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第9話 地下競売の噂
しおりを挟む七月二十四日の夜。落合巡査部長は立浜市内の居酒屋で県警刑事部の捜査員と酒盛りしていた。
相手は刑事部捜査二課の諸伏直生巡査部長。直生と書いて「すなお」と呼ぶが、「一発で正しい名前を呼ばれたことは人生で一度もない」と本人は自嘲気味に語る。所轄署時代からの後輩で、時折半ば強引に誘って飲み歩く仲でもある――が、今日は違った。諸伏刑事が自ら先輩に声をかけたのだ。
「珍しいな、お前から飲みに誘うなんて。さては現場の連中から虐められているな」
座卓から身を乗り出す落合に、諸伏刑事は「違いますって」とトレードマークの八の字眉を眉間に寄せる。つぶらな瞳に色白の肌、細身で百七十センチそこそこの体型も相まって「刑事に見えない刑事」と先輩から度々揶揄されるのだ。だが、今日はその愚痴を吐きたいわけではないらしい。
「実は、寛さんのお知恵を拝借したくて」
「知恵? マルB絡みか」
隙間なく閉ざされた襖式の扉を一瞥し、諸伏刑事は声のトーンを落とす。
「マルBが関わっているのか、そこも含めて捜査中です。でも、僕の直感では絶対にどこかで絡んでいると思うんですよ」
「新手の詐欺事件でも調べているのか」
「いえ……まあ、詐欺といえば詐欺かもしれないですけど」
煮え切らない口調だが、辛抱強く視線で続きを促す。後輩はビールを一口啜ってからおずおずと口を開いた。
「寛さん、地下オークションってご存知ですか」
「地下オークション?」
馴染みのない言葉に、パーマ頭を斜めに傾ける。
「ざっくり話すとですね、海外から違法輸入した宝石品が競売にかけられているようなんです。違法輸入とは言っても、品自体は鑑定士がきちんと鑑定している本物ですよ。それから更に上乗せした額でオークションに出品する。僕らみたいな宮仕えの給料と比べたら、目ん玉が飛び出るくらいの金額です」
「違法輸入っていうと、脱税か?」
国外から宝石を輸入する際、数パーセントから十数パーセント程度の関税や消費税を支払わなければならない。宝石は単価が高いため、数パーセントといえども宝石の種類によっては税金だけでもそれなりの額に昇る。
「それもありますが、海外で買い付けしている時点で法に触れているケースもありますね。違法労働で採掘された宝石だったり、犯罪の収益をマネロンして入手した宝石だったり。それらを非合法に国内へ持ち込んでいるんです。もちろん、参加者は宝石の出自なんて知る由もありません」
詐欺や知能犯罪の捜査経験がなく、オークションにも無縁の落合は半信半疑の声を上げる。
「その地下オークションとやらが、県内で密やかに開催されているってのか?」
「嘘だと思っているんでしょう。嘘でこんな話、しませんよ」
八の字眉を器用に持ち上げる諸伏刑事。ビールで再び喉を湿らせると、
「日本のようにマネロン対策が不十分な国では、こうした違法な取引が横行しやすいんです。日本は個人の銀行口座開設が比較的簡単にできますし、個人レベルでの監視となると手に負えないからこそ犯罪資金の温床になりやすい。ほかの先進国と比べても対策は緩いですし、専門機関による協議もおよそ活発的とは言えません」
国際的にもその危険性が注目されている資金洗浄。国内の対策レベルは諸伏が言う通り、世界と比べても数歩遅れている状態だ。世界各国の資金洗浄調査を行う国際組織は、特に金融機関での防止策が弱いと日本の弱点を指摘している。対して日本は、個人の口座開設に伴って本人確認や開設目的などのヒアリングを実施しているものの、人手不足が続く中での作業にも限界がある。近年では、一部の金融機関で本人確認作業にAIすなわち人工知能を導入する実験的な試みも報告されているが、具体的な成果を挙げるには至っていない。
「売り手は犯罪の証拠を隠滅し、買い手は高級品を競り落とす。相互利益が生まれるってわけか……それで、諸伏はその地下オークションにマルBやその筋の連中が関わっているんじゃないかと疑っている」
「関わっているどころか、彼らが主で取り仕切っていると思っています」
「けど、それなら組対の耳にもタレコミが入りそうなものだが」
「まさに、そのタレコミがきっかけで僕らは捜査を始めたんですよ。国内のあるオークション会社が主催する競売に参加した一般人から、匿名の密告があったんです。『あそこの会社は、裏で怪しげな競売を行っているかもしれない』と」
「その匿名の密告者のほうがよほど怪しいけどな」
「それもそうですが、無視するわけにもいかないじゃないですか。で、とりあえず情報提供されたオークション会社を調べてみたんです。特に違法性は見受けられず、はじめは迷惑電話の類として処理されるはずだったのですが」
一旦言葉を切ると、今度はミネラルウォーターのグラスを手に取る。先輩に上目遣いの視線を向けながら、諸伏は話を再開した。
「件のオークション会社の経営者について調べを進めると、交友関係の中にヤメ暴の名前があったんです。それも一人ではなく複数名」
「消えかけた疑惑が再浮上したわけだ。しかし、ヤメ暴なら今はカタギなんだろ」
「カタギといってもどこかで現役の連中と繋がっている可能性は充分にあります。暴対法が改正されて以降は奴らもフロント企業の経営には慎重になっていますけど、彼らだって一端の人間ですから生きるために必死です。あれこれ知恵を絞って警察の目を盗み盗みやっているかもしれません」
「だったら尚更、証拠を掴むのは容易じゃないだろうぜ。しかも捜査の端緒が一般人からの匿名通報じゃあ信憑性も薄い。それに、二課は別件で立て込んでいるんじゃないのか」
先月末に発覚した、市内の建設会社およそ十五社による入札談合事件の捜査は二課が進めているはずだ。諸伏は心外そうに顔を顰めると、
「そっちの捜査も手抜かりはありませんよ。オークション会社の件で駆り出されている捜査員は少数ですから、心配には及びません」
「なるほど。地下オークションもそのうちデカいヤマになるかもしれないから、二課としては手放したくない。それで、組対部から情報を引き出すスパイ役としてお前に白羽の矢が立ったわけか」
「別に、僕はスパイなんて」
「嘘をつくと過剰に水分補給する癖、直したほうが身のためだぞ」
グラスに再び伸ばしかけた手が、ピタリと止まる。色白の頬にほんのりと赤みが差した。
「詐欺専門の部署にいる割に嘘が下手くそだな」
「所属部署と性格は無関係じゃないですか……頼みますよ寛さん。僕は組対部に親しい奴なんていないし、そもそもスパイなんて真っ平ごめんだ。寛さんだけです、この窮地を救ってくれるのは」
座卓から身を乗り出し、縋りつこうとする諸伏。落合は「わかったわかった」と諌めながら、今にも泣き出しそうな後輩の隣に移動する。
「誰もお前を見捨てるなんて言っちゃいねえだろうが。もちろんギブアンドテイクって条件付きだけどな……で、どこの組織なんだよお前らが追っているのは」
「葵組です。野嶋組から分裂した」
後輩の肩に回しかけた手が、虚空でピタリと静止した。
時也が金澤氏の警護を始めて五日目。最後に失踪した難波氏以降、市議会議議員が行方知れずになったという報告はなく、公安警察周辺でも不審な動きは見られない。ゴブリンお掃除隊の動向も、七月八日——難波氏が消息を断つ前日に記事を投稿してからは更新が止まっていた。つまり、その日を境に一連の騒動はパタリと収まったのだ。
公安一課では失踪中の議員三人の足取りを追い続けているものの、三人とも失踪した日の夜に事務所を出て以降の動きが判らず仕舞のままだ。どこかの店や施設などに立ち寄った形跡もなく、各所に設置している防犯カメラの映像もすべて検めたが、映っていたのは事務所付近を歩く本人の姿だけ。言葉通り、霧のように姿を消したわけである。
「君たち警察が本格的に我々のガードを固めているものだから、犯人も怖気付いたのではないかね」
事務所のデクスで書類の山を整理しながら、金澤氏は穏やかな口調で言った。
「そうかもしれませんが、油断は禁物です。こちらの警戒が緩まる瞬間を狙っている、とも考えられます」
この数日間の降着状態から、時也は薄々感じ始めていた——市議会議員失踪は自作自演ではないか、と。これほどまで完全に足取りが途絶えてしまうと、三人が自らの意思で姿を眩ました可能性も出てくる。実際、公安一課の中でもそうした話がちらほらと耳に入っていた。捜索部隊が方々を駆けずり回っているものの、努力も虚しく時間だけが過ぎる一方だ。公安課の中に嫌な空気が立ち込め始めていた。
「新宮さんたちがしっかり護衛してくれるお陰で、私は円滑に仕事を片付けられて実に有難い……さて、そろそろ支度をするか」
のんびりと事務作業を進めているうち、時間は瞬く間に正午を回った。午後からは、性的マイノリティを支援する青年団体との会議が予定されている。参加者との会食を兼ねていて、時也は会場の外で車を停めて待機する手筈だ。
最近改築されたばかりの市民交流センターに、金澤氏は悠然とした足取りで入っていく。その後ろ姿が完全に視界から消えると、時也は氏の専用車両の中でコンビニ弁当を広げた。運転席では初老のドライバーがサンドウィッチを頬張っている。佐伯という苗字は金澤氏からの紹介で覚えているが、無口で何を考えているか判らない印象の男で未だにまともな会話を交わしていない。
「佐伯さんは、先生の専属運転手を務めてどのくらいの期間になるのですか」
敢えてフランクな口調で声をかける。白髪頭の運転手は、ビニールの包装紙を丁寧に畳みながら「そうですね」とゆっくり口を開いた。
「先生が初めて市議会議員に当選された年ですから、かれこれ五年目になるでしょうか」
思いの外、艶やかなテノールボイスだ。声だけを聞けば三十代と勘違いするかも知れない。落合巡査部長の五分の一ほどの声量しかないが、不思議とすんなり耳に入る。
「五年ですか。それ以前も、ドライバー業を?」
「タクシーの運転手をしておりました。その際に、たまたま金澤先生を乗せたご縁もあって運転手としてご指名いただいたのです」
「先生から直々にスカウトされたわけだ。それほどに佐伯さんの腕を信頼されているのでしょうね」
「光栄なことです。先生は私のような存在にも、一人の人間として対等に接してくれます」
「そうでない方もいると?」
「タクシードライバーを長年経験すると、様々なお客様に出逢います」
少ない言葉の中に、運転手としての苦労が滲み出ていた。時也は深く頷きながら、
「色々な人間がいるというのは、私も少しは理解できます。物分かりの良い人間しかいなければ警察官なんて必要ありませんから」
「私は警察官としての経験はありませんが、ご苦労お察しいたします」
「お互い様ですね……ところで、金澤先生に五年も仕えていれば先生の交友関係にも詳しくなるのではありませんか」
空になった弁当箱を手早く片付けながら、さりげなく話の方向をシフトさせる。佐伯も昼食のゴミを袋に詰め込みながら、
「先生は実に広い人脈をお持ちです。地道な努力で作り上げた結果です」
「人望も厚いでしょうから、多方面で関係を築いておられるでしょうね」
「先生は一人ひとりとの関係を大事にされています。お客様からの会食の誘いを先生が断っているところは見たことがございません」
「金澤先生が誰かから恨みを買う可能性は」
「誰からも支持される人間は存在しない……先生の持論でございます。職務上、やむを得ない決断で誰かが不利益を被る場合もあるでしょう。それは先生の本意ではありません。先生は常に、市民の幸福のために活動されております」
回りくどい表現だが、要するに「仕事上で恨みを買う場合もある」と言いたいのだろう。回答としては予想の範囲内であり、遠回りに攻めても目新しい収穫は得られそうにないと早々に判断する。
「金澤先生が、大規模テーマパークの建設に尽力されていることはご存知ですか」
「世間話の一環として先生が以前にお話しされていました。仔細は存じ上げませんが、建設計画に注力されているご様子です」
「建設計画の関係者と、佐伯さん自身がお会いになったことは?」
「それらしいお客様を数回ほどお乗せしました。特別に言葉を交わした記憶はございません」
本人も気付いていないかもしれない。だが、僅かではあるが喋る速度が落ちている。言葉を慎重に選んで話しているようだ。
「たとえば、どういった人たちでしょうか。建設会社の人間や計画を共に進めている市議顔議員などいるかと思いますが」
「先生とお客様との会話を小耳に挟んだ程度ですので、詳細は判りかねます」
バックミラーの中で佐伯の両目が数回瞬く。隠し事をしている、と直感した。今の会話から守りを崩せるかもしれない——思案しているところで、スーツの内ポケットで業務用携帯電話が震えた。
『新宮、事態が動いた。今夜は本部に集合だ』
東海林警部からの一報だ。声に緊迫感が漂っている。上司の口から続けて出た言葉に、時也は数秒の間絶句した。
『立浜ネクストワールドの建設工事を担当していた会社の社長が、遺体で見つかった』
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