、つい「耳が早いですね」と驚きの声が漏れた。
「先ほど一課の同期と遭遇して小耳に挟んだのです。それに、徳光氏の名前は新聞でも何度か見かけていましたから。立浜ネクストワールド建設に関するインタビュー記事も拝見しました」
「それなら話が早い。自分は捜査担当ではないですが、ちょっと気になることがありまして。重松さんなら何か情報をお持ちではないかと」
「私はあなたの協力者としてすっかり丸め込まれてしまったわけですね」
 にやりと笑みを浮かべる相手に、「そういうつもりでは」と惚ける。ゾディアック団事件の際に重松刑事から提供された情報は、政界の根深い闇に切り込む大きな足掛かりとなった。彼の記憶力と経験値からしても、是非とも協力者に欲しい逸材である。だが、目の前で不敵に笑う男がタダでは靡かないことも承知していた。
「察するに、立浜ネクストワールドを巡ってハムが動き回っているようですね。徳光氏の件ではない、しかし新宮さんの口ぶりからすると無関係とも言えないご様子……ほかにハムが動く事案といえば、市議会議員の失踪事件ですか。立浜ネクストワールドは市が建設を進めているし、トクミツ建設は工事を請け負っていたから、三者の関係性を探っているといったところでしょうか」
 流石に知能犯を相手とするだけあって、頭の回転が早い。時也は小さく肩を竦めると「お見事ですね」とあっさり自供した。
「まあ、市議会議員の件については県警の中でも噂が飛び交っていますからね。『失踪した三人は何らかの汚職に関わっていて、それを隠蔽するため自作自演の失踪事件を演じているのではないか』なんて口にする輩もいます」
 自分もそう考えています、などとは口が裂けても発言できない。「様々な可能性を考慮して捜査しています」とありきたりなコメントに留めた。
「自らの手の内を晒さずして、相手から情報を盗み出すのは容易ではありませんよ。取引は常に公正でなければ」
「ですが、先ほど重松さんはハムの動きを見事に言い当てたではありませんか。それを私が認めた時点でこちらの動きが二課に漏れたも同然。ならば、次は重松さんが手の内を見せる番だと思いますが」
「そうきましたか。諜報活動のプロだけあって交渉がお上手だ」
 一旦言葉を切ると、会議室の壁に背中を預ける。
「今からの話は私の独り言だと思って聞き流してください……先日発覚した美土里区の入札談合では多数の逮捕者が出ましたが、一方で明確な関与が立証できずに司直を免れた者もいました。その中に、今回殺害された徳光氏がいます」
 出しかけた声をぐっと抑え込む。何もない虚空を見上げながら、重松刑事は独白を続けた。
「談合に関わった者をしょっ引いてからも、二課ではトクミツ建設を含む複数の関係企業を密かに張っていました。まさか殺されるとは思ってもおらず、張り込みが甘かった点は否めません。実は先ほどまで、トクミツ建設の張り込み担当だった刑事と話していたのです。徳光氏は仕事を切り上げた後、黒いバンの後部座席に乗ってどこかへ消えたのだそうです。追尾の途中で巻かれたとか」
 熟練刑事の指がジャケットの胸ポケットに伸びた。取り出したのは板ガムで、そのうち一枚を口に放り込む。
「直に二課へ声がかかって合同捜査となるでしょう。談合事件と殺しの関連性も含めて、徹底的に調べ上げるはずです」
 時也としては、刑事部の捜査状況を聞き出す情報提供者が欲しいところである。重松刑事自身は殺人課の所属ではないものの、徳光の動向を追っていた捜査員の一人だ。情報を引き出すには打ってつけの人材である。
「さて、随分と寄り道してしまいましたね。そろそろ戻るとしましょうか」
 知能犯罪の熟練刑事は顰めつらしい顔で腕時計に目を落とす。
「では新宮さん、またどこかでお会いできるといいですね」
 壁から背中を離し、出入り口へと向かう。扉を開きかけたところで肩越しに時也をチラと振り返ると、
「あなたが対等な関係を築いてくれるのであれば、今後も交渉にご協力しましょう。私としても、ハムに情報源がいれば何かと捜査に役立つかもしれませんから」
 扉が音もなく閉ざされた。重松刑事が寄りかかっていた壁に、今度は時也が背を預ける。
「食えないオヤジさんだな」
 手にした紙パックには、まだ僅かにコーヒー牛乳が残っていた。
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