ヨハネの傲慢(上) 神の処刑

真波馨

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第10話 第一の被害者

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 夜間担当の捜査員に警護を引き継ぐと、時也は大急ぎで県警本部庁舎に舞い戻った。内海、落合、田端の三人は既に会議室で待機し、険しい表情でボスの報告を待ち構えている。落合に至っては机に寄りかかって長い足を小刻みに揺らし、ひどく落ち着かない様子だ。
 程なくして姿を見せた東海林警部は、「お疲れ」の挨拶もそこそこに手元の資料を四人に配った。刑事一課から秘密裏に入手した最新の捜査状況が綴られている。
「今朝方、遺体発見現場の管轄である朝日警察署に捜査本部が設置された。マル害は徳光仁、五十五歳。〈株式会社トクミツ建設〉の代表取締役だ」
 資料に目を落としていた落合巡査部長が、訝しげな声を上げる。
「遺体発見が今日の夜中一時頃とありますが、そんな時間に通報が?」
 彼の指摘は尤もだった。遺体発見現場は市民の森の脇道で、高架橋の下にある更地だ。大通りからも外れており、しかも通報時間は深夜。偶然通りかかって見つけるには奇妙なシチュエーションである。
「本部の通信司令室が通報を受理したのは、深夜一時三分。通報者は名乗ることなく『高架橋の下で何かが燃えている』とだけ告げてから電話を切った。最寄りの笹丘台交番に詰めていた警官が急行したところ、炎が立ち昇っている遺体を見つけたというわけだ。遺体は燃え出してからさほど時間が経っていなかったが、上半身は損傷がひどく、検死によれば全身に灯油をかけた後マッチやライターなどで着火したと見られている」
 遺体の足首は縄のようなもので縛られていた痕跡があった。また、死体検案書には後頭部に陥没箇所ありと記録されていたが、直接の死因は衰弱死。人体が燃えて皮膚の大部分が火傷すると、体の水分が急激に流失して脱水症状を起こし、衰弱死へつながる。焼死体の死因としては珍しくない。
「何者かに背後から襲われ、頭部を強打されて気絶。遺体発見現場まで運ばれた後、灯油をかけ火をつけられた……十中八九殺しでしょうね。単純に考えれば通報した名無しの権兵衛が怪しいですけど」
 落合の言葉を受け、ボスが遺体発見までの経緯をざっとまとめる。
「笹丘台交番の警官が現着したのは、一時十五分。交番から現場までは自転車で五分の距離だが、夜間で視界も悪く普段行き慣れない道であったため通報から十分ほどかかっている。検死結果によると、遺体に着火してから警官が発見に至るまで三十分前後の時間があったと推定される。逆算すると、遺体が燃え始めたのは零時四十五分前後。これがもし殺人事件であるならば、通報のタイミングから見ても名無しの権兵衛が犯人ホシである可能性は高いだろうな」
「遺体の傍に落ちていた鞄にはマル害の免許証が入っていた。身元が比較的早く判明したのはこのためですね」
 内海巡査部長の言う通り、たしかに徳光仁は運転免許を有していた。だが現場付近から彼の所有する車は見つかっていない。
「資料には記されていないが、一課の話ではマル害名義の乗用車が職場の駐車場に残っていたらしい。マル害は昨日の夜八時過ぎに事務所を退勤していることが記録により判明している。その後、車を使わずに職場を出たようだ」
 ボスの補足で、時也の頭にある仮説が浮上した。
「帰宅する前に誰かと会う予定があったのかもしれませんね。職場からごく近い場所で接触するつもりだったか、あるいは相手が車を出したのかもしれない」
「その相手を、刑事一課がしゃかりきになって特定しようとしているところだ」 
 資料から顔を上げた東海林警部に、眼鏡の警部補が問う。
「遺留品の中に携帯電話があれば、通話記録から何か判るのでは?」
「マル害のスマートフォンは財布と一緒に鞄の中から発見されたが、最後の通話相手は会社の取引先だった。会話の内容は契約予定の仕事の話で、今晩会う予定はなかったと……ああ、厳密には違うか」
「違う、とは」
「マル害のスマートフォンに残っていた最後の通話記録は、通報者だ。名無しの権兵衛は、徳光仁のスマートフォンを使って県警に電話をかけたんだ」


 ボスの言葉に、四人は暫し閉口する。最初に沈黙を破ったのは落合巡査部長だ。苦々しげに笑いながら、
「何ともまあ大胆不敵な権兵衛さんだな」
「そうなると、名無しの通報者が益々怪しいですね。警察の捜査の手間を親切にも省こうとしているみたいです」
 内海も困惑の色を隠せないでいる。田端警部補は腕を組んで壁に寄りかかったまま、
「マル害のスマートフォンに名無しの権兵衛らしい指紋は残留していないのですか」
「スマホの指紋はすべて丁寧に拭き取られていた。大胆ではあるが慎重さも有しているな。現場にはマル害も含めて多数のゲソ痕が残っていたが、鑑識によれば臨場した警官の分も含めて数が多すぎるから仕分けだけでも一苦労だと」
 いたく残念そうに答える東海林警部。一方時也は、別の観点からボスに疑問をぶつけた。
「マル害の会社が立浜ネクストワールド建設を請け負っていた件は、上も知っていたのですよね。彼もマークしていたのですか」
「関係者の一人としては把握していた。だが、ゴブリンお掃除隊や佐野渉、および失踪事件との直接の関連性は見出せなかったために特別の警戒もしていなかった……正直に言うとそんなところだ。今でさえ、徳光仁の事件と市議会議員の失踪事件は偶然タイミングが重なっただけではないか、と主張する連中もいる」
 通常、公安警察のスタイルとして上司が部下に捜査状況を事細かく説明することは滅多にない。まして、上層部の動向を惜しげもなく部下に提示するなど以ての外だ。だがチームプレイ重視の東海林警部は、必要とあれば捜査の進捗や情報を迷わず部下に共有する。それが、時也たちが東海林警部に信頼を置いている理由の一つだ。重要な情報を開示されるほど「自分たちは信用されている」と実感するし、任務のモチベーションも上がる。
 そして、上層部や他部署からの情報をこうして部下たちに提供できるのも、東海林警部の手腕によるものだろうと時也は分析していた。警察組織における警部のポジションは実に厄介で、課長や管理官といった上官と警部補以下の部下との板挟み。それが警部の立ち位置である。部下がいかに現場で動けるように上層部へ働きかけるか、また捜査を円滑に進めるために上層部をいかにして上手く丸め込むか。まさに、警察組織の調整役フィクサーだ。その意味で、東海林警部は調整役としての立ち回りが実に器用なのである。
「失踪中の市議会議員と徳光仁には、立浜ネクストワールドという共通項があるじゃないですか。無関係と言い切るほうが無理な話でしょう。徳光仁が殺られたのなら、行方不明の三人だって無事じゃない可能性が出てくる。トクミツ建設と市議会議員たちの関連性を早急に洗い出すべきです」
 押しの一手でボスを説得させようとする落合に対して、田端は慎重な姿勢を見せる。
「徳光仁の事件は刑事部が既に着手しています。トクミツ建設についても調べを進めるでしょうし、万一連中とバッティングでもすれば厄介事になりかねません。徳光仁の件に関しては彼らの動きを静観しながら、こちらは議員失踪とゴブリンお掃除隊についてより突っ込んだ捜査をすべきだと考えます」
「議員失踪の事案を追えば、そのうちトクミツ建設に行き着くかもしれねえだろ。そうなれば必然的に調べざるを得なくなるんじゃねえのか」
「そのときは、ボスの指示を仰いで判断すべきでしょう。いきなりトクミツ建設から当たるのは得策ではないと言っているのです」
「最初の失踪事件からもう一ヶ月だ。そんな悠長に構えている暇あんのかよ。ゴブリンお掃除隊も三人目の失踪からすっかり鳴りを潜めちまったし、このままじゃ同じ場所をぐるぐる回っているだけでちっとも前進しねえだろ」
「我々がトクミツ建設を下手に掻き回せば、刑事部との衝突は目に見えています。そうなれば捜査は硬直してむしろ事件解明を遅らせる方向になるのでは?」
 普段は冷静沈着な警部補が珍しく早口で捲し立てる。内海は無言のまま、時也にちらと目配せをした。二人の対立を見守るべきか仲介すべきか、判断を求める眼差しだ。時也は小さく肩を竦め、後輩からボスへと視線を移す。部下の討論を静聴していた東海林警部は、腕組みをしたまま不意に口を開いた。
「内海はどう思う」
「私、ですか」
 予想外の指名を受け、鳩が豆鉄砲を食ったような驚きと戸惑いの表情を浮かべている。ボスは薄く微笑みながら、
「俺たちはチームで動いている。チームである以上はメンバー全員の意見を聞いたうえで判断しなければならない」
 穏やかながらも有無を言わせぬ口調。内海はしばし考え込むように顔を伏せていたが、やがて「そうですね」とゆっくり頭を持ち上げる。
「議員失踪の事案を追っている最中に、立浜ネクストワールド建設計画の関係者が殺された。タイミングから見ても、両事案は無関係ではないと私も思います。落合部長のおっしゃる通り、トクミツ建設はいずれ当たらなければいけない……ですが刑事部の件もありますし、無闇に動けないという田端係長の意見にも賛成です。私なら、これ以上の犠牲が出ないようにするため、警戒網を広げる意味で現状の行確対象をトクミツ建設の関係者にまで拡大します。ただし、対象者に直接の接触はしない条件付きで」
「なるほどな。新宮はどうだ」
 上司の視線を真正面から受け止め、時也は無意識のうちに背筋を正していた。
「我々の任務は、あくまでも市議会議員失踪事案に関わる捜査及び警護です。殺人事件に関しては、刑事部の動向を静観する田端係長の姿勢に賛同します。ただ、トクミツ建設に関してノータッチでいるわけにもいきません。議員失踪とトクミツ建設の関連性がゼロとは断定できない。内海と同意見になりますが、トクミツ建設の関係者を行確しながら様子見する——これがバランスの取れた最善策だと思いますし、我々の職務範囲からも逸脱していません」
 ボスはにやりと笑みを見せると、真夏日にもかかわらずネクタイをしっかりと締め直した。
「どうやら今回は、後輩二人が上手くまとめてくれたみたいだな。俺としては、落合と田端の白熱した議論を傍聴できて新鮮だった」
 落合巡査部長はパーマ頭を掻き回し、田端警部補は眼鏡のブリッジを指で持ち上げる。二人は気まずそうに顔を見合わせたが、それもほんの一瞬の出来事だった。
「刑事部の連中からどやされるのは御免だな。今は一旦引くとするか」
「引くのも戦略のひとつですよ。我々は我々のやり方でトクミツ建設を監視するのです。ただし、刑事部との鉢合わせには細心の注意を払う必要がありますが」
「押して駄目なら引いてみろ、か。それで、俺たちはどうすりゃいいんですか」
 彫りの深い顔立ちに研ぎ澄まされた眼光から〈睨みのショウジ〉の異名を取る男は、力強い目つきで四人を見回す。
「トクミツ建設関係者の行確は新たに捜査員を立てる。四人はこれまでの作業を継続だ。落合と新宮の警護対象には刑事部が接触するかもしれないが気にするな。議員失踪については向こうさんから依頼を受けて動いているんだ。こちらが下手に出る必要はない。俺からも釘を刺しておく。
 常々言っているが、何か情報を掴んだら逐一報告を上げること。単独判断で無茶な動きはしないこと。以上を念頭に置いたうえで任務に当たってほしい」
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